「リウマチ手記」
37歳2005年2月14日
37歳2005年2月14日
私は、家の近くの病院のリハビリテーション科で、受付をしています。職場は、大きな救急病院で、整形外科はもちろん、リウマチ科の看板も出ていますが、職場で一度も診察を受けずに、松本漢方クリニックのお世話になりました。おかげで、こんなに早くよくなりました。治療中の方、これから受ける方、どうしようか迷っている方の参考になればと思います。
【松本漢方クリニックにかかる以前の病歴・薬歴】
入院するような病歴はありませんが、アレルギーや、リウマチの初期症状と思われるもの、薬の影響がありそうなものを挙げます。
・小学校低学年~中学 アトピー性皮膚炎
膝と肘の内側に症状が出る程度で、当時は、大人になれば自然に治ると言われて、病院には行かず、母が買ってくるステロイドを、怖さも知らずに使っていた。中学2年頃には、自然に症状が出なくなった。
・小学2年 耳鼻科を受診
アデノイドを取った以外は、何で通ったのか、不明(耳に水がたまったり、もともと耳も鼻も弱い)。太ももに注射を打たれたが、ずっと注射を続けると聞いて、母が不審に思い、2回で通院をやめた。
・15歳~ アレルギー性鼻炎
常に鼻が詰まっているのは、病気では、と思い、耳鼻科を受診。「治療法がないので、鼻を洗いに通院しなさい。」と言われるが、「洗うだけなら、必要ない。」と思い、そのままにする。
・16歳~ 踵骨骨端炎
右足の踵と、靴がすれる部分が痛くなり、整形外科を受診。そのうち左足も同じ痛みが出る。消炎鎮痛剤などを飲んだが、根本的治療は、骨を削るしかないと言われ、寒い時期しか痛みがないので、そのまま放っておいた。10年くらいで気にならなくなった。
・22歳~ 顎関節症
最初は、歯科でたずねても、「治療法がない。」と言われ、そのまま。痛みや、あごの使いにくさが気になっていたので、30歳頃にカイロプラクティックへ。その時に、薬の怖さや自然治癒力についていろいろ教えてもらい、むやみに薬を飲む生活を改める。
・22歳~ 生理痛
もともとそんなに重い方ではなかったが、働くようになって、さすがに辛くなり、特にひどい日に、2日間ほどセデス(市販の鎮痛剤)を飲んでいた。他にもいろいろ体の不調が出てきたので、25歳頃に、本で見た漢方薬局へ行く。錠剤の漢方を飲み、体を冷やさないようにとのアドバイスを、きちんと守ったら、症状は軽くなり、鎮痛剤も不要になった。
・28歳 アトピー性皮膚炎再発
人間関係のストレスから、アトピーが出る。初めは、お腹~背中、その後、顔に出て、唇が腫れ、肌がかさかさになり、メイクできなくなった。数ヶ月してもよくならないので、しびれを切らして、子どもの時と同じ、フルコートというステロイド外用薬を買ってきて、顔以外に塗った(当時は、連用しなければよい、という意見が、一般的だった)。ストレスを感じていた相手が、退職すると聞いたら、2日ですべて症状が治り、心と体は繋がっていると痛感した。
・30歳~ アレルギー性結膜炎
毎年夏になると、目がかゆくなるので、眼科で目薬(ステロイドと抗生物質)をもらっていた。コンタクトなので、検査のため、定期的に通院、当時は気軽に目薬を差していた。疲れ目用や、パソコンを長時間見た後の、ピント調節が上手く行かない時用なども。
・30歳 右足に不調
足腰が強くなるから、と、冗談で5分ほど砂浜を走ったら、翌日、右足の裏がパンパンに張れて、歩けなくなっていた。近くの鍼灸院に駆け込み、お灸をしたら、2日で腫れが引いた。それ以来、右足は常に違和感がある。20代後半から、靴が合わなくなり、パンプスは履かずに、足に優しいデザインのものばかり履くようになっていた。
・35歳~翌春 パニック障害
結婚準備と、仕事の疲れで、突然、電車の中で息ができなくなり、目の前が真っ暗に。数回くり返したので、心配になり、心療内科へ。症状を話すと、医師は、血圧を測っただけで、安定剤を数種類処方してくれた。発作が怖かったので、この時は、3ヶ月ほど薬を飲んだ。結局は、怖くて電車に乗れないので、仕事を辞め、電車以外日常生活に支障はないので、薬も飲まなくなった。
