「われを知れ、神様からの手紙かな」
43歳2016年6月28日
43歳2016年6月28日
○松本漢方クリニックとの出会い
今から1年半前の2014年12月、パソコンの検索画面で「ステロイド やめる」と入力したら出てきたのが松本漢方クリニックです。何故か、今はそのキーワードを入れても出てきません。その時の私は10年以上前からの関節痛と神経痛による全身の痛みに加え、2、3年前からのわけのわからない頭の張りなどに悩まされていて、ステロイドも他の薬も絶対に良くないはずだと思いながらも、大量に服用していました。でも、この状態から抜け出したくて、毎日、毎日何か良い情報はないかと探していました。
病院で薬をやめたいというと、やめたら酷いことになる、治らないと言われ、恐怖心と自分の弱さからやめたいのにやめられない状態が続いていました。そして、ネットで情報を収集しても怖いことばかり見つかりました。こんな嫌なことばかりでいやだーって、もやもやする日々を過ごしていました。そんな時、ふと「そうだ、いやなことを探すんじゃなくて、やりたいことを探してみればいいんだと!」と思い、自分の気持ちに正直に「ステロイド やめる」と検索したのです。そこに現れたのが松本漢方クリニックのホームページでした。
今思うと奇跡的だけど、私の心からの想いが辿り着かせてくれた必然の出会いだったと思います。ホームページを読んでいくうちに私の心の靄はどんどん晴れて行きました。そして、わかったんです。免疫は絶対に下げてはいけない。
原因は化学物質とヘルペスだったと。読むうちに、「あー、この考え方すごくわかる!これこそ私が待っていた答えだ。やっと真実を伝えてくれる先生に出会った。」と、心の奥からじわーっと腑に落ちました。免疫力を信じよう。自分を信じていいんだーって。そして、絶対に治ると感じました
今まで頭では、理解していても恐怖や不安の方が大きくなって決断出来なかったのです。ようやく、心の底から真実を感じることができました。そこからは実行です。免疫を落とす薬を全てやめようと!その日のうちに免疫抑制剤の注射をやめて、8種類20粒ほど飲んでいた薬を徐々にやめました。私の中の違和感がはっきりしたのです。今まで、他の病院で出される免疫抑制剤という言葉にとても違和感を抱いていました。なぜなら、免疫を上げると病は治るのに、なぜ私はそれをしていないのか。自然療法だと免疫を上げるように持って行くのに、どうして今の西洋医学は逆の方向に持っていくのだろう?治療を受けながらも、矛盾していて頭の中が混乱していました。当時、その答えをお医者さんに聞いても納得する答えは返ってきませんでした。でも、やはり私の直感は当たっていました。免疫は抑制してはいけないのです。これは人類が与えられた生存のための大切な機能だからです。そして、免疫を抑制する薬を勧めているお医者さんが、ほとんどだというこの世の中も、不思議でたまりません。声を大にして言えます「免疫は上げるものです!」
松本先生のホームページはとてもわかりやすく、スラスラと頭に入ってきました。医学のことなのに、普通の人が読んでも理解できるのが不思議です。病気の原因となる異物は二つ。(補足:その外からの異物とは化学物質、細菌、ウイルスです。化学物質とは薬や添加物などです。細菌は抗生物質が殺して治します。ほとんどのウイルスはワクチンや抗ウイルス剤で制御し、免疫により殺し切ることができます。)でも、そのウイルスの中に殺しきれないものがあり、それがヘルペスです。一度体内に入ると、神経繊維の中に入り込み、免疫がある時は、隠れていて、免疫が下がった時に増殖します。これが、免疫を抑えた治療をしていると、その間にどんどん増えてしまいます。そして、免疫が上がった時にこの大量に増えたヘルペスを見つけて、戦うので、症状として痛みや炎症が出ます!
