●「リウマチ手記」46歳2006年3月28日
●「私のリュウマチ治療の途中経過報告」48歳2006年5月25日
●「卒業しました!」44歳2006年6月21日
●「リウマチ治療の中間報告」匿名希望45歳2006年6月25日
●「リウマチ手記」43歳2006年7月15日
●「リウマチ手記」44歳2006年12月19日
●「リウマチ治療 中間報告」45歳2007年1月19日
●「リウマチとアトピー」49歳2007年1月30日
●「リウマチ手記」40歳2007年11月7日
●「リウマチ手記」43歳2008年2月27日
46歳2006年3月28日
今から5年ほど前、仕事でパソコンを使うようになって、とにかく身体が凝るようになってきました。今から思えば、まず最初に、朝起きると肩の痛みがありました。でも2日ほどで治ったので、ただの寝違いだと思ってました。
次は、ある日突然足先に痛みがあり、歩くのがつらくなりました。しばらく過ごしましたが、鎮痛剤を飲んで痛みもとれ、普通に生活をしていました。
しばらくして、今度は微熱が続いて、やはり身体が変だと思い、病院に行きました。検査を受けても、何も異常はありませんと言われるばかりでした。
それから手が痛くて仕事がつらくなってきて、今度は整形外科で診てもらうと、「腱鞘炎です。」と言われ、注射をしました。次の日には痛みがとれていましたが、だんだんと朝の「手のこわばり・全身の硬直」がはじまりました。
又検査を受けましたが、炎症反応だけが出てたので、「リウマチのうたがいがあるかもしれません。」と言われました。炎症止めの薬をもらいましたが、薬がきつくて、顔や身体がむくんできたので、薬を飲むのを止めました。
それから又、バネ指になったりして、手の痛みがひどくなってきたので、先生に相談すると、「腱鞘炎は、手術しか治らない。簡単にできますよ。」と言われましたが、手を使っての仕事ですので、「考えてみます。」と言い、帰ってきました。手術もしたくなかったし、このまま病院に行き、薬を飲んでも、痛みはとれないで、副作用があるし…と思って、そのまま治療を受けず過ごしてきました。
それからは、関節の痛みが次から次へと襲いかかりました。ひどい時は、朝の支度ができずに、会社を休んだこともあります。冬は、毎朝、湯に手足をしばらくつけてから、用意をするという日もありました。
しかし、1年を過ぎた頃から、「手のこわばり」がとれてきました。それからは、ゆっくりと良くなっていきましたが、やはり手首の痛みと足首の痛みはとれずにいました。それでも普通に暮らすことはできていました。
2004年の始めから、足首の痛みがひどくなって来て、心配になり、インターネットでこの病院を捜すことができました。最初の頃から何度もインターネットでいろいろ検索していましたが、初めてここにたどり着くことができました。内容は難しかったけど、興味深く一気に読んで、「ここだ、ここで治療を受けてみよう。」とすぐに思いました。もう一度プリントアウトをしてよく読み、「病院で治療を続けていなくて本当によかった!」と思いました。
初めは時間がかかるから、平日に行こうと決め、3日後に会社を早引きして行きました。松本先生に会って、「必ず治してあげるから」と言われ、涙がこぼ
れました。(ずっと周りからは「大きな病院」に行けばと言われましたが、「薬を飲んでも治らないなら、副作用のある薬を飲み続けることはできない。」と思って、何も治療せずにいました。でも、これで本当にいのかなと弱気になることもあったので、「これで本当に治る」と思い、松本先生の言葉に感激してしまいました。)
漢方藥はまずく、お灸は熱くて痛くて、たいへんです。漢方のお風呂は、気持ちいいですが、浴槽はすっかり変色してしまいました。それでも、普通の痛みのない生活を送りたいので、今まで続けられたのだと思います。「絶対に治りたい。」この思いだけです。
最初の検査で、炎症反応と血沈の値が高くでましたが、2回めの検査から、すぐにその数値は下がりました。もともと普通の生活ができていたので、私の場合はひどいリバウンドというのは無く、ゆっくりと良くなってきているみたいです。
アトピーといっても、手の指にほんの少しだけ出ただけです。春には花粉症が出てきています。足の痛みがなかなかとれないので、2005年の春に、「整形外科にレントゲンをとりにいってもいいですか?」と、松本先生に相談をしてから行きました。もちろんそこで血液検査も受けましたが、別に炎症反応も無く、結果としては、「扁平足でアーチがくずれ、舟状骨が出てきているので、足の裏の筋肉をつけて、アーチを作るように」ということでした。もちろん処方された薬は飲んでいません。
手首はまだ完全に曲げることはできないものの、手の痛みは良くなりました。あとは左足首の痛みだけです。ただ足は、最初に比べると良くはなっていますが、歩く時の痛みはまだあります。今は、松本先生に「お灸をいっぱいするように」と指示を頂き、足指をつかったり、背伸び運動を続けています。
骨の変形は、時間がかかるかもしれないけれど、少しずつ治ってきております。
次の目標は、普通に歩くことです。完治までは、まだしばらくかかりそうですが、「痛みの無い生活」に戻れるのを楽しみに続けていきたいと思います。
48歳2006年5月25日
私は、平成12年12月に右手の薬指が腫れだし、そのまま、様子を見ていると、段々とますます腫れあがりました。慌てて医者に行くと、血液検査の結果、リュウマチではないとの事。「では、なんですか?」と聞いても、「もう少し様子を見てください。」と言われました。なんだかはっきりしなくて、いやだなぁと思いつつも、指の腫れは一週間ほどで、腫れがおさまりました。
一ヶ月ほど何もなかったのですが、13年1月に又、指が腫れだしました。ちょっとでもふれると飛び上がるほど痛くて痛くて仕方がありませんでした。それで、今度は違う医者に行きました。すると、「リュウマチのようです。レントゲンで見ると、やや骨が欠けているのが分かります。」と言われました。もう、私は驚いてしまい、こんな早期な状態で指の骨が欠けてしまうのかと思うと、愕然としました。医師は、次に「今、とても良い薬が承認されています。リウマトレックスと言います。」と言われました。実際、リウマトレックスの注意書きには、「妊娠しないように、からせきがあったら、すぐに、医師の診察を受けてください。」と書かれてあり、私は、恐ろしくなりました。このような恐ろしい薬を飲まなければならない病気にかかってしまったのか、やはり、飲まなければならないのかと、悩みました。
様子を、みようと思い、飲まないでいましたが、違う指が今度は、腫れだしました。腫れたり、ひいたりを繰り返し、このまま、これを繰り返して、いくと、私の指は変形し、やがては、体の自由を奪っていくのではないかという不安から、薬が処方されてから半年間飲まないでいたのですが、ついに飲むことに決めました。それから、私は、松本先生に出会うまで、4年間もの間、ずーと飲み続けていました。
あるとき、新聞に、「リウマトレックスを飲んでいた方が、間質性肺炎にかかり、多くの方がなくなられた」という記事を見て、私は非常に驚きました。リュウマチで亡くなるのではなく、飲んでいた薬の影響によって亡くなられたということがショックで、ショックで、こんな恐ろしい薬はなんとかやめなくては、ならないと思い始めました。それと、4年間、薬を飲み始めてから、一度も腫れたことがなかったのに、疲れもたまっていたのでしょうね、また、指が腫れ始めました。
すぐに医者に行くと、「もうしばらく様子を見てください。この病気は、治りません。」と言われたことがきっかけとなり、それから、インターネットで探し始めました。すると、松本先生のホームページに出会いました。読めば読むほど、どんどんともう大阪へ行こうという気持ちになり、すぐ翌週に大阪へ行きました。
2005年5月11日に松本漢方クリニックへ一人で向かいました。いよいよ私の診察の番になり、松本先生に「一人で、来たのか?」と言われました。「分かっていながらも、もう気持ちが勝手に先走りしてしまったが、理論は読んで、難しかったが、自分で納得してきました。」と言うと、いろいろと、たくさんの話をしてくださいました。「今度は、家族の人と来なさい。」と言ってくださり、「必ず、治るから」と握手してくださいました。
それから、私のお灸と漢方とお風呂の生活が始まりました。最初はお灸が熱いし、手は特に熱く感じましたが、段々としていくうちに「これを行うと治るんだ」という気持ちになってきて、熱いながらも、やれば、必ず、治るという気持ちになれ、毎日、行うのもいやでなくなりました。
始めの1ヶ月は、体が暑くて暑くて仕方がありませんでしたが、それが、過ぎると、今度は、お灸のあとがかゆくてかゆくて、ぼりぼりかくのが日課となりました。かゆいので掻きまくり、そのあと、かさぶたをとるのが楽しくて、かさぶたとりが、今度は日課となりました。ですが、人間、すぐに楽したくなり、少し、サボりがちなとき、松本先生にお会いすると、すごく元気になります。人をやる気にさせる魅力が松本先生にはあり、私は、なんど、励まされたことでしょうか。それと、鍼の織田先生にもやはり、何度、励まされたことでしょうか。