他にも、よく風邪を引き、風邪を引いたら、即病院へ行って薬をもらい、きちんと全部飲むような「優等生」でした。病院に行けない時は、市販薬を飲んでいました。何でも飲んではいけない、と知ったのは、カイロの先生に教えてもらってからです。それからは、風邪を引いても、薬は飲まず、じっと寝て、回復を待つようになりました。
【松本漢方クリニックにかかる前の症状/2004年】
4月末に、突然39度以上の熱が出る。風邪かなと思ったが、とりあえず仕事を休んで寝ていた。職場に診察してもらいに行くのはいやだったし、他に病院も知らなかった。2日で熱は下がる。熱以外に目立った症状が出なかったので、不思議に思っていた。
もともと「風邪を引くと、関節が痛くなる」というのが、どういうことかわからない、関節に症状が出ないタイプだったのだが、この前後から、熱っぽく、体の節々が痛み、のどが腫れたような感じがすることが多くなった。また、腕や手にしびれを感じることがよくあった。
疲れやすくなってきたので、これは運動不足かと思い、ゴールデンウィーク明けからボクササイズに通うことにした。実は、これがリウマチを進めたのでは、と思う。もともと運動経験がないのに、激しい運動、自覚はなくても、すでに症状は出ていたので、ついて行けないのは当然なのに、熱心なインストラクターにいつも厳しいことを言われ、負けず嫌いのため、それでも通って、相当心身にストレスをかけてしまった。ボクササイズの後は、ベッドに倒れ込んで、なかなか起きあがれないくらい疲れた。今思えば、あの疲労感は異常だったのだが、ボクササイズのせいだと思って、疑わなかったので、気づくのが遅れたかもしれない。
さらに、両膝に痛みが出るようになった。スムーズに足が出ない。階段の上り下りが辛く、これじゃ、お年寄り並みだと、情けなく思いながら、仕事(週6日、半日のパート)はどうにかこなしていた。
膝の痛みは、ボクササイズを休むと治まるので、様子を見ながら通った。回数を減らしたら、それほど痛みが出なくなった。
夏が近づくにつれて、体のだるさ、疲労感が日に日に強くなった。夕方になっても、夕食を作る気になれず、とりあえずテレビの前に座ると、そのまま動けなくなり、気づくと、夫が帰ってきていたことも。家事が滞るようになると、口論が増え、私は私で、夫の存在そのものをうっとうしく感じるようになり始めた。これはリウマチの症状だったのだが、私が知らないのに、夫にわかるはずがない。さぼっていると思っていたようだ。とにかく、動く元気が出なかった。
この頃気になったのは、寝ている時のこむら返り。睡眠中にのびをすると、ほとんど毎回足がつって、目が覚めた。リウマチは、あちこちがこわばり、筋肉も固くなるので、そのせいだったのではと思う(今ではなくなった)。
また同じ時期に、目に膜のようなものが張って、見えにくくなった。結膜炎だと思ったが、眼科も、引っ越し後かかりつけを決めていなかったので、よく目を洗うだけで、診てもらわなかった。
その他に気になったのは、仕事や、うちで使うパソコンのキーボードが、叩きにくくなったこと。特に薬指と小指が思うように使えない。今までスピードには自信があったのに、衰えてきたかなと感じていた。
さすがに何か調子悪いな、と思い始めて、いろいろ調べたが、何が悪いのかさっぱりわからなかった。一番辛かったのは、今まで、寝たら、それなりにスッキリしていたのに、寝ても起きても、しんどさは変わらなくなったこと。寝つきも悪く、眠りも浅かったので、よけいしんどかったのかもしれない。
今まで寝起きはよかったのに、朝、無理やり起きても、辛くて、またソファに倒れ込んで寝てしまうようになった。朝、雨戸を開けて、太陽の光を浴びると、眠気が覚めると聞いて、やってみたが、私は、めまいを起こして倒れるだけだった。
【もしかしてリウマチ?】
2004年9月8日
朝食を作ろうと、台所に立ち、右手の異変に気づく。中指の第2関節を、ひねるような動作をすると、ビリッと痛みが走る。ペットボトルを開ける、歯磨き粉のチューブを押す、台ふきを絞る、重い片手鍋の柄を持つ、すべて痛くて、ふだんのように動かせない。
今までにない感覚だったので、不安になり、職場で、理学療法士の方に聞いてみた。「リウマチの可能性があるので、様子を見て、痛みが引かないようなら、診察してもらった方がいい。」と言われる。ただ、「リウマチとハッキリ診断されるには、時間がかかる。」とも言われた。少し前に、テレビで見た時には、「左右対称に痛みが出るのが特徴」と言っていたので、聞くと、「初めは、左右対称に出ないこともある。」ということだった。
