「松本先生との出会い」
44歳2004年8月3日
44歳2004年8月3日
今現在の私は、顔面が真っ赤で、皮膚はがさつき、角質がポロポロと剥がれ落ちていて、浸出液も出ている状態です。痒みとヒリヒリ感で、ちょっと大変な毎日を過ごしています。
しかし、リウマチの痛みはほとんどなく、元気で、仕事と家事を私なりにこなし、休日といえば、息子の野球の応援でグランドを駆け巡っている、今日この頃です。忙し過ぎて疲れが溜まることはありますが、普通の生活が送れている事に感謝しております。子供の為に、お弁当を作ってやることが出来る、布団をベランダ一杯に干し、たくさんの洗濯物も干せる、こんな当たり前の事が出来る喜びを感じるようになったのです。
今までの病状を、簡単に書き記しておきます。
今から12年程前の早朝、突然、左足だったと思いますが・・・左足の甲が急に痛くなり、歩くことも出来ず、座っていても痛くて痛くてどうすることも出来なかったことを記憶しています。夫に近くの整形外科へ連れて行ってもらいました。レントゲンを撮っても異常なし、よく見ると、ほんの少し左足の甲が腫れている程度です。先生の診断では「ガイヒ性のリウマチ(はっきり覚えていませんが・・・?)」ではとの事で、多分、痛み止めの注射と内服薬を頂き、歩けないので松葉杖を借りて帰りました。
こんな強い痛みを経験する事は初めてで、寝てもいられず、ただただ我慢するしか方法がなかったのですが、注射が効いたのか、3日目には、「あの痛みは、何だったのだろう。」と首を傾げたくなるほど、治ってしまいました。それ故に、リウマチという病気に、それほど敏感にはなっていませんでした。
それから痛みが出現することなく、何年かが過ぎていきました。私生活では色んなことがありました。離婚、ひとり息子(3歳8ヶ月)を連れて、実家に帰る、専門学校に1年通う、婦人科系の病気になり、入院、等々・・・・・。
その後、特別養護老人ホームに勤めだしました。経済的な自立、子育て、仕事を覚える事に必死で、リウマチの病気のことなどほとんど忘れていました。それでも介護の仕事中に、2度、手首が痛くて食器も持てなかった事がありました。仕事を何とか続けていくことに頭が一杯で、病院に行くこともせず、痛みをこらえて仕事をしていたら、2日ほどで治まりました。リウマチのことを特に気にすることなく、仕事と家庭の両立に追われた日々を送っていました。
今から4年ほど前、両足の甲や指に、腫れと少しの痛みを覚えましたが、通院するほどの痛みでもなかったので、職場で湿布をもらうぐらいで過ごしていました。その間、徐々に「リウマチでは」との不安も出てきて、血液検査をしてもらいましたが、結果は(-)、それでも不安は消せないでいました。
というのも、老人ホームに勤務している関係上、看護師ではないので詳しい事は分かりませんが、リウマチは完治しない病気、激しい痛み、関節の変形、それだけが頭にありました。また実際、リウマチで肩、手、足の変形した方や寝たきりになったお年寄りを、おせわすることもあったのです。また仕事の関係で、リウマチ友の会主催の整形外科医の講演を聞いた事もありました。肩、手が変形した女性会員の方が、写真を撮っていた姿が目に焼きついて、「将来、自分もああなるのだろうか」と暗い気持ちになりました。何とか救われる方法はないものかと、講演に聞き入りましたが、何の目新しい話もなく、薬と副作用の説明が主で、どういった動きは控えた方がよいとか、栄養と休養を十分とる様にとかの内容で、得ることがなく、がっかりして帰ったのを覚えています。
内服薬で、とにかく進行を遅らせるより生きていく方法がないのなら、病院に行かなくてはと考え、近くのリウマチ科のある総合病院で診察を受けました。所見とレントゲンで、リウマチだと診断され、すぐにリウマチの薬2種類と胃薬をくれました。先生はまだ若く、話しやすい方のようでした。しかしその時、服用の仕方は教えてくれましたが、有効性や副作用については、何一つ教えてくれませんでした。当然血液検査も行い、1週間後に再受診するようにとの事で、帰りました。
覚悟はしていましたが、リウマチであると告げられたことのショックは大きかったです。横になり、落ち込んでいるわけにもいきません。子供が成人するまでは働いて、生活していかなくてはいけないという、大きな現実がぶら下がっています。くよくよ悩んでいる暇はなく、痛みよりも精神的に辛かったです。
