ここからは昨年書いたブログを貼り付けます。
2000年くらいにわが家にやってきたフェリーチェの事を書きます。
2013-09-28 11:59:10
テーマ:ペット
ホームページのコラムに私と動物との事を書いています。
今日も更新しました。
良かったら読んでください。
午前中に小学生のピアノの生徒さんがレッスンに来ました。
あとは4時までレッスンがないので書きながら泣いちゃっても、目の腫れはひくかな?
フェリーチェは約7年くらい前、彼女の意思でわが家で暮らすことになりました。
一つだけ問題があります。
わが家には当時、トンちゃんというオカメインコがいました。
結婚した1986年に『夢のお告げ』があってわが家に来た子です。
そのお話はおいおいホームページのコラムで。
お野良の時、フェリーチェはスズメもトカゲも食べていました。
私のところに「雅子さんは狩りが下手そうだから捕ってきてあげたわ。食べなさい」と目の前にポトンとスズメを落とされたこともあります。
私はキャーと悲鳴をあげ、2階のベランダに上って(近所中に響き渡る声で)「私はこう見えてもスズメは食べないのよ。食べられないのよ!!!!!」と叫んでいました。数分間、フェリーチェは「食べなさいよ。食べてみたらおいしいわよ。」と私とスズメを交互に見て食べるように促していましたが、私が食べないのを悟るとペロリと食べてしまいました。何一つ残りませんでした。羽一枚さえも。
トカゲも食べていました。フェリーチェの口から尻尾がスパゲッティのように一本出ていて、私が「あっ」っと言うとあわててツルリと口の中にしまいました。
そんな場面を見ているので、フェリーチェの事は信用できません。オカメインコのトンちゃんに対してです。
なので、トンちゃんのいる我々のベッドルームにフェリーチェはお出入り禁止でした。
トンちゃんがフェリーチェに食べれれてしまったら目も当てられませんから。
「ベッドルーム以外はわが家はどこでも好きな所をお使いください。自由にしてください。もうフェリーチェの家ですから。」
キッチンにフェリーチェのケージを置いて、その中にトイレを用意しました。
そこのトイレに連れて行き、フェリーチェの前足をもって砂を搔くしぐさをさせると、一回でそこがトイレとわかりました。
ご飯もキャットフードのみで満足しました。本当にまれに、たとえばお正月におせちの蒲鉾などをあげますが、一口味見をするだけで満足してくれました。きっとそれが長寿の秘訣でしょう。人間の味付けは塩分が多すぎますから。
トンちゃんは24歳で亡くなりました。びっくりするくらい長寿です。
亡くなったその日は、いきなりバタバタ羽ばたいて様子が変です。
籠から出してあげると私の手の中で私と夫に見守られながら命を全うしました。
鳥の最期を看取れるなんて奇跡のようです。
今、トンちゃんはお骨になってベッドルームにいます。
トンちゃんの肉体と魂が離れてから、フェリーチェはベッドルームに来るようになりました。
そしてずーっと入りびたりです。
トイレとご飯だけキッチンに食べに行く以外はほとんどベッドルームです。
ベッドルームには先代の猫たちやトンちゃんのお骨が置いてあります。
不思議な事に時々フェリーチェはそこをジッと見ているのです。
私はいつも感じているのです。高校1年生のころから私といつも一緒だった私の長男のポンポンちゃんが、フェリーチェがわが家の娘になることを許可したと。
なので、ポンポンがフェリーチェの事をいつも守っているし、アドヴァイスもしているって。
そして、フェリーチェはそれをいつもわかっている。
(お願いです。お骨を家に置いてあることに対して、意見は勘弁して下さい。
賛否両論あるでしょが、否と言う方の意見も分かりますけど。今は勘弁して下さい。)
今年の7月、フェリーチェの呼吸が少し荒くなりました。
病院に連れて行くと心臓の動きが良くないらしいのです。
しかも、車に乗せて病院に行くというのがかなりのストレスらしく口をあけてハアハアと今にも死んでしまいそうな様子になってしまったのです。
とりあえず、酸素吸入をし心臓の薬をもらって、週があけたら改めて検査という事になりました。
検査の結果、やはり心臓が悪いとの事。心臓が悪いので肺水腫という肺がむくんだ状態になっているので呼吸が苦しいとの事。それは心臓の薬とむくみを取るために利尿剤を飲むことでコントロールしていく。