「リウマチと診断されるのに時間がかかる」という言葉が引っかかり、インターネットで調べてみた。
【リウマチについて、知っていたこと】
母方の叔母の嫁ぎ先に、リウマチの人がいた。叔母の義妹(小姑に当たる人)だ。20代で症状が出て、あっという間に寝たきりになり、50代後半で、ガンで亡くなった(松本先生は、「リウマチの患者がガンになることは、ほとんどない」と書かれていますが、その人は、長年一般的なリウマチの治療をしていたので、免疫機能が正しく働かなかったのだと思います)。叔母がずっと世話をしていたそうだ。
私が怖いと思ったのは、その人が、末期になるまで、全くガンと気づかなかったこと。「お腹が張る」というので、病院に連れて行ったら、すでに腹水がたまる末期症状で、叔母は医師に叱られたそうだ。かなり痛いと言われる末期ガンの痛みを、本人はリウマチの痛みだと思って、気づかなかったそうだ。リウマチって、そんなに痛いんだと、恐ろしくなった。
叔母の話を聞いていた母も、常に、リウマチは怖いと言っていた。その人はとても器用で、私が赤ん坊の頃は、たくさん人形などを作ってもらったのに、リウマチで全く手が使えなくなって、かわいそうだったそうだ。
私が小学生の頃に、母も手に痛みが出て、リウマチではないかと心配したことがある。結局違ったのだが、もしリウマチだったら、離婚しなければと思ったそうだ。主婦は、家族の世話をするのが仕事なのに、寝たきりになって、世話をされる立場になったら、価値がない、と思ったらしい。小学生なりに、リウマチのという病気の重みは、充分感じる出来事だった。
職場には、リウマチ患者さんもたくさんやってくる。手が変形した人や、全く使えない人、肘が曲がらなくて、自動血圧計を使えない人、ステロイドの影響か、目が悪い人、若いのに、人工関節の手術をした人。原因は解明されていないというので、感染の可能性は、ゼロではないだろうと、馬鹿な私は、リウマチ患者さんと接した後は、アルコールで手を消毒していた。そのくらいリウマチは怖くて、なりたくない病気だったのに。
【インターネットで調べる】
自分がリウマチかどうかもわからないので、とりあえず、基本的な情報を調べる。製薬会社、リウマチ科のある病院、リウマチ学会。どれもこれも、目の前が暗くなるようなことしか書いていない。
理学療法士が言っていた「条件をいくつか満たさないと、リウマチの治療は受けられない」という意味は、すぐにわかった。アメリカリウマチ協会の「7項目のうち、4項目以上を満たすこと」というのが、診断に使われているようだった。ところが、相当症状が進んでいないと、こんな条件にはならないのでは、という内容だった。診断されるまでに、2-3年かかることもあります、というのは、そういうことか、と思った。
私のように、指の関節が痛んだだけ、それも半日で治まるような症状が、リウマチかどうかわかる方法は、いくら探しても書いていない。私は、今自分がリウマチなのかどうか知りたいのに。
【松本漢方クリニックのサイト】
初期症状について調べているうちに、ある患者さんの手記にヒットした。それが松本漢方クリニックとの出会いだった。今まで暗いことを書いたサイトしかなかったのに、ここには、治る、と書いてある。興味がわいて、手記を片っ端から読んだ。松本先生の理論も読んでみた。すると、その理論には、私を納得させることが、ふたつも書いてあったのだ。
「リウマチは、アレルギーである」とあった。今まで私は、何らかの理由で、免疫が暴走するとか、自己を攻撃する、という説明しか見たことがなかったし、原因不明だと思っていた。原因が不明の病気なら「何で、私が」と思うが、アレルギーなら、喘息以外ほとんど持っている。アレルギーなら、私がリウマチになる可能性は、充分ある。
