「リウマチ手記」
40 歳 女性
2009 年1月 23 日
40 歳 女性
2009 年1月 23 日
いつもお世話になります。
2008 年 10 月
松本先生から、”そろそろ手記、書いてもらおか!”の一言をやっと、やっと聞く事が出来ました。この一言を、どれだけ待っていたことか・・・
家には、3年前にプリントアウトした松本漢方クリニックのHPがいまだに取ってあります。それには更新日 2005 年 10 月 20 日とあって、本当にちょうどまる3年かかったのだなと改めて実感しました。他の患者さんの手記には、けっこう早い時期に先生からの”そろそろ・・・”の一言が出てるのを読む度に私にはいつ言ってくれるんだろうと不安な日々が続きました。
どうしても、他の人と自分の治るペースを比べたりして・・・でも今、自信を持って言えます!絶対絶対治りますから、特に、まだ松本漢方クリニックに来られていない方!PCの前で不安に思ってる方、どんなに遠方でも嘘だと思って一度は来て見てください。絶対、人生変わりますから (笑)
2004 年6月
突然、足の裏に、今まで経験した事がない違和感を感じる様になりました。
まるで足の甲の中に小石が入っていてそれを踏みながら歩いてるような・・・もちろん痛いという感覚があります。ただ痛いと言っても、起き上がって歩き出した時のみに痛いと感じる程度の痛みでした。特にスポーツをしたわけでもなく、山歩き等をしたわけでもないのになんだろう?と思いながらも、そのままにしていました。
8月
痛みは相変わらずでした。それプラス、右足のかかとの腫れと左足のくるぶしの腫れが若干、あるように思いました。両足左右対象ではないもののもしかして・・・という思いがあって、行きつけの内科で血液検査をしてもらいました。結果は、まさにグレーゾーンです。他の患者さんの手記にもあるとおり、その先生からは、はっきりとした言葉は出ませんでした。ただ 3 ヶ月に一度、血液検査に来るようにと言われました。あと紫外線に気をつけてというのも言われました。紫外線はリウマチの進行を早めるというのです。その言葉を聞いた私は、もうその日から全身”黒”づくめです。
その時は黒が一番、紫外線カットになると言われてたので・・(笑)
10 月
痛みは、一旦治まっていました。
毎日、湿布は貼っていましたが、飲み薬は処方されてなかったのでなにも服用していませんでした。気づいたら治っていたという感じでした。
年末、職場の同僚と東京ディズニーランドに遊びに行きました。大雪の中、開園から閉園までずーっと歩きっぱなし。それでも、足はなんともありませんでした。あの夏の痛みはなんだったの?って感じです。
2005 年1月
4ヶ月ぶりぐらいに血液検査に行きました。まったく痛みがなかったのに、またあの夏の痛みプラス足の指を曲げにくいなぁと思い始めたのです。
結果はプラス、陽性反応でした。もう目の前が真っ暗というか、”なんで私?という言葉しか出てきませんでした。4ヶ月前に、血液検査した時もけしてマイナスではなかったものの他の人とかにも聞くと、リウマチの検査は実際そうでなくてもよくそういう反応が出るから気にしなくて大丈夫よ、というような話を聞いていたのです。それなのに・・・この検査、本当に間違ってない?って思うくらい自分自身まったく信じられませんした。病院から帰った後は、ネットでリウマチの事を調べつくしました。そして調べれば調べるほど、怖くなってきて、PCの前で声を上げて大泣きました。
2月以降9月まで
それからは、他の患者さんが、たどる道と一緒です。
まずその内科の先生に紹介状を書いてもらい県立医大に行きました。
医大には、リウマチ専門の偉いお医者さんがいるというのを友達が教えてくれたのです。医大は予約を取るのも大変ですが、予約の時間に行ったとしても2時間ちかくは待たされるのが常でした。私が中待合で待っている時に、ある患者さんが”そろそろステロイドを飲んだほうがいい・・”と言われてる声が聞こえてきました。私はそれを聞いて背筋がぞーっとしたのを覚えています。
