今日のアフターダイビングは何を食べる?(その1)
橋爪準一
私たち夫婦は、スクーバダイビングと乗馬を共通の趣味としています。どちらも二人同時に始め、今も二人で楽しんでいます。
先日、群大千葉県支部幹事会後、暑気払いの席でダイビングの話をしましたところ、「そんなに楽しい事だったら、ぜひとも皆さんにお知らせしろ!」という事になりまして、今回、「わたらせ」に書かせていただく事になりました。
我々のダイビング歴も長くなりますので、数回のわたってお付き合いを、お願いいたします。
私は、群馬大学卒業後、一般企業に5年間勤めた後、中小企業事業団(当時)の中小企業大学校を経て、中小企業診断士の資格を取得し、工鉱業部門の経営コンサルタントとして独立しました。3年位たった頃、一緒に仕事をしていて、又、いつも大変お世話になっている大先輩のK氏から妻の雅子と一緒にダイビングをやらないかと誘われました。
K氏は、何年も前からスクーバダイビングにはまり、年に数回、主に海外で潜っています。気のあった仲間たちと一緒に南の島でダイビングをする事は本当に楽しいと私たちに熱心に話していました。
私は、小さい頃から伊香保のカッパ(私の出身は、‘いかほおんせん にほんの めいとう‘の上毛カルタで有名なあの伊香保です。)と呼ばれておりました。群馬の山奥で育った私は海へのあこがれも強くありました。ダイビングを始めたいと思う気持ちは日に日に強くなりました。
ただし、一つ問題がありました。妻の事です。実は妻は泳げないのです。水もお風呂以外こわいようです。また、彼女は声楽家で、ステージに立つことが多いので日焼けを極端に嫌います。この2つの理由からダイビングをやりたくないと言っておりました。
K氏から誘われて何ヶ月もたつのに私達がなかなか始めようとしないので、業を煮やしたK氏は私に「ダイビングをしないならもう一緒に仕事をしないぞ!」と脅しにかかりました。やっと仕事が軌道に乗ってきたのに、K氏から三行半を突きつけられたら本当に困ってしまいます。ついに私は妻にどうしてもダイビングをやってくれるように何度も何度も頼みました。妻も私の仕事に影響が出ては大変だとやっとOKを出してくれました。ただ、その条件として、「彼女がどんなにグズグズしていっても、どんな失敗をしても、絶対に声を荒げたり、怒鳴ったり、冷たくしたり、放り出したりしない」ということでした。そんな事ぐらいお茶の子さいさいですので、すぐその条件を飲みました。
いよいよ、私のダイビング計画が始まります。まずは、潜るためにはCカード(Certification Card)という認定証(免許書)が必要です。この資格を得るためにダイビングスクールに行かねばなりません。
その場所を私は沖縄に決めました。近いところで、通いで資格を取る事も可能ですが、せっかく嫌々ながら妻もやる気になっているので、沖縄のほうが旅行気分でいいでしょう。又、沖縄には彼女の大好きな学生時代の先輩もいます。彼女のモチベーションを上げるためと偵察をかねて、まずは沖縄旅行を計画しました。1991年3月の事です。ホテルは、昭和天皇も泊まったという当時、沖縄でNo.1のホテルハーバービューを選び、昼間は沖縄観光、夜は毎晩妻の先輩夫婦と沖縄の夜を楽しみました。私のモクロミどおり妻は沖縄がすっかり気に入ったようです。
彼女に言わせれば、沖縄旅行に行く前は、ダイビングをしたいが3でしたくないが97だったところ、旅行に行ってしたいが10になったという事でした。それでもまだしたくないが90です。彼女の気が変わらないうちに、旅行から帰って私はすぐに資格を取るための準備を始めました。今回はここまでにします。次回は資格を取りに言った時の事を書きます。
沖縄慶良間(ケラマ)諸島のアオウミガメ