「リウマチ手記」
39歳2012年5月15日
39歳2012年5月15日
リウマチ感想文
リウマチと言う病気が治ってしまったので題名を感想文とする事にしました。治ってなければ闘病日誌と付けたと思います。私は、嫁さんと3人の男の子のお父さんで、仕事は設備工事会社の会社員です。
さて、リウマチという病気の始まりは、正直言って、どれが始まりだったか解りませんが、思い当たるところから書いていきます。
平成23年4月27日か28日だったか、はっきりと覚えてないのですが、お客さんの家でトイレの工事中にタンクにつながっている水道のゴムパッキンを汚い手のまま、滑らすために舌で舐めてしまいました。次の仕事のために急いでいたのです。内心はバイ菌入ったかな?と不安でしたが。ところが、不安は的中するもので28日の夕方頃になってチクッ!!と喉に刺す様な痛みが走ったので、何かバイ菌が入ったみたいやなぁ?とは思ったのですが仕事が残っていたので、もう一人の同僚と一緒に2人でその日の仕事を終わらせてから会社に戻り日報を記入して帰宅しました。帰宅後は、いつもと変わらずに夕食や風呂を済ませ少しの間テレビを見たりした後、寝る事にしました。
平成23年4月29日 午前3時頃にトイレに行くために目が覚めましたが熱っぽくて体がしんどいので用を足した後、洗面所の鏡を見に行くと、すぐに自分の喉がカエルの様に腫れ上がっているのに驚き、寝ぼけた頭がすぐに冴えて自分が熱でフラフラに鳴っていることに気づきました。自分が呼んだのか、気づいて起きてきてくれたのかすら覚えていないのですが、嫁さんがすぐに、急患で病院を探して、第一○○病院ヘ連れて行ってくれました。病院で受付をして熱を測り、問診表に記入して看護士さんに症状を伝えるとすぐにタンカーに乗せられました。何やら甲状腺が腫れているのでX線CTの検査をするのでヨード造影剤の同意書にサインをしてくれと同意書を渡されたのですが、何せフラフラで体もしんどかったので、何でもいいから早く体を楽にしてくれという気持ちから内容もよく読まずにサインをしたのだと思います。気付けばCT装置のベッドの上でした。後に、本で読んだのですがヨード造影剤を用いた造影CTの時は、造影剤に対するアレルギー反応テストがあらかじめ実施されます。とありました。あの同意書は何だったのか、今でも不審に思っています。CT終了後は、急患の患者さんが集められて治療をしている中で抗生物質の点滴を打ってもらい、午前7時半頃に採血検査をして診察で検査の事などを聞いて薬を貰って帰宅しました。帰宅後は、寝てしまったので覚えていません、フラフラでしたから。この、汚い手でパッキンを舐めたため喉がカエルの様に腫れてしまった事件の後に体の間接が何故か突然腫れ上がり激痛に見舞われる為に病院に通うという病院巡りの始まりでした。
5月1日から仕事に行くことにしましたが、夕方頃に右肩が痛くなってきたなぁと思いつつも工事を続けていたら、益々、痛みは激痛に変わって行き工具を持つ事すら出来なくなってしまったので、先に現場から帰らせてもらう事になりましたが運転もきつかったので、若い子に運転してもらい送ってもらったのですが、会社に着いた時には後から出た同僚は皆、帰っていました。運転が下手なのか道を知らないのか、送ってもらっといて贅沢にも文句は言えないのですが怒る元気も無かったです、激痛過ぎて。今から思うと笑い話ですが。通勤はバイクなので会社から家までは死に物狂いでした。帰宅後、飯、風呂の後寝ようと思うのですが激痛のため眠りにつけず疲れきってから自然と眠りに落ちていく感じでした。痛みを表現するとしたら何かアイスピックの様なもので貫通されてグリグリと回されている感じの痛さで今まで体験したことの無い激痛でした。映画のワンシーンで言うならターミネーター2で最後の方でサラがターミネーターに肩を金属の指で貫通させられ息子のジョンの居場所を言わせようとグリグリと痛めつけるシーンがありましたが、そんな感じです。映画のワンシーンを体験してしまいました。したくなかったけど。
5月2日の朝になっても激痛は治まっておらず、車の運転も出来なかったので嫁さんに再び第一○○病院に連れて行ってもらいました。この日は採決、レントゲン、診察でした。レントゲン撮影の時も肩が痛くて「こうしてもらえる?」などと技師の方に言われましたが肩関節が曲がらないので往生こきました。しばらく待って診察の順番が回ってきたので診察室に入り先生にこれまでの事を話しました。すると「ちょっと力こぶを作ってみて」と言うので「こうですか?」と作ってみせると「う~ん、左に比べて右の方が小さい様な気がするなぁ?」と言いながら医学書の辞典みたいなのを開けて見せて「この肩の筋肉が切れたんでしょう。」と真顔で言うので「あのぅ~力入れようと思ったら入るんですけど」と言うと「ちょっとだけ切れたのですよ」と返答が帰ってきました。(おいおい38年この体使ってきているけどホンマにそやろかぁ?とりあえず会社にはそう言っておこう)と以外な答えに不審には思いましたが、医者が言っているのだから、そうなんかも知れないと納得しました。
その後に、第一○○病院は少し自宅から遠いので近所の医院に紹介状を書いてもらおうとお願いすると、少しダルそうに近くにいた看護士の方に京都市の開業医のリストみたいなのを取ってきてもらい「なんていうとこ?・・・えっ?林医院・・内科・胃腸科・整形外科・外科と色々あげているねぇ~でもあげてるだけで所詮は開業医では何かあったらどうにも出来ないから紹介状書いても仕方ないと思うよ。ココなら設備も整っているし。・・・」と返答されたので「じゃぁ、いいです」と返事しておきました。(何か勘に触るヤツやなぁこの医者)と思いました。診療後、支払いを終え薬局にてロキソニンと湿布薬を貰い帰宅後に会社に「何か解らんのですけど、肩の筋肉が少し切れたみたいですわぁ。痛いのがマシになったら出勤します」と報告すると「もうそれやったら2週間ほど休んどけ」と返事を貰ったので結局5月15日まで休むことになりました。痛みの方は5月4日には治まっていたので5月9日に予約で診察が入っていたので一人でバイクに乗って第一日赤病院までいきました。ところが、診察の順番が回ってきましたが、この間と違う医師でした。(この間の先生と違うやんけ、ひょっとして自分の診察に自身なかったのやろか、切れてる割に2日程で痛いの治まんのもおかしいし)などと勝手に思いながら、違う医師に最初から症状などを説明して返ってきた返事が「もう少し様子を見てみましょう。薬だしときますから。」という事でした。力こぶの事もこの違う医師に尋ねてみましたがハッキリと判らない様子でした。
