「リウマチ・ヘルペス手記、松本漢方クリニックのこと」
匿名希望 59 歳
2015 年 10 月 24 日
匿名希望 59 歳
2015 年 10 月 24 日
私程度の人間が、少し先生から距離をとって勝手な経験を書き連ねたり、論じたりする事は、とても恥ずかしい部分も多いですが、今回の松本先生との出会いの中で、申し上げたい事も多くありますので書かせていただきます。
私は現在 59 歳の男性で、写真家です。以前東京に住んでおりました時に、急性前立腺炎に罹って、救急で東大病院に入りました。次の日、血液検査の数値を見て、医者が大あわてで点滴の中にメロペンという薬を注ぎ入れました。
すると点滴を受けた2時間ほど後に、手のひら、足の裏から順に、腕、胸、足と首も動かせなくなり、激しくしびれ出し、手足が縮こまって体から離れなくなり、金縛り状態になり、3~4時間、恐ろしい時間を過ごしました。
それをその医者に電話しますと、私の事は余り気にせず、薬のデータだけを見て、「大丈夫です。」と言われました・・・?
その2日後も「大丈夫ですから。」と言って同じ事をされました。結果、全く同じ事が起こりました。その医者からすると、薬でなく私の体が変だという事なのでしょうか。日本で一番予約がとれないはずの東大病院の皮膚科に翌日回されました。当然、何も分かるはずもなく、次に神経内科に回されました。しかし、案の定、ここでも全く分からず仕舞いでした。
初めての東大病院でしたので、どんな事をするのかと思い、付き合いましたが、こんなコントの様な程度の低い「お医者さんごっこ」を一日中この建物の中でやっていたのだと思うと、バカらしくなり色々調べて日大病院へ参りました。
そこで先の東大病院の事を話しますと、東大病院に以前おられた先生がその私の担当医だった医者の事をよくご存知で「あの人ははっきり言って医者じゃない。薬の使い方、その薬の方向性を知り、左右見回して使う事を全く知らないんだ。あなたも運が悪かったね。」とおっしゃいました。
その先生はその日、触診から何から半時間もすると終わり、薬でいやな思いはせずに、2カ月で完治させていただきました。
以前かかった順天堂漢方クリニックや聖路加国際病院でもこのような事は、茶飯事でした。だから、これは明らかに医療ミスなどでは無く、根本的な医者達の考えの組み立て方に極めて深い問題があると思いました。そして、強い不信感を持つ様になりました。もちろん使い方によっては、良い事もありましょうが・・・
その様な気分の中、2013 年の秋に、左足小指の付け根の関節周辺に少しの腫れと違和感があり、いくつかの病院へ向かいました。しかし、どの医者にも「何でもない」と言われました。しかし、気になるので「リウマチでは?」と思い、下町の有名なリウマチ専門医の所へ行きました。血液検査を受けた結果、ほんの初期のリウマチと言われ、5、6種類のパンフレットを渡されました。まるで『本日めでたくあなたはリウマチ デビューです』の様な扱いでした。
次に医者がレーザー照射器を手に持って、壁一面に貼ってあるすごい数の薬のサンプルの中から、2つの薬にレーザーのポインタを当て、何も分からない私に「これにしますか?」とまるで洋服でも選ぶかの様に迫ってきたので、「ハーァ」と答え、薬をもらって帰りました。家に帰ってその薬を飲んだ私は、すぐに「感覚的にこれは違う」と思い、次の日、薬をまたレーザーのゲーム(?)で変えてもらったのですが、1 粒でアウト。こんなゲームを子供と2人暮らしの中でやっていられないので、その病院を離れました。
それからしばらくして、よくお世話になっている自然食品の店のご主人にこの一連のグチを聞いていただいたら、「実は大阪に漢方薬で治療しているすごい先生がおられるんです。私はその先生の論文をほとんど全て読んでいて、知り合いの何人かにすすめたんだけど、まだ一人も行った人がいないんですが、論文読んでみる?」と聞いてくれました。