「ステロイドが、リウマチを起こすこともある」とも理論には書かれていた。職場で少し前に疑問に思っていたことが、その言葉で、一気に納得できたのだ。リハビリに来る患者さんは、ほとんど松葉杖を借りる。骨折などだと、治れば必要なくなるからだ。ごくたまに、自分用の松葉杖を持っている方がある。私が疑問に思ったのは、ある中年男性で、もうずっとリハビリに通っているのに、ちっとも症状は改善されていないようだ。最近は車いすで来られることも多いので、「もともとは、何の病気だろう?」と思っていたところ、公的機関に出す障害評価の書類作成のために回ってきたカルテで、それがわかった。その患者さんの病気は、ネフローゼだった。腎臓の病気だ。それで、すべてが納得できた。ネフローゼの治療に、ステロイドを使うことは、なぜか知っていた。障害評価の書類には、整形外科の先生が「予後不良。四肢人工関節にする必要あり」とコメントを書いていた。
松本先生の理論を読み、「この人は、ステロイドで、関節が悪くなっていたんだ!」と思った。あとで考えれば、ステロイドが骨粗鬆症を起こすことは有名で、感動するようなことでもなかったのかもしれないが、その時の私には、「この先生は本物だ。この先生に診てもらいたい。」と思った。「ものすごく遠かったら、どうしよう。」と思ったが、病院のある高槻は、うちから電車で30分ほどだ。充分通える。
「自分がリウマチかどうか、この先生なら、きっとすぐわかるだろう。」と思った。それに、サイトを見て気に入ったのは、松本先生が「様子を見ましょう。」という言葉を使わないと書かれていたこと。職場で整形の先生に診てもらったら、きっと「様子を見よう」と言われて、たくさんの薬が出るに決まっている。リウマチと診断できる頃には、ものすごく進んでいるだろう。他のどこにも治るとは書いていないリウマチを、治せる、という言葉を、すぐに100%は信じられなかったが、もし治らなかったとしても、他の病院でリウマチと診断されるには時間的余裕がある。松本漢方クリニックで治療を2年か3年続けてもダメだったら、その時リウマチ科に行けばいいと思った。今は、松本先生の言葉を信じて、他の薬を一切飲まずに行くことにした。
【初診】
2004年9月10日
午後の診察30分前に行くと、待合室もそれほど混んでいなかった。問診票を渡されて、記入する。
まず看護師さんに呼ばれ、体の免疫機能の仕組みや、汚染物質などについて話を聞き、症状について、いくつか質問に答えた。さらに松本先生の理論をどれだけ理解しているかも聞かれた。わかっているつもりでも、実は理解できていません。その後、診察室へ。
松本先生は、失礼ながら、およそ「お医者さん」のイメージとはかけ離れていた。他の病院で、検査も治療も全く受けず、いきなり松本漢方クリニックに来たので、「俺の出る幕ないやんか。よそでステロイドの注射してから来てくれな。」と冗談を言われた。「何で、ここに来た。俺は、詐欺師かもしれへんで。大ウソついてるかもしれへん。」と言われたが、「ステロイドが嫌だったので」と答えた。
自分では軽い方だと思っていたのに、今春からの状態を話すと、「バリバリのリウマチや。」と言われたので、ややショックも受けたが、ハッキリ言ってもらえた方がスッキリする。リウマチかどうかわからない状態を、何年も続ける方が嫌だったので、気持ちを切り替えて、治療を受けようと思った。
もともとアトピーがあるので、「アトピーで、皮膚から出してしまえば、すぐ治る。」と言われて、うれしかった。「全部治したるからな。」と何度も言ってくださり、握手してもらった。心強かった。
診察の間にも、ひっきりなしに患者さんから電話がかかり、カルテの住所も、ちらっと見せていただいたが、愛知、岐阜、茨城、富山と、本当に全国各地から来られているのだと思った。私は楽に通えるところに住んでいるので、本当にラッキーだと思う。
漢方の煎じ薬と、顆粒の薬、アミノ酸と、入浴剤の処方を頂き、プロテインも摂るように指導された。血液検査の結果は1週間後。
【織田先生】
診察の後、織田先生に、鍼をして頂いた。初回なので、空いている時間にして頂いたが、本当は予約制なので、初回でも、前もって電話しておくといいそうだ。「手記を隅々まで読めば、書いてある。」と織田先生に言われたが、かなり読み込んだつもりの私でも、そこまで読めていなかった。
勝手に男性だと思いこんでいたが、女の先生だった。鍼は、全身診てもらうので、女性の方が安心。鍼は以前してもらっていたので、抵抗はなかったが、お灸を自分でするというのが心配だった。やり方を教えてもらい、もぐさも買いに行くまでの分として、少し分けて頂いた。