松本先生のところにお世話になってから、一度も腫れたりしていません。これから,完治に向けて、自分ができる限りのことをやり続けていきたいと思います。
44歳2006年6月21日
私が、松本漢方クリニックに通い始めて3年半やっと卒業する事が出来ました。初めて、松本漢方クリニックを訪れたのは、平成14年11月でした。他の病院でおそらくリウマチだろうと診断を受けた1カ月後でした。
だから、私はとても運がいいのだと思います。そんなに早くこの医院と知り合えたのだから… きっかけは、知人に、こちらの手記のひとつを、読ませてもらったからです。最初の血液検査の数値は、2002年11月5日、血沈 27 ZTT 11.1、CRP 0.6 RF 142 でした。
それから、半年ほど痛み(リバウンド)もありましたが、それもいつの間にかなくなりました。でもそれから血液検査の数値が 全部正常になるのに、やはりずいぶんとかかりました。最後の血液検査の数値は 2006年5月16日、血沈 2 ZTT 6.9 . CRP 0.05以下 抗核抗体40未満 です。
たぶん、私は症状も軽くたいした苦労もなかったので(今おもえば…)何の役にも、立たない手記ですが、ただ、私がずっと不安に、感じていたのは、いつも読んでいる手記の中に、完治しました、卒業します!!という手記がないことでした。だから私がお伝えしたい事は、絶対治る!完治します!ツてことだけです。
皆さん、頑張ってください。最後に松本先生、織田先生、そのほか スタッフの皆様本当にお世話になりました。ありがとうございました。普通の生活が送れるようになったのは皆様のおかげです。感謝しております。
松本先生、長い間ありがとうございました。手記をメールで送れなかったので(私の力丘不足です)郵送させていただきます。
また、お世話になるかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします。
匿名希望45歳2006年6月25日
いつもお世話になっております。松本漢方クリニックで治療を始めて来月7月で2年になります。現在もまだ、完治とは言えない状態ですが、松本先生に手記を書く様に言われ現在までの治療経過について報告する事にしました。
私のリウマチの症状が出たのは、2000年10月ぐらいでした。手首が痛くて動かない状態でした。その時はリウマチだなんて,思ってもみなかったし、リウマチという病気の事すらほとんど知りませんでした。(この時に、松本先生の事、知っていれば、こんなに長引くことはなかったでしょう。)仕事で手を使う事が多いから使い痛みと,思い、シップを貼り仕事を続けていました。何年も何年もシップを貼り続けたせいで、なかなか完治しないみたいです。
2003年11月ぐらいから、ある朝、布団の中で目を覚ました時、右手首が痛くて固くなっている様な感じでした。その日から毎朝右足の裏が痛く、右手首のこわばりが続き、寝ている時も足の裏と手首がズキズキと痛み、眠れない日々が続きました。接骨院に通院しましたが、良くはならず近くの総合病院の整形外科を受診。血液検査、レントゲン、MRI検査も受けました。血液検査の結果は、リウマチ反応が少し出ていますと言われロキソニンを処方され、2ヶ月ぐらいは飲み続けるが、朝晩手首足、右足の裏はうずきしばらく経っても一向に良くならず、口々症状が重くなり、これではだめだと思いロキソニンを飲むのはやめました。リウマチ専門の病院を、パソコンで探しているうちに松本漢方クリニックを見つけ、行ってみようと思いました。
2004年7月
初めて松本漢方クリニックに行きました。待合室に中へ入ると漢方薬の独特の匂いが鼻につきました。血液検査をし診察室に入ると、先生が「リウマチ治してあげるから」と握手をしてくれて、すごく嬉かつたです。家に帰って早速漢方薬を煎じて飲みましたが、飲みにくく苦痛に感じました。この頃から、鍼お灸、漢方風呂、煎じ薬と、続け3ヶ月ぐらいから、痛みが少しづつ無くなり、又痛みをぶり返しながら特に、生理一週間前になると手首が痛くなりストレスを感じるたびに、痛みが全身に走り、そのつど先生に教わった様にお灸を据えると、驚くほど痛みがとれ、体がスッとしました。
2006年6月現在
今では、血液検査の数値も正常になりました。漢方風呂も週末だけになり、まだしつこく手首の違和感が残っていますが、ここまで来れたのは、松本先生のおかげです。本当にありがとうございました。まだまだ油断出来ません。完全に治るまで、一日も早く卒業できる日が来るよう、頑張りたいと思います。松本先生、スタッフのみなさん、最後まで、どうぞ宜しくお願いします。
43歳2006年7月15日
リウマチ略歴
12年前、リウマチに罹る。その後。西洋医学の投薬生活7年間。
5年前、妊娠・出産のため投薬の中止。妊娠~授乳中(約3年間)はリウマチは殆ど出ず。
2年前、断乳とともにリウマチ復活。徐々に悪化し、歩く事もままならず、鎮痛剤を投与して毎日を過ごす。
9ヶ月前、松本漢方クリニックの治療をはじめる。(煎じ薬、漢方薬、入浴薬、鍼灸)
現在、随分良くなり、日常生活はほぼ不自由なく暮らす。痛みも激減している。
12年前、31歳の春、両親指の付け根の間接がつき指のように痛くなりました。その後、両手の指がパンパン糸巻き状に腫れ、手首が痛くて曲がらなくなりました。その次は、全身の倦怠感が始まり、手・膝の腫れ・痛みが続きました。
近所の整形外科にリウマチと診断され、プレゾニンを処方され、半年~1年間服用しました。そして、両手首の変形が徐々に始まりました。プレゾニンの長期投与を心配した母に促されて、病院を替え、薬がプレゾニンからリマチルに変わりました。リマチルを2~3年服用しましたが、薬がだんだん効かなくなってきてしまったので、リマチルからシオゾール注射に変更しました。
リウマチの症状としては、全身の倦怠感、手、膝の腫れ・痛みが続き、手首の変形が進みました。投薬のおかげで、全身の倦怠感、痛みともに和らぎましたが、体調は悪く、身体の不快感、胸(肺)の違和感や咳は年々ひどくなり、「このまま投薬を続けていたら、リウマチじゃなくて、リウマチの薬に殺されてしまう。」と、自分の身体が抗リウマチ薬に蝕まれていくのを感じていました。当時は、漠然と「このままでは、私は長生きは出来ない」と、感じていました。31歳でリウマチを発症してから、投薬で身体を痛めつける治療を7年続けていました。
そんな頃、妊娠・出産のため、投薬を中止しました。リウマチの悪化を心配しましたが、ホルモンの関係のためか、妊娠~授乳中(約3年)は、リウマチの症状が殆ど出ず、まるで治ったかに思え、「このままリウマチは治ってしまうのでは」と、期待していました。しかし、断乳と同時にリウマチも復活。整形の先生に「子供をもう産まないなら、抗がん剤が良く効きますよ」と、言われ、追い詰められたネズミのような心持がしました。「そんな強い薬を飲みつづけたら絶対に死んでしまう、また投薬生活が始まるのか」と、暗い気持ちでおりました。
どうしても、再度投薬生活に入る決心がつかず、毎日を鎮痛剤で過ごしていました。「世の中に、なにかもっと良い治療はないのか」と、すがるようにインターネットで検索していたら、松本漢方クリニックホームページを見つけたのです。松本先生のクラススイッチ理論は、自分が身をもって感じていたこと、そのものでした。というのも、妊娠から授乳中のリウマチが治ったかに思えたとき、わたしは結膜炎や鼻炎を次から次へと罹っていたのです。自分の身体に起こっていた変化が、松本漢方クリニックのホームページにまさに書いてありました。「この先生の言っていることは、本当のことだ」と確信し、一人大阪に向かい、松本漢方クリニックの門をたたきました。松本先生にお会いして、ますます、「この先生は本物だ。」と確信し、家族に話しました。
しかし、その時、まだリウマチの症状もそんなにひどくなく、手首に痛みがある程度だったこともあり、また子供が2歳でまだ手のかかる時期だったこともあって、松本先生の治療の初期にリバウンドがあるという事も自分自身の中の不安の種となりました。家族と話し合った結果、もう少し治療の時期を待とう、ということになりました。
ところが、その後、長年勤めていた会社の解散というストレスの中で、リウマチはどんどん悪化していきました。両手首の痛み・変形、足首・膝の痛みが激しく、朝寝起きは手足が上手く動かず、痛みに堪えて、そろそろ歩きでトイレまでたどり着き、痛み止めの座薬を使って、一日が始まるという日々になってしまったのです。家族も私自身も、「このままでは、末は車椅子生活だ。」と不安にとりつかれた日々が続きました。
初めて松本漢方クリニックの門をたたいてから約1年後の2005年10月、わらにもすがる気持ちで、今度は、家族とともに再び松本漢方クリニックを訪れました。「1年間なにしてた!」と、松本先生にきつく叱られるだろう、と覚悟しておりましたが、「あんたにも事情があったんやろ、絶対治してあげるから、頑張り!」と、あたたかい手で強く握手していただきました。それだけで、なんだかほっとして、「ああ、これで命が助かった」と深い安堵の気持ちが湧きました。
