「正座が出来ること、駆け足が出来る喜びを
かみしめている!」
61 歳 女性
2016 年 4 月 13 日
61 歳 女性
2016 年 4 月 13 日
1、3年ぶりの正座と駆け足に感激
リウマチ治療中の平成24年10月、正座をしようとした時、突然左足の膝裏にかすかな痛みを覚えた。翌日には、その痛みが強くなり一週間もしない間に正座が出来なくなった。その後、どんどん左膝の腫れと同時に曲がらなくなり、軽くびっこを引きながら歩く姿に、職場の上司や同僚から「どうした?」と聞かれた。そして、何ともなかった右膝にも痛みが出だした。このままいったら私はどうなるのだろう。寝たきりになるのではないかととてつもない不安に襲われ始めた。びっこは日増しにひどくなる中、階段は天敵であった。この時初めて、手すりがあることの大切さを身に染みて感じた。上るときは、手すりをしっかりつかみ手で体を引き上げるようにして上り、降りるときは、手すりに体重を乗せ足の負担を軽くして、一段ずつ降りた。歩く速度も大変遅くなった。
そんな状態の私が、平成27年になった頃から好転し始め、28年の 3 月頃から僅かな時間ではあるが正座が出来るようになり、とてもスローだけれど駆け足ができるようにまで回復した。嬉しくて嬉しくて、これは、本当に奇跡だった。これもすべて松本先生の励ましと私の自己免疫の頑張りに他ならない。
2、信じるに足る二つの理由
松本先生との出会いは、平成21年5月27日。通院し始めて間もなく丸7年になろうとしている。この7年間決して心が揺れなかったと言えば嘘になる。友人から「大きな病院で診察を受けろ」と何度も言われた。なかなか好転しない自分の体に、本当にこのままの治療でいいのかと自問自答した時期もあった。
(1)製薬が信じられない
私のスタートは、KU 病院の膠原病科である。朝起きたら両手が浮腫み、しばらく直ぐには手が握れない状態が毎日続いた。リウマチの疑いがあるということで、KU 病院を紹介してもらい直ぐに膠原病科にかかった。担当医は、血液検査の結果では、まだリウマチという数値になっていないので、体質を改善する薬を処方するから1か月後に来るよう指示し、リウマトレックス(月水金に1錠づつ)を出した。
処方通り1か月服用するが変化は全くなく、手は浮腫んだままでもう1か月様子を見るということで、リウマトレックスをもう1か月続けた。しかし、全く変化がなく、次は、薬の量が増えることになった。が、一向に変化がなく、そのうち体調が崩れ、体がだるく感じるようになった。しかし、それでも、もう一か月様子を見るという言葉に、このまま続けても大丈夫なのかと真剣に怖くなりだした。
ちょうどその頃、リウマチに悩まされ、西洋医学の薬の怖さを身をもって感じているから漢方で頑張れと励ましてくれる友人と出会った。症状が悪化するにつれ薬がどんどん強いものになること、またその副作用で顔がぱんぱんに腫れ体がだるくて仕方がなく、歩くのがとても辛いなどなど、薬が合っているうちはいいが効かなくなると一気に症状が悪化する現状を語ってくれた。彼女は今、指も曲がり、肘も人工関節の手術を勧められている。彼女の体の様子と話は、何よりも西洋医学の薬の怖さを痛感させてくれた。
つまり薬が体に合い、一時的に症状が改善されたかに見えても、それは完治した訳ではなく症状を抑えているだけのことで、さらに薬により自己免疫が抑えられることで当然感染症にもかかりやすくなることは容易に予測できる。自分の体が、薬剤に反応しなくて本当に良かったと今思っている。もしあの時、西洋医学の薬で症状が治まっていたら、薬漬けになりながら、進行していくリウマチに恐れ慄いていたかもしれない。
(2)松本先生の言う通りに体が反応
松本先生は、聴診器も当てないし体も診ない。当初、何故なのか不思議でしかたなかった。今は、解る。先生は、必ず診察の最後に手を握る。目を覗き込む。それが先生の問診なのだと私は確信している。握り返す手の力量、話す中での目の勢いや輝き度合で、症状を的確に把握されているのだと思う。そろそろ痒みは出たか、赤いのは出てきたか。クラススイッチが入った。先生の説明の通り、私の体が反応していく。しかし、その反応が起こるまでとても遅く範囲も狭いので、人それぞれ違うのだと言い聞かせる。
