「リウマチ手記」
41歳2012年3月29日
41歳2012年3月29日
「また漢方飲みたいのだけど。」
リウマチの治療を中断して半年、私は夫に告げた。
アレルギー性鼻炎の治療を開始して13か月目、突然私はリウマチになった。
「検査結果もひととおり揃ったのだしいいよ、やりなよ。」そしてこう加えた。
「中島智子のほうが解脱、早そうだね~。」
私の家庭のなかで教祖である松本先生は、ご自分を教祖とお認めにならない。
「僕は事実しか話さない。」が故に、幸福を保証しないのだ。
「なかには、治らない人もいます。」
リウマチ理論にも記している。
「検査結果」というのは、年に一度の健康診断の結果である。
昨年度「陽性」判定の子宮頸がん検診が、今年度は「陰性」であった。
「リウマチの人は、ガンにならんのやで~。」
ふと、先生の言葉を思い出した。
心に余裕を取り戻した私は、かつて先生に「読みなさい。」と指導をうけた、安江幸代さんの手記を読み直した。
重いリウマチ患者さんの、脅威ともいえる回復を示すそれは、不思議なことに、以前読んだものとは、全く違っていた。
「安江さん、ステロイド10本以上打っていたのね~。」
私は以前、筋肉注射を5本ほど受けている。
あれほど恐れていた「ステロイド情報」さえ、見逃していたのだ。
あるいは、「最後まで読んでいなかったのかも???」
そうかもしれない。
宗教色の濃すぎる内容に、辟易としていたことを思い出した。
しかし、治療再開を決めた今では、なんともたやすく受け入れられる。
ようやくアトピーになる自分を、受け入れられるようになったからだ。
本日治療を再開して15日目。思ったほどのリバウンド症状もなく、完治までどの様な道をたどるのか、まだよく分からない状態だ。
「逆リバウンドで苦しんでいる人に、読んでもらいたい。」
お薬の郵送を依頼した際に、先生より手記の依頼を受けた。
長く苦しい治療生活、「逆リバウンドや~、ストレスあったか~?」
私も相当応えた。
今こうして先生のHP を開いてしまった方に、何かしらの「きっかけ」が与えられたら、私も嬉しく思う。
これまでの治療過程を、先生とのやり取りを含めた形で簡単に紹介します。
2010/9/3
アレルギー鼻炎のため、松本漢方クリニックで初診。
目覚めのくしゃみ、鼻水がひどく、朝食が作りにくい。
この先一生鼻炎薬と付き合うのが、いやだった。ここ数年、ひどく体力がない。
目の違和感、耳のつまり、下顎奥歯の違和感がヘルペスの原因であると指摘を受ける。
発病して半年くらい、ということ、治療のため筋肉注射を5回受けたことを伝える。
漢方を飲むと数日で目の違和感や鼻水がひどくなり、倦怠感から寝てばかり。
しかし次第に目の下のクマが取れて来たり、唇が赤くなったり。
漢方の力量を知るところとなる。
のち、逆クラススイッチで問題となったのが、上記にある「筋肉注射」。
「そりゃ、ステロイドや~。」と、先生。
アトピーに変わる可能性があることを告げられたが、この時は、さして真剣に受け止めてはいなかった。
それほど、鼻炎の症状がきつかったのだと思う。
2011/4/15
「光がまぶしい。」と伝えると、
「ヘルペスのせい。病院へは行くな。」
2011/6/15
「生理がこない。」と伝える。
過去に入れたステロイドが脳に影響をあたえた、とのこと。
煎じ薬を送ってもらう。
2011/7/29
松本漢方クリニックへ。
「就寝中、体に熱がこもる。熱中症になるので、冷えピタ貼らせて。」と言うと、先生曰く、「ヘルペスが戦っとんやな~。」
冷えピタは諦め、この夏は枕元に水を置き、飲みながら寝ていた。
この時2泊3日の奈良旅行をして帰ったが、二日前からの寝違いがずっと治らず、辛かった。
2011/10/15
「関節が痛い。」と伝える。
「逆クラススイッチや~!!膠原病の薬送るでっっ。」
「ストレスあったか?」としきりに問われたが、これといって心当たりがない。
三食昼寝つきの専業主婦に、ストレスなんてあろうものか?