煎じ薬と漢方の粉薬、お風呂の入浴薬を処方されました。私の場合、治療開始後に多少のリバウンドはあったものの、心配していた程のこともなく、順調にリウマチは回復していきました。頼っていた鎮痛座薬や湿布薬が使えなくて、つらいときにはお灸をしました。近所の鍼灸院にも事情を説明し、痛みのひどいときは、鍼灸治療をお願いしました。漢方薬と鍼灸による治療は、わたしの身体にとてもあったようで、「リウマチによる全身の倦怠感」はすぐになくなりました。そして、声をあげて笑うことが多くなったのです。笑って初めて、「最近、腹の底から笑えていなかった」ことに気が付きました。全身の倦怠感から、長い間「鬱」の気持ちになっていたのでしょう。身体がリウマチの重みから開放され、喜んでいることが感じられました。「鬱」から「躁」へと気持ちが移ったのです。自分でも驚きでした。毎日笑えることが沢山あるのです。身体の痛みは変わらずで、鎮痛薬が使えない分、かえって痛いのですが、倦怠感がないので、毎日が明るい気持ちで、楽しいのです。
痛みはなかなかすぐには良くなりませんでしたが、朝のコワバリは、日に日に良くなっていきました。こんなに順調に良くなっていいのか、と自分でも不思議に思うくらい、日々良くなっていきました。心配していたリバウンドも、結局ほとんど出ず、間接の腫れも徐々に引いていきました。
初診時の10月には、手首・足首・膝の腫れ・痛みが激しく、座薬や張り薬なしでは歩けませんでした。ゆっくりそろそろと歩き、もちろん走れず、階段も一足ずつ、手摺に捕まって降りていました。トイレも和式は使えないため苦労しました。
それが、3ヵ月後の2006年1月には、短時間であれば、正座できるまでになりました。娘を追いかけて、走ることも出来るようになりました。階段も一段ずつ、普通に降りられます。間接の痛みもだんだん良くなってきました。2月末頃には、さらに良くなり、痛みも薄らぎましたが、3月~4月にかけて、季節の変わり目は、また少し悪化しました。症状が悪くなった事が心配でしたが、松本先生に、「リバウンドだよ」と、軽く言われ、安心しました。松本先生に「かゆみは出てこない?」と何度も聞かれましたが、残念ながらかゆみは未だ出ていませんでした。「症状がすごく早く良くなっているのに、どうしてかゆみが出ないのか、ステロイド注射したことあるか?」と聞かれ、「ない」と答えました。松本先生の不思議そうな顔が心にひっかかり、よくよく12年前のことを思いかえしてみて、突然思い出しました。リウマチを発症する半年ほど前に突然間接が激しく痛くなったことがあり、2回注射を受けたことを。そのことを伝えると、松本先生からステロイド注射の恐ろしさを聞かされました。「風邪をひきやすいんじゃない?」と言われ、なぜわかるのかと不思議に思いました。わたしは、自分の周りの風邪という風邪を全部もらってしまうため、いつも風邪をひいているような状態だったのです。「ステロイド注射は身体の免疫機能を壊してしまう」、との説明でした。「ステロイド注射をしているから、リウマチは完治しないかもしれない。」と不安に駆られましたが、松本先生に、「風邪をひかないように、漢方薬を処方してあげる。リウマチ治してあげるからね!」と力強く言っていただき、ほっとしました。実際、その後、漢方薬を替えてくださり、風邪で体調を崩すことが減りました。「本当に松本先生の薬はわたしにピッタリ効く」と、驚いています。
その後、5~7月は徐々に良くなっていく感じがしています。最近では、日々の痛みはあまり無いのですが、たくさん睡眠を取った後に痛みが出てきます。激しく痛むときもありますが、そんな痛みは長続きはしません。せいぜい2~3日ですし、鍼灸院に通えば、それもすぐに良くなります。なかなか出なかった「かゆみ」も少し出てくるようになってきました。
9ヶ月前を振り返ると、自分でも信じられないほど良くなっています。日常の生活全般はもちろん、痛みの無い日は、走ることも、階段を駆け下りることも、自転車で娘の保育園への送迎も出来ます。先日は、リウマチがひどくなる前の趣味だったテニスの会にも顔を出し、少しラケットを振ってみました。長年のリウマチで手首は変形してしまっているので、使用時の手首の痛みはありましたが、リウマチの痛みは出ませんでした。とても嬉しく楽しい時間を持つことができました。リウマチを患う前のもう一つの趣味であった茶道は、長時間の正座が必要となるためまだお休み中ですが、いつか復帰できればいいなと楽しみにしています。
もう少し時間はかかるかもしれませんが、リウマチが完治できる日を本当に楽しみにしています。何より、毎日を明るい気持ちで過ごせることに感謝しています。ほんの9ヶ月前に「わたしの人生はどうなってしまうのか。。」と不安で一杯だった事が、もう、何年も前の過去のことのように思えます。
松本先生はじめ、医院のスタッフの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。これからも松本先生について行きます。まだまだお世話になると思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
44歳2006年12月19日
この手記を書くにあたり、松本先生から若い女の子向けにとリクエストされましたので、現在のリウマチの治療の経緯を書く前に、若い頃、喘息を発病した頃から、振り返って書いて見ようと思います。
20歳の頃に風邪をこじらせて喘息になりました。父親が喘息でしたので、やっぱり遺伝していたのかと、あの発作が自分にもおこるのかと、あれこれ悩み現実の事としてなかなか受け入れられませんでした。
でも気持ちとは関係無く、その内に走っただけで呼吸が出来なくなる程苦しくなったり、風邪をひきやすく、ひくと喘息の発作が起こるようになりました。
発作の時は横になって眠れなくて、一晩中座って吸入したり気管支拡張剤のメプチンを服用し、落ち着く迄ひたすら耐えて、明け方近くになってやっと横になって眠る・・・そんな日々を繰り返していました。
リウマチの痛み、花粉症の苦しみ、アトピーの痒みとそれぞれ経験しましたが、私は一番苦しいのは喘息だと思います。
息を吸う、吐く、この無意識の内にしている事が、スムーズに出来なくなり、全身に力が入り、息苦しくなるだけでなく、咳がひっきりなしに出続けて、本当に地獄のようでした。
救急車のお世話になる程の大発作を起こしたりする内に、根本から治療しようと勧められ、減感作療法をすることになりました。
減感作療法は、反応を起こすアレルゲンを少しずつ注射して、アレルゲンに反応しにくい身体にしていくという治療でした。
当時のアレルギーの検査は、手首から肘の内側迄の範囲で合計12種類のアレルゲンを注射し、反応を調べたのですが、殆ど全てのものに反応し、両腕が大きい水玉模様のように真っ赤になりました。それでもハウスダストによる反応が若干大きかったので、週1回ハウスダストを注射していくことになりました。何回か続けて行く内に、ある時注射した所がパンパンに腫れ上がり、二の腕全体に広がりました。
この治療途中で主治医が転勤になっていましたので、減感作療法の事がよくわからないと言っていた医師でしたが、ここまでの反応を起こしていてこの治療を続けて良い筈が無いから中止しなさいと言われてしまいました。
喘息を治す道が閉ざされた様でショックでしたが、あまりの腫れ様だったので仕方無いかなとも思いました。
その後主治医が戻ってこられたのですが、腫れ上がった後も続けるべきだったのにと随分残念がられていたのですが、改めて治療を始める事はありませんでした。結局その後の治療は、発作が起きるとアレルギー抑制剤と気管支拡張剤を服用し、それで治まらないと静脈注射もしくは点滴という繰り返しでした。特に秋は喘息が重症化しやすかったのですが、春に花粉症も起こるようになっていました。
薬に頼りきっていたあの頃でも、ステロイドは効くけど副作用の多い薬はちょっと怖い薬と理解してはいたのですが、でも少量だと副作用もそう気にしなくて良いと誤った認識をしていました。
喘息になってからの私は、他人に自分の病気をひた隠しに隠し、結婚して子供が生まれると、私からの遺伝で喘息に苦しむようになる・・・。絶対にそれは嫌だと思いましたし、人生全てをネガティブに考える日々が続きました。
私に限らず若い女性にとって、結婚・出産など夢一杯の将来なのに、病気のせいで尻込みしてしまうのが本当に辛く悲しい事です。
それでも縁あって結婚し、転地療養になったのかひどい発作は出なくなり、花粉症も起こらなくなりました。喘息が治ったという事では無く、妊娠初期に発作が起こり、お腹の子供に影響が出にくいと言われ、悩みながらも治療を受けるしかありませんでした。
中期に入ってからはあまり発作は起こらなかったのですが、出産後すぐ又発作が起こる時もありました。