あぁやっぱり最後はステロイドを飲むしかないのだと・・・
医大での血液検査の結果は、マイナスのことの方が多くてプラスになったのは最後の検査の時だけでした。(計 4 回しました)
でもそれを単純に喜べないくらいの痛みがあちこち(足の裏、膝、手の指、手首)に出始めていました。医大では痛み止めとしてロキソニンを処方されていました。また同時期に、別の友達が行きつけの鍼灸院の先生に私の事を相談してくれて一度行ってみたらという事で電車で片道1時間かけて行った事もありました。
駅からも少し歩くので、自宅からだと往復で3時間かかりました。
その先生はとても熱心で、私の話もすごくよく聞いてくれました。
もともと腰痛もあるので、鍼は大好きだし、鍼の効能もよくわかっているつもりでした。ただこの病気に関しては、医師ではないという事がとても引っかかりました。
リウマチは経過を診るのに血液検査は絶対必要だし、ここに通いながら医大にも通うというのは肉体的にも経済的にも、そして何より精神的にとても不安でした。東洋医学と西洋医学まったく言うことが逆ですから・・・
そんな中、両親が個人のお医者さんで何人もリウマチの人を診てる有名な先生がいるからというのをどこからか聞いてきて、その病院に行く事になりました。ただこの先生は問題外でした。私が住んでる県ではとても有名な先生らしいのですが、私の話もろくに聞かずに、初診の段階で”ステロイド”を処方されました。この人は、医者じゃなく薬剤師(ただ薬を出す人)なんだなと感じました。薬は一応もらったものの、家に帰ってすぐに捨てました。血液検査の結果も聞きに行きませんでした。
ある意味、この先生に出会って、誰に自分の病気(体)をあずけるか真剣に考えるようになりました。そして、リウマチは本当に治らないのか、治してくれる先生は日本にはいないのか、以前よりもっと熱心にネットで探すようになったのです。
2005 年 10 月
私が松本漢方クリニックのHPを見つけ出したのは”リウマチが治った”という一言を入れて検索したからです。それまでは、どのHPをみても、リウマチとのより良い?付き合い方程度のもので、治る治ったなんて書いてるところは1件もありませんでした。最初にヒットしたのは、手記の中の一文でした。それからどんどん読み進めていきました。まさに私が理想とする東洋医学で治す医師免許を持った先生がいたのです。それも高槻に!HPで見ただけですが、なぜかここは”いける!”という漠然とした思いがありました。ただ数パーセントもしかして怪しいとこ?・・・という思いもありましたがこれは、主人に話をして主人が”一緒に行くよ”と言ってくれた時点で吹っ切れました。
なぜなら、主人はわざわざ休みを取らないと駄目なのにそれをそこまでしてくれるという事に妙な安心感?を持てたからです。あの時、主人がここは怪しいで~と言ってたら私は行ってなかったかもしれないし、行ったとしても松本先生の事を 100%の自信で信じれなかったかもしれません。
主人の動物的?な勘に感謝です(笑)
そして、ついに松本先生に会いました。他の方の手記にも書かれてますが、本当にこの人が医者なの?って感じでした。先生は大きな声で、大きな動作で(たまに鼻くそをほじりながら)色々話をしてくれました。これには主人と顔を見合わせて吹き出してしまいそうでした。
(笑)結果、私はまる2年熱心に通った不妊治療の時の強い薬のせいでリウマチになってしまったようなのです。
リウマチになった事もショックでしたが、原因が不妊治療だと思うとよりショックでした。
なぜなら私達夫婦には子供が授からなかったからです。
何を話してくれたか、正直今となってはまったくと言っていいほど覚えてないですが、ただこの先生なら大丈夫、信じれる!それに何より、治してやろう!という先生の熱い気持ちがひしひしと伝わってきたのだけは、はっきり覚えています。松本漢方クリニックのHPを見つけた自分を心底、褒めてあげたい瞬間でした!