数日後、パソコンをやらない私は、そのご主人から「プリントアウトできたよ」と言っていただき、リウマチ関連の松本先生の論文を 30 枚程いただきました。医学に無知な私には余り理解はできない部分もありましたが、「こんな方が世の中におられるんだ」と思いました。
そして、「予約はいらない」との電話の問い合わせのご返事でしたので、次の日に子供を友人に預かってもらい、新幹線に飛び乗りました。駅からごちゃごちゃした街を少し行き、突き当たるとビルの二階に松本漢方クリニックが見えました。
その入口には「ステロイド剤がほしい方は他の病院へ・・・」の様な事が書いてあり、何だか楽しくなって来ました。しかし待合室に入ってみると、診察室の奥の方からお医者さんの大きな激しい声が・・・。「大変な所へ来たかも」と思っていると、次に初診は鍼とお灸、それを終えてまた待合室で待っていると、またお医者さんの激しい声。話の内容が聞き取れる様になると、ここの漢方クリニックは『まず患者を病気と正面から向き合わせる事をやっておられるんだ』と分かりました。病気に向かって自己を確立させている。これはすごい、初めてだ。
普通の病院では、患者を客の様に扱うが、思い上がった言葉、しかし保身からくる言葉、どこかで聞いた言葉、さらに保身の薬と出てくるけど、「ここはそういった所とは違う」と思っていると、若先生の診察室に案内されました。
若先生の声を聞いたとき、「さっきの大きな声は別の人?」と思いました。若先生の問診を受けている間、さっきの声は隣からずっと聞こえていました。その声に私は神経を半分持っていかれていました。
若先生の問診が一通り終わると、今までかかった病気や私のグチといった雑談になりました。すると話の中身に反応した院長先生が、自分のいる隣の診察室との間にあったカーテンを跳ね上げながら、4 度も 5 度も中に入ってこられました。そして、「その通りやー」と必ず握手して、またご自分の診察室に戻っていかれました。私は「ここに私を受け入れて下さる所があったー」との気持ちと、それより大きく新しい道がある様に感じました。
そして自然食品の話になった時、院長先生と若先生の意見が違っていて、若先生は私に「私は院長と違って、これこれこう考えます。」と話されました。「これは本物だ。思った事を縦の関係無く言えている。院長が作られたこの病院は常に前に進んでいる。信頼言出来る!」と思いました。そして『ここは私のオアシス』という気持ちになったためか、今までの医者に対して不合理や、不条理を感じていた私の心と体が、軽くなっていきました。
リウマチの病状としては、私の場合、たいしたことが無く、ヘルペスに対応した治療を提案していただきました。この考え方にもビックリ致しました。数多くの体の不調もあった私の体に対して合点がゆき、「これはもうけた!良い所へ来た!」と思いました。
不調の中味としては、動悸、めまい、耳鳴り、倦怠感でした。それらもそれら以外も私が神経のイタズラだと思っていたものは、ほとんどヘルペスに当てはまりました。リウマチさんのご案内で本丸を見せていただいた感じでした。
「いい一日になったな~」と思いながら、東京に戻り、お灸、漢方浴剤と2つの漢方煎じ薬による治療を始めました。お灸をする場所は、松本漢方クリニックでマジックでマークしていただいたので、どれもそんなに苦ではありませんでした。
割と楽しんでやり始めると3~4か月続いていました。足の違和感は3日目ですっかり消えました。炎症かと思われたふっくらとした部分も3カ月程度で無くなり、足の甲の見えなかった腱の筋と申しますか、それがはっきり見える様になりました。以前から話を聞いて下さっていた整骨院の先生が、それを見て本当にびっくりしておられました。今も全くリバウンドはございません。
自分が回復して行く中で、生活面でたまっていた問題に1つずつ向き合う力が出てきました。以前から、子育てと東京の関係などの環境に疑問を持って時間だけが過ぎてしまっていましたが、それに取り組む事にしました。
移住です。その移住先探しはゼロからのスタート。少し不安もありましたが、この漢方薬は他の医者と違ってリウマチに対して免疫力をアップさせ対応する形をとっておられる実感がありましたので大丈夫と思いました。