その後も現在の治療を始める迄ずっと、携帯用の気管支拡張の吸入スプレーを手放せずいつもバッグに入っていました。喘息発作を起こさなくなって何年経っても尚、『もし苦しくなったら・・・』と不安だったのです。(この事は、織田先生にズバリ指摘され、治療してしばらくした時に吸入器を手放す決心がつきました。本当に有難うございました。)
喘息の次に苦しめられた花粉症は、数年前の春に突然発症しました。日常に差し支える程、鼻水と目の痒みが酷く、薬局で漢方薬を買っていたのですが、それで治まらない時は耳鼻科や内科にかかっていました。
症状は楽になるのですが、眠気と身体のだるさが強くて、花粉症の症状レベルに合わせて薬を変えていたのですが副作用もひどくなっていました。
16年の春は花粉症がやや楽に過ごせたのですが、右手の中指が痛くなりだして、右手全体に広がっていきました。車を運転中に指示器のレバーを動かすのも痛かったし、ペンを持つのも痛くてぎくしゃくとした感じでした。この症状は、友人がリウマチを発症した時にとても似ていました。この友人が松本先生にリウマチを治してもらい、後に私に松本先生の存在を教えてくれたのです。
実は私の祖母がリウマチだったので、もしかしたらいつかは・・・という気持ちはありました。ただ一般に言われている、リウマチか否かの判断基準の一つ、左右対称の痛みでは無かったので違って欲しいなと思っていました。それに花粉症の季節が終わっているのに身体が疲れやすく、だるくて眠気がとれませんでした。
夏になっても症状が変わらなかったので、総合病院の整形外科を受診しました。手だけでなく全身の関節のレントゲンと、血液検査をしました。レントゲンの所見は異常なし、ただ指先の骨のまわりにもやもやしたものが有り、甲状腺の病気の初期症状が考えられると言われました。血液検査の結果も、血沈その他でリウマチは考えられないと言いながらも、ごく稀に血液検査でリウマチの数値が高くなくてもリウマチの症状が出る人がいるので、完全に大丈夫とも言い切れないと言われ、釈然としませんでした。
結局甲状腺が少し大きいし、骨の事もあるので内科で診てもらうように言われました。内科で甲状腺の検査で異常無く、私の症状に病名の付けようが無かったのか、手の痛み、身体のだるさ全てが年齢による身体の衰えで、病名は無いとのことでした。それでも右手のきしむような痛みも、足の指の関節の痛みもありましたが、リウマチじゃないのやったらまぁいいか、と無理矢理納得することにしました。
この3ヵ月後の16年11月に、5年間喘息とも気管支炎とも診断がつかず、風邪をひくと咳が止まらなかった子供が、12日間咳が出続け、薬を変えてもどうにも止まらず・・・詳しくは子供の手記に書かせてもらいますので、ここでは書かずにおきます。
ただこの時松本先生にお会い出来たのは、何か不思議な力に引き寄せられたというか、背中を押し続けてもらったような感じがして、無信心な私ですが心から神様に感謝しました。
友人から松本先生の所へは、何度もインターネットの『革命的アトピー(アレルギー)の根本治療法』を繰り返し読んで行くようにと教えられました。
理論を読み進める内に、この子をきっと治していただけるのではと確信しました。それに、私も主人もニキビで悩んでいる長女にも当てはまる事だなぁと思いつつも、まずこの子の咳を治していただいてから、落ち着いたら皆で診ていただこうと考えておりました。手記ももちろん読ませて頂きました。
翌日、引っ切り無しに咳の続く子を連れて主人と3人で高槻へ。階段を昇り、ドアを開けると漢方の匂いと、大勢の患者さん達にとまどいは無くむしろホッとしました。待っている間、子供の喘息を書かれた手記を読ませて頂き、皆さんが病気と向き合い必死で闘っておられるのが、文面からひしひしと感じられ胸にせまるものがありました。
看護士さんとの問診では、私達が話す事一つ一つにちゃんと答えて下さり、子供の事だけでなく主人や私の身体も心配して下さり、涙が止まりませんでした。子供も私も、はっきりと身体に症状が出ているのに、今迄明確に答えてもらえた事も無かったのに、松本先生の理論に基づいた説明を受け、この子を助けてもらえると確信しました。松本先生と初めてお会いした時の事は、子供の手記で書かせていただこうと思いますが、松本先生の『治してあげる!』と、握手子供にもして下さり、心から有難く、本当に嬉しかったです。
松本先生のこの一言で、何人の患者さんの心が救われた事でしょう。これからの治療の中で、どんな事があっても松本先生の仰る事をしっかり聞いて、ついて行こうと思いました。漢方煎剤は飲みづらかったようですが、みるみる咳が減り元気になっていきました。本当に驚くと同時に、松本先生とめぐりあえた事、診察して頂けた事、全てに感謝しました。有難うございました。
初診の時に、喘息を治すのには想像以上にかなりの月日がかかるのだと分かり、当初はとにかくこの子が治ってから他の者達も治療を始めるつもりだったのですが、あとの3人も一緒に診て頂いて一緒に頑張ろうと決意しました。
2回目の来院は、前回以上に何とも言えない心の安らぎを感じました。看護士さんが回復ぶりを喜んで下さり、主人、長女、私の問診でも色々と説明して下さり、自分達でも感じていた事がやはり間違いないのではと思いました。
この時は、リウマチとニキビについての手記を読ませて頂き、特にリウマチの方の闘病生活は壮絶なものでした。
松本先生は子供の回復ぶりを喜んで下さり、『治したるからな!』と、嬉しいお守りのような一言。私達には、子供の治り方を見てからの診察やなとちょっと辛口。それは、エッそういう風に思われてしまったの?と、ちょっとびっくりしました。そんなつもりは全然無かったのです。
主人と私については、今迄の経緯や身体の症状はリウマチであろうとの診断、娘は花粉症。主人も私も、各々自分の身内にリウマチの人がいるので、リウマチはもしかしたらいつか自分の身にも起こるかもと思っていましたし、自分達がならなくても、子供達がなるのではと、心の何処かで怯えていました。
リウマチだと分かっても、松本先生の理論を読んで『治るんだ』と思える事で、ただ怯えるだけでなく、前向きに考える事が出来ました。
松本先生と出会えなかったら、私の家族はどうなっていたのかと思うと、恐ろしくて想像もしたくないです。
主人は主に以前から膝の痛みがあり、私の痛みもこの時点ではそう酷く無く、リウマチの症状がきつく出る前に治療を始められたのは有難い事でした。
さあ、治療の始まり。今迄自分達が服用していた薬の種類や量によって、どういう度合いの反応が出るか分からないけれど、ともかく前進あるのみ。
織田先生は鍼とお灸をして下さっている間色々なお話をして頂き、これからの事についても随分アドバイスもして頂きました。
鍼もお灸も初めてで緊張しましたし、患者さんのお灸の写真を見せてもらったのですが、びっくり仰天しました。ものすごい数のお灸でした。
織田先生から、痛みに対し効果がある事等十分な説明を受けて、尚且つ他の患者さんの手記の、松本先生の鍼とお灸の重要性についてのコメントを読み、実際に自分もお灸をしてみて効果も充分に実感しながらも、あの熱さは辛くて恐怖でした。でも効果は絶大でした。関節の痛みが出ても何回かお灸をすると本当に楽になりました。痛みが続いている内はため息をつき、そうなりながらもお灸を続けていたのですが、楽になるにつれさぼりがちになり、織田先生に何度か叱られました。時に厳しく、時に優しく励まして頂き、有難うございました。漢方煎剤と薬湯、それと前から慢性鼻炎になっていたので鼻炎の粉薬を服用し、およそ3ヵ月後に右肘の内側に痒みが出てきました。
松本先生に痒みが出てきた報告をして、『よっしゃ治したるで』と有難い言葉をかけて下さり、自分の身体に出た痒みをとっても嬉しく思いました。
アトピーの治療で大事なのは“掻かない事”というのはよく耳にしていましたし、製薬会社のポスターで“掻かないお約束”というキャッチフレーズを見たことがあったのですが、松本先生は“痒い時には掻きたいだけ掻きなさい”この違い。私も思う存分掻きました。痒い所が徐々に増え、痒みの度合いもひどくなってきたのですが、赤いクリームと抗生剤のクリームと薬湯で耐えていかなければいけないのだとずっと思っていたのですが、強烈な痒みに変化してきた頃、診察を受けたら松本先生は『粉薬出したるから』と仰って、私は思わず『えっリウマチの薬と同時にアトピーの薬が飲めるんですか』と絶句。出る症状は、ただひたすら我慢して出し切るものと漠然と思っていたので、薬を飲めて症状が楽になれるなんてと驚いてしまったのです。掻くのも、リウマチの痛みの残っている手では少し辛く、しんどいものでした。
手記では、薬湯で楽になってと書かれていたのですが、私は薬湯に入ると強烈な痒みが出て、手で掻くよりタワシで、まさしく気が狂ったかのように掻きまくり、しばらくすると落ち着くというパターンでした。
濡れた状態だとわからなかったのですが、普通の状態で掻くと傷が付き、そこからリンパ液がにじみ出てくるのがはっきりと見てとれます。そしてこのリンパ液が出だすと痒みが落ち着くのです。リンパ液の出る様子は、夏にコップの中に冷たい氷を入れ、コップの表面に水滴が付く時と同じでした。
