「リウマチ治療 中間報告」
34歳2006年2月3日
34歳2006年2月3日
<発症から松本漢方クリニックの初診日まで>
私の発症は2001年の7月初めでした。実質3年間(本当は7年)、我慢し、悩み続けてきたこと(そのことが眼底出血、軽症のメニエルの原因にもなった)があったんです。しかし、この時、何があったというわけでもないのに、なぜか自己消化というのか、出た結果は、諦め感、無期待感という形ではあったけれど、
自分の中で終止符を打つことが出来、それを当人にぶつけてすっきりしたはずの翌朝でした。(意味不明な表現ですみません。詳細を書くと、今後の生活に支障を来すので…)
起床後すぐに両手の親指、人差し指、中指の第二関節に嫌な痛みがあることに気付きました。両手均等の痛み、そして、以前北京に住んでいた時に知り合いの中医から「リウマチになる指をしている」と言われたこともあったので、すぐに「リウマチ」の4文字が浮かびました。
その日のうちに近くの整形外科に行き、そこの先生に「リウマチの可能性が高いかも。」と言われ、血液検査をしてもらい、後日、結果を聞きに行くことにしました。
両親には、まだ心配をかけたくなかったので言わず、幼子の世話の忙しさに紛らわされながら、一人不安な日々を送っていました。北京で言われてから、ひどく悩みはしなかったものの、リウマチと書いてある記事などを見つけては、知識の一部として入れていた私からすると、検査結果が出るまで悠々と待ってはいられなかったのです。「もしリウマチだったら?生活に支障?まだ三歳の息子は?いつ寝たきりに?誰に、どこで介護してもらうの?資金は?なんで私に?」
とうとうやってきた病院に行く日の前夜は全く眠れず、インターネットでリウマチ関連を検索しながら泣いていました。この時はなぜか松本漢方クリニックのホームページに気がつかなかったんです。
検査結果の朝、高熱でも食欲のある私が、全く食べ物を受け付けられないまま病院へ向かいました。結果は、陰性。本当に本当に嬉しかった。でも、その直後、「症状はリウマチにかなり近いから、二ケ月に一回のペースで血液検査をして、陽性になったら薬を出しましょう。心配しないで。こんな指になっても(変形してしまった指のまねを2,3度して)設計士として頑張ってる女性を長年診てるから。」と、なぜか笑みを!!!浮かべるんです。他の方の手記の中の「どこも悪くない!」の一点張りの医者や、恐ろしい薬を「はい、はい、飲んで!打って!」とすぐに出す医者よりはましなのかもしれないけれど、この時私は本当にショックを受けました。「笑って話せることですか-!」って。二ヶ月に一度の前夜に、また夜通し泣き続けることが、陽性になる日まで続くんですよ!陽性が出たら出たで、恐ろしい薬の投与が始まるんですよ!
主人の帰宅後に、検査結果、先生の指示、恐い薬の投薬の事を話したのですが、やはりこちらの望むような反応ではなかったので、「一人で乗り越えてやる!!!」と、これをバネに!?またインターネットで検索し始めました。その時です。運命の出会いを、松本漢方クリニックのホームページとの出会いをしたんです!
やっぱり、みなさんの言うように、最初はかなり胡散臭かつたです。(松本先生、ごめんなさい。)悪徳民間療法、宗教などは、心身共に弱くなってる人達を狙うじゃないですか、弱くなってる時こそ用心しなければと、何度も読み返しました。松本先生のお話はすぐには理解できなかったけれど、初めて出会ったリウマチの根本治療を記した文面だったことと、みなさんの手記がもし本当ならばと思い、東京から高槻の距離は、幼子連れで通院するには様々な負担もあったけれど、行ってみたいと、主人に伝えました。「行くのは反対しないけど、まだ早いんじゃない?陽性になったら行ったら?」と、また望む答えではなかったので、気にせず、息子と二人で向かう準備をすぐにしました。[痛み!]指のも、心のも、待ってはくれないじゃないですか!
この頃、母にも話しました。身内に全くいない病名だった為、やはり、信じられなかったみたいですが、体調を崩しがちなのにもかかわらず、心身共によく協力してくれました。本当に有難う!
