「リウマチ手記」
43歳2007年6月27日
43歳2007年6月27日
<発病>
最初に異変を感じたのは、2004年9月頃、いつものようにテニスをしていて私だけ練習についていけなくて、暑さのせいかと思いながら休憩をとって頭を冷やしたりしていました。練習後にいつもランチをするのですが、店に入るとしばらくして体が冷えてくるのを感じました。汗をかいた後、エアコンにあたるからかと深くは考えませんでした。同じ頃、うちで掃除をしていても、疲れやすくなったのを感じていましたが、年のせいかと思い、普通に生活出来ていたので、気にしませんでした。
2005年2月に二男の中学受験がありました。一次試験で落ちてしまい、合格するまでの2日間、まったく眠れませんでした。すごく疲れていました。合格後、疲れた体でスキー旅行に行き、直後に腕が痛くなり、1ヵ月後に肩に激痛がきました。接骨院でマッサージをしてもらっていましたが、整形外科でみてもらったところ、四十肩と言われ、ストレッチに通いました。
4月には膝も痛くなり、整形外科で近くの総合病院を紹介され、レントゲン写真を撮りましたが異常なし。内科ではリウマチかもしれないが、専門ではないので判らないと言われ、大学の付属病院を紹介してもらいました。痛み止めと胃の薬をもらって飲んでいました。ソレトンとムコスタです。肩は相変わらず痛く、我慢できない時は注射をしてもらっていました。膝ははれていました。
友達に教えてもらったマッサージにも月2回通いました。マッサージしてもらった後は体の動きが良くなりました。7月に紹介された付属病院に行きました。血液検査でリウマチ陽性、CRPの数値も高かったのですが、痛みがそれほどでもなくリウマチの診断はすぐにはされませんでした。痛み止めの薬は飲まないと体がこわばって動きが悪くなるので、1日2回必ず飲みました。ロキソニンです。2ヶ月ごとに通院して、血液検査をしましたが、RFとプロティナーゼの数値はどんどん高くなっていきました。
体は微熱がありだるく、とにかく寝るかすわっているのが楽でした。まず、朝起きるのが大変です。膝が曲がらず、やっと足を床についたと思ったら、足の裏が痛くて歩くのがつらいのです。家事は何とかやりましたが、朝起きてすぐ弁当を作らなくてはいけないのに、包丁がにぎれず、野菜を落としたりもしました。腕の筋肉がなくなり、洗濯物が重く洗濯機から出すのさえも大変でした。ゴミ捨ては、家族に手伝ってもらっていました。正座もしゃがむこともできませんでした。夜もつらく、出かけられません。もう夜遊びはできないとあきらめました。毎日家事と仕事を何とかやって過ぎていけばいいと思い、何の楽しみもなく、世の中に何が起ころうと、テレビに誰が出ていようとどうでもいいと思いました。同時にどうしてこのようになってしまったか、リウマチなのか、リウマチでなければ何の病気なのか、知りたくて、痛くて眠れない夜など、パソコンに向かって情報収集をしていました。このままの状態が続くのは、私には耐えられないと思いました。絶望的でした。今までの時間に追われる生活を思い返し後悔ばかりしていました。自然に治ることもあるようなので、そうだといいなあと思っていました。付属病院に通院して半年、2006年2月には寒さのせいもあり、体のこわばりがひどく、足の指も曲がり始め、リウマチと診断され、薬を飲むことになりました。飲みたくはありませんでしたが、リウマチで変形してしまった手や足の写真を見ていたので、怖くて飲むことにしました。
アザルフィジンを飲み始めて10日が過ぎたら、急に熱が39度も出ました。5日続いたので病院に連絡したら、薬をやめるように言われました。1ヶ月後、リマチルが処方され、飲みましたが、やはり10日で熱が出て、飲むのをやめました。
相変わらず、パソコンには向かい、リウマチについて調べていたら、名前も場所もはっきりとは書かれていませんでしたが、リウマチが治ったという方の話がのっていました。検索してたどりついたのが、高槻の松本漢方クリニックでした。2006年6月の事です。たくさんの方の手記がのっていました。自分の年齢に近い人や症状の似た人の手記はほとんど読みました。
