「リウマチ手記」
K.Y.41歳2005年6月30日
K.Y.41歳2005年6月30日
治療を始めて、ちょうど1年経ちました。治療を始める前の痛みの状態を100とすれば、現在は20ぐらいといったところでしょうか。中間というよりは、終盤だと思いますが、経緯を報告させていただきます。
発症は2001年5月でした。右膝に違和感、しゃがむと痛みを感じるようになっていました。少し気になりながらも、そのうち治るだろうと放置していましたが、次第に腫れ始め、歩行や曲げ伸ばしが辛い状態になりました。
そこで、まずは近所の整形外科(1軒目)を受診、「少し炎症があるようだから」と、モビラートという塗り薬で様子をみることに。
一向に効き目もなく、次は接骨院(2軒目)を受診、そこでは、スパイラルテーピングという、テーピングをしていただきました。これは対症療法としては効果があり、3ケ月ほどで、腫れもほとんどひき、痛みも大分軽減されはしましたが、完治にはいたらず、次は、膝外来のある大きな病院(3軒目)を受診、MRI撮影等もしていただきました。
先生からは、「原因がわからないので、治療はできない。たぶん少しずつ悪くなってくるので、膝にかかる負担を減らすために、大腿筋を鍛える運動をするように」と言われたのでした。ショックでした。
あれから(2004年)5月までの3年間、水がたまってかなり辛い時期と、少しはましな時期を繰り返してきました。その間に、4軒目の整形外科で、1度だけ水をぬいてもらい、その際に痛み止めの注射をされました。その時には知りませんでしたが、それがステロイド注射だったのですね。今思い出すと、私は、その注射が何であるかは聞きましたが、「ただの痛み止め」と説明されただけでした。
その病院の先生は、接骨院の治療を「余計なこと」と言い、「もっと早く来ていれば」と言われました。「接骨院に行かずに、こちらを受診していたら、治ったのですか?」と聞くと、「それはわからないが、今は良い装具がいろいろある。」
これが医療かと思い、そこで出された薬は、3日ほどで胃痛が出たのでやめ、注射も効いたという実感はなく、2度の通院でやめてしまいました。
そして、その病院での血液検査で、「リウマチ抗体が疑陽性だけど、今のところ、リウマチの心配はしなくていい。」と言われました。それをきっかけに、リウマチという病気の恐ろしさを知るとともに、疑陽性ということは、いずれリウマチになるのかもしれないという恐怖を、常に感じるようになりました。
2004年5月、左膝にも違和感を感じるようになったときには、本当に愕然としました。毎朝起きるたびに、手をにぎりしめては、「よかった、こわばりはない、だからリウマチじゃないよね。」と自分に言い聞かせながらも、「じゃあ、この両膝の痛みは、何?」、答えがほしくて、時間があればインターネットで、リウマチや膝の痛みの検索を繰り返し、不安でいっぱいの日々を過ごしていました。
が、とうとう、6月上旬から、両手にも違和感が現れ、その時の気持ちは、言葉では言い尽くせません。さらに狂ったようにリウマチ検索を繰り返し、夢も希望もない記述づくしに、「これから、どうやって生きていこう。」「なぜ自分がこんな目に」と、そんな言葉ばかりが頭の中で渦巻いていた中で、ある日、松本漢方クリニックのページに出会ったのです。
もちろん最初は全面的には信じられませんでしたが、”一般的なリウマチ治療”に踏み切る決断もできずにいたので、治療法が漢方という安心感もあり、東京から大阪という遠距離ではありましたが、藁にもすがる思いで、6月18日に松本漢方クリニックを訪れました。
この頃には、足の甲にしびれ、肘の違和感、両手足の指の付け根や手首にも痛みが出ていました。
6月18日 初診
漢方の香の立ち込める院内で、順番を待つたくさんの患者さんたちに、この時点で、何ともいえない安心感を持ちました。診察室らしい部屋からは、大阪弁でまくしたてる松本先生らしい方の声。しばらくして、待合室に出てこられ、「大衆は、勉強が足りん。ただで教材を提供してるのだから、ぼけっとしてないで、手記を読め!」的なことを、ひとくさり怒鳴って、戻られました。「この方が、松本先生か」と、怖いような感情の一方で、「この先生なら、本当に治せるのかもしれない。」と、明るい気持ちも感じたものです。
私の場合、一度注射をしたものの、それ以外のリウマチ治療はしていませんでしたが、30年来の頭痛持ちのため、鎮痛剤を、割と気軽に服用していました。たった一度の注射と、鎮痛剤が引き金になったらしいことをお聞きし、「そんなことで?」というのが正直な感想でした。ただ、今まで効いていた鎮痛剤が、ちょうど1年くらい前からまったく効かなくなり、そのことと、症状の悪化に因果関係があるのかもしれないとは思いました。