5月11日の夕方の4時頃に現場の下見で車の運転をしていた時に左手首に痛みが出てきました。少し気にはなりましたが、とりあえず現場の下見をした帰りの車の運転中に見る見る腫れ上がり痛くなっていきミッション車なのでギアを変えるのが辛くなってきました。仕事を終えて帰宅後は先日の右肩の激痛と同様で疲れきらないと眠れないほどの激痛でした。この時は左手首に激痛が出たので右肩の筋肉が切れたと言った第一日赤の勘に触る医師の診断は、やはり違ったと確信しました。ここで勘違いを起こしてしまいそうなので第一○○病院で頑張って働いている方のために訂正しておくと第一○○病院が信用出来ないのではなくて、一人の勘に触る医師に信用が出来ないと思いました。
5月12日に何かあったらいつも行っている近所の○医院に行って、今までの事を話しました。手間接MRIと採血をしましたが、これといって骨にも異常は無く血液検査も細菌感染で白血球の数値が高いのが気になるくらいやし間接の痛みは腱鞘炎と違うかなぁという事で薬を貰って帰りました。薬はロキソニンとムコスタ錠と抗生物質と湿布剤だったと思います。その後も、上半身の左右の各関節(肩・手首・肘・手の平・手の甲・指の関節)に毎日というほど、どこかに痛みが出る様になりました。大きい関節に出るほど激痛で、きまって夕方が近づくにつれて小さな痛みから始まり30~40分程で見る見る腫れ上がって激痛に至りました。やはり激痛には耐え難く寝る前にロキソニンとムコスタ錠と抗生物質と痛みの箇所に湿布剤を貼って寝る様にしましたが、疲れきらないと眠れませんでした。
5月16日から仕事に戻りましたが仕事中に関節を使うと腫れてきて痛みが酷くなると仕事を早退させてもらったり、帰宅後に痛みが出ると次の日に会社を休ましてもらう日が増えました。腱鞘炎にしては痛みの出方に全く理解する事ができず、どちらかというと痛みが移動している様に感じられたために自分なりに今回の一件は喉がバイ菌によって腫れる事から始まったので、バイ菌が血流によって体の中を移動して各関節で悪さをしているから痛いのが出たり熱っぽくなったりするのと違うか?と考える様になりました。だから、採血検査で風邪の時のように白血球の数値も高いのではないのだろうかと納得することにしました。仕事を休み家で一人痛みに耐えていると色々と勝手に想像してしまいます。手の平や手の甲や指の関節が痛いときは最悪でした。気を紛らわすためにポータブルゲーム機のPSPやニンテンドーDSで時間すら潰せなく、ただじっと寝転んで耐えるだけでしたから辛かったです。後は、何か良からぬ事も考えてしまい、信仰心も無いのに滋賀県の南郷に厄除けで有名な、立木観音さんに長い石の階段を登ってお参りにいきましたが、前厄だと思っていたら前前厄だったりしたので、一緒に付いてきてもらった嫁さんに呆れられました。良い運動にはなりましたが。
6月14日にも第一○○の整形外科を受診しました。(一ヶ月ほどしたら受診してくれといわれていたと思います)採血検査をして診察で様子を話すも結局、これといった説明も無く何もわからずにロキソニン等の鎮痛剤の薬などを処方されて家に帰るだけでした。何処で受診しようと結局は何もわからないと思ったのでこの日以来、仕事を休んで受診しなければならない第一日赤病院には行かなくなりました。しかし、移動する様な痛みは治まらないので6月16日に林医院にて再度、手関節のMRIを撮ったら「かなり右手に水が溜まってるのが写ってるし、話を聞いてると左右対称に痛みが出てるような感じやから、京都南病院に紹介状を書いたげるから整形外科のK医師に1回診てもらうことにしよ、関節の事については凄く詳しい先生やからMRIの画像も持っていけるようにしとくから18日の朝に取りに来てから行ってくれるか」と林先生に言われたので6月18日の朝にMRIの画像の入ったCD-ROMを取りに行ってから京都南病院に行って整形外科のK医師の診察を受けました。「先生から電話で話の内容は聞いているから早速、画像を見さしてもらうし」と言って画像を見始めました。「ちょっと水がかなり溜まってブクブクになっているしワシの手術で何とかなるものでもないでぇ、膠原病の方を疑ってみてもええかもしれんなぁ・・・もっぺん林先生とこに戻って膠原病の方で調べてもらい左右対称に痛みが出とるみたいやし、電話しとくから」と言われ、その足で直に○医院に戻って膠原病を疑った診察をしてもらう事になりました。(ここで初めて膠原病なる病気がある事を知りました)○医院にてリウマチを疑った採血をしました。判定には、一週間ほどかかるらしいので、この一週間は不安で仕方ありませんでした。採血のときに先生が「この間、来た患者さんなんやけど若いのにリウマチの判定が出てなぁ、最近、何か若い人にもリウマチが増えている様な気がするねんけどなぁ、晋ちゃんリウマチ違ったらええねんけどなぁ、使い痛みやと思うんやけど」と言ってはったのを覚えています。帰宅後に膠原病やリウマチについてインターネットで調べてみました。一生治らない病気で放っておくと、だんだんと病気が進行して行き関節破壊が進み指や各関節が変形していくとか自己免疫疾患と言って自分の免疫が自分の体を攻撃してしまい一生薬で調節していかなくてはならないとか関節が変形した写真などが掲載されたりしていました。家族の事・仕事の事・自分の体の事などを考えるとかなり不安になりましたが、結果も出ていないうちに考え過ぎても仕方が無いのか有るのか分からなくなり、ただ単に、悪い結果やったらどうしよぉ?と思うだけでした。