両肘の内側の広範囲と膝上と足首、手首に500円玉大で3ヵ所程、痒い所があったのですが、それに手の平が加わりました。手は、手荒れが酷かった時にリンデロンを塗っていたので、覚悟していたのですが、辛かったですね。割りに人目に付きやすいし、何をするにも手を使いますし、他の場所もそうですが掻きたいだけ掻いて、皮1枚取ってしまったかのように突っ張って伸ばせなくなっていました。その分リウマチの痛みは殆ど無くなっていたので、6月には漢方製剤をリウマチからアトピーに変えて頂いたのですが、しばらくすると又指に痛みが出て、薬をリウマチに戻す事になりなした。アトピーは首にも出るようになり、首にガーゼのタオルを巻き、手袋に包帯と悲惨な姿になりながら、お風呂ではタワシで掻きまくりという生活でした。肌をアレルゲンから守っていたのですが、口から入ったものによってものすごく痒みが出たものがありました。一般に身体に良いと言われている、酢・豆乳・トマトジュースで凄い反応が出ました。それから香辛料・アルコール・グレープフルーツ等も痒くなって大変でした。
この期間は、完治に向けての一過程なのだと頭で理解していても、絶え間なく痒みがあり、見た目の酷さに気が滅入る事も正直多々ありました。夏になり汗をかくと痒みも酷くなりましたし、紫外線があたると痛かったので長袖や七分袖の服で過ごしました。松本漢方クリニックへ伺ったら、私と同じようなアトピーの症状が出ている方や、痛々しい程の方を見かける度に、ひそかに心の中で『お互い頑張ろうね』とエールを送ったり、アトピーの手記を読んでリンパ液で床に水溜りが出来た方がおられたのを知り、私なんかまだまだだなと思い、めげずに頑張ろうと思いを新たにしました。アトピーはストレスかかっても痒くなるので、悩み出すとてき面でした。誰かと話していても、手はボリボリと掻いていました。秋も深まった頃には、随分楽になっていました。痛みはふっと鈍く痛くなる程でしたが、まだ少し気になりました。痒くて掻き続けた内肘は、一時黒っぽい肌に変色していたのですが、元の肌の色に戻ってきました。他の所も、あんなにしつこく出ていた痒みもましになり、見た目もきれいになっていました。その後もずっとリウマチの薬とアトピーの粉薬を服用し、痒みは無くなり、痛みはたまにある程度になって、治療を始めて2年目を迎えた頃また手の平にアトピーが出て、ものすごく痒く、熱を持ち、皮1枚下に見える水疱。この水泡が掻くことでつぶれ、リンパ液が出ると痒みが落ち着くのですが、手の平は皮がごつくてなかなかリンパ液が出て来れず、タワシ・爪でゴシゴシ掻きました。もうアトピーは出る事は無いのかなと勝手に思っていたので、久し振りに出た時はめげてしまいました。松本先生から手記を書く様に言われていたのに、家事、仕事に追われる毎日でなかなか進まず、電話で叱られた事もありました。
今回のアトピーの出現は、そんな私に今一度苦しんだあの日を思い出させるためだったのかも・・・。松本先生、申し訳ありませんでした。
久し振りに診察を受け、主人の治療終了、そして私の漢方製剤をリウマチからアトピーへ変更しようと仰って下さり、前に痛みが戻った事が頭に過ぎったのですが、手の状態が酷かったので試してみようと思いました。看護士さんも喜んで下さり、私も肩の荷が下りたような感じもしましたし、本当に嬉しかったです。松本先生の『嘘言わへんやろ。治ったやろ。』って嬉しそうに、私の大好きな笑顔で仰って下さいました。本当に有難うございました。言葉では上手く表せないのですが、心から感謝しております。松本先生と出会わせて頂けた事に感謝しております。松本先生のおかげで、私自身長年苦しんできたアレルギーとの付き合いも、別れが近付いているようです。思えば、生後すぐからアレルギーと付き合い続け、一生続くものと思っていましたが、松本先生の言葉の中に“アトピーは制御するものでもなく、一生付き合っていくものでもなく、完治できるもの”とありました。私は、この言葉を昔に聞きたかったなあと心底思います。喘息の発作で入院した時、窓から飛び下りてこの苦しみから逃れられたらどんなに楽だろうかと、こんな事を一生繰り返し、一人で生きていくのかと思いました。病気を治そうと一生懸命治療していた事が無駄で、無駄どころか更に進める事になっていたとは、なんという不幸な事でしょう。
身体に溜め込んだものを出し切り、リバウンド現象を乗り越えるのはかなり苦しかったのですが、それでも確実に完治に向かえているのだと納得できました。
自分でも目を背けたくなる状態も確かにありましたし、辛くて気も滅入って大変でした。ですが、絶対に治してみせるという気持ちを持ち続け、何とか抜け出る事ができ、今また2度目のリバウンドを2ヶ月程で終えれそうです。
リバウンド現象が出ている間は、男女問わず堪え難いと思います。
その中でも若い女性は特に人の目も気になるでしょうし、辛い事だと思いますが、どうぞ頑張って乗り越えて下さいね。私も若い頃、喘息だと知られない様に薬を多用して何とか人前ではごまかしていました。そのせいでリウマチにもなり、リバウンドも強く出ました。妊娠・出産・育児、母親の私が服用する薬の影響に怯え続け、子供にアレルギーが出ては自分を責め続けました。
考えた所で身体が良くなる訳も無く、不安が消える訳でも無いのに悩み続けました。現在リバウンドが出て大変な方もたくさんおられるでしょうが、どうか目先の事だけでなく、もっと先の将来の事を考えて乗り越えて下さい。リバウンドのあまりの辛さに治療を止めてしまう方もおられると聞いた事があるのですが、その時だけ楽になっても、何の解決にもなりません。辛い時には診察で松本先生の“治したるでと握手”で元気をもらって下さい。それと、手記を読んで勇気をもらって下さい。私も随分助けて頂きました。
最後に、松本先生、織田先生、看護士さん、スタッフの方々、そして手記を書かれた方々、有難うございました。
まだまだ私も子供達もお世話になりますので、どうぞ宜しく御願い致します。
「何か変?」そう感じたのは、夕食の支度をしている時、材料を床に落し、拾おうと、かがんだ時、膝が硬い、スムーズに曲がらない、伸ばすと痛い、そんな身体の異変がすべての始まりでした。
今考えると、以前に2度程、朝、薬指、小指とこわばった事がありましたが、知らぬ間に治っていたので、あまり気にとめていませんでした。
そして膝の痛みに変化のない状態が2年程続いた、平成17年の春。筋肉痛の治りがいつもろい遅く感じ、夏になると膝の痛みが日に日に増し、秋に入る頃には鎖骨の辺が痺れだし、夜、床について、1時間半もすると痺れで目が覚め、又寝ては目が覚めの繰り返しで、その痺れも腕、首、挙句に顔迄広がりはじめました。そして気になり、3件病院に行きましたが、リウマチという言葉が出てくるものの、血液検査で抗核抗体だけが「80」で、あとの数値に異常が見られないのでリウマチではないとの事。結果、痺れは胸部出口症候群で、リハビリか手術での治療、痛みには痛み止めを注射、あとは自己免疫力を高める為、
サプリメントを投与されました。
それからの2ヶ月は、まるで階段を転げ落ちる様に、手のこわばり、手のひらの痛み、関節の痛み、足の痺れ、寝汗、空咳、左胸の痛み、筋肉痛、微熱と日に日に症状はひどくなり、これに伴う、なんとも言えない身体のだるさ、倦怠感は最悪なものでした。
この頃「これは絶対にリウマチ」そう思っていた私は、但々、パソコンでリウマチ・治療・病院と、検索する毎日を送り、不自由になっていく体を想像し、又、ある覚悟をする為、いずれ履く事ができなくなるヒールをひとつづつ捨てていく事にしました。今迄の生き方と違う生き方をする為の気持ちの切り替えです。くよくよ考えていても同じ。なる様にしかならない。治らない病気なのだからあきらめる。必死で自分にそう言い聞かせていました。とにかく悲しい辛いの言葉より、情けないという言葉が先に立ちました。しかし、色々と思いながらも心のどこかでまだ諦め切れず、パソコンで色々と調べる日々が続きました。そしてそんなある日、忘れもしない10月18日、突然目の前に希望の光が舞い降りたのです。画面に「リウマチは治る」の文字。時間を忘れ、食い入る様に読み耽りました。
そして「いける、治るかもしれない」そう思いました。松本漢方クリニックにはすぐ行きたかったのですが、仕事が一番忙しくなる時期な上、主人と2人の仕事。
一段落してからと思っていましたが、身体の方はもう限界。これでは倒れてしまう、そう思いやっと11月8日、松本漢方クリニックに行く事ができました。そして
松本先生にお会いし、「バリバリのリウマチや!大丈夫や、治したる!」の力強い言葉と握手をして頂き、うれしさと安堵感で心がいっぱいになりました。それから待ち時間に沢山の手記を読み、改めて私の選択は間違いないと確信しました。
以下は症状の経過を報告させて頂きます。
3日目より: なんとも言えなかった体のだるさ、倦怠感がなくなる。
漢方を飲み食事をすると汗がでる。
微熱、痛みつづく。
便は1回のみですが下痢気味。