織田先生は、優しく面白い方だが、言うべきことはハッキリおっしゃるという印象。お灸をしていないと怒られます。お灸は、跡がしっかり残るので、していなければ、すべてバレます。私は、痛みよりも、だるさの方が強かったので、痛みがある時はそこそこしていたが、だるい時期にはせずに寝ていたので、本当によく怒られた。それでもしないので、最後には、「もう言いませんよ。」と見放された。すみません。
お灸をすればするほど、早く治るそうだ。1ヶ月で治ったというある患者さんは、症状が軽かったのもあるが、お灸を毎日8時間していたそうだ。
だが、症状が辛い時でも、いい方に考えるポジティブシンキングは、織田先生との話の中で教えて頂いたと思っているし、しんどい時は「しんどいんです~。」と愚痴を言うだけで、スッキリした。織田先生と話をしていると、本当によく笑い、辛い時でも気持ちが楽になった。特に、はじめの頃言われた「何でも、完璧にしようとしたら、あかんよ。」という言葉は、心に響き、それからは、「できる範囲のことをしよう、無理したら続かない。」と思うようになった。
織田先生は、毎日たくさんの患者さんの辛い気持ちを聞いて下さっているので、大変な仕事だと思う。私は、織田先生との話が楽しみで、欠かさず通院できたし、面倒だと思う時期も乗り越えられたと感じています。
通う回数は、特に指定されなかったので、病院に来る時には、必ず鍼も受けるようにした。はじめは、月に3-4回、薬を2週間分ずつ頂けるようになってからは、鍼も隔週ペースで通った。
【漢方薬/煎じ薬】
煎じ方は、藤田薬局で教えてもらった。漢方薬用の「薬草パック」というものも売っているが、普通にスーパーで売っている、だしパックの大きいものをふたつ使っていた。
鍋は、鉄以外何でもいいということだったので、アルミのやかんを専用にした。処方に書かれている時間煎じて、決められた量まで減らすのが、はじめはむずかしく、多すぎたりほとんどなくなったりしたが、1ヶ月くらい経つと、火加減がわかるようになり、慣れてからは、あまり煎じることに負担感がなくなった。
味は、たくさんの方が手記に書かれているように、苦いのに甘い、という感じで、とても飲みにくかったが、少しずつ慣れた。3番煎じまで飲むが、私は、1番煎じだけを処方通り分けて飲み、2、3番煎じは、一緒にビンに入れて、別に飲んでいた。全部飲みきれない時期があり、薬局で相談したら、「まず1番煎じをきちんと飲んで、2、3番は、余力があったらでいいですよ。」と言って頂いた。それで、全部混ぜたら、飲みきれない時に困るので、分けていた。
煎じ薬で、便秘しなくなったという方が多いが、もともとお腹の弱い私には、きついものだった。最初はひどい下痢で、何度もトイレに駆け込んだ。慣れるだろうと思ったが、下痢ではない時も、常にゆるい感じだし、周期的に下痢気味の時期があった。これは何ヶ月飲んでも変わらない。
【漢方薬/入浴剤】
これも、慣れるまで、温度調節に苦労した。漢方薬を入れる袋は、母に頼んで、さらしを縫ってもらった。ガーゼで作ると、生地の中に薬の粉が入って、すぐダメになる、と話している患者さんがあったが、さらしは、5ヶ月使っても丈夫で、使いやすいのでお勧めです。紐は、無印良品でカーテンを買った時についていた、たぶん綿100%のリボンを使った。
うちのお風呂は、お湯が60度までしか出ないのだが、調節に失敗すると、熱すぎたり、ぬるすぎたりで、毎日心理的に負担が大きかった。実家に療養に帰った時は、母が大きな鍋で煮出してくれたので、その方が濃く出て、お風呂の温度も調節しやすかったので、同じ方法に変えた。その後は、温度調節にイライラすることがなくなり、楽になった。
色は、本当によくつく。うちは賃貸で、浴槽が真っ白なので、神経を使うが、それでもうっすら茶色くなっている。入浴剤を入れなくなったら、また元に戻るだろうと、今は腹をくくっている。洗面器や、イスなども、洗っても、少しずつ色がついてきたので、治療を卒業したら、全部買い換えようと楽しみにしている。
必死になりすぎると続かないので、理想は1時間お湯につかっていることだが、入浴時間が1時間の日もあるし、しんどい時は休んだこともあった(先生すみません)。ゆっくり入ると、体がよく温まり、楽になった。肌もつるつるになった。
