「リウマチ手記」
45歳2004年4月17日
45歳2004年4月17日
ある日から、ひざと手首がひどく痛くなり(前々から、痛みはちょこちょこ出ていたのですが)、「これは、ただ事ではない。」と自分でも判断して、大嫌いなお医者様に行きました。私、これまで、病院と薬に縁のない生活を送ってきたので・・・。
自宅近くの病院で、検査の結果、RF262が出て、「まぎれもなく、『リウマチ』です。墓場まで持って行く覚悟をして下さい。」と言われました。これか先の長い一生を、ずーっとリウマチを抱えて生きていくなんて、悪夢を見ているようでした。昔、リウマチの患者さんに、ある病院でお目にかかったことがあり、「身体が不自由になって、自殺する事もままならないのが、情けない。」と話しておられた事が、走馬灯のように思い出されました。家族への多大な迷惑が、一生続くのかと思ったら、目の前が真っ暗になりました。「これなら、ガンになって早く死んだ方が、人様に迷惑をかけなくて、ずーッとましだわ。」と、つくづく思いました。
けれど、発病してしまったものは、後戻りも出来ないし、この病院で治療するしかないかと・・・・・ロキソニン(解熱鎮痛消炎薬)とリマチル(抗リウマチ薬)をもらい、用法どおり(どうせ治らないのに?!)飲みましたが、顔、足のむくみが止まらず、元々薬嫌いの私は、何か他に方法はないかと、本を読んだりしましたが、思い当たらずでした。
そんな折、友人が、インターネットでリウマチの病院を探していたら、「面白い病院があったよ。」と、プリントアウトした用紙を抱えて来てくれました。読んでみると、難しい理論と、分かりやすい患者さんの体験談があり、完治している人がたくさんいらっしゃる事を知り、「墓場まで持って行かなくていいんだ。」と思うと、目の前に光がともりました。
平成14年4月、初めて来院。(RF 262)
高槻の駅前で、分かりやすい場所にあり、ヤレヤレと急な階段を登りつめると、病院の中は、こぼれんばかりの人達がいて、漢方らしき匂いが充満していました。診察室からは、何やら怒鳴り声が時折聞こえるしで、とんでもないヤブ医者(ごめんなさい)の所に来たんじゃないかと、後悔しきりでした。
でも、順番を待っている間も、ひっきりなしに人が入ってくるし、電話は鳴るしで、こんなに流行っていて、かかっていらっしゃる人もたくさんいるって事は、「大丈夫かな。」と、だんだん思えてきました。長―い間待って、松本先生にお会いしたら、「これくらいのリウマチ、絶対治るから。」と、強く言って頂き、「治して頂けるのなら、すがってみよう。」と思いました。
織田先生にも、鍼をしてもらい、お灸を習って、「今日から、頑張るぞ。」と思い、山ほどの煎じ薬をもらって、説明を受け、帰りました。
それから、毎月、本当に少しずつですが、RFも下がってきました。曲がらなくて水が溜まっていたひざも、少しずつ曲がり、水も抜けたり溜まったりを繰り返しながら、今では、全く普通になっています。後は、手首の痛みだけです。
毎日仕事に行きながらの治療でしたので、十分なことは出来ていないのですが、ここまで治して頂いて、感謝です。和式トイレにも行けるようになったし、痛いながらも、朝、子供達の弁当作りも出来るようになったし、初めてこちらに寄せて頂いた頃の事が、ウソのようです。
あともう少し頑張って、完治を目指そうと思っています。「この頃、少し良くなって、やり方が甘い。」と、織田先生にも指摘を受けました。私も、その通りだと反省しています。松本先生に、「もう卒業です。」と言われるまで、もうひと頑張りするつもりです。