「漢方煎じ薬は、3日間ならなんとか腐らず OK」との事でしたので、3日分をペットボトルに分け、氷と一緒にクーラーバッグに詰め込み、必ず3日で東京に戻るスケジュールを組み、岡山や大分に6~7回通いました。
そして大分への引っ越しも同じやり方でやってゆけました。全て松本先生とこの漢方薬に背中どころか全身を押していただいたお蔭だと、本当に実感しております。これは夢の様です。先生との出会い無くして考えられない世界です。
心より感謝を致しております。
そして先生の携帯電話番号を教えていただいておりましたので、他に色んな事があって、ほんのたまにお電話してみますと、即解決どころか更に先生のお声を聞いて必ずすっきりパワーアップしました。私のパワースポットであります。
前後しますが、「松本先生とお会いする前、頭皮の皮の一部がボロボロになる事が多くなったので、東京の皮膚科に行き、ステロイド剤を1週間だけ使用しました。その直後、足の違和感が始まったのですが、関係ありますか」と先生にお聞きすると「アトピーと同じや。漢方の入浴剤に入った時、頭もつっこんでみなさい。」と指導を受けました。そしてその通りやってみると、眉の上まで来ていたそれが1週間で改善しました!これまた「もうけた!」でした。
「全く、松本先生の漢方のお薬には、どれ程広く深い的確な理論と研究、勉強、経験、感性などに基づく研究、そして時間などが注ぎ込まれているものなのか。計り知れない身を切る程の努力の裏付けがあるのだろう。お金とご縁だけでこれ程の恩恵をこうむる事が許されるのか。私はそれだけの物を受け取って良いのか」とさえ思う気持ちと、ちゃっかりやはり「もうかった!」という気持ちがあります。
次に手記とは少し道は外れてゆく事になりましょうが、続けます。医学に無知な私でも、現在の一般的な医療や他の医者達に不合理、不条理を、どこに行っても感じます。子供の病院でも数多くの事を感じます。近現代の着物を脱いでからの日本人は、全てを捨て、1+1=2のように明確な口出しが出来ないステージの表面だけに、目に見える単純な理屈で基礎を作ってきました。そして、その上に積み上げた様な文明に振り回されている感がございます。
当然そこには、多くの別の問題が生き生きと成長して、そちらに問題のウエイトがシフトしていっている事は、どこにでも見受けられます。薬の副作用もその中の大きな柱であると思います。今や、子供たちの育つ学校の先生達は、浅はかにも、美しい文武両道という言葉の奴隷になり、『勉強とスポーツだけやっていれば子供の成長は OK・・・』と二元論で考えておられる様です。
教科も同じで歴史、地理、国語、数学、理科・・・もすでに小さい時から縦に割られ、教師には少しの脱線の余裕も無く、そしてそれらの教科と教科は繋がっているはずなのに、そこを教える教師もいない。教師が経験していないロボットのようで、時々、「この人達は、電気で動いているのかな」と思います。
このように縦に割って横などに無関心な世界は、行政にも柱として存在しますし、医学生の周辺にも大きく横たわっています。元々1つの細胞から始まり分裂を繰り返して出来上がる過程があり、つながりが無いはずが無いというのに。内科、外科、脳外科、循環器科、耳鼻咽喉科、消化内科、神経内科、皮膚科、診療内科、整形外科・・・などと多く、更にガンなどの多くの難病もやはり無関心な縦の壁に仕切られています。今や「専門医」などとケーキ屋さんのように祭り上げられています。
その様な単純な理論で縦に割ってしまいますと、出口から入る様にして天地左右を見てゆく力を落としながら医学生達は医療の勉強を進め、やはり1+1=2の頭でもって進む事が、すでに大学生の頭にはシステムセッティングされている様に思います。