6月25日の日は仕事が終わると直に帰宅してから検査結果を聞きに行きました。診察室で結果を聞くとCRP定量0.1・RF定量11・マトリックスメタロプロテイナーゼー3 88.2・抗核抗体FA法40未満ということだったので先生は「良かったなぁ膠原病や無いでぇ、やっぱり仕事柄、使い痛みやってぇ晋ちゃんも年いってきたんやから若い時みたいに無理し過ぎたらあかんで、肩を回したら骨がガリガリとかせぇへん?」と言われたので右肩を回してみたら確かにガリガリとしていました。「確かにガリガリしています。でも、他の関節のユルユル感も使い痛みですか?」と、気になっていた事も聞いてみると「だから、検査もリウマチでは、無かったのやし、ちょっと仕事のペース落として無理せんと、痛み止めと湿布剤と出しとくから、どうしても痛いのが我慢出来なかったら使うようにして様子を見とこぉ、電気治療もあるから時間があったら来てくれたらいいし。」と言われたので薬をもらって帰宅し、良い結果だったので家族に嬉しそうに答えました。しかし体は正直なもので上半身だけではなく下半身のほうにも痛みが移動している感じに思えたので6月28日に再度、電気治療のついでに診察を受けました。先生も、この間の検査結果の事も有り、困ったと言うか呆れたというか「検査も異常ないし気長に様子を見よ、年いってきたらどこか痛いとこもあるし」との返事に酷い使い痛みと考えることしか出来ないので、この日から痛みが出ても耐えられる痛みの時は薬や湿布を貼るのを出来るだけ我慢して、どうしても痛みが激痛に変る様な耐え難いときだけ薬や湿布に頼りました。(薬や湿布がまったく効かない時もありました)他には、仕事が早く終わったら電気治療にも行っていましたが、いつまで行かなければならないのか見当もつかないので家電屋で安価な低周波治療器も購入して毎晩、自宅治療をしたり、体を治すには血流を良くしなくてはと血液がサラサラになるとテレビでやっていた納豆キムチを毎日食べたり、健康食品はどうかと試しにグルコサミンを飲んでみたりと効果が期待できるもので自分が納得できるものは続けてみました。その後も不審な痛みは続きましたが徐々に痛みも治まっていきました。7月や8月といった暑い時期には、殆んど痛みも出なくなり治ったのか?と思っていました。仕事中も「最近、痛いと言わへんやんけ」と言われる程でした。ところが、治ってはいませんでした。9月に入ると徐々に手が強張ったり、手の平・手の甲・その他の関節に痛みが出る日が増えてきて、9月15日の帰宅後に右足親指の付け根に痛みを感じたと思ったら、激痛に変わっていき足を床に着くことすら出来ないくらい腫れ上がりました。又あの激痛の再来か?と嫌になりながら、嫁さんに急患で新京都○病院に連れて行ってもらいました。もう激痛のベテランになってくると病院も慣れたもので受付・体温測定・問診表記入の後、少し待たされて急患の場合は、たいがい違う科の先生の登場で何を話してもメニューが決まっていて関節が痛いというとレントゲン撮影等の後に画像診断で鎮痛剤をもらって帰宅コースです。医師の決めセリフは「画像診断の結果、骨に異常は見られないので原因はわかりませんが薬を出しときますので、様子を見てください。」です。ところが、ベテランの予想を遥かに裏切ってくれる医師と出会いました。診察で真面目そうな若い男の医師は、私が記入した問診表の質問を順番通りに聞いてくるので、記入した通りに答えて行きましたが、三つ目くらいから(コイツひょっとして問診表の答え合わせでもしとんのやろか?)と激痛にもかかわらず思っていたのですが、表情や態度にもいかにもムカついていますと言わんばかりに出ていたのですが、それに気付いたのか問診表の答えあわせ大好き医師の後ろに立っていた看護士の方が笑いを堪えていました。五つ目の答えあわせの時にさすがに「なぁ先生、俺が何か問診表に嘘でも書いてんのか調べてんのかぁ?そんなん書いてるんやし、読んだらえぇやんけ、何してんの?」と怒るの通り越して呆れ笑いながら聞いてしまいました。看護士の方も聞いたと同時に爆笑してはりました。よく5問目まで我慢された事と思います。こんな診察は記憶に残りますが、手記に書いてしまったので記録にも残ってしまいました。ある意味、凄い医師なのかもしれません。後は、予想のメニューでした。
9月16日になっても激痛みは治まることは無く、ロキソニンや湿布などで和らぐことすらしませんでした。結局、何とか痛みが和らぎかけたのは、午後8時を越えてからだったと思います。これ以降に激痛が出る日が増えてきたので、会社の若い子に冗談で「お前、俺の髪の毛の入った人形もってるやろぉ?正直に言ってみ?」と聞いたら「持ってないっすよぉ、ガンダムのやったらあるのですけど。」と言うので「えっ!俺のはガンダムなんけ」と訳の分からない症状に訳の分からない会話をしていました。色々と考えた挙句、使い痛みにしては、無理もしない様にしていたので治っていってもよさそうなのに、痛いのが出てきているのとインターネットで読んだ痛みの症状に似ているので、もうリウマチと診断されるのは嫌だったけど、自分の症状をハッキリとさせたかったので、リウマチ科のある、なるべく近い病院で京都市立病院に10月7日に受診する事にしました。京都○立病院では、整形外科にまわされました。診察で整形外科の先生に、今までのことや、何回も何回もレントゲンやMRIやX線CTなどを撮ってきても異常は見られなかったことなどを、かなり熱くキレ気味で話尽くしました。すると圧倒されたのか整形の先生は「いったい僕は、何をすればいいんですか?」と逆に困った顔をして聞いてきはったので。(ちょっと言い過ぎたのやろか?)とも思いつつ。「医者でもないから、どうしたらええのか判らないのですが、俺は関節リウマチっぽいから関節リウマチを疑って調べてほしいのですよ。」って言ったら整形の先生は「あのぅ~じゃぁ整形のほうの診察とかは無しにしときますので、最初から待ってもらわんとあかんけど、血液内科に診察入れときますので外で待っといて下さい。」と言われ血液内科で診察をやり直しました。血液内科でも同じ話をして採血と無駄なレントゲンを撮って検査結果は一週間後と聞いて帰宅しました。10月14日には血液検査の結果が出ており、医師も若い女の先生に代わっていました。検査の結果が気になっていたので聞くと初期のリウマチの感じ(CRP 0.03・RF定量 22.7・坑CCP抗体 24.2・TSH 0.815)と言う様な何とも微妙な煮え切らない返答で・・・「今日はこれで終わりですぅ、少し様子を見ましょう。」といつものロキソニンなどを貰って帰宅しました。10月20日にも受診しましたが、会社を午前中休んで長い時間を待たされた割に診察は、5分程度で終了、次回の診察を1ヵ月後として様子を見ましょうとなりました。11月17日に体調も変わらぬままに診察となりました。さすがに平日しか診察してもらえそうに無い事と何も一向に進まない事にイライラとしていましたので「初期のリウマチは治る事があるとかインターネットで見たりするんですけど何で治していくんですか?何か血液の病気の様な感じなので食事などで改善したりするんですかねぇ?・・・」と独り言のような質問をしてみました。口数の少ない先生なので返答には期待していなかったのですが「食事では治らないと思うのですよねぇ・・・どちらかと言うと薬で調節して行く様な病気です」と小声で返答が返ってきました。