【お灸】
織田先生に教わった通り、もぐさ、線香とライターを購入。撚ったもぐさは、つばか水でつけるとのことだったが、水分はすぐに蒸発するので、一度にたくさんのもぐさをつけられない。赤い軟膏を薄くのばして、ごま粒くらいのもぐさをたくさんつけ、順番に火をつけて行く方法にしたら、上手くできるようになった。
しかし、熱いし、痛い。痛みがある時は、気持ちよく感じるが、そうでない時には、なかなかできなかった。入浴前にすると、何時間前でも、お湯がしみたり、嫌な感じだったので、寝る前にしていた。しんどくても、線香1本分とか、1時間と決めて、するようにした。
職場で、制服が決まっているので、腕や脚の跡は隠せないし、受付なので、手には跡をつけたくなかった。患者さんにも、スタッフにも、リウマチのことは知られたくなかった。なぜなら、リウマチ科があるのに、わざわざ他の病院に行くなんて、裏切り行為だと思われるからだ。制服のスカートで隠れる膝や、靴下で隠れる足首から先しかしない私に、織田先生が、「焼き切る前に取れば、跡はすぐに消えるし、それでもしないよりはいい。」と教えてくださったので、使いにくさが日々気になる手には、よくするようになった。
ある日夜遅かったので、片手だけで切り上げ、すすを落とそうと、手を洗ったら、お灸をした手と、していない手の厚みや感触が全然違ったので、びっくりした。お灸で、むくみが解消していたのだ。効果を実感できたので、その後はできるだけするようにした。
【家族の反応】
夫は、漢方の匂いが嫌だったらしく、最初は、煎じ薬にも、お風呂にも、抵抗された。そもそも、リウマチの大変さを、彼は全く知らなかった。お灸は、体の裏側は自分でできないので、家族にしてもらうのが原則だが、ダメもとで頼んでみると、「そんな怖いことようせん。」と断られ、できるところを自分ですることにした。症状が軽くてよかった。それでも、何度も説明をしたら、少しずつリウマチの恐ろしさを理解できるようになり、漢方の匂いにも慣れ、お風呂も別に沸かすのは無理なので、あきらめて入るようになった。
私が、だるいとか、しんどいとか言って、寝込む回数が少しずつ減り、元気な時間が増えてくると、やっと治療の効果が実感できて、ありがたみがわかってきたようだ。
松本漢方クリニックで治療を受けるには、自費のものもあるので、びっくりするくらい費用がかかる。とても毎月の家計からは出せないので、実家で両親に説明して、援助を頼んだ。松本漢方クリニックのホームページも見てもらい、理論も、私がわかる範囲で説明した。両親がお金を出してくれたので、理解してくれたのかと思ったが、父は怪しいと思ったが、母に押されたかららしく、母は母で、「それであなたの気が済むのなら。」と思ったのだそうだ。治療方針に納得したわけではなかった。
同じアレルギー持ちの兄にも、松本漢方クリニックのホームページを見てもらったら、こちらは、あからさまに反対された。「新興宗教のようだ、怪しい。」と言われた。「じゃあ、アンタが喘息で死にかけても、知らんよ。」と、私は兄と一切の連絡を絶って、絶対に治ることに決めた。「ほら、治ったで」と言いたいからだ。
応援してくれるのは、母だけ(それも、治療方針を理解したわけではない)だったが、さすがに、母はリウマチの怖さを知っているので、精神的にも、金銭面・物質面でも、いろいろ助けてもらえて、感謝した。患者さんの中には、家族全員に反対された人もいたので、私は恵まれていると思った。
【易疲労感】
痛みとだるさと、両方あるのがリウマチの特徴で、その感じ方は、症状や個人差があると思うが、私の場合、痛みは比較的軽かったので、出ても、3日程度で引き、場所も、一度に2カ所までしか出なかったので、それほど辛く感じなかった。それよりも辛かったのが、だるさややる気のなさ。時間帯で言うと、夕方から夜にかけて、全く何もする気がなくなるのだ。これは、治療を始めてからもあまり変わらなかった。
症状は、すべての面で、突然劇的に改善するわけではなく、そういえばよくなってるなあと気づくような感じだし、周期的に症状が変わる。よくなったと思っても、まただるい時期も来る。何ヶ月かしてから、そういえばだるさの出る周期が短くなったなとか、だるくても少し動けるようになったなと気づく。いろんな方が、手記で「薄紙をはぐように」と書かれているが、本当にそんな感じだ。