診察の後、興奮さめやらぬうちに鍼灸に呼ばれました。今は退職されてますが、3年前は織田先生という方が鍼をしてくださいました。この織田先生という方も、とてもユニークな先生でした。
鍼は何度もした事がありましたが、置鍼は初めてで、鍼がずっと体にささってるのを見てびっくりした私は、恐る恐る”あのぉ・・鍼はさしっぱなしなんですか?”と聞いてしまいました。
その時、織田先生は”さしっぱなして・・・電気のコンセントみたいに言うね~”と言いながら、大きな声で笑ってくれました。
一気に緊張がとけ、これまでどれだけ痛くて、そもそもなんでリウマチになってしまったかも、大泣きしながら話したのを覚えてます。
不妊治療の結果リウマチになって、それでも子供は授からずでという話を聞いた織田先生が言った一言は”やり損やね~!”でした。それを聞いて私は、おもわず声をあげて笑ってしまいました。その後はもう、泣くやら笑うやら・・・
そんな私の話を聞きながら、織田先生はとてもやさしい鍼をしてくださいました。痛くないという意味でなく、体中がぽかぽかするようなやさしい鍼でした。
ここで、私が初めて松本漢方クリニックに行った時、日常生活で出来なかった事、苦痛に感じた事を書いておきます。
・足の指を曲げたり、反らせたりが出来ない。
・つま先立ちが出来ない。
・階段を下りれない(一段ずつでないと無理)
・普通なら徒歩 5 分の距離が倍ちかくかかる。(もちろん走れません)
・道路のデコボコをとても感じる。
・今まで持ってた靴が履けない。
・羽毛の布団なのに、足先が布団を重く感じる。
・膝立てが出来ない。
・立ってると、自分の膝をとても感じる。
・正座が出来ない。
・手首が痛い。(お肉のトレイを重く感じる)
・お鍋が持てない(フライパンが片手で振れない)
・洗濯物干しのピンが硬い(広げるのが一苦労)
・文字を書く時に、指の関節が痛い。
・ホッチキスがとめれない。
・PCのマウスが動かせない。(左手で右肘を支える感じ)
・掃除機をかけるだけで右肘が痛い。
・アイロンが重たい。
・化粧する時、ファンデーションを塗りぬくい。
・眉毛が書けない。
・ブラウスの襟が折れない。
・右肘で右肩を触れない。
まだまだあったと思いますが、今思いだせるのはこれくらいです。
ちなみに、今はハイヒールが履けないくらいでしょうか。
ハイヒールはリウマチじゃなかったとしても、多分ほとんど履いてなかったと思うので、まったく不便は感じてませんが・・・(笑)
2006 年 元旦
治療を始めて2ヶ月、40 年生きてきて、これほど印象に残る元旦は、初めてでした。大晦日から元旦にかけて、年末の会社の大掃除やら家の大掃除やらで無理したのが、悪かったのかこれが先生がいうところのリバウンドだったのか、急激な肩の痛みに襲われました。もうこれは、なんとも言えない。なにも出来ない。何をしても痛いという感じでした。自分でお灸をしようにも腕が上がらないし、とにかくどうもこうもしようがありませんでした。
その日は私の実家に帰っていたのですが、真夜中で両親は寝ていますし主人には、一度起こしてお灸をしてもらったりもしたのですが、何回も起こすのも悪いと思い、ひたすら朝になるのを布団の中で泣きながら絶えました。ようやく明るくなってきた頃、1Fに降りていって泣きながら母親にお灸をしてほしいと言いました。
娘のこんな姿を見て、どれだけ両親が私の事を心配し、可哀想に思ったか、今でも切なく思います。ただこの急激な痛みは2日ほどで、治まりました。
もちろんその後も、痛いのは痛いですが、何も考えられないほどの痛みはとりあえず治まってくれました。
この冬が、今振り返っても一番辛い冬でした。両膝から下、両肩から手首まで、お灸の痕だらけでした。お灸は毎朝 30 分と仕事から帰ってきて 30 分、仕事に行く前には足湯もして出勤していました。その合間に、もちろんお茶も煎じて、お風呂も作って・・・お茶は3番まで作りました。もう一切コーヒーとかを飲まなくなりました。というか、漢方だけでお腹がたっぷたぷで飲めなくなりました。お風呂にも雑誌を持って入ったりして、少しでも長く入るように心がけました。すべて体にいいのはわかっていましたが、あれだけ冷え性だった私の手足がこの冬はまったく冷たくありませんでした。
このことは本当に驚きました。あと、会社の同僚達がインフルエンザでばったばた熱を出す中、私一人だけとても元気でした。
この大変な時にインフルエンザになんか、罹ってなるものか!という気合いだったのか漢方の免疫力UPのおかげなのか、自分でもとても不思議でした。
春~夏
相変わらず痛いのは痛いですが、この頃になると松本漢方クリニックの階段も、あんまり辛くなくなってきました。そして何より、鍼の織田先生に会って話をするのがすごく楽しみになってきました。毎回鍼をしてもらいながら、色んな話をしてくれて色々話も聞いてくれて、本当に癒されました。松本先生もですが、織田先生からも、本当に患者を治したいという気持ちが毎回ひしひしと伝わってきました。これは一見、普通のことのように思いますがはっきり言って他のお医者さんにはないところだと思います。