先生の話のところに、橋本病の人は自然後天的免疫寛容になりにくいとあり、私も橋本病で薬を25年飲んでいるので気になりましたが、夫に相談したら、直ぐに行ってみようということになりました。家族と一緒でなければだめかと、病院に確認の電話をしたところ、直接先生が出られてびっくりしました。一人で行くつもりだったので、いきなりしかられました。しかられながら、この声が私を助けてくれる人の声だと思ったら涙が出てきました。
<松本漢方クリニックでの治療>
2006年6月3日、夫と一緒に新幹線と電車を乗り継いで高槻まで行きました。これが手記にも出ていた階段かぁ~、やっぱり漢方のにおいがすごいなぁ~、先生はどんな人だろうといろいろ考えながら、診察を待っていました。
診察室に入ると、手記を読んで想像していたとおり、医者というより芸術家という感じ、いつどなられるかドキドキしながら話をしていましたが、電話をしたことも覚えていてくださり、遠くからよく来たとやさしく話をしてくださってうれしくなりました。最後は握手をし、治すと約束してくれました。
血液検査の後、予約してなかったのに、織田先生が鍼もしてくださいました。お灸の指導もありましたが、できるか心配でした。うちに帰ってさっそく漢方薬を煎じました。すごいにおいで私も家族もびっくり。でも病気を治す為ならと我慢しました。甘くて苦い飲み薬を毎日飲みました。プロテインも最初は、
1日10杯飲みました。お風呂は1時間毎日かかさず入り、鍼にも毎週通いました。生活のリズムをこうした治療中心に切り替え、先ずは結果にこだわらず6ヵ月続けてみようと思いました。お灸も痛い肩、膝、足の指を中心に出来る限り頑張りました。最初の血液検査の数値は最悪でした。数値のわりに痛みがあまりなく先生に不思議がられました。もちろん、歩くと足が痛く、膝を曲げれば膝が痛むし、肩は服の着脱の時に痛いのですが、じっとしている時は痛くなく、でもかなりだるくはありました。6月終わりに気分も良く久しぶりにショッピングに出かけたのですが、とにかく座りたくてどこでも椅子を探していました。いつもより長く歩いた為か、その晩、熱が出てしまいました。
遠方のため、月に1度通院し、薬は送ってもらいました。とにかく毎日漢方薬を飲み、お風呂に入り、お灸をしました。私はそれまで、痛み止めの薬しか飲んでなかったので、(注射は1本しました。)リバウンドがほとんどなくラッキーでした。少しづつ良くなっていくのがわかりました。歩くのが楽になり、出かけてもすぐに座りたいと思わなくなりました。いつもあった微熱がなくなり、だるくなく、体が軽くなりました。9月にはディズニーランドにも行けました。
数値がどんどん下がり、うれしくなりました。この頃からRF、プロティナーゼ値、血沈値等の変化をグラフにして壁に貼り、毎日の治療の励みにしました。
処方して頂いた漢方薬の効果はてきめんで、プロティナーゼ値は翌月には15%減、4ヵ月後には治療前の1/5の数値にまで回復しています。リウマチの発症と同時に肌のうるおいを失い、白髪も増えていったのですが、体調の回復とともに髪にも効果が現れ始めました。半身浴、苦い薬を続ける事は大変ですが、リウマチの治療のみならず美容、若返りの効果もあると思います。
12月にはひどい蕁麻疹になりました。夜中に息が苦しくなり、早朝に主人に連れられて救急病院にも行きました。 救急病院の医師には治療中である事を説明し点滴はせず、蕁麻疹用の薬を送ってもらって1週間程飲みました。その後、蕁麻疹の発症はありません。
それからも順調に数値が良くなりましたが、電話でよく聞かれるアトピーは、お灸のあとが少し赤く痒い程度です。病院に行くのは2ヶ月に1度になり、2007年2月には漢方風呂が1日おきになり、5月には週末だけになりました。完治までもう少しです。当り前になってきていますが、今、こうして普通に生活できるようになって本当に幸せです。1年前の自分とは全く違います。
これからもこの気持ちを忘れずに、体に気をつけながら、充実した生活をしていきたいと思います。松本先生もお身体に気をつけて、たくさんの患者さんのためにいい治療をお続けください。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。