ある日、風邪をひいてしまった。その時、膝の痛みが消え歩くのが苦にならなかった。風邪により免疫が活性化されたのだろう。職場の同僚に思わず「見て!ちゃんと普通に歩ける」と言った。不思議な現象だった。そして、風邪が治るとまた膝の痛みは復活した。しかしこのことで自己免疫の大切さに目覚めたように思う。先生の言う「自分の自己免疫を信じろ。自己免疫を上げることが大切なんだ。自己免疫を抑えてどうする。」の意味がようやくわかった気がした。先生の理論は難しくてなかなか理解できない。でも、自分の体がその通りに反応していく。こんなに確かな証拠はどこにもない。だから先生の言葉と免疫を信じ続けることにした。
3、今までの経過
平成21年1月 KU 病院受診 3か月半リウマトレックス服用。
症状:両手のこわばりと第二関節に僅かな痛み。
平成21年5月 松本漢方クリニック来院 漢方薬スタート。
症状:両手のこわばり、右足指付け根に若干の痛み。
6月 症状:左手の痛みがほとんど消えたがこわばりは有り。
平成22年6月 症状:ついに首回り、右手甲にアトピー発生。
7月 症状:アトピー増殖、顔の左ほほに100円台の赤味発生。
風邪のため鼻のかみすぎかと思ったら鼻の中にアトピーが発生しパンパンに腫れる。
8月 症状:首回りのアトピーが一気に治っていく。
プラセンタが自己免疫を高めるとテレビで見て、早く治りたい一心で飲み始める。後で先生に叱られることになる。
10月 症状:肛門の痒み、口にヘルペス発生。
平成23年1月 症状:首後ろに赤味と痒み発生。
2月 症状:血液の数値の変化が全くなく、先生から何か飲んでいないかと指摘を受けプラセンタを飲んでいると告白、自己免疫を抑えると教えられ即刻中止。
9月 症状:とにかく首の後ろのアトピーが痒い。
両手のこわばりも腫れも消えたが、ときどき浮腫む。
平成24年3月 症状:ようやく首後ろのアトピーが治る。
10月 症状:左膝に腫れと痛みが発生し、1週間後には正座が出来なくなり、2週間後にはびっこをひきながら歩く。嫌いだったお灸を毎日膝に実施。時折、手も浮腫む。そのたびに指にお灸をする。週一回、鍼灸に通院。
平成25年2月 症状:右膝にも痛みと腫れが発生。
このまま歩けなくなるかと心配したが、何とか歩け一年近く症状に変化はなかった。とにかく階段が辛かった。
平成26年2月 症状:右膝の痛みが消え、腫れが引きだした。左膝は、腫れたまま変わらず。
平成22年から続いていた肛門の痒みがようやく治まった。唇の荒れはまだ続いている。
平成27年2月 症状:左膝の調子が良好、腫れが少しましになってきたと同時に痛みもましになった。
1月 症状:首横、耳後ろ、唇の周り(拡大)にアトピー発生。とにかく痒い。
4月 症状:勢いが増す。
6月 症状:悲しいが、両手に浮腫みが出だす。
7月 症状:ようやくアトピー治まる。
12月 症状:首回り、耳後ろ再びアトピー発生が痒い。
平成28年1月 症状:スローランが出来るようになった。日に日に距離が延びる。
2月 症状:ついに正座ができた。
4月 症状:正座の時間がほんのちょっぴり長くなった。
今現在、左膝は若干の腫れが残るものの、日常生活に支障は全くない。長時間足を伸ばした状態から曲げたりする時に、固まっていて直ぐにはスムーズに歩けないが、以前のようなことはない。立ち上ることも支えなくできる。階段も手すりを持たずに、普通に上り下りできる。歩くスピードも周囲の人と変わらない。歩き方もほぼ正常。屈伸運動もできるようになった。ヒールをはいて歩けるようになった。すばらしい進歩だ。アトピーは、両耳の裏側と口回り、顔(目の下両ほほ、鼻、おでこ)に発生している。耳以外の痒みはほとんどない。
4、自分を見つめ直す機会
ある日突然に突きつけられた病気に理解できなかった。しかし先生から「ストレスが大きな原因だ」と言われ、改めて自分の今までの生活環境を振り返ってみた。すると驚くほどいろいろなことが一致していった。
(1)仕事の変化