鎖骨の痺れなくなる。
5日目より: やっとお灸ができる様になり、かなり痛みが軽減される事を知り、仕事の合間、寝る迄の空いた時間はお灸でうめる。
10日目より :薬湯に1時間近く入るが、背中だけが冷たく感じ、風呂上りは足に鎖を繋がれている様に重い。
左足首とかかとの腫れ、痺れ、膝の痛み増す。
1ヶ月目 :夜2、3時間おきに目が覚め、喉が渇く。
手首、肩も痛くなる。お箸を持つのも痛く、字を書くのもやっと。(2月中旬頃、事件発生!持病のメニエール発症。夏からリウマチの事で頭が一杯で忘れていました。4年ほど前からメニエールになり、いつも耳鼻科で点滴と薬〔メリスン・リーゼ〕で治療していました。そしてふと、点滴をするとすぐ治る事と、点滴の色が淡いピンク色だった事を思い出し、パソコンで調べると、なんとその点滴がステロイドである事が分かり、すぐさま通院していた病院に確認しました。すると1回の点滴で20~100gのステロイドが入っているがそこでは20gとの事。もちろん私はその言葉を信用していません。恐らく今迄に15回は受けていると思います。そしてその旨を松本先生に伝えると、「大丈夫や治したる!」と新たに力強い言葉を頂き、この時はもう恐い物はない、何でも来いという感じでした。そして黄色い粉薬を送って頂き服用すると、たった1日でめまいが治まりびっくりしました。病院によってこんなにも違いがあるとは、ほんとに天と地ほどの違いです。)
2ヶ月目 :寝汗が止まる。微熱がなくなる。
とにかく痛みはお灸で軽減されるので、一にお灸、二にお灸です。頚椎、膝の裏、手の届かない所は主人にしてもらいました。
3ヶ月目: 痛みは体中を順番に巡っていく様です。
お灸の数は200~500コ
抗核抗体が「80」から「40↑」になる。
4ヶ月目 :お灸の数は1000コに増える。仕事前に肩、足裏、足首、仕事の合間に膝、肘、手首とする。
~ 全体の薄皮を剥がす様に痛みが少なくなっている様に思う。
お灸をした後の痒み増す。
7ヶ月目: ある日転んで膝をうつが、そこにお灸をしても大丈夫だという事を松本先生に教えて頂く。
8ヶ月目: 痛みはかなり減る。
あまり痒くならなくなる。
お灸をしてすぐではないが、入浴をすると痒みが増すとの事。
もっともっとアトピーでておいで。
9ヶ月目: 全体の痛みがかなりなくなる。
足首の腫れが引いてくる。痺れは足指先のみ。
ピンポイントで痛みがわかるでの、そこに集中的にお灸をする。
10ヶ月目: ずっとしていた舌のヒリヒリ(ヘルペスの一種だそうです)がなくなる。
~ 普通にしてたら痛みは感じません。左足首の若干の腫れ。
左足指先の痺れが少し残る。
12ヶ月目: 下痢が止まる。
この頃からお灸の数もかなり減り、その代わりリンパの流れが良くなる様
足首の内側から太ももにかけてねじる様にマッサージしたり、足首を回したり足の指を開いたり閉じたりと指の体操をしました。
あと、右膝裏の辺が張った感じがするので、痛点を指圧すると次の日には
治っていました。
そして現在、お陰様で年末には2年分の大掃除もできる程、以前の様に元気に仕事、家事をこなしております。痛みは何かした拍子に「あれ?」と思う程度で、あとはまだほんの少し左足首が腫れているのと、ほんの少し足指先の痺れが残っています。とにかく平成17年11月~平成18年12月迄、風邪ひとつひく事もなく、メニエール、生理痛までもが治りました。
一年ちょっとの治療の中で一番大変だったのはお灸ですが、お灸はすればする程痛みは軽減されます。でも指や手やすべてが痛いので、ほんとに大変な事です。とにかく私は今だけを考えました。今何をするか、お灸をするだけです。余計な事は考えない、そしていつかそれも必ず終わるのです。
あと役に立った事がいくつかありましたので、お伝え致します。
かかとの痺れ、頚椎の痛みで寝れない時はビーズクッションを置くと楽になりました。
冬場に限らず冷えは禁物です。とにかく体は冷やさない事。
寝る時に肩だけの毛布(ヒザ掛け、ショール等を使用)をおくるみの様にする。
使いきった漢方は菜園のまわりに撒く(根元は避ける)と虫除けに。
又、ネコのフン除けにもなりました。(母の話)
最後になりましたが、私をここまで良くして下さり、地獄から天国に導いて下さり、いつも「治したる」と力強く握手をして下さった松本先生、そして、治療中色々な話をして、いつも気持ちを和ませて下さった織田先生、いつもやさしく採血をして下さった看護士さん、いつも気持ちよく応待して下さった
スタッフの方々。
ほんとうに心より感謝申し上げます。
ほんとうに ほんとうに ありがとうございました。
又、今後共、宜しくお願い致します。
49歳2007年1月30日
2003年10月
朝起きたら、右手親指の付け根がポーンと腫れて痛く、「どこかで打ったかな?」「腱鞘炎かな?」程度で、特に深く考えず、2~3日様子を見ても治らず、接骨院に通いました。その後腫れもなくなり、治ったと思いました。
2003年12月
急に左足の指の付け根が痛く、またこの時も深刻に考えず、そのうち治るわぐらいの気軽な気持ちで接骨院に通いましたが、今度は良くならず、少し不安になってきました。
2004年2月
起床時、両手の指が痛く、こわばりが出てきました。すごく不安になってきた頃娘から「ひょっとしたら、関節が痛いのはリウマチかも知れないよ。病院で血液検査をするとすぐわかるから!」と言われたので、すぐに病院に行き、早速調べてもらいました。その結果「リウマチ」という診断でした。
「リウマチ」ってどんな病気か、全く知識がなかったので、早速本屋に行き本を捜し、読みあさりました。大変な病気になったと思い、とても不安な毎日でした。薬剤師の人にリウマチの事を聞くと、一生薬を飲み続けるか、飲んでも治らず進行を止めるだけということや、進行していくと関節が変形する等悪い事ばかりでした。
でも、私は悪くなることは考えないようにしよう。リウマチには3タイプあり、「短期間で進行が止まるタイプ」そういうタイプもあるのだから、と思うようにしました。そして薬は、リマチル、ロキソニン、ムコスタが処方されました。飲み始めると、一生飲み続けるという事が頭にあったのと、薬は飲みたくないと思い、何か他の方法で治そうと考えました。
まず最初に出会ったのは、友達の知人で、健康食品でリウマチが治ったと言うのです。私も健康食品で治るのならと服用してみたのですが効果がなく、2ヶ月が過ぎました。
ただリウマチが進行していくばかりで、両足の裏や指、両指の腫れる箇所が増え、痛みも増してきました。やはり、健康食品ではダメかなと思いました。
2004年4月
新聞に大々的に「新しいリウマチ治療、広がる生活」という題名で、リウマチの治療も今は進歩していて、治療に効果のある薬が出たとか、早期発見、早期治療がとても大事で「リウマチの診断がついたら3ヶ月以内に治療にかかれば悪くならない」と書かれていたのです。
同じ頃、テレビでもリウマチのことが取り上げられ、新聞と同じように「専門医にかかり、とにかく早期発見、早期治療を行えば悪くならない」と念押しをされたようでした。
ハッ!と気付き、私もまだ発症から3~4ヶ月だから、早く治療すれば悪くならないんだと信じ、病院に通い、薬を服用することを決めました。
2004年5月
ところが、1ヶ月に1回病院に通い、薬を飲み始めましたが、痛い箇所は足の指や足の裏と、手の指から手首、肩、肘、足首と徐々に増えてきました。
2004年6月
口が渇くようになり、整形外科の先生に症状を伝えると、シェーグレン症候群もあるかも?と言われ、サリグレンの薬を追加してもらいました。
また、顎関節も痛くなり、口の開きも悪くなる時もありました。そんな状態なので薬だけではダメだと思い、再度「リウマチの根本治療」という本を見つけてはその健康食品を服用したり、また薬局で「リウマチに効く」とあればその免疫ミルクを飲んだりと、何種類かの健康食品を試してはみたのですが、どれも効果があったかどうかは不明です。
結局は食品なので、そんなので「あのリウマチ」が治るなんてことがあるはずがないのですが、その当時はわらをもつかむ思いで、何とか治したいと思い必死で色々試していました。
2005年12月
そうこうしていく間に発症から2年間が過ぎ、薬が効かなくなり、指、肘、肩、手首、足の裏、膝、顎関節と全身の関節が痛くなってきました。
特に右手の中指がつっぱり、曲げ伸ばしをするとコキンコキンとなり、「腱が切れるといけないから注射をしましょう。」と先生に言われ、ステロイド注射だと聞き、「ステロイドは良くないのでは。」と聞き返したのですが、「炎症を起こしているのだから、火事は消さないと。」と言われ、私も腱が切れたら困るし、応急処置が必要なら仕方がないと思ってしまい、注射をしました。
ところが、指の付け根に注射をしただけなのに2~3日間全身の関節の痛みがすごく和らいだのです。恐ろしい程の即効性です。何か怖い気がしました。
そして4~5日後には、やはり怖い薬でした。今迄以上に全身の関節が痛くなり、寝ていても肘が特に痛くて、布団が持ち上げれない程悪くなっていました。
