「半年間のリウマチ闘病日記」
O.Y.42歳2004年2月15日
O.Y.42歳2004年2月15日
松本先生へ
手記、書きあがりました。
何だかだらだらと長いだけの、あまり要領の得ない文章になってしまいましたが、少しでも他の患者さんの励みになれたら嬉しく思います。
平成15年7月23日、私が初めて松本漢方クリニックを訪れた日です。
5月位から 別に激しい運動をしたわけでもないのに、時々左足の股関節が何となく痛み、痛いなぁと思う日は、左側を向いて寝るのがつらい・・・という感じでした。でも日常の生活に支障があるわけでもなく、寝る時に左側さえ向かなければ何ともないので、「なぜこんな所が痛くなるのだろう?」と不思議に思いつつも、さほど気にも留めていませんでした。
それから1ヶ月程して、今度は左手の親指の関節が痛み出したのです。今度は足の時のように何の支障もなく・・・というわけにはいかず、歯磨きの時、歯磨きチューブを押すことができない、窓サッシの鍵を親指1本ではずすことができないなど、普段意識もせずにやっていたことが容易にできない状態でした。何かおかしい・・・そう思い初めてすぐに、今度は右手の人差し指にも同じ症状が出てきたのです。いくら呑気な私でも、『これは絶対に何か関節に関係ある病気だ!』と思って、家庭の医学を引っ張り出して「関節の痛み」という所を読んでみると、あまりなじみの無い病名が並ぶ中で、ふと私の目に留まったのが、リウマチという聞いたことのある病名でした。『へー、リウマチって関節の病気だったんだー』と思いつつ読み進んでみると、「手指、足の小関節の紡すい状の腫れと痛み。朝起きたときに痛みが強く、こわばった感じがして、動かしているうちに楽になるのが特徴・・・」とあります。何となく自分の症状と似ている・・・改めて指を見てみると、痛み出してすぐの人差し指はそうでもないけれど、親指の方、は関節の両側が腫れているように思うし、こわばりというのがどういうものかはよくわからないけれど、確かに、朝起きてすぐは指が曲げにくいというか・・・まさか・・・リウマチ?むさぼるように続きを読みました。そしてリウマチという病気は、何年もかけて徐々に進行していき、骨の変形をも引き起こす怖い病気だということ、完治することのない難病で、痛みを抑えるためには、一生薬を飲み続けなければならないこと、しかもその薬の副作用で、色々な病気を引き起こす場合もあるということ・・・などがわかりました。『嘘でしょ?!まさかね・・こんな病気なんかであるはずがない!』診断を受けたわけもないのに、絶望感とそれを否定する気持ちがごっちゃになる中、やはり『そうかもしれない・・』という気持ちの方が強かったのでしょう、「もっとくわしい事が知りたい!」と思って、インターネットでも、「リウマチ」と検索してみました。
そこで目に留まったのが松本漢方クリニックでした。「漢方を用いたアトピーやリウマチの治療」とあります。しかも、なんと私の住んでいる高槻ではありませんか!ラッキー!!そして読みました!あの膨大な量を!先生の話、患者さんの手記。隅から隅まで。リウマチが、アトピーと同じようにアレルギーの病気で、何人もの人が治っていること、薬を使っていない初期の段階であれば、治りも早いこと・・を。少々胡散臭い(先生、すみません。)と思いつつも理解し、「ここしかない!」と思って、次の日、すぐに病院を訪れたのです。
自己診断でリウマチと決めて病院にやって来たものの、まだ心のどこかで『こんなのリウマチじゃないよ。ただの使い痛み・・・とか何とか言われるに決まってる』などと、たかをくくっていたようなところもあった私ですが、見事に打ち砕かれました。一通り症状を聞かれた後、先生に「それでやっぱりリウマチでしょうか?」 と尋ねると「それ以外何があんねん?!」・・・・・・・でもその時は、不思議と悲壮感も絶望感もありませんでした。「しかし、あんた、はよ来すぎやでー。こんなはよ来たら、あかんがな」「はぁぁ?」(早ければ早いほどいいって書いてあったのになんで??)「こんな軽いうちに来てもーたら、治っても、感謝されへんがな。わっはっは」(冗談、きっつー・・・)こんな調子で、その日は採血をして、煎じ薬を頂き、帰宅しました。
その日から、私の1日は、煎じ薬の香りとともに始まるようになったのです。漢方自体は、種類は違いますが昔飲んだことがあったので、独特の香りと色にもめげませんでした。味の方も、手記で読んで予備知識があったので、苦いというより甘ったるい変てこな味にも驚きませんでした。ただ甘ったるいのが少々苦手な私としては、お茶代わりに飲め・・というのは、ちょっときつかったです。「でも飲めば治る!」その一心で、2番3番と煎じて、頑張って飲むようにしました。