薬の他にも免疫を下げるものがあります。それは自分の想い(気持ち)です。長くストレスを感じた生活をしていると副腎皮質ホルモンからステロイドを出し続け自分の免疫を自分で下げてしまうのです。なので、日々の過ごし方、想い方がとても大切だと感じます。この化学物質やヘルペスと戦ってくれる抗体が、膠原病だとIgG抗体、アレルギーだとIgE抗体となります。アレルギーはIgE抗体が体の異物を皮膚や鼻などの粘膜から外に出そうとしてくれる反応なので、とにかくどんどん出す。たまった化学物質を出し切るのが大事。ここを目指して行けば良いのです。そして、このアレルギー症状も薬で抑えまくっていると膠原病に進んでしまいます。私がこれです。その時に使うのがIgG抗体です。この抗体は相手が死ぬまで戦いをやめてくれません。(補足:生きた異物に対しては相手を殺せばIgG抗体が作られなくなるのですが、化学物質(ハプテン)は死ぬことはないので、いつまでもハプテン‐キャリア蛋白複合体に対してIgG抗体が作られ続けるのです。)そのためずっと炎症や痛みが続いてしまいます。でも、このIgG抗体も免疫力を上げ続けて行くとIgEに変わってくれる。それが、クラススイッチ。これが、起きればあとはアレルギー症状を止めないでとにかく出しまくればいいわけです。そして、自然後天的免疫寛容を起こすと化学物質との戦いをやめ共存することになります。
ヘルペスの戦いも免疫を上げて、ナチュラルキラー細胞とキラーT細胞で殺して、最終的に残ったものは神経節に押しやってくれて、これもまた最後は共存していけるようになるそうです。とにかく免疫を上げることが大事なんです。なんとも、わかりやすいです。
翌年、早速先生に会いに行く決心をしました。東京から車で8時間の旅です。
主人と診察室に入ると、「ここに座ってー」と差し出された場所は、せまーい狭い自宅の勉強机に頭を寄せ合うような感じ。先生の第一印象はアインシュタインみたいです。診察中に、バンバン電話が鳴りどんどん遠方からの電話診察を受けていきます。時にはやさしく、時には怒鳴り散らして、ジェットコースターのようです。とにかく度肝抜く印象でした。「あんたにも言ってるんやー」とそれを一緒に聞くんだけど、内容は、膠原病もリウマチも、アトピー、アレルギーも全て、原因は化学物質とヘルペスウィルスというもの。それを抗ヘルペス薬、漢方薬、漢方風呂、鍼とお灸で免疫を上げて治していきます。「治すのは自分やでー。その手伝いをするのがわしの仕事や、ワッハッハ。」てな感じで、なんとも不思議な時間でした。
翌朝、今度は待たないように朝早くに出て、一番で診察に。第一声が、「君はトローリーがあるなー。」最初は「うん?」って聞き返したらトラウマのこと。「そういう目しとるわー」。そこで、涙が溢れてきて、自分でも話していてびっくりしながら、あー私はこれを今でも抱えているんだーと認識しました。「全ては心やー。心が体も支配しとる。」心が大事なんだというお話を、先生自身の過去の出来事やトラウマの話をしながら、聞かせてくれました。口は悪いけど、心の優しい純粋で誠実な方だと思いました。
その後、血液検査の結果も出て「今は薬で安定しているが、これからが始まりや!リバウンドで数値も変わるかもしれないけど、治っていく症状だから、心配しないでー、自分の免疫で必ず治るから」と。やっと、心と頭が一本の線で結ばれた感じでした。思い切って遠くても今やりたいこと、今会いたい人に会いに行くことを実践して本当に良かったと思います。全ては今ここにあると思います。
私は今回の体調を崩すということを通じて心の内側も見るようになりました。
最近のモットーは、いやなことをしない、やりたいことをする!です。そして、やりたいことのために、やりたくないこともするのです!ステロイドをやめる時は本当に怖いと思います。でも、本当にやめたかったので、その過程で起きる痛みのリバウンドも受け入れました。大丈夫です。痛みの先には必ず笑顔があります。想いが人生を作っていきます。私は日々、そのことを実感しています。自分でやりたいことをイメージする。そして、決心して、実行です。そしたら、現実は自分の想い通りに少しずつでも変わっていきます。まだまだ、私も迷いや不安も出ます。その時々で、そんな自分も受け入れていきます。でも、本当はどうしたい?と自分に聞くようにしています。自分の中にいるもう一人の自分とお話ししています。