このままだとどうなるのだろう。どんどん悪くなって、変形したり寝たきりになったりするかも?と、想像するようにもなりました。ゾッとします。かといって薬を強いのに変えるのは絶対に嫌だしどうしようと、とても不安でした。
2006年3月
ちょうどその頃、大阪の友人から「リウマチが治る病院があるよ!」「治療は相当大変らしく、挫折する人もあるらしいけど、絶対治るんだって。」と、教えてもらいました。
でも、今迄リウマチは絶対治らない病気と聞いているので、「え~!本当?!」と思ったのですが、友達は「絶対に、本当に治るんだって!」と、私の背中を押してくれました。私は現在愛知県在住ですが、実家は大阪なのでそんなに遠くには感じませんでした。
早速松本漢方クリニックに行きました。医院の外観は想像していた大きな病院とは違い、普通の開業医という感じでした。でも、一歩中へ入ってみると、プーンと漢方薬のにおいに包まれ、「あっ本当だ。」インターネットに書かれている通りだと思いました。そして、まず最初は松本先生の診察の前に隣の部屋で今迄のアレルギーを聞かれ、その時に服用した薬が原因でリウマチになったんだと聞かされ、ビックリ。
そういえば花粉症になり、ただ何の疑問もなく医者に出されたお薬セレスタミンを飲み続け、気が付けば10年くらいになっていました。
強い薬だからとは思ったので、毎日は飲まず症状のひどい時だけ3日に1粒、1年で10粒ぐらいだから、自分ではいいと思っていました。
それがリウマチになる原因だと知らされ、信じられないような「え~?」としか思えなかった。ただ、ここ2~3年は花粉症が治ったのかなと思うぐらい症状が出なかったのは、松本先生の「根本治療」に書かれているとおり抗体が変化してリウマチになろうとしていたんですね。
その後松本先生に呼ばれ、今迄の症状や治療経過を話すと、自信たっぷりと「治るから、絶対治してあげる」と言ってもらえ握手をしました。
その後鍼をし、織田先生からこれからの心構えやリバウンドが出ても、それは体がリウマチになって「これ以上薬を飲んではいけない!と知らせてくれたんだよ。喜ばないと。全ては体が教えてくれているから。」と言われ、あっそうなんだ~と納得しました。
CRP :8.26 RF :286 血沈 :125 ZTT :13.3
今迄飲んでいた薬リマチル、ロキソニン、ムコスタ、サリグレン全てを一気に止めました。痛み止めのロキソニンを止めたせいか、座って立とうとすると、股関節、膝が痛くてサッと立てず、必死の思いで立ち上がっていました。本当に薬で痛みをやわらげ行動していたのが実感でき、薬の怖さがわかりました。
その後リバウンドがひどく、膝、足首、股関節の腫れと激痛のため、フローリングに座ったり、布団で寝ると起き上がれず、立ち上がるのに凄く痛いので、布団で台を作りそこに一旦体を倒して、やっとの思いで立ち上がれる。そういう状態が2週間位続きました。肩にも負担がかかり、痛みが増してきたため、もう布団では起き上がるのがとても辛く、ベッドにしたら少しは楽になりました。
なんとかこのリバウンドを乗り越えなくてはと思い、心配な事は松本先生に聞こうと電話をし、血液検査の結果をみて、「相当リバウンドが出るから、プロテイン、アミノバクトも飲んで、1週間に1~2回鍼に通って、お灸をしっかりすれば大丈夫だから。」と言ってもらったら、少し安心したような楽な気分になりました。
毎日がお灸と漢方薬を作り、痛い所がどんどん増え、全身の関節という感じでした。でも、絶対良くなると信じ、鍼も週に2回通い、お灸も毎日必死でやりました。足の甲や裏から足首は自分でやれるので、朝から2時間位かかり、昼は膝や手を2時間、夜に首や肩を主人や義母にやってもらい、本当に1日がかりでした。ただ、とっても熱いので力が入り、よけいに痛くなったり、とにかく熱くて熱くて一番辛かったです。
CRP :4.19 RF :410 血沈 :93 ZTT :16.3
2006年4月
初診から1ヶ月位で足の指が痒くなってきて、「もしかしたら、これがアトピー?」思ったより早く出てきたので「やったぁ~アトピーだ」と嬉しかったです。でも、これからがアトピーとの戦いです。
2006年5月
まず、お灸のあとが真っ赤→蚊に刺されたように腫れ(1cmぐらい)→じんましん状態に浮き出て真っ赤→じんましん状態が広範囲に腫れ真っ赤 この状態が足の甲から足首、ふくらはぎ、膝、ふと腿と、あっという間に広がり、首や手、体中にも出てきました。もう痒くて痒くて辛い毎日でした。
そのうちアトピーがもの凄いせいか、リンパ液が溜まってきて足首は1.5倍足の甲は2~3cmの厚みになり、ふくらはぎから膝や腿までもリンパ液が溜まり、もう痒いわプクプクに腫れているわ、象の皮膚みたいになるし、悲惨でした。
ズボンもリンパ液のせいでパツンパツンになるし、靴も足の甲の厚みで入らないし、どうなるか不安で、3日に1回位松本先生に電話をしました。
松本先生は「プロテインとアミノバクトを飲んでいれば、リンパ液が出ていくから大丈夫。」と言ってもらい、その度に安心していました。救いは、リンパ液が溜まりパンパンに腫れましたが、ジクジクにはならなかったので、それだけはよかったです。
CRP :1.15 RF :130 血沈 :15 ZTT :12.5
2006年6月
体は真っ赤で痒みとリンパ液の溜まったむくみで足はパンパン、皮膚がはち切れそうで痛く、歩くにも膝が曲げにくく、本当にリンパ液の辛い毎日がまだまだ続きました。また、アトピーが激しく、アトピー熱も出ましたが、フロモックスをもらっていたので大丈夫でした。
中旬頃にはようやく足の甲のリンパ液がどんどん出ていってくれて、一安心と思ったら、今度はお腹や背中のアトピーがひどくなり、体中白い所がないくらい、足の時と同様真っ赤からじんましん状態からブクブクに浮き出て腫れてきました。「足の次はお腹」と思い、まだまだアトピーとの戦いが続きました。
パジャマや下着もアトピーの痒みとチクチクで痛痒く、夜も寝れなくなってきて、2~3時間なんとか寝たら、痒みで目が覚めるという日が続き、想像以上の痒みの辛さを実感できました。
そのおかげで、リウマチの痛みは足のかかとが痛いと感じるくらいでした。それと、気が付けば指の腫れもひいてきて、牛乳パックやペットボトルも開けられるようになる等、生活に支障をきたしていた事が徐々に出来るようになっていました。
2006年7月
7月になると、足のリンパ液のむくみが見る見る減ってきて、足首や足全体も徐々に細くなり、元通りに近くなり、やれやれです。しかし、セレスタミンを服用していたので、真っ赤だった所が真っ黒で、特に足首や足の甲はアトピーが一番ひどかった所でもあり、象の肌みたいにざらざら、ゴワゴワで、まだまだチクチクやら痒いやらで大変でした。本当に、松本先生の「アトピーの根本治療」に書かれているとおりに体がなっていく事を実感しました。
CRP :0.57 RF :71 血沈 :16 ZTT :10.7
2006年8月
痒みは少しずつ減ってはきているのですが、まだまだ痒い状態が続き、着替えやお風呂に入ると、足全体から皮が剥け、床や浴槽の中が皮だらけになり、皮膚が再生されているんだなと思った。
2006年9月
突然耳の聞こえが悪くなり、耳鳴り、耳づまりがあり、近くの耳鼻科で聴力の検査をしてもらったら、やはり聞こえが悪く、メニエルか突発性難聴と診断され、薬は飲めないので、松本先生に電話をしたら、「ヘルペスやで!以前にステロイド注射してるやろ。それが免疫が下がった時に悪さをして、耳の神経についたんやで~、直ぐに薬を送ってあげるから。」と言われ一安心。漢方薬で治療中です。そして膀胱炎にもなり、松本先生にはリウマチ以外にも治療して頂いています。
2006年10月
この頃には、気が付けば左指の付け根から手の平の腫れもひき、グーが出来るようになり、痛みとしては歩き始めにかかとが少し痛いくらいで、殆ど痛みを感じない程です。
CRP :0.58 RF :49 血沈 :17 ZTT :10.8
2006年11月
今迄はリンパ液の腫れやかかとが痛いため、スニーカーしか履く事ができなかったのが、普通の靴が履けるようになり嬉しかった。
2006年12月
念願の旅行に思い切って行ってみたのですが、どこも痛くならず、楽しく行って来れました。後は、アトピーのあとが足の先から体中、真っ黒で「ヒョウガラ」のような体になっているので、少しずつ薄くなってくれることですね。
松本先生に出会っていなければ、今頃は・・・と思うと、ゾーっとします。何もしなくてもジーっとしているだけでも、どこかが常に痛く辛い毎日でした。今はかかとの痛みがほんの少し残る程度で、普通に生活が出来る事がこんなに有り難い事だと思え、家族や友人に感謝と、松本先生に感謝、感謝です。
今後も、まだまだ完治まで 宜しくお願いします。
40歳2007年11月7日
定期的な健康診断の血液検査で、リウマチの抗体が見つかって、その数値が正常値より高かったのが34歳の時、いつか自分がリウマチになるのではと、ずっと心配していました。朝起きからの、指のこわばりは、少しは昔からあった気がします。時間的には、3分ぐらいで長くもなかったし、グローブをした時の様な強い感じでもありません。他の症状も特別ないので気にしない様、日常生活を過ごしていました。