投与されたリウマチ薬を3、4錠服用しましたが、私の体に合わないような違和感があり、残りは服用せず、1週間後に受診しました。その旨を先生に話した所、「すぐに止めて下さい。」とのこと。血液検査の結果は、リウマチの反応が(-)でした。代わりに、痛み止めと胃薬をもらいました。悪い先生じゃないけれど、信じられないなとの思いで、受診は止めました。
でもこのまま放って置けば、きっと進行していくであろうとの悪い予想があったので、近くの病院じゃなくてもいい、東京、大阪、どこでもいい、専門医を見つけようと考え、インターネット喫茶で調べました。リウマチ専門医、リウマチについて等、検索していて、何気なく見つけたのが、「本物のリウマチ専門医との出会い」という題名の患者さんの手記でした。これは読んで見なければという思いに駆られ、拝見させて頂きました。
「リウマチは、完治しない病気」「内服薬で進行を遅らせる方法しかない」と諦めていた私には、これは一体何だという、青天の霹靂以外の何ものでもありませんでした。松本漢方クリニックのホームページを開いて、松本先生の理論をただただ目で追い、読みました。専門用語もたくさんあり、素人の私には、全てを理解する事は到底出来ませんが、「リウマチは治る」と断言されている松本先生の言葉に、頭の中が混乱しながらも、大きな光のようなものに出会った気持ちになりました。「松本先生以外に診てもらう先生はいない」と確信したのです。
忘れもしません。平成15年2月16日(日)、寒い日に、ひとりで高槻市まで行きました。インターネットで皆様の手記を読んでいましたので、漢方の匂いのする医院、白衣を着ないで喫茶店のマスター風の松本先生・・・みんな書かれている通りだと思いながら、診察を受けました。
今までの症状を説明し、地方の病院で診てもらい、内服薬を処方されたが、3、4錠しか飲まなかったことを話すと、「あなたは、えらい!」「治してあげますよ!」とおっしゃり、私の手をとって握手をして下さいました。40年余り生きてきて、薬を飲まなかったことで「えらい!」と褒められたのは初めてで、「リウマチを治してくれる」と言って下さったので、嬉しいやら、恥ずかしいやら・・・とにかく嬉しかったです。松本先生に出会えたことに、私には運があるんだとしか思えませんでした。
先生、スタッフの方々のご指導を受け、漢方薬の服用、入浴、鍼灸治療と、初めてのことばかりでしたが、治療を開始しました。針治療では、織田先生との楽しいやり取りの中、恐くもなく、あっという間に、リラックスした時を送らせて頂きました。
治療を始めて1ヶ月、2ヶ月経っても、特に効果なく、アトピーが出現することもなく、過ぎていきました。ところが、2ヵ月半頃が経過したとき、ふと首、背部をはじめ、急に体が軽く、楽になったのです。信じられないという気持ちと、有難い気持ちで一杯になりました。それからは血液検査の結果も順調で、毎月数値は低下していき、今では、すっかり正常値になっています。
私の場合、アトピーがなかなか出てこず、平成15年9月頃、アレルギー性結膜炎になりました。眼の中・周囲が真っ赤になり、痒くて、アトピー症状が出現しました。治るのに3ヶ月程かかりましたが、きれいに治りました。そして平成16年6月末頃から、今も、顔面が真っ赤で、ひどいアトピーの症状です。
今では、ほとんどリウマチの痛みはありません。外見的には、アトピーが顔面に出ている為、周囲の人達に心配をかけ、申し訳ないくらいです。顔面がヒリヒリして、これも辛いものですが、体が楽になっているのがわかり、リウマチが治っていく過程なんだと思えば、乗り越えられます。松本先生の理論どおりだと思えるのです。
アトピー症状が出ている今は、治っていることが体で理解出来ますが、以前は、リウマチという病名を聞くだけで、暗い気持ちになっていました。他の患者さんの手記の中にも、痛さより精神的苦痛の大きさを書いていた方がいましたが、私もそうでした。でも今は、リウマチになったことが、仕事をしていく上でも、きっと私には必要だったんだと、徐々に思えるようになっています。
手記が遅くなり、申し訳ございません。私の手記も、皆様の手記と一緒にホームページに載り、リウマチで苦しんでおられる方の眼に留まり、間違った治療を中止して、松本漢方クリニックで受診されることを願っています。
リウマチ完治まで、あと少しの辛抱だと思っています。松本先生、スタッフの皆様、織田先生、大変お世話になっています。もうしばらくの間、宜しくお願いします。
松本先生に出会えたことに、感謝しております。有難うございます。