今までの私は、自分勝手にやりたくないこともやりまくってました。そして、身体が悲鳴を上げて、強制終了しました。私と同じような症状の方は、多分かなり今までがんばってきた頑張り屋さんだと思います。なんでもこなそう、なんでもやればできると。でも、もう頑張らなくていいよーというサインの現れなんだと思います。神様がもう、無理しないで、好きなことだけして良いんだよーと教えてくれているのだと思います。この病を通して、本当の自分に繋がっていけることを学んでいるのかなぁと思います。本当の自分が望んでいるかどうかの決め手は、ワクワクするかどうかです。何故かわからないけど、心が落ち着く、ワクワクする、気持ちがいい、なんでも心地よいことを感じたら、迷わずその方向に進むべきです。それは、本当の自分からのメッセージだと思います。
○今までの治療経過
2003年11月 フラメンコ練習時に足裏の痛みを感じ、整形外科で診てもらい、足を強く打ちすぎのために炎症が起きているとのこと。右足裏に痛み止め注射を打つ(2週間に1回で 3ヶ月ほど続ける)。 それほど効果なし。
2004年1月仕事中に手首の痛みがあり、腱鞘炎だと診察される。しばらくフラメンコをやめることにする。その後一旦調子が戻り、痛みもなくなり、通常の生活に戻る。
2004年11月 肩が上がらないなど(2、3日で治る)で、整形外科で血液検査し、リウマチ反応が出るがストレスで一時的に出ているのかもしれないと言われ、経過観察。10月に会社で上司が退職し、仕事量が大幅に増えストレスが増える。この時に副腎皮質ホルモンをたくさん出して、免疫力を抑えてしまっていたのでしょう。
2005年5月 膝や、骨盤付近に痛みを感じ、整形外科で血液検査し、リウマチ反応が出るがリウマチ判定は出ず、経過観察にとどまる。その後、暖かくなり痛みもなくなり通常の生活に戻る。
2006年6月 中指が腫れる。肩の痛みがあり、整形外科で血液検査し、リウマチ判定が出る。手首、両肩など痛いところにステロイド注射を打つ。この注射を週1回、1年も続けることになる。また、リウマチは妊娠したら、和らぐので、出来ないのなら不妊治療してみるのも良いとアドバイスを受ける。子供も欲しかったので、この頃から産婦人科にてタイミング療法実施。
2006年11月 マラソン大会に出るため、マラソンの練習で3キロ走る。その後急変し、体が熱くなりドクドクと心臓が波打ち、今まで感じたことのない違和感を抱く→全身がだるく、徐々に全身の関節が痛くなる。婦人科にて人口受精に切り替え2007年10月まで数回の人工授精を行なう。
2007年5月 会社のセールで一日立っていて、右足首が痛くなり腫れる。次第に歩くのが困難になり、びっこをひくようになる。その後も両膝が痛くなり、10分以上立つことができなくなり通勤方法を変更。急行から各駅にし、駅から会社近くまでバスにし、できるだけ歩行時間を少なくする。
2008年1月 整形外科で不妊治療をしながら、リウマチの治療ができるエンブレムという薬を教えてもらう。エンブレム使用の整形外科にて治療開始。エンブレム注射 週1回(25mg)、不妊治療中のため、メトトレキサート(MTX)は処方しない。体全体がだるくて、熱っぽく風邪のような症状、関節も両肩、両膝、両手首、右足首、最近は両肘も痛みを感じるようになる。特に左手首、右足首、左人差し指、右親指の腫れがひどく、痛みもある。
2008年5月 エンブレム注射 週2回(50mg)に増やす。両肩、鎖骨がひどく痛む。引き続き左手首、右足首は痛い。人工授精から体外受精に切り替えるが出来ず、継続することをやめる。この時、妊娠は神様からの授かりもので、人間がどうにかするものではないのかもしれないと思う。
2008年7月 MTXを始める(週8mg)エンブレムを週1回(25mgに戻す)右足首、左手首、鎖骨が痛い。症状は一時的に良くなるが、その後また必ず痛みが戻ってくるのを繰り返す。このあたりから「なぜ薬を使っても治らないのか?なんか、おかしいな」と感じ始める。
2008年10月、東洋医学の気功師の先生と出会う。