1週間後、再び病院に行き、血液検査の結果を聞くと、すべて正常範囲内の数値ではあるけれど、血沈だけが9と少し高めであることがわかりました。少しほっとはしたものの、「症状の軽いうちは、すべての数値が陰性である場合もある。」ということを、HPで読んでいたし、私の体に痛みがあることは事実でしたので、先生に、「大丈夫!薬使ってないから、すぐ治るで!わしにまかしとき!」と力強くあったかい握手をして頂き、『よし!頑張って治すぞ!』と思ったことを覚えています。というか、先生の握手で、もう半分治ったような気になっていました(笑)
その日から、鍼灸の治療も始めました。鍼は今までに経験が無く、「痛かったら、どうしよう・・」と内心かなりびびっていましたが、ちょっとちくっとする位で、痛いという程でもなく、お灸の方は、それなりに熱いけれど、我慢できないほどでもない。「これなら私にでもできる!」と安心しました。(しかし、お灸に慣れるまでは、緊張のためか、全身汗まみれになっていましたが・・・)
そして1週間後、2回目の鍼治療を終えた4日後・・・だるい・・・両肩から両腕全体にかけて、ものすごくだるい・・・・指の痛みも病院に行く前よりひどい・・・「どうなっているの?」あまりのだるさに、何をする気も起こりません。でも、「これがあのリバウンドというものかな?私の場合は薬を使っていなかったから、リバウンドとは言わないのかもしれないけれど、きっとこれは、体の中の悪いものが、外に出ている証拠なんだ!大丈夫!」と納得して、それまで以上に、煎じ薬を頑張って飲み、お灸も時間をかけてたくさんやりました。お灸をすると、指がぽかぽかとあったかくなって、ずいぶんと痛みがましになるのです。そうして何日間かすると、だんだんだるさがとれていったのです。
その後も、この時ほどではありませんでしたが、定期的に軽いだるさが訪れ、そして引く、というパターンが続きました。そして何回目かのパターンの後、ついに待っていたかゆみが出たのです。首の後ろやお灸のあとが、かなりかゆかったのですが、「もっとひどいことになるのでは?」と覚悟していたので、「これがアトピー?こんなんでいいの?」って感じでした。
私の場合は、痛みもかゆみも、どーんとでかいのが来るのではなく、少々だるい→少々かゆい、というパターンを、小出しに繰り返すといった感じでしたが、繰り返す度に、人差し指、股関節と、どんどん痛みの方は無くなって行きました。
最初の検査で9だった血沈の値も、次には19まで上がっていて驚きましたが、あとは15、13と順調に下がり、12月の検査では6になっていました。最後まで痛みが残った親指も、今では関節の両側を押しても痛まないし、歯磨きチューブも思いっきり押せる!
先生に「みんなのために、手記書いてや。」と言われて、『やったぁ!』って感じです。
最後に この半年間を振り返って、長いようで、あっという間の半年間でした。
正直に言うと、煎じ薬を作るのはめんどくさいと思ったこともあったし、親指や人差し指が、お灸の後だらけなのが恥ずかしくて、嫌だなぁと思ったこともあったし、1日中出掛ける日はさぼったこともあったけれど、ここまで頑張って来られたのは、松本先生の「絶対治してあげる!」という力強いお言葉のお陰だと、本当に感謝しております。そして鍼治療の間に、織田先生といろいろなお話をすることも、どんなに支えになったかしれません。それは他愛ない世間話だったり、また励ましやお褒めの言葉だったり、「もう少しお灸頑張れば?」というお叱りの言葉だったり・・・・・少々だらけていても、織田先生に「頑張って!」とか「すごい!頑張ってるねー!順調だねー!」と言って頂くと、『よし!また明日から頑張るぞ!』という前向きな気持ちに切り替わるのです。
指1本痛くても、不自由なことがたくさんあります。当たり前に出来ていたことが、当たり前に出来なくなった時、健康であるということの素晴らしさ、有難さを改めて実感し、多くのことを学びました。そういう意味では、この病気になったことも、悪いことばかりではなかったなぁと思える自分がいます。
松本先生、織田先生、看護婦の皆様、本当にありがとうございました。「もう卒業だよ!」そう言われるのも近い日と信じて、これからも頑張りたいと思います。
今、不安と戦いながら、また迷いながら、これを読んで下さっている皆さんへ
先生方を、自分の病気を治す力を信じて、一緒に頑張りましょう!