「そんなの、ないっつ!」言い放っていた。
「アレルギーと、膠原病は、同じ病気なのだよ。それは知っているよね?」と、先生。
この時何点か、今の状況について話をしたが、覚えていない。
挨拶ついでに紹介すらできる「鼻炎」が、難病に指定されている「リウマチ」になったのだ。
この時の私は、ただただ治療を始めたことを悔いるばかりだった。
そしてここにきて、以前受けた「筋肉注射」の存在が、急に恐ろしくなった。
完治させるためには、逆に入り込んだスイッチを、元に戻さねばならない。
「アトピーになるんだぁ・・・。」
治療を開始してからのこの一年、たくさんのアトピー患者さんの手記を読んできた。
その中に、恐ろしいものを見つけた。
重症な患者さんの手記の中に、先生の赤字のコメント。
「ステロイド注射は、一番悪い。IGE抗体が、0になる。」の件だ。
私の抗体数値は、50前後だ。
「もしあの注射が、ステロイドだったら~。」
背筋が凍った。
そして始めてリウマチ患者さんの手記に目を通す。
とてつもなくショッキングな報告が、あった。
「こんな体にされて!!」
この月末に一度、診療時間外に先生へ電話を入れた。のどが痛く、勝手に治療を止めたので不安になったのだと思う。
精一杯先生を罵った。
「白髪になったり、皮膚が斑になるのは嫌だ!!」
治療中にメラニン色素が上手く働かなくなった患者さんがいたのだ。
「別に治療が引き金になった理由ではない。いつかはそうなる患者さんだったのだ。」というような説明を受けた。
そしていつもの「HP良く読め。」
「少なくとも鼻炎は良くなったのだから、それは先生に感謝しようね。」
電話を切った後、主人が言った。そして、
「ちょっとお薬、やめてみない?」彼からの始めての提案だった。
確かに鼻炎は良くなっていた。この電話を境に、治療を中断する。
たまに鼻炎の症状があるときは、おそるおそる鼻炎のお薬を飲んだが、もうほとんど完治したような状態だった。
リウマチの症状もさほどではなく、日を追うごとに痛みは遠のいた。
「なんで先生はストレス、ストレスとあれほど言い続けたのだろう?」
元気を取り戻した私は、また松本教に舞い戻った。
ここでの公表はしないが、ちょっとした趣味を持ったので、健康に貪欲になっていた。
「筋肉注射」前のアレルギー検査結果も見つかった。
IGE抗体の値は、最近のものと変わらなかった。
当時、注射しても症状が変わらなかったので、「ステロイドでは、なかったのかも。」と、思うようになった。
依然として人ごみの中では、のぼせたり、息苦しくなったり、の症状は続く。
眩暈はだいぶ減ったものの、もうちょっと動ける体になりたくなった。
そこで、これまでの治療をおさらいしてみた。
時系列的に追っていくと、気がついた。ストレスの原因だ。
「リウマチ宣告」を受けたのが、2011/10/15
2010年の年末は、婦人科検診で子宮頸がんの可能性が疑われ、ウイルスチェックで偽陽性が判定された。
その後、2011/3/11には、東日本大震災。それに伴う原発問題。
震災後、私の住むさいたま市では長い間余震が続き、夜中けたたましく鳴り続く携帯の緊急地震速報に熟睡ができなかった。
「ガンになったら、どうしよう?手術中地震が起きたら、置いてけぼりにされちゃう。」
こんな妄想を、主人に披露していた。
2012/3/8婦人科検診の判定がでた。
2011年度の人間ドックは受けていたが、婦人科検診は引き延ばしていた。
ストレスさえなければ、リウマチは完治する。
免疫が上がりきったいま、完治させないのはもったいない。
アトピーへの恐怖も、なくなったのだから、治療を再開するなら、今だ。
5日後には、既に受け取っていた膠原病の煎じ薬と、アトピーになる粉薬を飲んだ。
一週間後には、明け方にくしゃみで起こされ、鍼灸治療の翌朝には、治療前のようなくしゃみ、鼻水の症状が現れている。
ひとまず治療を再開出来たことで、気分的には今、スッキリしている。
先生を怒鳴りつけたあの日、無理に治療を続けなかったことが、結果的に良かった。
クラススイッチしてアトピーになったとしても、あの時の私の状況では、毎日「アトピー、アトピー」と会社帰りの主人にまとわりついて、困らせていたに違いない。
「なかには、なおらない人もいます。」
この言葉は、ストレスを持つ限りは、漢方で免疫を上げたところで完治は難しい。ということを意味しているのだ。
ここ数日、安江幸代さんの手記を読んで思う。
「もし、アトピーになったとしても、怖がらなければいいのだ。」
「怖がらなければ、リバウンドだって、ないのだから。」
ようやく「松本理論」が理解できた。
手記を公表するいじょう、挫折するのも恥ずかしい。(匿名でも。)
がんばって完治します!!