(薬で調節して行く様な病気と言ったので、もしかしてインターネットで何処やらの患者さんが書いているブログに出てくる副作用のきつい薬の事やろか?)と思ったので「先生、薬とかあんまり飲んできてないし専門的な薬ってよく解らないので、ちょっと怖いですよねぇ、どうなんですか?」と聞くと「薬で調節していく事によって、最終的に軽い関節炎が手首だけって人もいますしねぇ」と返事が「薬で調節していくしか無いのですか?」と聞くと「そうですねぇ」と言うので「だったら出して下さいよ、それでいいですから、結局、僕は関節リウマチなのですか?」と言うと「貴方の場合はそこまで進行していないので回帰性リウマチです」とやっと病名が決まりました。長い病院回りの末に付いた病名が回帰性リウマチでした。アザルフィジン錠という薬が処方されていましたので薬局で処方箋を渡して薬を貰う時に薬剤師の方が「この薬、貴方に?どこか痛いのですか?」と不思議そうに聞いてくるので「そうです先生が決めはったのですけど」と言うと「強い薬なので副作用も読んでくださいね。」と何かギクシャクとした会話の後、薬を貰って帰宅して副作用を読んでみるとオシッコが薬の色に染まるとか書いてあったように思います。それと効果が現れるまで2週間程か1ヶ月程か書いてあったと思います。(えらい効果が現れるまで時間が掛かるくらいやし、そんなに強い薬なんやろか?)とも思いました。とりあえずは、何か自分の中で病名も決まり薬も出たので進展したような気分でしたが、どうしても気になる事がありました。診察時に先生が人の目を見て話さないで何か言うときはパソコンの画面を見て喋る事とアザルフィジン錠を貰う時に薬剤師の方との会話とインターネットでアザルフィジン錠の事を調べようとすると(あなたは医師ですか?)という画面で問われるのでそれ以上は見られない様になっていたので、何か他にこの病気を治す方法はないものかと仕事が終わって帰宅すればインターネットでリウマチ関連を調べていましたが新薬登場!!とか悲しい闘病中の患者さんのブログしか出てこなかったので、邪魔臭くなって「ええぃ、こうなったら直球勝負やっ!リウマチ治るって打ったるっ!」と打ってみたら「リウマチは治る」荒木 美代子65歳という闘病日誌が出てきましたのでカチャカチャとクリックして日誌を読んでみると、薬はあかん様な事(そうなんやぁ)・薬の種類にステロイドというのがある事(何やそれ?)・鍼灸治療(ちょっとウサンクサイなぁ)・漢方薬(何か体に良さそうやぁ)・松本漢方クリニック(何処にあるのやろ?)・内容がリアル(うそ臭くない)・結果的にリウマチが治ったと書いてある(ほんまに?)・痛さが見に覚えのある激痛さに親近感を感じる(本当は親近感を感じたくないんですけど)・実名で年齢も書いてある・何はともあれハッピーエンドらしい(希望が出てきた)というような内容に思わず「松本漢方クリニックってとこで治ってるでっ!何か漢方とか鍼灸とかで治すみたいでステロイドとかいう薬はアカンらしいわ」と嫁さんに話しかけていました。嫁さん「へぇ~でもアンタ鍼なんかアカン効かへんとか言ってたやん」私「でも、治ってるで」嫁さん「ほんでそこ行くの?」私「治りそうやし、行きたいなぁ」嫁さん「で、何処なん?」私「いや、知らん?」嫁さん「調べえなぁ~」(呆れた顔で)私「調べるわぁ」(笑いながら)私「これやろかぁ、漢方科・松本漢方クリニック・高槻・・・おっ!日曜日もやってるでぇ」(仕事休むのが嫌でした)嫁さん「ホンマに行くの?」私「行ってみよか、アカンかったらアカンでいいし」嫁さん「いつぅ?」私「今度の日曜やし11月27日」という事で11月27日に阪急電車に乗って高槻の松本漢方クリニックに向かいましたインターネットの地図を頼りに松本漢方クリニックに着くとミスタードーナツの2階にありました階段を上っていきドアを開けると漢方の匂いがしました。初診ということを伝え受付で診察と採血と鍼灸治療があることを聞き、嫁さんと2人で待っていました。医療費のことが気になったので、受付に聞きにいくと、初診なので3万円程と聞き、帰りの電車賃が残るのか心配になりましたがここまで来たら引き返すわけにもいきません。それと、「院長から患者さんに読んでもらっているものです」と渡された、資料を読んでいたら眠たくなってきました。(勉強が嫌いな僕にとって文章は睡眠薬のようなものです)採血が一番最初だったと思います。採血の時に横山看護師に「先生に圧倒されない様にね」と言われ診察を2人で待っていると、大きな声が聞こえてきました。同じ事を考えていたらしく「似ていると思うんやけど」嫁さん「増田さんと田中さんやろ」私「それと井口さん」嫁さん「誰それ?」私「俺は知っている人」嫁さん「まだいはんの?」私「いるで」という会話をしていました。実はこの様な人を3人も知っていたのです。少し間を置いて「ここで治のとちゃう?」嫁さん「そやったらええねんけど」大きな声が聞こえてくるたびに2人でクスクスと笑っていました。そして「池田 晋一さぁ~ん」と呼ばれたので診察室に2人で入ってみると、年齢がちょっと不明の細身の元気がにじみ出ている、おっちゃんがいました。松本先生との出会いです。(怒られそうです、すいません)するとすぐに「君は何で来たんや?」私「回帰性リウマチと言われたので」先生「はぁっ?リウマチはリウマチやっ、回帰性なんかあらへん、医者は勝手な名前ばかりつけよる。ほんで、何で松本漢方クリニックを知ったんや?」私「インターネットで調べてたら治るって書いてあったので」先生「どっちが見つけたん?」私「僕です」先生「どっから来たん?」私「京都です」先生「京都やったら病院いくらでもあるやろ、ホームページ見て来たんやったら府立医大とか書いてあるし、そっちとか行ってもよかったのと違うの?なんで、わざわざ高槻まできたんやぁ?」私「先生のとこは、薬を使わずに治す様な事が書いてあったし薬は後からでも試せるし先に松本漢方クリニックのほうがいいかなと思いました。」先生「かしこいっ!」(いきなり何やとびっくりしました)先生「お前ら大衆は馬鹿やから・・・・・」(褒められてるのか怒られてるのか圧倒されました)先生「ヘルニアは何で痛くなると思う?」私「軟骨が神経に触るからですか?」先生「神経に触るんやったらずっと痛いはずや、ヘルペスやっ、免疫が神経でヘルペスと戦うしや」等の色々な話の途中に4回ほど「治したげるっ治したげるよっ!と任せとき」と握手をして頂きました。