その7
私と準一さんはヨーロッパ旅行の後、手紙だけのお付き合いでした。
そして、準一さん(ダーリン)が卒業して某大手メーカーのエンジニアとして就職した時から本格的にお付き合いをしました。
何?本格的って?
居酒屋に飲みに行ったり、レストランで豪華ディナーをいただいたり、ディズニ―ランドに行ったりってことです。
でも、その間、彼は富山、浜松と転勤になり遠距離恋愛で大変だったようです。
ちょうど、シンデレラエクスプレスがはやりで、「雅子がフライデーに載っていた!」と話題になったくらいでした。
その写真は私に似ていたようですが、最終の大阪行きで、浜松には停車しないので、私ではありません。
ドラマチックな恋愛を経て私たちは結婚いたしました。
結婚生活は静岡県藤枝市です。
結婚前にある程度、準備をしようと早めに運べるものは運びました。
その一つがイモリです。
イモリはご存じのように別名『赤腹』と呼ばれる両生類です。
千葉神社近くのペットショップで一匹200円で売られていたのを2匹買って育てていました。そして早や、10年。
お嫁入りのときにタッパーに入れて新幹線で藤枝に持っていきました。
ダーリンにはご飯のあげかたは教えました。うちのイモリンは甘えん坊なので、人の手からしか食べません。カメの餌の乾燥糸ミミズを一口サイズにちぎり「はいどうぞ」とお口のところに持っていきます。そうすると、あんぐり、食べます。
ダーリンは指ごと、イモリンに噛まれて、「きゃああああああああ」とその手を振り払ったのでイモリンはビューンと飛んで行きました。
「何するの!!!」と私はダーリンを叱りました。
私のイモリンは手塩にかけて大事に育てている子です。
水を変える時は父のご飯茶碗にイモリンを移します。
父は「やめろよお」と言いますがまんざらじゃないようです・
一つだけ、問題が起こりました。
結婚式の前に運べるだけ運ぼうと思ってイモリンを藤枝の社宅に運びましたが、新婚旅行の事を考えていなかったのです。
その間、誰がご飯をあげるかです。
ダーリンの上司の東大の博士課程を取った方に頼みました。そうしたら「オレ、嫌だよ」と及び腰に。
私は「弱虫め!!!!」と言い放ち、結局、ダーリンの部下に頼むことになりました。
東京の銀行倶楽部で結婚式、披露宴をあげ、中国の上海、杭州に新婚旅行に行き、千葉の京成ホテルでもう一度披露宴をあげ、
いよいよ、静岡の藤枝で新婚生活を送ることになりました。
新婚生活は、某大手メーカーの社宅で始まりました。
私がお腹を痛めて産んだぐらい愛しいシャムネコのポンポンと大介、そして2匹のイモリと一緒です。
社宅生活は大変でした。
噂ってすごいです。
私の小さなイモリがオオトカゲになっちゃうのです。
「出世したねえ」と褒めてあげました。
ここでも素敵な出会いがありました。
一つは、アマガエルです。
お庭に2層式の洗濯機を置いておりました。
排水の時にいつも、毎回、1匹のアマガエルが飛び込むのです。
「ダメじゃない!!!洗剤が入っているんだから体に悪いよ!!!」と言ってそのアマガエルをすくいあげ、近くの葉っぱに乗せるのです。
毎回です。
きっと、そのアマガエルは楽しみにしていたのでしょうね。
今でも演奏会の時に司会進行をお願いしている澤辺敏江さんとの出会いです。
結婚して社宅に引っ越して、社宅中にご挨拶に行ったとき、初めてお会いしました。
ダーリンの会社は今でこそ『軟派過ぎ!!』なコマーシャルを流しておりますが、実際はとても堅実で地味な会社なんです。
なので、「この会社の職員の妻たる者はご主人を陰で支えるべきだ」という風潮です。
ご挨拶に伺ったどの奥様も地味でおとなしい感じの方でした。
ただ、澤辺さんだけは違っていました。
『同じ匂い』がしたんです。
後日、改めて訪ねていきました。
「澤辺さん、あなたは普通の主婦じゃないね」
「あーら、わかっちゃった?司会のプロよ。」
今、時々アデランスのコマーシャルに出たり、コミュニケーション学を教えたりと大活躍の彼女です。
そして、もう一つは獣医さんとの出会いです。
ポンポンは爆弾を抱えていました。
膀胱炎になって血栓が尿道に引っ掛かっておしっこが出なくなったら、それを見過ごしていたら膀胱破裂になって死んでしまうかもしれないのです。
というわけで、藤枝に移ってすぐに獣医さんを探しました。
何より近いところがいいと思い、電話帳で探しました。
ポンポンを連れて事情を話すと
「まず、餌のアドバイスはなかったの?」
「カテーテルが取れないように気を付けなさいって、エリザベスを付けなかったの?」
(エリザベスとはエリザベス1世が付けているような首につけるカラーです。これを付ければポンポンはカテーテルを引き抜いたりしませんでした)
「私がついウトウトしてしまい、ポンポンがその隙にカテーテルを引きちぎってしまいこんな事になってしまったんです。私がうかつでした」
その言葉に対する先生の回答でした。
「何日も徹夜なんてできるはずないじゃない。その先生が勉強不足だったんだ。あなたは十分に愛情を注いでいる。できるだけ以上の事をしている」とおっしゃってくれました。
そして「同じような事例を治した先生が埼玉にいるから、紹介する」とも言ってくださいました。
埼玉の先生にお預けしました。結果は治りませんでしたが、この方たちこそ、獣医さん!という素晴らしい先生方でした。
社宅生活になじめなかった私を気使ってダーリンは会社を辞めることを決心してくれました。
中小企業診断士という国家資格を取って自立を目指すことにしました。
千葉の実家に父が持っている貸家に移ることが決りました。
ここが、今も住んでいる都町です。
藤枝の獣医さんに「千葉市に引っ越すのですが、どなたか先生をご紹介ください。」と頼みました。
どんなに有名な先生でも、以前の先生にお世話になる気はもうありませんでした。
「山根先生という方が私の先輩です。埼玉の先生の同級生です。都町というところで開業いたしております。」
「えっ!!!都町ですか!!!私たちは都町に引っ越すのです」
ものすごい偶然です。
私は山根先生と出会うために藤枝に行った気がします。
藤枝にはたった、3か月しかおりませんでしたから。