病院の雰囲気も、松本先生の雰囲気も、他の方の手記通り!かなりの時間待たされて私の番になり、中に入ると、先に血液採取だったのですが、となりの患者さんをかなり叱ってらつしやる松本先生の声。「恐いなあ。…」と,思っていると、いきなりこちらにいらして、「おまえが言ったのか!」と、看護婦さんの頭をカルテでバシッ!私も子供も目が点。
いよいよ松本先生とご対面。今さっき見てしまった光景と、血液検査の結果もすべて陰性だったのと、まだ症状が出たばかりなので、「出直せ!」と言われるかなとビクビクしていたんですが、「間違いない!リウマチや!治したる!」この言葉は本当に嬉しかった。そして、力強い握手…。私一人で、ここまで来られたんだ!(正直、心細かった!)治るんだ!と、もう既に7割は治った気になり、帰路の足取りの軽かったこと。
<この時にお話しした私の立派な!?アレルギー歴と使用した薬>
・小学校高学年頃から
りんごを噛んだ時に、歯茎の接触した部分が痒くなる(薬使用せず)
・16歳頃から
花粉症、アレルギー性鼻炎(多分抗ヒスタミン薬を何度も使用)
・19~22歳頃まで
口唇へルベス(微量のステロイド剤を塗り続ける)
・19歳頃から
地図状の蕁麻疹。 年に一回あるか無いかで、出る時は、全身。 (非ステロイトミ剤を飲むと、すぐにひいた。)
・20歳頃から
柿、キウイ、さぐらんぼにも、りんごと同じ反応が出る。(薬使用せず)お風呂上がりに、5m程度の湿疹(肌色)が背中によく出ていた。(薬は使用せず)
・24歳の時
蕁麻疹が出た時、新任の先生からステロイドを出され、服用。一週間日引かず、毎日点滴。(多分ステロイドの点滴だったと思う。)それでもひかず、以前、服用していた非ステロイドの薬を出してもらったら、翌日ひいたが、脳貧血で倒れる。
その後、一度、蕁麻疹の出始めに非ステロイドの薬をすぐに服用して、引いた後は、全く出なくなった。
・30歳の時
子供の断乳翌日、全身にひどい痒みが出る。(微量のステロイトド軟膏を使うが、その直後はひいてもまたすぐ出てくることの繰り返しで、何度も軟膏を使う)
・31歳の時
鍼治療を受け、数ヶ月後、手の指、甲の一部と左胸の一部を除いて痒み完治。
<治療開始時>
プロテイン入り煎じ薬は、とにかく不味かった。甘くて、苦くて、舌触りがざらざら。不快極まりなかった。でも、嬉しかった。こんな私にでも飲める薬がある!ということが、本当に嬉しかったんです。ただ、体は正直なのか、こんなに有り難いはずの薬なのに、未だ鼻をつままないと飲めないけれど…。
お灸は、最初、痛い手にむち打ちながら、大量の米粒大のもぐさ作りに苦労しました。あと、特別痛い時以外は、家事全般終了後、子供を寝かせてからでないと出来なかったので、眠気との闘いでもありました。
入浴は、子供が嫌がって泣きわめくので、よくて二日に一度、更に一時間はなかなか入れませんでした。こうみると、不真面目な患者で、松本先生には本当にご迷惑をお掛けしていると思います。すみません。嘘をつくのもつかれるのも大嫌いな松本先生であるのは知っていたので、電話の時に正直に話すのは本当に恐かったのですが、大きな喝!と共に、ご理解いただきながらの処方には、感謝でいっぱいです。もし松本先生のご指示通り出来たなら、もっと早く現状まで来られただろうと思います。もし、これを読んで下さってる方がいらしたら、軽症で一年半も掛かるのかとは思わないで下さい。松本先生の理論通り、指示通り行っていれば、間違いなくもっとずっと早く治っていたと思います。
<症状の変化 開始7/19から半年まで>
開始時の症状 両手の親指、人差し指、中指の第二関節、足の親指も 両肘と肩に違和感。具体的には、フライパン、鍋を片手で持ちあげた時、手桶でお湯を汲んだ時、靴を履こうと足を入れ、かかと部分に指を入れて靴を引き上げようとした時、子供と手をつないでいて、急に引っ張られた時などに、激痛。あとは常時鈍痛、違和感がありました。そして、かなりきつかった倦怠感。
・開始3日後
38.1度の発熱 胸にひどい湿疹が出る。顔のにきびがひどく出る
・開始一週間