最後に先生から「私が治してあげる、イコール貴方の免疫が治す・・・私は、貴方の免疫を信じているから治るよっ!この世の中に怖い病気なんかあらへん、治したげる。」と言われた時に、やっと自分の病気を治すと自身を持って言ってくれた医者に出会った気がしました。それと、診察前から松本先生は嘘の無い正直で頑固というか、そういう人だろうと感じていました(情熱大陸の人)。というのも、僕が知っている人たちの中にそういう人がいたからです。増田さんは、いつも大きい元気な声で喋っている裏表のまったく無い人です。いつも周りの人は、笑いで溢れておりました。田中さんは癌で亡くなられたのですが生前はガス業界では知らない人はいないという人で阪神淡路大震災のときに僕がいかないと君等ではどうしようも出来ない、僕だから可能なのだと勝手なばかり自分の使命感が燃える人で誰も行けと言ってないのに被災地に出向き瓦礫の近くに車を止めて自炊しながらガスの復旧をされたかたで仕事博士でした。田中さんも表裏が無い使命感の特に強い人でした。井口さんはLPGガスの販売店の方で無邪気というか親切過ぎるというか「わしがやったげるっ!何でもやったげるっ!」が口癖で何とも呆れるほどマイペースな人ですが井口ファンがいるぐらいの表裏のない元気すぎる人です。ですから松本先生もそういう人だろうと予想していたらそういう人でした。そういう雰囲気が出ていたので素直に信じて松本先生の治療を受けていたらリウマチ治りそうやと思いました。鍼灸治療は、以前に一度だけ行った経験が有り(針のみで灸は無し)、その時は効いたと思わなかったので全く期待していませんでした。この時もあまり効果があったとは思いませんでした。(まぁ、やれって言ってはるし、やっとこかぁという感じでしたが、後々、この治療の凄さに気付かされる事になるのですが)それと、お灸のやり方も教えて頂きました。(家で自分でやれという事なんやろかぁ?と思いながら聞いていました。自分でやるお灸なんか効くんやろかぁ?から、お灸をせんと何かと無理!とまで頼りきりました。あんな小さいの燃やすだけやのに)正直、熱かったです。一通り松本漢方クリニックの治療を終えて受付で次回の鍼灸治療の予約を入れて精算を済まし、もぐさも買って、処方箋を貰って薬局に行きました。藤田薬局で漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤のベルクスロン錠を貰ったのですが、煎じ薬を初めて見たので最初に薬と言われて渡されたときは、「えっ!?なにそれっ、ホンマに薬ってそれっすかぁ?」と大きな声を出してしまいました。煎じ薬の第一印象なんかひどいもんで、昔話に出てきそうな話で、(季節は冬を想像しました)すっごい貧乏な家でおっ父かおっ母どっちか知らんけど病にかかって倒れてて、どうしても助けたいがために、まだ幼いのに働きに出て(女の子の設定です)苦労して苦労して、(当然雇い主の子供たちにいじめられたりもする)やっとこさ貯めたお金で買うことが出来た、そんなドラマを想像してしまった薬でした。そんな薬の説明を聞き精算を済まして、隣のオリエンタル漢方薬局に行きましたが、今度は見慣れない店内の様子に(ここ薬局なんやろか?)と思いつつ処方箋を渡すと漢方風呂の真空パックにされた漢方薬と紅い塗り薬が出てきました。(かわった見慣れへんものばかりでてくる)そんな事を思いながら薬を貰って精算後、帰宅しました。帰宅後すぐにステンレスの鍋・もぐさを細くするコルクのコースター・お茶パックなどを買いに家族で出かけ、買い揃えて、その日の晩に嫁さんに煎じ薬を煎じてもらい飲んでみましたが、患者さんの手記に書かれていた苦くて不味いというよりも独特な甘さがあって飲みやすいという感じで匂いも漢方のいい匂いで冷やして飲んだら(温めて飲んでと書いてありました)美味そうと思いましたが、子供らは、まずっ!と言っていました。(次男坊だけは気に入って飲んいでます)お灸は据えるのが難しく火をつけたら熱い熱いで、これ毎日しなあかんのかと思いました。正直、めんどくさいし熱いしまいりました。漢方風呂は水曜日と土曜日に入る事にしましたが、入ってみると風呂屋さんの薬湯の匂いで漬かっていると心地良く、湯の色は茶色で風呂屋の薬湯が自分の家にあるみたいで贅沢な気分になりました。ただ最後の風呂掃除が大変でしたけど。(嫁さんにアンタほとんどしてへんやんと文句を言われそうですけど)こんな感じで松本漢方クリニックの治療がスタートしました。(この時なんか、自分がリウマチと診断されて薬で調節していく病気と言われ免疫抑制剤とも知らずに飲み始めた崖っぷちに立たされてすぐに松本漢方クリニックの患者さんの書かれた手記と出会い、共感を感じて調べてみたら阪急電車で片道270円の近場の高槻に松本漢方クリニックがあって興味本位から松本先生やスタッフの方達に出会えた事が、いかに幸運だったかという事も知らずにいました。)
11月27日~12月11日の間は松本漢方クリニックにて処方された、漢方煎じ薬・お灸・漢方風呂・ベルクスロン錠で治療をしましたが、お灸だけは、飲んだら終い、入ったら終いとはいかず、要領がつかめずに苦労しました。最初はツボの本を見ながら打っていましたが、毎日となるとだんだんと打つ所が重なったりしてきて無くなってきました。痛みのほうは、ちょくちょくと、出てはいましたが、12月7日に右手の指関節が痛くなり12月8日の朝には左手の指関節にも痛みが出ていたので仕事は休みました。両手が強張る感じで、とても工具なんか持てそうに無い程でした。12月11日に診察でお灸のことを先生に「打つとこ、無くなってくるんですけど?」と聞いてみたら「そんな事無いやろぉ、ツボなんか気にせんと打ったらえぇ」と言ってもらえたので、適当に数多く打つことにしていきました。
血液検査結果は、RF定量・26/TTT・4.0/CRP定量・0.67/IgG・1074/IgE・77/水痘帯状ヘルペスVZV IgG・44.8/MMP―3・96.3