10月くらいだったと思うが、織田先生に「夕方だるいんです。」と話すと、先生が「それは、易疲労感というもので、夕方から夜に出るのが一番多い。」と教えてくださった。
その頃、テレビで、同じ膠原病の「全身性エリテマトーデス」の症状を紹介しているのを見たのだが、初期症状は、まるで右手の関節が痛むまでの私と、全く経過が同じだった。だるくて、しんどくて、やる気が出ず、家事ができない。夫は病気と知らず、怠けていると思い、ケンカになる。このだるさは、患者自身しかわからないと思う。見た目は何ともないのだ。
織田先生に、「言わなきゃ、他の人は、絶対わからへんよ」とも言って頂いたので、夫に、しんどさについてよく話すようにした。鍼の後は、とくにだるさが出るので(これは、血流がよくなったため)、松本漢方クリニックに行く日の夕食は、外で食べてきてもらうようにした。ふだんも、夕食作りが一番しんどかったので、少々品数が少なくても、丼ばかり続いても、「気にしない!」と割り切ることにした。
【経過・2004年9月】
2週間ほどで、まず目のかすみ、不快感がなくなった。食後貧血のようになり、横にならないと辛かったので、それを松本先生に言うと、食後に飲む漢方の粉薬が増えた(これは、1ヶ月くらい飲んでいた)。
「リバウンドが出るだろう」と覚悟していたが、痛みが出ても、たいてい3日以内には楽になった。他の方の手記では、2-3週間のサイクルが多かったので、先生に聞いてみると、「それだけ軽いということや。」と言われた。夜も、痛くて寝られないということはなかった。ただ、だるさと痛さが交互に来るのだが、私の場合は、切り替わる時期の数日、だるさも痛さも両方感じる時があり、それがしんどかった。
<血沈17>
【経過・2004年10月】
今思うと、この頃が一番症状が出ていた。仕事は、午前中4時間だけなのだが、8時半から仕事を始め、今までは、11時半くらいに疲労感が出ていたのが、だんだん早くなり、一番辛い時期は、しんどいなーと思って時計を見ると、まだ9時半、ということもあった。
夫は非協力的だし、織田先生に、「あなたは実家が近いし、お母さんが理解してくれてるんなら、できるだけ実家に帰ったら」と勧められたこともあり、3連休などの時は帰ることにした。実家なら、煎じ薬も、お風呂も、寝ていればできているので、極楽だった。いつもは夜中1時過ぎから、「お灸を取るか、睡眠を取るか」と、二者択一問題のようになっていたお灸も、9時にはお風呂から上がれたので、ゆっくりできた。日帰りできる距離ではないので、月に1回くらいしか帰れなかったが、本当に心身両面で楽になり、ありがたかった。
月末に、一度、痛くもだるくもない時があり、踊りたくなるくらいうれしかったが、3日ほどで症状が戻り、ガッカリした。リウマチは、周期的に症状が良くなったり悪くなったりするので、一喜一憂するとしんどくなるが、たまに、ごほうびのような楽な時期が来ると思えば、漢方もお風呂も続けられた。
<血沈25/抗核抗体40倍以上>
【2004年11月】
はじめの頃、「朝のこわばり」がどういうものかわからなかったが、起きた時に、手をグーパーグーパーと動かすことが、習慣に。動かすと、すぐよくなった。右膝と、右の足の裏の痛みが、気になっていたが、次第に、手や肘に痛みが移ってきた。手の薬指と、小指の使いにくさは、なくなった。
だるさに波はあるものの、あまり楽な時期はなく、3連休の時は、這うようにして実家に帰り、ずっと寝ていた。
それでも、織田先生のおかげで、しんどい時も、これは楽になる前触れだ、というようにポジティブに考えられるようになり、症状が出ても、暗くなることがなくなった。。
<血沈20/抗核抗体40倍以上>
【2004年12月】
織田先生に、「リウマチは、寒さが一番あかんよ。」と言われていたが、暖冬のせいか、ほとんど影響はなかった。少しずつ元気の出る日が増えてきたように感じた。洗濯物を干す元気があったとか、ちょっとその辺を片付けようと思えたとか、その程度のことだがうれしかった。そういえば、寝つきが悪い、よく目が覚める、寝起きが悪いということも、減っていた。