2008年11月 会社を退職。この当時は、アパレルのマーケティングという仕事をしていて、お店周りで全国や海外にも年に4、5回行かなくてはならず、もう身体が限界でした。強制終了です。でも、仕事は大好きで、身体は動かないけど、気持ちはまだまだやりたい気持ちでいっぱいでした。そんな仕事を辞める決心ができたのも気功師の先生との出会いがあり、あれもこれもやってたら、何も出来なくなるよと言われたのがきっかけでした。
それまでの私はとにかくなんでも前向きに、進んで行けばなんとかなると思い込んでいました。前向きにやり続けることで道が開くと本当に思っていました。実際にそうやって、今までこなしてこられたからです。動く気持ちがあっても動けなくなった時、初めて突っ走るだけじゃダメなんだ。休むことも大事なんだと心から感じました。薬も不妊治療も仕事も、辛くても続けていればきっと、良い方向に回り出す!と心底思ってました。でも、違ったのです。不妊治療も仕事も病院も、そして、全ての薬をやめました。
東洋治療 の始まり
自然治癒力を上げて、自分の免疫で治すという言葉を聞いた時、心の底から、「なんだかわからないけど良さそうだ!」と感じました。そして、治すのは自分、先生はそのお手伝いをするだけ。今まで自分は何をやってきたのだろうか?全く逆のことをしてきました。
2008年12月 手当て治療開始
気功師の先生からリウマチもあるが、元は神経の病気だと言われました。特に頭がひどいと。治療後は、全身に耐え難い痛みが発生。これがリバウンドです。全身がビリビリして、打撲のような痛みやチリチリした痛みやらとにかく、いろんな痛みが出ました。他に頭痛、嘔吐を繰り返し、それを受け入れているとしばらくすると全身の痛みが消えていくという体験をしました。最初の半年はほぼ寝たきり状態。左手首はステロイドの後遺症が酷く、3年半ほど、ほとんど動きませんでした。この治療を3年ほど続けて、2011年8月、好転反応の症状を繰り返しながら少しずつ良くなりました。この頃には、プールでのウォーキング、散歩などのリハビリも行いました。ほぼ、痛みが取れてきて、あとは左手首だけで治るというところまで来ました。ところが、突然、症状が後転しだすのです。
2012年7月
だるさがとれず、指の関節が腫れだす。肩、背骨、仙骨、足などにびりびりした痛みが出てくる。不安や疑いの心が人の身体をも蝕んで行きます。「痛い、痛い、腫れる、腫れる」と思ったら、一瞬にして、中指が腫れてしまったのです。イメージは現実化します。少しずつ少しずつ、時間をかけて、元気になってきた細胞さんがあっという間に元に戻ってしまいました。心と身体は繋がっていますね。そして、自分の免疫力以外で治すことは出来ないとあれほど体験したのにも関わらずあれよあれよという間に薬漬けの治療に戻ってしまったのです。実はこの1年前くらいから、気功の先生の治療が受けられなくなっていました。要するに、自分の意志というよりも気功の先生に依存していたのです。だから、先生がいなくなったら自分の免疫力も信じられなくなってしまったのです。ここで、初めて自分の心の弱さに気づきました。不安から痛みが倍増し、汗をたくさんかき、不眠症になり、鬱状態も出てきて、一人で家にいられなくなり、パニック障害になりました。良くなっていたのに、最後に自分自身を信じられなかったのです。心が自分から離れちゃったんです。ここからの私はもう、身体だけでなく、心も奈落の底まで落ちて行きました。毎日、毎時間、毎分、毎秒が、長くて長くて、いつもこのままなのかと思って生きていました。パニックになると、旦那さんの携帯に一日30回くらい電話しました。「どうしたらいい?どうしたらいい?」と聞いていました。姉妹やお互いの両親をも巻き込んだ大変な騒ぎになりました。心を失ってからの私はありとあらゆる症状が出ました。
2012年8月
突然、後頭部を手で中からわしづかみにされたような感覚を覚え、それから訳のわからない頭の張りという症状に悩まされました。頭の中に何本も棒が入っていて、それが太くなったり、大きくなったりして頭を圧迫する感覚です。この訳のわからない症状を知りたくて、頭のMRIを受けることになりました。結果は頚椎、頭のMRI、異常なし。要するに映らないんですね。脳神経外科で、神経の異常ではないか。線維筋痛症ではないかと言われました。そこで、線維筋痛症の専門医院に行くようになり、また、西洋医学に戻ってしまいました。そして、免疫を落とす薬は嫌だ、飲みたくないと言っていても、自分の弱さから知らぬ間にどんどんと増えていったのです。
