「リウマチ闘病手記」
27歳2000年11月30日
27歳2000年11月30日
右膝・両手首に、痛みと動きの鈍さを感じ、職場の近くにあった市内の大きい病院に行きました。血液検査とレントゲンの結果、「ただの使い痛め」と診断され、その日は、痛み止めの薬と湿布薬を処方され、帰りました。
2001年 1月
年末・年始の忙しさも少し落ち着いた1月の中頃、なかなか痛みも取れず、仕事を続けていましたが、仕事柄、長時間の立ち仕事と手作業が辛くなり、自宅近くの大きな病院に行くことにしました。そこでも同じく血液検査とレントゲンを撮り、診察してもらいました。診断結果は「リウマチ反応が出ている。」とのことでした。私は始め、何の事か理解する事が出来ず(リウマチはお年寄りの病気と思っていたから)、医者の言う事を、呆然と聞いていました。
その医者が言うには、「リウマチは、治る病気ではありません。治そうとするのではなく、仲良く付き合っていくようにしなさい。痛みは、薬の量で調整しましょう。」この日から、私はステロイドを飲み始めました。
2001年 4月
痛む箇所が次々と増え、両膝・両手首・左手の人差し指が痛くなり、日常生活は何とかやれていましたが、仕事は出来る状態ではなかったので、休職させてもらうことにしました。
2001年 7月
少し痛みもマシになったと思い、職場に復帰しましたが、結局3日目の朝に、痛みと熱でダウン・・・・退職することを決めました。
ここから8ヶ月、色々探し回ったり、調べたりもしましたが、これといった治療法には出会えず、毎日、処方された薬を飲む生活でした。
処方されていた薬
プレドニン錠5mg 朝・夕 ムコスタ錠100 朝・夕 ボルタレンSRカプセル 朝・夕 セルベックスカプセル50mg 朝・夕 オークル錠100mg 朝・昼・夕
2002年 3月
幼馴染の友人に、『松本漢方クリニック』の事を聞かされ、半信半疑、藁をも掴む思いで、その友人と松本漢方クリニックに行ってみることにしました。
病院に入ると、漢方薬の独特な匂いがしていて、沢山の患者さんがいてるのにビックリしました。一緒に付き添ってくれた友人が言うには、『遠方からも沢山の患者さんが来てる。』と聞き、それにもビックリしました。そうこうしているうちに名前を呼ばれ、診察室に入ると、小柄のヒゲを生やした先生でした。入るなり、松本先生は私の手を握り、『絶対治したる。心配せんでもええ!!』と言ってくれました。他の病院では、決して耳にすることのなかった言葉に感動し、『治してもらえるんやぁ』と、涙が出そうになったことを覚えてます。
織田先生には、お灸のやり方を、写真を見せてもらいながら詳しく教わり、『絶対治るから、お灸もサボらず、一生懸命頑張るんやで!』と励ましてもらいました。
そして、この日から、辛く厳しい・・けど、先には光のある生活が始まりました。
2002年 3月
初診の翌日には、早速体調が悪くなり、初診で松本先生は『いきなり薬を止めてしまうと、命の危険もある』と言われていたので、プレドニン錠を半分に割り、飲みました。当然のように、体は楽になりましたが、すごく虚しい気持ち(1歩進んで2歩さがるような)になり、早く薬を飲まずに前進したいと思いました。
やがて、1週2週と経つにつれて、リバウンドも激しくなり、病院の階段も辛く感じ始めましたが、プレドニン錠の量は半分から1/4になり、ついには松本先生から『もう飲まんでも大丈夫や。』と言われました。これで、やっと自分もスタートラインに立てたような、そんな気分になり、より一層頑張ろうという気持ちになりました。
漢方薬の煎じ薬は、初め少し飲みにくく『なんじゃこりゃ!?』と思いましたが、頭の中で繰り返し繰り返し『良薬口に苦し・・口に苦し・・・』と唱えながら飲みました。しかし飲みにくいと思ったのも一週間ほどで、その内、1回抜けると勿体無いことをした気分になっていました。2番煎じ3番煎じは、お茶代わりに飲み、4番煎じ5番煎じには、プロテインを混ぜて飲むようにしていました。他は、プロテインを牛乳に混ぜたり、ヨーグルトに混ぜたり、味噌汁(これはイマイチでした)に混ぜて、摂っていました。松本先生に『プロテインは、どんどん取るように』言われていたので、色んな物に混ぜて、沢山摂れるように工夫をしました。
お灸は、痛む箇所が全身で広範囲だったので、初めは1回終わるのに、3時間ほどかかっていました。お灸をやっている最中は、熱くてすごく辛いんですが、終わると少し和らぎ『よし!!前進前進!!』と、自分に言い聞かせることが出来ました。