診察の時、「鼻炎は、気にならへんか」と聞かれ、鼻水は少し出るが、あまり気にしていなかったので、そう答えると、ずっと飲んでいた漢方の粉薬がなくなった。
血液検査の結果、血沈が基準値以内まで下がったので、うれしかった。
脚を中心に、かゆみも少しずつ出てきていたが、かゆいと、即痛みが楽になるという感じはなかった。だるさと痛みの関係のように、切り替わる途中は、両方ある時期が数日あった。
ある日、鍼の予約が遅い時間しか取れず、織田先生が、暗い中帰るのを気にされたので、「駅から自転車だし、全速力で帰るから大丈夫です。」と言うと、「自転車に乗って、足は痛くないの?そんなに力いっぱいこげるの?」と、心底驚かれた。自転車に乗れない時期はなかったが、こぐのが精一杯、スピードなんて出ません、という時が、暑い頃にはあったので、ああよくなったんだなあと思った。
時々、すねにかゆみが出るようになった。アトピーかな?という程度だったが、うれしいので、しっかりかいていた。
<血沈10/抗核抗体40倍以上>
【2005年1月】
今回で、キッパリ治すぞ、と思って、年末早めに実家に帰ったが、大晦日からの寒波。同じ関西でも、最も寒いところにある築20年の木造では、まともに冷え込んだ。今までと同じように楽をさせてもらい、暖房や着るものもできるだけ冷えないように気をつけたのに、戻ってきたら、前よりも症状が悪くなっていた。先月は、比較的楽な時期が長くなっていたので、久しぶりのだるさや痛みはこたえた。
自宅に戻り、寒さも和らいでから、ようやく痛みは治まり、だるさもあまり感じなくなった。冷えた時に、肩関節が痛んだので、ひやっとしたが、すぐに止まった。
今まで毎日だった入浴剤が、1日おきでよくなった。1月後半からは、ほとんど症状のことを忘れる時も多くなった。夫には、よく笑うようになった、と言われた。脚だけでなく、背中や肩にも、かゆみやかさつきが出るようになった。
<血沈10/抗核抗体40倍以上>
【2005年2月】
1日から、ウエスト周りにアトピーが出て、一気に顔以外のほぼ体全体に広がった。今までとは比べものにならないくらい広くて、かゆみが強い。好きなだけかいていたら、1週間ほどでおさまった。
アトピーも出たし、症状も楽になっていたので、もう下がっているだろうと思った抗核抗体が下がらず、ショック。電話で結果を聞いて、ガッカリしたとたん、痛みもだるさもぶり返したので、やはり精神的なことも大きく影響するんだなあと思った。
早く数値がすべて正常になるよう、気を引き締めてがんばろうと思う。
<血沈11/抗核抗体40倍以上>
【これから治療を受ける方に】
松本先生は、毎回必ず、「絶対治したるからな」と言って、握手をしてくださいますが、治すのは、自分です。漢方を飲み、お風呂に入り、お灸をするのは、自分です。先生は、優秀な監督やコーチのようなもので、実際に行動するのは自分なのだ、ということを忘れないでください。
先生のリウマチとアトピーの理論は、はじめむずかしくて理解できませんが、くり返して読むうちに、治療を受けているうちに、わかってきます。できるだけ印刷して、よく読むことをお勧めします。
リウマチは、頑張り屋さんがなる病気、と、リウマチの舅を持った友人に言われたことがあります。確かに、私はいつも「ねばならぬ」と思って無理をするタイプでしたが、リウマチになるとできないこともあるし、ハードルを下げなければ辛いので、自然に下げることができました。自分に厳しくできなくなると、人にもあまりいろいろ要求しなくなります。一時険悪だった夫とも、上手くやって行けるようになってきました。
松本先生の治療は、一気に、劇的に治るものではありません。早く治りたくて、焦る気持ちはよくわかりますが、気がつけば、少しずつよくなって行きます。必ずよくなるので、信じて続けてください。
診察の時に、松本先生が、「人生、取り戻したるからな。」と言ってくださった時は、うれしくて涙が出ました。今は、取り戻しつつあります。あと少しで、完全に取り戻せそうです。先生に取り戻して頂いた人生を、無駄にするまいと、心に決めています。
松本先生、織田先生や看護婦さん、スタッフのみなさん、本当にありがとうございます。完治まで、今後ともよろしくお願いします。