ひどい下痢と、めまいのようなフラフラ、クラクラ感がひどく出る。症状が落ち着くと、痛みが激減していた
・04年7月末
ひどいストレスからか、痛み再発。雨、ストレスに影響されやすい気がした。
・8月上旬
針治療を始める (週1)
・中旬
手の痛みはあと親指だけ
・9月中旬
足親指の痛み無くなる
・下旬
肘の違不ロ感がかなり減る
・10月中旬
気づくと、左胸の湿疹消える。
この頃、初めてCRPが1にあがってしまいました。後にも先にも数値に異常が出たのはこの一回だけです。
・下旬
にきびがかなりよくなる
・11月中旬
靴を履く、フライパン、鍋を持つことなどの気を遣っていた動作を無意識に出来るようになっていた。
・下旬
指はほとんど痛みなし。肘の違和感だけ残る
・12月下旬
右手甲にアトピー出る
・05年1月上旬
アトピーがひいたら、両手指、肘の痛み復活
・下旬
右手甲、右手薬指にアトピー。左胸のアトピーまた出る
<半年後から今日までの一年>
・05年夏
高熱を出した直後、両指、肘、肩がひどく痛み、寝られず、泣きながらお灸をし続ける。この時は本当につらかった!でも、だからこそ、お灸があって良かったと思いました。ひどい痛みでも、本当に痛みが遠のくんですよね。
・11月上旬
脇と足の付け根にひどい蕁麻疹が出る。(薬風呂で思いっきり掻きむしりました。痒い時にかける幸せを感じました。)
指と肘の痛みが激減する
・06年1月
高熱を出し、指に痛み、肘に違和感が出る(去年、夏の痛みとは問題にならないくらい楽ですが)
開始から半年のように激しい変化は無いものの、痛みとアトピーとの繰り返しで、一時は本当に治るのか。なんですぐに治らないのか。(すべて私の不真面目さが原因であることは、今はわかるんですが)私の病気は本当はもつと違った大変なものではないのか。もしかして、漢方薬に残留農薬があるのでは。(北京に住んでいたときに、いろいろな情報があったので)など、ひどく鬱状態になったりもしましたが、今思えば、間違いなく徐々に症状は楽に、よくなってきていました。とてもひどかった倦怠感はかなり解消され、普通の生活を普通に送れる有り難みを感じています。いろいろ気を遣いながらしていた動作も、最近では無意識にやっていたりする日々です。 ただ《今は先日出した高熱の時に出た指の痛みと、肘の違和感と向かい合っています。 これもすぐにひくと確信しています。 アトピーもしくは蕁麻疹が早く出ないか待ち遠しい位です。
私は、身近な協力には恵まれなかったものの、子供がいてくれたから、「死」を選ぶことが出来なかったし、ママ友達(特にKさん!)の協力があったから、時々やってくるひどい不調も乗り越えられました。インターネットというものが発達していた時代だったから、松本漢方クリニックに出会うことが出きました。そして病気を治したいと、それだけを心に、まつすぐに研究、診察をされている真の正義の味方!松本先生がいらしたからこそ、今の私がいるのだと思うと、本当に感謝の二文字では表現出来ないくらいです。 確かに今でも松本先生は恐いです。 (笑)でも、よく考えてみたら、他人を叱るってことは、それ自体ストレスになるし、体力もいる。それで患者さんが減ったら、収入も減る。マイナスなことばかりじゃないですか!それでも、とても聡明な松本先生が叱るというのは、「治したい!」という気持ちの強さの現れ以外に考えられません。
まだもう少しお世話になると思いますが、松本先生の愛(=叱り)を受けながら、私自身のベストを尽くして、完治と言っていただけるまで頑張っていきたいと思っております。
これから益々増えるであろうアレルギー疾患患者達の為にも、松本先生の素晴らしい理論を引き継げる後継者の育成を切に願います。 (そんな時間、人材は難しい!と言われそうだけれど)そして何より、様々なストレスの多い松本先生ご自身のご健康をお祈り申し上げます。
最後に、改めて、松本先生、松本漢方クリニックの皆様、実家の母、ママ友Kさん、我が子、その他ご心配をおかけした皆様に、感謝の言葉を述べたいと思います。「有難う!有難うございます!』そして、これからも宜しくお願いいたします。