12月12日~12月25日の間は血液検査の結果が出たので検査項目の内容がとても気になっていましたので、各項目をインターネットで検索して自習したり、松本漢方クリニックのホームページで論文や患者さんの手記を読んだりしてました。漢方の煎じ薬やお灸をやり始めてからトイレに行く回数が増えた事に気付きました。お灸の打つ数も多くなってきたのでお灸跡に違いが出てきました。水脹れになる箇所とこげ色が付くだけの箇所とがありました。痛みのほうは、夕方になれば出てきたりしていました。12月13日の会社からの帰宅途中に右膝に少し痛みを感じたまま、帰宅しましたが、だんだんと短時間で痛みから激痛に変わっていき晩御飯の後に風呂に入ろうとする頃には、片足を引きずって歩くのもしんどいくらいになっていたので、お灸を両膝周り各20発程、打ちました。さすがにお灸は熱いので痛さが紛れたように感じましたが疲れきるまで眠れませんでした。12月14日の朝になっても痛みは治まっておらず、午後に耐え切れそうに無かったので松本先生に電話をして「無茶苦茶、痛いんですけど、湿布張ったらダメですか?」と聞いたら「だから、アカンて言ってるやろぉ、熱は出てないかぁ?37.2度以上やったらもう一度電話しておいで」と予想通りの返答をして頂いたので張らずに済みました。(あまりの長時間の激痛に心が折れそうだったのでアカンと言ってもらったら諦めつきそうと思ったので電話しました)体温を測ると37度だったので電話はやめときました。午後3時頃から4時半頃まで風呂に入りましたが温まってくると痛みが和らいだ様に感じました。午後7時頃になってようやく痛みも峠を越えた感じになってきました。寝る前に気付きましたが、右膝に直径1㎝ほどのカサカサな部分が出来ていたのでアトピーかな?と少しうれしかったです。12月15日の朝には痛みも殆んど無くなっていたので出勤することにしました。何とかしんどいながらも仕事をこなしましたが、帰宅後に13日の時と同じく痛みが出たと思ったら短時間で激痛となり、結局16日・17日と仕事を休むことになってしまい18日は日曜日だったので3連休となってしまいました。16日・17日・18日と激痛に耐える日々となりましたが、漢方の煎じ薬とお灸に加えて漢方風呂も作ってもらって、何とか乗り切れたという感じでした。本当に、リウマチという病気は痛いものだと思いました。12月14日から12月18日の間は煎じ薬やお灸の効果でトイレの回数が多く困りました。間に合うか、間に合わないか激痛との闘いで正直、少し漏らした事もありました。恥ずかしい話です。これが、一番痛かったリバウンドだと思います。これ以降はこの様なしつこい痛みはなく、お灸の跡にも少しずつですが痒みの伴う箇所が増えていきました。25日に今年最後の松本漢方クリニックを受診して松本先生や横山看護師や鍼灸の早田先生にリバウンドの事を話したと思います。早田先生に「おっ、早いですねぇ」と言われたのが特に嬉しかったです。(アホな話から体に出た症状まで一番よく聞いてもらった先生が早田先生です。松本先生はどこで話をしたらいいのか最初のうちはわかりませんでした。)
12月26日~1月8日の間は特にこれといった痛みが無かったと思います。(しょうもない痛みはあった程度)年末年始の休暇に入ったので仕事上のストレスも無くなりリウマチ治療には最適なのですが、11月27日に松本漢方クリニックに行ってなかったら休暇中の有り余る時間にリウマチは治らない病気でずっと薬で調節していかないとだめで、そのうち間接破壊が始まって骨が変形してきて今の仕事続けていくことが不可能になって、仕事を変る事になるけど難病の者を雇う会社なんて無いから無職同然、あるいは若いのに寝たきりになったりして嫁さんに働いて食わしてもらって生活をしているのか、それでも生活が苦しくやっていけないのであれば長男が朝・夕の新聞配達などもしていたかも。(新聞配達の季節は真冬の想像です)などと最悪なストレスのかかる想像をしながら過ごしていたと思うとゾッとしました。でも診察の時の松本先生の治るよ、治してあげるという言葉で気楽に例年通り過ごせました。あの言葉は心の薬です。(体に無害で病気を治す必要な薬なので保険適応外です)1月8日には血液検査の結果が出ていました。RF定量・26/TTT・6.3/CRP定量・0.06/IgG・1007/IgE・81/MMP-3・77.1という結果でした。RF定量値が26と平行線だったので、少し残念でしたが体の調子は数値とは違って凄く調子が良かったので自宅でのお灸や煎じ薬を毎日きちんとしていれば、次回は落ちてくれるだろうから気を抜かんとこと思いました。IgEが81に上がっていた事、お灸の跡に痒みが伴う部分が出てきた事を考えると徐々にクラススイッチが進んでいると感じました。
1月9日~1月22日の間は、仕事をしていても実に体が若返ったかのように痛みが出ても軽く、気が付けば長年の腰痛・肩こり・首のこりが無くよく動けました。感じとしては、低気圧に突っ込んで(嵐のリバウンド中)その後、中心に抜けたみたいです(中心は穏やかと聞きます)映画で言うと天空の城ラピュタが想像しやすいかと思います。ラピュタは無かったのですけど。1月8日から漢方の飲み薬が追加で増えたので朝、昼、晩の食後に飲みだしましたが、決まって昼食の弁当を食べてしばらくすると目の奥の痛みが出てきました。(目の奥の痛みはリウマチになる2年ほど前から徐々に出てきた症状でもありました)お灸の跡はというと、日を追うごとに、痒みを伴う箇所は増えていきました。この頃は、暇があったら松本漢方クリニックのホームページを開いては先生の論文やコメント付の患者さんの手記を読んでは参考にしていました。松本漢方クリニック以外のものも見ましたが気になったのが、自立心失調症で手記かコメントに出ていたと思うので調べてみました。神経には頑張るための交感神経や体を修復するように持っていく副交感神経がある様なので、普段の生活や仕事中に頑張りすぎず、やるときはやる、休むときは休むといった具合にメリハリを心がけました。(僕は、1日に朝を殆ど食べないので、昼飯を仕事優先で抜いてしまうと1日に晩飯の1回という日も少なくなかったのです。)1月22日に受診をして採血をしましたが、1月21日に夜勤が有り22日の朝の4時半頃に帰宅して風呂に入り6時半頃まで仮眠してからの受診だったのでしんどかったです。(血液検査の結果が夜勤の影響を受けていないか心配でした。)会社としては見た感じとても元気そうに見えたのか国の特定疾患である病気にかかっていても関係なさそうでした。