私は婦人交通指導員として採用され、その後二回の身分切り替えで交通巡視員、警察官となった。警察に身分が変わったのが、平成19年春52歳の時である。警察学校に入校し、一線に出てからも早く業務に慣れるためと必死で頑張った。交通巡視員の時にはなかった当直勤務も6日ごとに回ってくる。慣れない業務、当直勤務の過緊張等、頑張らなければという気持ちで張りつめていた毎日、ストレスは並大抵ではなかったと思う。そしてついに牙をむいたのでしょう。今まで毎月正常にあった生理がぴたりと止まり、更年期障害が発生、突然吹き出す汗や動悸と闘いながら過ごした半年後に手のこわばりが出始めたのである。その後勤務地の異動など、新任地での人間関係や仕事環境に慣れることで、自分の体を考えているゆとりがなかった。
(2)ストレスを回避
ある日、仕事に対する集中力がなくなり考えがまとまらなくなった。若干のうつ状態である。この時初めて病気に対する自分の甘さに気が付いた。このまま無理をすればリウマチも益々悪くなるし、心も潰れてしまうかもしれない。そこで、仕事にかける時間を見直し、与えられた業務を無理までしてするのはやめよう。書類や資料の作成も高い質まで行かなくても良しとし、上司の力を借りるなど頑張りを止めることに努めようと切り替えた。(ただし怠けないこと。)上司からは何だと思われたかもしれないが、焦っても頑張っても出来ないのだからしかたがないと切り替えたら、心が軽くなった。
本部勤務に異動になり、当直回数が減ったこと(ラスト一年は当直も外してもらった)や仕事の進め方を考え直したことで、ずいぶんストレスが軽減されたように思う。そして何より、定年退職を迎えたことで、一切の責務から解放されたことで心が本当に嘘のように軽くなった。仕事をしながらストレスを無くすというのは本当に難しい事だと改めて実感する。しかし考えてみれば、リウマチになったからこそストレスを考えるようになり、自分の体と心と向き合うことが出来たのである。リウマチのおかげと言える。
昨年の11月に愛犬が老衰のため死んだが、約2か月ほど介護が必要で、夜中に2回トイレのために起きていた。体力的にかなり厳しく、膝が腫れてきたと思ったら直ぐにCRPの数値が上がった。こんなことも自分で読めるようになった。愛犬が死んだ翌月にCRPは正常値に戻った。自分の体がわかってくると、次の体調もわかるようになる。血液検査の数値の結果を聞かなくてもだいだい当たっていた。
5、今思うこと
松本漢方クリニックに通って7年の歳月は長いような短いようであり、ようやくトンネルの先に明かりが見えてきたところである。リウマチの疑い位だからと直ぐに治るものと勝手に思い込んでいた。自分でするお灸が大嫌いで膝に痛みが出るまでしたことがなかった。膝に来て初めて自分でやり始めた。もっと真面目にしていたらもっと早くに好転していたかもしれないし、プラセンタさえしなければ、膝に出ることもなかったかもしれない。恥ずかしながらプラセンタの張り紙は私のことです。
退職して早くも1年が過ぎた。仕事は止めても些細な家庭内でのストレスはある。概ね自分の体が読めるので、足や手の腫れ具合が予想できる。出来るだけストレスを感じないように、息抜きをしながら、ウォーキングと食事に気を配りながら生活している。この2か月間CRPは正常値になり、血沈も落ち着いてきた。プロティナーゼが若干高い(92.9)が、一時期(1943)に比べたら可愛いものである。先生の「後少しやな」の言葉に、心を躍らせている。私の免疫頑張れ!
6、保険外医療費について
定年退職後、医療費というものに初めて関心を持った。それまでは、職場で加入することとなる健康保険証を当たり前のように受け取っていたため、保険料にいくら支払っていたのか全く気にも留めていなかった。退職時に継続組合員とするため高額な支払いが来ると聞いていた。まさしくその通りで約50万円ほどを支払った。たった一年間の料金である。そして、今年確定申告で医療控除を受けるため、一年間の医療費を計算すると鍼治療も含め約60万円かかっていた。仕事をしている時は、何も考えなかったがこれは大変なことだと改めて感じた。高額な保険料を支払っているにもかかわらず、病院により同じ薬でありながら保険が効く所と効かない所があるのは如何なものか。人間の権利として保険制度が設けられているはずと思っている。保険料も納めているのだから平等に治療・投薬を受ける権利があっていいはずではないかと思うのは私だけだろうか。どんな病人だろうが、今は人が病院を選ぶ時代でもある。当然、うわさを聞き同じ病気を持つ病人が自然と集まってくるのは不思議なことではない。正しく保険料を納めている者として、保険外医療費がかさむことに異議を唱えたい。