すると恐らくヘビの尻尾のほんの一部を見せられて、何ヘビかを当てる芸当ぐらいしか出来ないでしょう。本来の本質を感じ、感性を動かして進む能力はゴミ箱行きで、これはおそらく薬をお作りの方々も変わらない今の本質でしょう。諸刃の剣の様な薬が世に出るのは、本来の目標を見失った製薬会社のあせりや広く深く真摯に命を見ないで、病気の一側面だけに強く囚われ、周辺との関連性が見えぬ浅い力、そこには間違い無くそれらの地下で彼らをコントロールする理性を失った競争心が織り成す利権絡みのカネの強い悪臭がします。だからよく薬の数が増えると、新しい病気がその数以上増えると聞きます。お医者さんと薬屋さんの天国ですね。今やこの国は、「これからグローバル化」などとよく言われますが、その基礎力の少ない人間ばかりです。そんな人間が本当にどんな役に立つか疑問です。「おそらくやっとこさ1つの歯車にはなれるかな」と思います。数学で申しますと計算は出来ても、状況を見て、式を作り、行動する、その経験において広く深く見ていける人が生まれない。いわゆるイノベーションを展開出来る人は生まれないでしょう。
しかし松本漢方クリニックでは、そんな現代の人間の余計な手垢の付いた新薬は本質において吟味され処方されない。ギリギリのところで対応される時もありますが、松本先生の軸足は、「薬になるのは原則、植物のみである」というところに強くあると思います。
人間の探求心が純粋であったころからのエネルギーが、時間が練り込まれて選び抜かれた漢方薬が、その道の先にあったのでしょう。現代人が手垢の付けられない自然の植物の歴史はありがたい。それはクラシック音楽の作曲家達が楽器の進化と共に楽譜に残せると言う事と交わると共に、わずか200年余りの間に白アリの孵化の様に連なって考えられない天才達が次々に生まれ、刺激し合い、人類の宝とされる様な名曲を作り上げた様に、中国文明の長い時間のわずかな一時期に同じようにして数多くの天才達が湧く様にして現れ、それを1人、1人が考えられない遥かに大きな力を時代から与えられ、そこから出たひとしずくが漢方薬の誕生と聞きます。
そこには手垢の付かぬ、植物と1+1=2という単純な考え方で進む事の許されない厳しい命懸けの臨床試験などの現実があったのだろうと推量出来ます。そして長い時間に耐え残ったこの深くて奇跡の様な知恵の宝庫をどうやらやっぱり松本先生は放っておかれる訳は無く、驕らない本質で感じ、まっすぐで余計な物を寄せ付けない感性で植物を使った先人の本来のやさしさの含まれた医師達の姿に自身の立ち位置を確信された方なのだろうと感じております。
しかしこれをこの現代人達の社会でやっていくことは、考えられないほどの幾多の苦難の壁に立ち向かい、はね返されたり、乗り越えたり受けて立ったり、崩れたり、そんな痕跡のある神経と、そこに宿った深い経験からくる観察力、そしてそれをまとめる1つの汚れなき感性が無いと全く出来ないことだと思います。
ここまでいくと強い。悲しい程、これが身に付いておられる松本先生は、これも1つの奇跡であります。しかしこれは当時の医師達よりも大変な事でしょう。そしてその姿勢を保つエネルギーは・・・。
以前、院長先生が「色々あったがオレはな、今、幸せに思ってるんやでー」とおっしゃったので、私は軽々しく、「今までの苦労があるからですね。」とリップサービスの間の手を入れてしましました。自分でも軽かったと思った瞬間、「そんな考え方は好きでないし、私はそう全く考えない。今も全身全霊で進む事しかないんや」と言われました。「何と湧水の様に澄み切った心で生きている生きものだ・・・」私の完敗でした。先生御自身の中にある業もその位置付けも、ごまかす事無くきちっと見て、前に進むことができる全く希有な人物だと思いました。例えるならば、人を切る道具として生まれ鍛えられた日本刀も、守り刀としての刀が一番の品性と言われるように。松本先生はその中でも「正宗の刀」と私は見ています。医者としては、患者に自身の病気を退散させる音楽を教え、自らの力で奏でさせる大指揮者の様だと普段思っています。
いつも電話の最後や診察室を出る前に、「病気を治すのは誰や?」と自主的演奏させる為のタクトを振っておられます。
手記の形になったか、かなり不安ですが、この様な事しか書けません。
すみません。病気に誘われ、観せていただいた風景のスケッチとして生意気をお許し下さい。