血液検査の結果は、リウマチ関連値は全て正常、ただし貧血あり。「リウマチ関連値が正常でも、血沈だけは、異常値を示す。」と、松本先生は書かれていましたが、私は、それすらも正常でした。とはいえ、いろいろな箇所に歴然とした症状がある以上、「バリバリではないにしろ、リウマチでしょう。」とのご診断。貧血に関しても、今まで貧血などと言われたことがないのに、「リウマチの合併症としては、よくある。」と言われ、納得。
その日から煎じ漢方、鍼、お灸、薬湯の生活が始まりました。最初の1週間は、リバウンドなのか、とても疲れやすく、食欲も落ち、この先続けられるだろうかと思ったものですが、10日目くらいから回復し、膝の水が少し抜けた感じがしました。
膝の痛み以外は、のらりくらりといった状態が続きましたが、気がつくと、寝床の中で布団を動かすことも容易ではなかった膝で、痛いながらも、布団を跳ね除けることができるようになっていました。8月上旬のことです。涙が出るほどうれしかったものです。
アトピーに関しては、もともと治療らしい治療をしていませんでしたので、「激しいものは出ないだろう。」とのお言葉通り、「これが、アトピー?」と思う程度のもの。でも、明らかに普通ではない発疹が、7月下旬から9月上旬にかけ、上腕部や大腿部に、夜出ては、しばらく痒いものの、朝になると治ってるといった状態を繰り返していました。それ以降現在まで、アトピーらしいものは出ていません。
10月に2度目の受診。
数値の異常は貧血のみ。鉄剤が処方され、1月半くらい飲みました。
年が明けて(2005年)1月に3度目の受診。
貧血関連の値も正常になり、数値異常はまったくなし。松本先生にはお叱りを受けるかもしれませんが、今までにいろいろと調べたリウマチ情報の中に「リウマチの合併症として起こる貧血は、鉄剤を飲んでも改善されない、されたとしても、一時的なもの」と出ていましたので、私としては、貧血値が、この後どうなるかが気になるところでした。
漢方薬は、3番まで煎じ、1日1.4リットルくらい飲みました。鍼も未経験のことなので、インターネットで探し、幸いにも、1軒目で、焼き切りのお灸にも怪訝なお顔をされない、松本先生の理論にも大きくうなずかれる、親身な先生にめぐり会うことができ、現在まで週1のペースで通っています。お灸は、お線香の先で、紫雲膏をお灸箇所に目印としてつけ、もぐさを並べて、一気に点火。膝、手首、足の甲、肘周辺に毎日しました。熱さがとても気持ちのいい箇所と、ただ熱いだけの箇所とありました。「手の届かないところが痛くなったら、どうしよう。」と思っていましたが、そういうことにはならず、幸いでした。
お灸にも、薬湯準備にも時間がかかるので、2月ころまでは、「何よりも治療」と思い、とにかく早く帰って、時間を作っていましたが、少しずつお灸をさぼるようになってしまいました。煎じ漢方も、2番までに減らしてしまいました。というのも、このころには、手指の痛み、肘の違和感は消え、手首の痛みも、ほとんど治っていたからです。膝に関しても、日に日に良くなるというわけではありませんが、気がつくと、1カ月前よりは良くなっているという感じでした。
5月に4度目の受診。
貧血値も含め、数値異常はなし。鉄剤をやめて、半年近く経つにもかかわらず、貧血値が正常ということは、他に数値異常がない私にとっては、痛みが軽減されてきているという事実とともに、リウマチが確実に治っていることを、数値的にも証明してくれたようで、とてもうれしい結果でした。松本先生は、「そんなん、あたりまえやないか、俺を、だれや思うとんねん!」とおっしゃいました。
6月現在、「注射してるから、最後まで痛みが残る」と言われた右膝が、治療前の20%くらいの痛み、それ以外には、左足甲のしびれと、手首の若干の違和感がしつこく残っています。右膝は、力がかかると痛いし、曲げにくさも残っていますが、黄色が点滅している交差点を、小走りすることもできるし、右足だけでしゃがむことだってできるようになりました。あと一息だと思います。この”あと一息”がなかなかもどかしいのですが、このまま治療を続けていれば、今年中くらいには治ると信じています。(大勢の方の手記を読ませていただきましたが、完治報告があまりないので、治療期間の目安がどのくらいかがよくわかりませんが。)
まだしばらくは、薬を送っていただくことになりそうですので、よろしくお願いいたします。(実は、薬をお願いする電話で、「先生に代わります。」と言われると、切りたくなります。松本先生、毎回、毎回、あまりどならないでください。)
最後になりましたが、こんな病気にかかったことを恨みましたし、今でも、治療に時間もお金も費やす必要がない人たちがうらやましいですが、松本先生に巡り会えて、本当によかったです。鍼灸でお世話になっている地元の先生にも感謝です。