1月23日~2月5日の間は会社関係の人の工事が始まりました。自社工事は、何かと出来るところは自分のとこで工事をしてしまうので、設備やと言えどキッチンや風呂の解体工事もやってしまうのですが、やはりまだ力仕事を丸一日は体にかかる負担は大きく、両方の手首に痛みが出ました。23日と24日は何とかなりましたが、25日には右手首がかなり痛くバイクにも乗ることが辛かったので仕事を休みました。しかし、この頃は辛い痛みとはいっても夜も眠れないほどの痛さとは違い無理さえしなければ、何とかある程度普通に仕事が出来るようになっていました。2月5日には血液検査の結果が出ていました。RF定量・22/TTT・8.7/CRP定量・0.05以下/IgG・967/MMP-3・100.9という結果でした。RF定量が26から22に低下していたのですが、TTTの値が6.3から8.7に上がっていたので「まだ、つくっとんなぁ、まぁ今後も頑張れ」と先生に言われたので、自分としては、下がっているので嬉しかったのですが先生の様子からすると少々、思いと違うような感じでしたので、やはり夜勤明けで寝不足の採血だったので何かしら影響がでたのかなと思い家に帰ってから調べてみたら、CK(CPK)の値が199で初めて基準値(38~196)より高値にあり、本(病気の検査項目の内容が知りたくて買った本です)によると激しい運動の後、とも書いてあったので、そうなのかなぁと勝手に想像していました。(この頃は血液検査の項目などで勝手な想像をして楽しんでいました。)中性脂肪も初診以外はずっと高めなので先生が「中性脂肪が高い様に思うなぁ?」と言ってはりましたが、松本漢方クリニックの受付を済ましたら、近所の松屋にて夫婦で牛丼を食べているからでした。体は順調で痛みと痒みで何か騒がしい様なかんじでした。この頃に先生に「水虫の薬は塗ったらアカンのですか?」と聞いたら「あれは、殺菌やろ、自分で考えっ!」と言われてしまいました。自分の体の事なんやから全部、医者任せにするなよという意味だったように聞こえました。鍼灸の治療に変化がでました。鍼灸治療後に何かいつもと違い、体がダルく思い感じがしたと思いました。
2月6日~2月19日の間は、ほぼ1月23日~2月5日の間と変わりなかったと思います。2月19日に松本漢方クリニックを受診したときに、この間の鍼灸治療の体のダルいのが気になっていたので鍼灸治療の後がどうなるのか楽しみでした。体がダルく重いので、やはり気にしていた通りで薬局で薬待ちのときにタバコを吸ってみたら倒れそうになりました。(僕は酒は飲まないので、忘年会の時などに仕方なく飲まされて、酔いが回りしんどくなった様な感じになりフラフラ状態でした)この頃になると、お灸の跡は打つと痒くなりました。数多くお灸をしていたので痒いところだらけという感じでした。お灸で出来た瘡蓋をめくって遊んでいましたがめくると透明の液がジワァ~と出てきていました。
2月20日~3月4日の間は、27日に仕事がきつかったのか、帰宅後に左肘・右膝・左手首などに痛みがでました。28日の朝になると、右膝が痛くて引きずる程だったので朝から痛みの箇所にお灸を数多く打って仕事にいきました。帰宅後は、クタクタでした。29日になると、お灸や漢方の煎じ薬の量も増やしていたので右膝の痛みは楽になっていましたが、左肘の痛みがしつこく、なんか痛みの種類が違うように感じました。左肘の痛みは仕事中、常に痛かったのですが(チクンッ!)としたかと思えば痛みが消えて、今度は左手首から肘に向かって5cm位のとこの筋肉というか筋に痛みが移ったかの様になり、少し腫れてくるような症状がでました。痛さはしつこく気になる痛みで筋肉痛に近い?痛さでした。初診の時に松本先生に「筋肉ちゃうね?関節やね」という質問に「関節やと思います」と返事していたのを思い出し、この症状は松本漢方クリニックに訪れる前に出ていた事があったのです。その時は単なる筋肉痛だと思っていました。痛く引きつるという感じもありました。左肘の痛みの事で松本漢方クリニックのホームページでリウマチ性多発筋痛性の事について見てみると、どうやら自分の場合はリウマチと言うよりは多発筋痛性なのだろうと思いました。3月1日には、ここ数日の間に子供が風邪をひいていた事もあり、ついに風邪がうつってしまいました。(年末年始には1回か2回は風邪のために近所の医院に行って、抗生物質の点滴を受けていましたが、今年は去年から松本漢方クリニックの漢方の煎じ薬・鍼灸治療・自宅でのお灸にて免疫を上げているためか、会社でも家でも皆が風邪を引いている中、自分は何故かひかないものだと不思議に感じていました。)1日の午後から仕事の途中から、お腹がゴロゴロと昼に食べた弁当が消化しないような感じで吐き気が少し有るような無いような、トイレに行っても出そうで出ない感じでしたので、風邪なんだろうなぁと思っていたら帰宅後の風呂で吐いてしまい熱がでました。患者さんの数ある手記の中に風邪のときには、風邪のウイルスを倒すのが優先になるのでリウマチの痛みがいったん和らぐか、消えるかすると書いてあったので、どうなのか?と気にしていたら、3月2日は風邪優先で3月3日はリウマチ優先(化学物質とヘルペス)になったのでしょう2日の日は、午後から痛みが無かった事に気付きました。3日には風邪のウイルスは殆んど壊滅させられてしまったのか左肘の痛み等が復活してきました。3月4日の受診の際に松本先生にその時に熱を測っていたのかと言われましたが、熱を測るのは邪魔くさいのと、どうせ自分の免疫の方が強いし勝つの決まっているからと返答したら先生に「熱は、ちゃんと測らなぁ」と少し呆れられた様にも見えました。血液検査の結果も出ていました。RF定量・17/TTT・4.8/CRP定量・0.05以下/IgG・985/IgE・59/MMP-3・84.7という結果に「おっしゃっ!!」と検査用紙で数値を見た瞬間に声が出てしまいました。ただ単にすごく嬉しかったのです。そして、この前の診察の最後に松本先生から「それ、痛いの筋肉と違うかぁ?リウマチの痛みかヘルペスの痛みか、判らへん?」と言われていたのですが「ちょっと、判りません」と返事していたのですが、今回は左肘のしつこい痛みや短時間に筋というか筋肉というか痛みを伴って腫れてひいて行く様な症状を自覚して先生の論文や手記と照らし合わせていくと、筋痛性の症状と似ていたので先生にその事について聞いてみたら「そうやろ、ヘルペスや、自分はリウマチよりもヘルペスのほうがきついはずや。」と返答してくれはりました。たぶん、だいぶ前から(初診時から)リウマチでも多発筋痛性である事に気付いてはったのだと思っています。というよりも、色んな膠原病の症状にはヘルペスの症状は付き物なのかもしれません。(自律神経失調症で出てくる症状もヘルペスの症状と似ているような気がしています。)鍼灸治療も前回程ではなくなりましたが治療後のダルさもありました。お灸の跡にも変化が出ていました(左肘のしつこい痛みが出たくらいからだと思うのですが、鈍感なので気付いたのはこの頃かもしれません)お灸の跡に痒みだけだったのが痛みも出てきて瘡蓋をめくると膿が溜まっているものが出てきました。この膿がめくるタイミングにもよるのですが半生で固まりかけの物をめくると結構、ビックリするほど深いのです(野菜でいうと大根という感じでした、長さでいうと2mmほど根が張っているくらい)これは、少し違うかもしれませんがADCCによるえぐれるような症状なのかとも思いました。(勝手な想像ですけど。)お灸の跡の観察や鍼灸治療後の体に出るダルさの度合いなどを考えると、必要な人に必要なだけ効果や症状が現れるのが、この手の治療なのだろうと考えるようになりました。それと、毎回、受付の後に読んでいる患者のみなさんへの資料の内容に間違った内容があることに気付いたのですが、自身が無かったので次回の診察の時に聞くことにしました。(ヘルペスウイルスがアトピーの原因であるという回答内容のこと)