40歳の夏、いつものように冷房をして眠っていたのですが、夜中に目が覚めた時、右の中指が異常に不自然さを感じ靴下と手袋をしないと、不安で眠る事が、出来ません。日中は、足の第2指も痛みは、無いのですが違和感が続いていたので、思いきって当院に行く決心をしました。情報を知らず、本当に無知で、リウマチ科があるぐらいの気で、訪れた瞬間、沢山の患者、沢山のリウマチ経験者のファイルを待合の間読み、自分はそこまで酷くないのに、診てもらえるだろうかという、不安が残りました。しかし初めて会う先生に、リウマチだよと判断して頂き、治して行こう大丈夫と握手をしてもらい、安心しました。今の症状の時点で、大学病院に行っていたら、治療もしてくれない様な気もする、逆に強い薬を投与されていたかも知れません。症状が軽い間に幸運な事に松本漢方クリニックの門をたたくことが、出来て良かったです。
漢方を飲み続け、3週間位で手のこわばり指の違和感がなくなりました。それと当時に今まで平気だった山芋の皮むきが、両腕痒くなって赤くなったり、目が充血したり蛾の粉にかぶれたような湿疹が首から腕に出たり治癒しているんだ、アレルギー反応だと喜んでいました。その頃から貴院に通わず不義理をしているのですが・・・人間ドックに入り、血液検査の結果治癒したと思っていた数値ではなかったのです。再度松本漢方クリニックを行って、金銭的にはとてもきついのですが、治してもらおう、お世話になろうと決心しました。宜しくお願いします。
43歳2008年2月27日
2006年12月足指の付け根が痛み出し、冷えからきているのかなと勝手に思い、廊下や階段にじゅうたんを敷いたりして今まで以上に足が冷えないよう注意をしました。が、痛みはひどくなるばかりで、そのうち膝や肘、肩、背中と痛みが体中に広がっていったので、これは大変な病気かもしれないと2007年1月中旬、近くの整形外科に駆け込みました。そこでは、RF定量が96と高かったのですが、他は正常値なので「リウマチの気がある」ということで、ロキソニンパップという湿布薬とファルネラートゲルという塗り薬、ハイペン錠とガスロン錠を処方されました。
職場の先輩に膠原病の方がいて、「リウマチの薬は飲み始めると一生飲み続けないといけない」と聞いていたので先生に「なるべく薬は飲みたくないのですが・・・」と訴えたところ「リウマチについて勉強しなさい」と叱られながらも軽い薬で様子を見ることになり上の薬を頂きました。薬を飲んでも体を温めても痛みは変わらず、一ヵ月後、別の病院を受診しました。そこでは、RF定量123とまた上がっており、CRP定量は0.17と基準値でしたが朝のこわばりなどアメリカの学会で決められている5項目以上の症状があてはまるとして、リウマチと判断していいでしょうと言われ、アザルフィジンN錠・ハイペン錠・ガスロン錠・ブレドニゾロン錠5mgを処方されました。薬の説明書に「勝手な服薬の中止で症状が悪化することがある」と書かれているのを見て、やはり薬はあまり飲みたくないなと思いながらも、痛みに負けてアザルフィジンENを一錠飲みました。すると痛みがうそのように消えたので、やっぱり薬は怖いのだと思い、何か他に治す方法はないか、良い病院はないかと探していたところ、テレビでリウマチの方が良い先生に巡り合えたと話しているのを聞き、私もすぐその病院を予約しました。
2007年2月、血沈7・CRP定量0.16(-)で、先生は「まだ、こんな薬は飲まなくていい。毎日足湯をして鉄・ビタミンB6をしっかり摂るように!」との事で、ツムラ桂枝加求附湯エキス顆粒・インテバン座薬を処方されました。漢方薬はうれしかったのですが、自分で煎じない漢方って本当に効くのかな?と漠然と思っていました。また、座薬を一日一回挿入と見たときにはさすがにできないと思い、ツムラの薬だけを飲んでいました。飲み始めて数日後、主人が同僚の方に、高槻にアレルギーを治せる良い先生がいてリウマチも治せる病院があると教えて頂き、急いでパソコンを開き、松本先生の理論や患者さんの手記を読ませていただきました。もう読んだだけで治った気分になり、ホットしました。でも、できればお灸はしたくないというのが本心で、ツムラの薬も飲み始めたばかりなので、しばらくはこれで様子を見ようとしていました。主人には「早く松本漢方クリニックに行ったほうがいい!治ったという患者さんの声があるのだから」と毎日のように言われましたが、どうしてもお灸がネックになりツムラの薬にすがっていました。座薬は使用していなっかたのですが、ハードな仕事と飲み会があるという前日の晩に初めて座薬を入れました。朝起きると階段も普通に足を交互にして降りることができ、まるで治ったかのように普通の生活ができ、驚きとともに久しぶりの痛みのない生活に薬の怖さも忘れ、その日は仕事も家事も快適に、飲み会も楽しく参加することができました。が、喜びもつかの間で、翌朝目覚めると、起き上がることができず、ベッドから転げ落ちるように起きたと思います。また、その先が大変で、足が地に着くと同時に痛みが今までの倍以上になったようで、なるべく体重を足にかけないよういろんなところにつかまりながら階段を時間をかけて降りなければなりませんでした。すぐに松本漢方クリニックに行かなければと思い、母に付き添ってもらい受診しました。私は松本漢方クリニックに行けば必ず治ると信じていましたが、母も先生にお会いして「あの先生なら治してくれるかもしれないね」と太鼓判を押してくれました。
2007年3月23日、血沈30・RF定量165・CRP定量1,10この日から漢方を煎じたり、お灸をしたり、漢方風呂と忙しい日々が始まりました。私はステロイドを使った記憶がありませんでしたし、漢方風呂も一日おきに入るように!との事でしたので、リウマチも軽いほうで一ヶ月ぐらいで痛みも軽くなるのでは・・・?と甘い考えを持っていましたが、一ヶ月経っても少しも良くならないので、いつまでこの状態が続くのだろうとくじけそうになっていました。すると主人が「リバウンドで寝たきりになる人もいる。バイクに乗って仕事にいけるだけでもまだましなんやで」と言われハッとしました。自分のことばかり悲観していましたが、もっと大変な思いをしている人がいることを思うと、くじけている場合ではないと弱音をはかなくなりました。が、やはり痛みはひどく、朝起きると痛みとの戦いが始まるので朝が本当に嫌な時期でした。お灸は、慣れるまではすえるだけで疲れていましたが、赤いクリームを薄く塗りピンセットで据えるようになってからはスムーズに早くできるようになりました。実家からも両親がたまにお灸をしに来て、背中や足の裏など私ができない部分を中心にお灸をしてくれたのでだいぶ助かりました。でも、母のお灸は、少し大きめで最後まで焼き尽くすので、鍼の織田先生にも「根性焼きみたいにしなくても熱いと思ったらとったらいいのよ」と言われるぐらいお灸のあとが大きく背中一面に残っていました。ハードな仕事がある前や鍼の織田先生に会う前にはなるべく多くお灸をしていました。すると織田先生に「こんなにたくさんお灸をしてくれたの?ありがとう!」と言われ自分のためにしていることなのにと恐縮してしまいました。(いつもはサボりがちで叱られてばかりいましたが・・)
時には厳しく、時にはやさしく指導してくださった織田先生や、たまに電話で患者さんを叱っている松本先生を拝見していると本当に患者さんのことを思って叱っているんだと頭の下がる思いです。ありがとうございます。
4月下旬頃、階段を降りる音が違ってきたと主人に言われ、そういえば一番ひどいときよりは少しましな降り方をしていることに気がつき、良くなり始めていると実感しました。
5月中旬、手指・手首・膝などは痛みがあるものの、朝の足の痛みはましになったなと思うと、5月30日の血沈9・RF定量62・CRP定量0.12と炎症反応が正常になっていました。それからは痛みも徐々になくなっていったように思います。
6月29日、血沈5・RF定量39・CRP定量0.07
7月28日、血沈4・RF定量27・CRP定量0.05
8月25日、血沈3・RF定量15・CRP定量0.05
8月に入ると大好きな阪神戦を観戦しに甲子園に行くことができました。
普通に歩いている私の姿を見て、主人は「信じられないね。松本先生のお陰だね」としみじみ言っていました。
パート先の膠原病の先輩に「リウマチの薬は一生飲まないといけない」と教えていただき薬について考え、主人の同僚の方に松本先生の存在を教えて頂き、松本先生に出会うことができました。膠原病の方がいなかったら整形外科の先生が処方してくれる薬を何も考えず飲んで一生飲み続けなければならなかったでしょう。また、主人の同僚の方がいなければ松本先生に出会うことができなかったでしょう。松本先生をはじめ皆様のお陰でリウマチを治す事ができました。
松本先生!大阪にいてくれて本当にありがとうございます!