2006 年 10 月
まる1年が経ちました。織田先生に鍼をしてもらいながら、ちょうど1年経った記念?に、出来るようになった事をいっぱい話したのを覚えています。
いつのまにか、手首の痛みがとれ、肩の痛みもなくなり、膝も痛くないし・・・
階段もスタスタと降りれるようになったし・・・と。
痛みがとれて行く時は案外、気づかないものだなぁとしみじみ思いました。
足の甲の痛みはまだありましたが、歩くのは問題なくなりました。
右ひじもまだ曲がってて痛いけど、痛い日と痛くない日があるようになりました。そして、ついに!念願のアトピーがやってきたのです。
2007 年元旦
このお正月は、人生で一番痒かったお正月です。もう年末から、痒い、痒い。
腕から、足から、お腹から、背中から、首から、あらゆるところが痒くって、痒くって。ひとしきりボリボリかかないと、キィーと悲鳴をあげそうでした。松本先生からも、やっと出たか!の言葉をもらい、消毒薬と薬湯を最初少し取っておいて痒いところにつける・・・のレクチャーを受けた!と思ったら、ぴたっと痒いのがとまったのです。
なので、我慢できないくらいの痒さを味わったのは約2ヶ月ほどの間だけでした。そして、いまだにあの強烈な痒みが再びおとずれることはなくまる2年が経とうとしています。
2007 年春~2008 年春
相変わらず、漢方のお茶とお風呂、お灸と鍼の日々は続いていましたが、これといった大きな変化はなく、ただ血液検査の結果は確実によくなってきていましたし痛みも、まったく感じない日がずーっと続いていました。あんまりにも痛みがないので、かえって自分がリウマチなのを忘れそうになるくらいでした。
右足のかかとと、左足のくるぶしの腫れ、それに右肘の腫れとまがっているのはありましたが、(これは今もあります)日常生活でまったく不便がないので、だれも私がリウマチだなんて信じないだろうなぁという感じでした。
そんな時にやっと、やっと・・・薬湯が二日に一度に減りました。
なによりこの薬湯が高いので、治療費がずいぶん減りました。
2008 年 夏
夏期休暇に、主人と一緒に上高地に行ってきました。往復3時間、平地ではありますが、川のせせらぎを聞きながらのハイキングはとても楽しかったです。
3時間も歩き続けるなんて、3年前には、考えれなかったことだとあらためて、自分の体がよくなったのを実感しました。この夏は、痛くないのを言い訳にお灸をさぼってしまう日が多かったです。
2008 年 10 月
そして、ついに先生からの一言が出たのです。薬湯も週末だけになりました。
おかしなもので、その言葉がでた途端に、最近少しだけ右足の甲に痛みを感じるようになりました。最後の悪あがき?かなと思いつつ・・・(笑)
そう言えば3年前、織田先生に、同じところに定着する痛みは治りにくいというのを聞いた事があります。私の場合、やっぱり足の甲です。
血液検査の結果は、すべてマイナスになりました。私には、想像を絶するようなリバウンドも、1回だけだったし、アトピーも二ヶ月だけだったし、こんな感じで私のリウマチはフェイドアウトしていくのかな・・・ただ初診当初から松本先生に言われてるリンパ球と好中球の値が私は普通ではないらしいのです。
(ぎりぎり基準値内ではありますが、リンパ球の値が低く、好中球の値が高いのです)なので、クラススイッチしにくいと・・・今、気になってるのはこの事だけです。
2009 年正月
松本先生から、そろそろと言われてから2ヶ月もほりっぱなしにしてしまいました。先生とも、お正月休みに必ず書きますと約束していましたがなんとか、今日書き上げる事ができました。この手記を書くという事で、自分がどれだけ痛い思いをいっぱいして、でも確実に治ってきたかをあらためて確認できたと思います。初めに、病院でリウマチかもしれないと言われて私が不安で不安でどうしようもなかった時、やっぱり支えてくれたのは、家族とまわりの友達や同僚でした。気持ち的には、松本漢方クリニックに行くまでのほうがしんどかったので特にその時期は、ありがたかったです。日々の家事を助けてくれた主人。私が松本漢方クリニックに行く日は、晩御飯のおかずを作っていつも駅に迎えに来てくれてた両親。私が少しでも働きやすいようにと色々気遣ってくれた同僚。メールや電話で様子を聞いてくれた友達。本当に感謝しています。
そしてなにより松本先生はじめ松本漢方クリニックのスタッフの皆様、今は退職された織田先生。
本当に本当に感謝しています。
松本先生から”完治”の言葉をもらうまで、もう少しかかりそうですが、今までどおり、のんびり頑張っていきます。
これからもどうぞよろしくお願いします。