3月5日~3月18日の間は左肘のしつこい痛みと手首らへんの筋の痛みと腫れの戦いになりました。痛みに出るところには徹底的にお灸を打ち続けました。さすがに同じ場所に続けて何日も何日も打ち続けていくと、灸跡だらけになってしまい何か別の感染症に感染しているかのようになってしまいました。この時は、関節の結合組織に溜まっている化学物質をお灸や煎じ薬や風呂(漢方風呂と風呂での水浴び)で血流を上げて流しきってやろうと、ヘルペスにはお灸や煎じ薬や鍼灸治療で免疫が上がるので戦わしてやろうと考えてひたすら頑張っていました。風呂での水浴びは年末から続けていましたが、12月・1月・2月はさすがにきつかったのですが気合でやりきりました。風呂に浸かって温まり汗だくになった後に水を洗面器に5杯程、頭からかぶった後に冷水のシャワーで少しの間、体中を流した後に暖かい風呂に入りなおすと全身が赤くなって温かくなりました。仕事中は外での作業が殆んどなので左肘を冷やさないように使い捨てのカイロを張って常に温めていました。後は自分にも耳鳴りがしていたことに気付いたくらいでした。3月18日の診察の時に先生に患者さんの皆さんへの資料について聞いてみたら、怒るのも当然で少々熱く話をされていました。自分なりのいけんをいうと審査委員会というのだから、もっとちゃんと読むものは読んで、調べるものは調べた上で答えを決めるべきだと思いました。あれでは、最初から答えが決っている様なものです。(ヘルペスウイルスがアトピーの原因だとか、ホームページ見たら堂々と論文を書いてはるのに読んでないのでしょう。松本先生がヘルペスウイルスと自分の理論の正当性の研究をするためにヘルペスの疑い病名の名の下にヘルペス抗体価を調べている様にとれる回答であるようで御役所くさいと思いました。病気の何を重視しているかわかりません。松本漢方クリニックは病気が治る結果が先にあって、なぜ治るかを松本先生が長年に渡って免疫学などを独自に勉強されて後から理論を組みたて病気を治すことを重視しているから患者として文句は無いのですが、審査委員会の言ってる広く医学会に認知された科学的知識に基づき、効率化を計るべき保険診療とは、何を重視しているのか解かりません。病気が治ることを重視していたなら、わざわざ高槻の松本漢方クリニックまで来る事無かったと思います。近所で治るのだから)
3月19日~4月1日の間は、左肘の痛みも必死で打ち続けたお灸や飲み倒した煎じ薬や風呂での水浴び(気のもんだったかも知れませんが)のおかげで無くなりました。残ったのは見栄えの悪いお灸の数多くの火傷跡ですが人に見られた時「何それ?」と聞かれますが、答えるのが嬉しくなります。殆んど聞いてきた人は半信半疑の顔をしています。痛みはなくなり、何の病気で松本漢方クリニックに通っているのだろうとさえ思ってしまいました。他に出た症状は、口の中に直径0.5mm程の水泡が出来ていたこともあり水泡の周りが充血していましたが、すぐに治りました。夕方の晩飯時に右腕の二の腕が少しの間、ピクピクと何度も突然に痙攣したこともありました。左肩の肩甲骨らへんに仕事中にチクっ!としたりそのまわりがワサワサとこそばくなったりもしました。いずれも、ヘルペスによる症状なのかもしれません。お灸の跡に変化がでました。お灸跡の瘡蓋とっても透明の液が出ないで赤い血が出てくる箇所が少ないながらでてきました。何で気付いたかというと赤い瘡蓋があったからです。(この手の瘡蓋ははがしても膿みもありませんでした)4月1日の血液検査の結果はRF定量・9/TTT・7.3/CRP定量・0.05以下/IgG・872/MMP-3・101.0/水痘帯状ヘルペスVZV IgG・36.7でした。思っていたよりも好結果に気分は最高でした。RF定量が一桁の9だったので驚きましたが、体の状態と考えてみても納得ですがヘルペスの数値がまだ、36.7だったので当分はヘルペスの治療になると思いました。(ここからは、普段の気持ちの持ちようなのだと思いますが、心の問題なので一番、難しいかもしれません)診察でも先生に「どうや?」と聞かれても「先生、正直なとこ何の病気で松本漢方クリニックに来ているのか、わかりません」と言ったら先生は「そうやろ」と言ってはりました。
4月2日~4月15日の間は、症状と言えば、耳鳴りとかくらいで気にならない事が多いので治療中ということも忘れてしまう日も多くなってきました。ストレスが、かからないように過ごしていました。(こんな時期に限って仕事のことで怒鳴りあいの口喧嘩をしてしまいました。)
4月16日~4月29日の間は、もう何もかもが普通です。血液検査の結果が出ていました。RF定量・11/TTT・4.8/CRP定量・0.06/IgG・963/MMP-3・83.6/水痘帯状ヘルペスVZV IgG・37.9という結果だったので先生に「また、お前ストレスの多い生活しとんのかぁ?」と言われてしまいましたが「この間の採血の前の日に大きい口喧嘩したからだと思います。」と言ったら「まぁ、一過性のものもあるからなぁ」と返答していただきました。気をつけないといけないなとは思っています。後は、診察時は世間話もして頂き、色々な事についてアドバイスまでして頂くまでになりました。後、何回かで松本漢方クリニックに治療に通うこともないのだなと思います。あと少しの間、松本先生・横山看護師・鍼灸の早田先生やスタッフの方、宜しくお願いします。これにて、手記を終わりにしておきます。松本漢方クリニックには病気を治すために必要なすべてがありました。本当に、有難うございました。