2013年2月
全身の痛み、手足のこわばり、指の関節の腫れ、右足首の腫れ、朝は特に両腕、首からの激痛。左耳下あたりから耳、鼻、頭上にかけて張る、突っ張り感がひどい。動悸、発汗、だるさ。ノイロトロピン、アコニンサン、セレコックス、トラムセット、リボトリール、リフレックス、ステロイドの免疫抑制剤を服用しました。私は最高で8種類、20粒以上服用していたこともあります。そして今度は薬に依存せざるおえなくなってしまうのです。薬を飲んでも一向に良くなる気配がありませんでした。脱薬、脱ステロイドで一度は回復に向かう経験をした私は、薬への抵抗感が強く、体質改善して免疫力を上げて治したい。特にステロイドが嫌。できるだけ薬の服用を少なくしていきたいと思っていました。その正反対の治療をしているので、良くなるはずもありませんね。でも、全ては自分の選択なのです。医師のせいでも、病院のせいでもなく、それを選択した自分の責任だと思っています。あー、もっと早く松本理論に出会っていればなあと思うこともあります。でも、私がこの真実を知るためにはこのタイミングだったのだと思います。一つ言えることは、免疫を落とす薬を出す病院には近づかないということです。そして、何よりも「お医者さん、薬に治してもらう」じゃなくて、サポートしていただきながら、自分の免疫力で治すという意志が一番大事だと思います。そして、2014年の年末、松本漢方クリニックのホームページにたどり着きます。そこからの新たなスタートは、冒頭に書いた通りです。
○松本漢方クリニックでの現在の状態
現在の状態は、アトピー反応はまだありませんが鼻水が出まくっています。鼻からも喉からも。白くネバネバした粘液性のものです。クラススイッチの一種だと思っています。これが出ると頭の張りや違和感が緩和されます。緊張が緩んで、頭に溜まっている不要な髄液が溶けて出ているような感じがします。私の場合、頭の張りが弱まると首、肩、腕の強張りや痛みが弱まります。リバウンドで、右ひじが一度かなり腫れましたが、今はシワが見えるようになってきて嬉しいです。股関節も最初の半年は痛くて足を引きずっていましたが今は、お散歩できるようになっています。お灸は痛い箇所にすると、痛みが和らぎ、強張ってる箇所が流れるので動きがスムーズになります。赤いクリームを塗れば、火傷の後も消えて治ります。漢方湯は入ると頭痛がし、全身だるくなりますが、そのあと軽くなります。
あとは、右腕が痛くて不自由なのと、左足の裏がしびれたり、強張ったりしますが、散歩の距離も延びて、日常生活は一人で出来るようになっています。最近は、さらにワクワクすることも増えてきて、前からやってみたかったコーラスも始めました。その為に、電車に乗るということもチャレンジできました。楽しいことは頑張らなくても出来るんですよね。これからは、今まで献身的に支えてくれた旦那様に美味しいお料理を作ってあげられるようになれたら嬉しいです。やりたいことで無理せず出来ることがあったら、まずやってみると良いと思います。そこから良い波動が循環し始めます。
そして、最近の血液検査でわかったのですが、ヘルペスウィルスの一種である、EBVにも感染していました。これは、抗原がなくてもIgG、IgMを作られてしまい、その抗体がクラススイッチさせられて、IgE、IgAも作ってしまいます。結果、体内で多クローンの抗体がどんどん作られてしまうようです。
だから、訳のわからない症状がたくさん出てくるのだと改めて認識しました。でも、どんなものがあっても大丈夫です。原因がわかるって大事です。松本先生にいろんな気づきをもらいながら、今までよく耐えてくれた身体に感謝しながら。あとは自分の免疫力を信じていくのみです。それと、最近がらっと変えたことは食べ物です。添加物だらけの食べ物をできるだけやめて、無農薬の野菜や綺麗なお水を飲むようにしています。良質な植物性のタンパク質も取るようにしています。小さい頃から糖分が大好きで、今まで紅茶に砂糖をスプーン2杯入れており、シュークリームは毎日食べるような生活を何十年もして来ました。精製された白いものが良くないと聞いてからは、常用することをすっぱりやめました。糖分をやめただけでも、痛み、炎症が和らぎます。あるものを気にせずに食べることから、選んで食べることに変わってきています。この選択も楽しみながらできています。食べ過ぎると頭が張るので、腹7分目にし、少食にする日も設けたりしています。全て、楽しみながらです