CRP1.8 RF116
2002年 5月
本格的に、リバウンドが激しくなってきました。右手で左手を掻くのも辛いほどになり、高熱も出るようになりました。(38度代をウロウロ)毎日数時間おきに体温を計り、熱と痛みで睡眠不足になり、64kgあった体重も、最終的には40kg近くまで落ちました。精神的にも弱って、毎日毎日『何でもっと早く、松本先生に出会うことが出来へんかったんやろぉ・・・』『体に悪いって聞かされながら、何で、ステロイドを飲み続けたんやろぉ』そんな事ばかりを考えていました。この頃、血液検査の値はグンっと上がっていました。
CRP12.0 RF288
2002年 6月
通院をしだして3ヶ月、痛みとだるさは、さほど変化は無いように思っていましたが、血液検査の結果、前の月の値より下がっていることを、松本先生から聞き、『信じてよかった! 松本先生は本物や!!』と改めて確信しました。松本先生は私の手を握り、『絶対治したるからな!!』と言ってくれました。
織田先生には、時には優しく、時には厳しく、針を打ってもらいながら、励ましていただきました。
この月は、普段は全く飲まないアルコールを、『父の日』ということで、一口飲んでしまい、蕁麻疹が出て、休診日にもかかわらず、松本先生に電話をして、大目玉をくらいました。自分の意識の低さに、反省をしました。
CRP7.0 RF143
2002年 11月
夏の暑さもなく、痛みとだるさも少し楽になり、食事も美味しく食べられるようになって、体重も50Kg近くまで戻りました。いままで何もかも家族に頼りっぱなしになっていた、トイレの移動やお風呂も、徐々に自分で出来るようになって、気分的にも元気が湧いてきました。
それでも、まだまだ両膝・両手首・両肘・両肩の痛みはあり、ベットに腰掛けた状態で手足を少し動かす運動が辛く、翌日には微熱が出ることも、しばしばでした。
CRP1.0 RF13
2003年 3月
通院しだして丸一年が経ち、一年前を振り返ってみると『まさに天国と地獄』です。まだ自力で立つ事こそ出来ないものの、痛んでいた箇所の動きも、一年前には考えられないほどスムーズに動き、少しずつ力も入るようになってきました。外出時には、車椅子を使っていましたが、家の中では、膝をついて移動できるようになりました。これまでは、ベッドに腰掛けて食事をしていたのが、家族と一緒に食事出来るようになりました。血液検査の結果で、松本先生が『ほぼ正常値に戻ってる。あとひと頑張りや!俺が治したるって約束したやろ!俺は、嘘はつかへんのやぁ!!』っと言われ、私は、血液検査の結果も嬉しかったですが、『この先生、すごいわ!!』っと、心底感謝の気持ちでいっぱいでした。
CRP1.3 RF8
2003年 7月
痛みもほとんどなく、松本先生から、「リハビリに通うように」と許可が出て、近所にある病院にも、リハビリに毎日通っていました。その病院では、始め院長先生に『ウチはリハビリ屋じゃないから、紹介状もなしに来られても困る。』と言われ、私は『あ~そこら辺の医者は、こんなもんかぁ~』と、松本先生風な気持ちになりました。近所には、そこくらいにしか病院がなく、松本先生に相談して、紹介状を書いて頂き、何とかリハビリをやれるようになりました。
そしてこの月、血液検査の結果が、正常値内になったのです。やっと長く辛い真っ暗なトンネルの先に、光が見えてきました。
CRP0.6 RF8
2003年 11月 現在
毎日のリハビリ・運動のかいあって、少しずつですが、両肘・両膝の関節が伸びてきています。かなり手足にも力が入るようになり、あとは、動けなかった約1年半の間に縮こまった筋や筋肉を伸ばすことが、メインだと思います。通い始めた頃は、箸すら持てなかったのに、やがてフォークが使えるようになり、マグカップが持てるようになり、今では少々重い物でも、簡単に持てるようになりました。
松本先生・織田先生
いつも怒られてばかりの出来の悪い患者でしたが、感謝してもしきれない思いです。なかなか言葉足らずで言えませんが、家族共々、松本先生・織田先生には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これからも頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。
松本漢方クリニックを教えてくれた幼なじみ、松本漢方クリニックを紹介してくれて『ありがとう』。もしあの時、教えてもらってなかったら、今の私はなかったです。