最近の診察の時に先生に第一声目に「大きくなったなぁ」と。「とろ~まがあった子やな?」と。「ん??とろ~ま??」あ、トラウマね「はい、そーです!」。「前はもう少し小さかったでぇ。存在感が大きなってる。自信がついて、内面が成長したんやなぁと。」言っていただけました。メッチャ嬉しかったです!先生はいつも身体を診たり、一切しません。その代わりに、目をじっと見てくれます。そして、最後は必ず力強く握手してくれます。その目の奥の光や、握手した感覚で内側のエネルギーをみてくれているのだと思います。たまにどなられてへこむこともありますが、やはり先生との時間は楽しいです。私は病院に行くというよりも先生に会いに行く感じですね。いつもありがとうございます。この先も全快に向けて、突き進みます!
今まで、西洋医学を受けながらも数々の代替医療も受けてきました。その全てが、免疫力を上げるためのものです。しかし、その治療費がとても高いのです。続けたいと思っても続けられないこともありました。現在松本漢方クリニックで服用している抗ヘルペス剤や漢方薬も月に何万もします。多くの人が、費用を気にせずに治療を受けられるよう、治療費が下がることを切に願います。
今回症状の経過を書くにあたり正直言うと、先生に「メール送ってやー」と言われた時、一瞬重くなりました。まだ右腕が痛いし、いろんなこと思い出して書くの大変だなと思っていました。でも、先生に「首なごーして待ってるよー」と言われて、いや待てよ、これは私の想いを世に出す良いチャンスだって思えてきました。そしたら、楽しくなってきて、症状のことはもちろんだけど、これによって心の学びもあって、いろんな気づきがあることとかも、今思ってることぜーんぶ書いてみようって思いました。私の想いが誰かの安心に繋がったら嬉しいなと思えてきて。書くぞ!!って決めたらどんどん書けました。楽しむとラクラクできるんですよね。これまた、実感しました。そして、私のメッセージが少しでも悩んでいらっしゃる方へのプラスのエネルギーへの架け橋になれたら、嬉しいです。
そして、本当につらいとき傍にいて支えてくれた主人、姉妹、両親、友人に心から感謝しています。何もできずただ喚きちらし、自分の存在価値が全く見いだせなくなっていた時、大きな愛で寄り添って受け止め続けてくれた主人。今回のことで小さい時から感じていた自身の能力が開花し、一度壊れてしまった私の心身へ、魂からのケアと手当てをしてくれ、毎週のように体に良いお料理を作って持ってきてくれた姉。いつも大丈夫、大丈夫といっちゃんは絶対に元気になるから。笑っているいっちゃんしか想像できないといって励まし続けてくれた妹。一人で家にいられない私のために、泊りで24時間、半年近く交代でお世話をしてくれた、私の両親と義理の母。多くを語らないが、でも、いつも気にかけ、私の回復を願ってくれていた父。そして、母との確執もあらわになりました。一番甘えたい、頼りにしたい人に頼れない。なんでだろう?すごくつらい時期もありました。でも、いまはわかります。母も甘えたかったのです。自分の母に。それができないまま祖母は旅立ちました。でも、埋められないものを抱えてもいつか人は愛で埋められるようになると信じています。
そして、外出できない私に会いに来て、ただただ話を聞いてくれたり、励ましてくれたたくさんの友人たち。みんな、私のことを信じて待っていてくれました。そういう人たちの支えがあって今の私がいます。
私にとって、病の体験は、こういったことすべてを気づかせてくれるためにやってきてくれた神様からの手紙だと受け取っています。最後まで、読んでいただきありがとうございます。また最後になりましたが、受付応対してくださるスタッフの方々、鍼灸の先生方、いつもありがとうございます。