血液検査ではとりたてて悪くないのだが、年齢によって腎臓が悪くなる可能性があるのでサプリメントで予防する事。
このような結果でした。
食欲もあるので、きっとこのままうまくコントロールしてこれから何年も一緒にいられるね。と思っていました。
しかし、次第にフェリーチェの食欲はおちていきます。
色々なフードをためしてみましたが食欲は戻りません。
フェリーチェは私に似てぽっちゃり体型です。(になりました)
体脂肪がたくさんあるから食べない日が続いても平気と思うでしょうが、実はそうじゃないのです。
太っている猫が何日も食べないと、自分の体脂肪を使うために腎臓にダメージを与えてしまうのです。なので、3,4日食べないという事は重大な結果を招いてしまうのです。
そこから私とフェリーチェの戦いが始まってしまいます。
ここだけです、後悔は。フェリーチェ、ごめんね、ママはどうしてもフェリーチェと一緒にずっと一緒にまだまだ暮らしたかったから・・・・
何としても食べさせようとする私と「もう食べたくない!」と言い張るフェリーチェ。
食べない中でも一番何とか興味を持ってくれたキャットフードをミルで粉にし、それを水で溶いてシリンジと言う針のない注射器で注意深く口の端から入れていきます。
いっぺんに入れすぎてのどに詰まらせたら大変なことになるので、すこーしずつ。
一日分のカロリーも計算して、何回も小分けにして。
次第に私とフェリーチェの関係が悪くなります。無理やり食べさせているからです。
病院の先生は「よく様子を見ていてください」とおっしゃいます。
しかし、私は普段から『よく様子を見ている』のです。
そんな私が『よく様子を見る』っていう事はどんなことかというと・・・・・
フェリーチェの身になると・・・・・
ストレスだったろうな・・・・
たえず、じっと見られて・・・・・
私は人からよく『明るくて、おおらかで』って言われます。
しかしすべての面がそうではないのです。
かなり細かい、融通の利かない面もあるのです。
『かなりおおらか』VS『かなり細かい』の両極端な人間です。
まあ、平均をとれば本当に『中庸』という素晴らしい結果が出るのでしょう。
今月に入ってから、手作りごはんのe-bookを買いました。
e-bookとはネットで配信される本の事です。
かなりの値段がしましたが、そんなことは言ってられません。
「ママは美味しいものしかフェリーチェに食べさせないよ」
骨付きの鶏肉から時間をかけてスープを取り、フェリーチェにシリンジで飲ませました。
「あら、美味しいじゃない」とまんざらでもない様子です。
しかし、お皿においても自らは食べてくれません。
上質のレバーも買ってきて裏ごしします。
これもいい感じ。
食が細くなってきているのと消化の良すぎるものばかり食べているので、5日間も便が出ていません。
エクストラ ヴァージンのオリーヴ油を大匙1弱飲ませると、1時間後にウンチが出ました。
少し硬いけれど、いいウンチです。
宝石のように美しいウンチでした。
消化吸収されています。
心を鬼にして食べさせて良かった。
しかし、これも永遠に続くことはなかったのです。
ここまで、やはり泣きながら、書いてしまっています。
あと1時間で生徒が来るので、続きはまたにします。
長々と付き合ってくださってありがとうございます。
昨日、久々に乗馬に行ってきました。
『いい奴 ルパン』と一緒でした。
その時の事も2,3日中に書きます。
ワインでほろ酔いダーリンとフェリーチェ
2013-09-29 12:28:32
テーマ:ペット
この頃改めて、なぜテーマの設定時に『ペット』ってしてしまったのだろうと思います。
私はすべての動物を『ペット』なんて思ったことがありません。
読んで下さる皆さんがわかりやすいことが第一と考えたんでしょうね。きっと。
『ペット』と書いて『私の大切なもの』と読んでください。
一種のキラキラネームです。
今日は一気に書いちゃいます。
うんと長いのですが、良かったら最後まで読んでくださいませ。
7月、8月は何とか無理やりに食べさせて1日の摂取カロリーをクリアしていたフェリーチェです。
トイレと水飲みは1階にあるキッチンに行っていました。
そのためには階段を上り下りしなければなりません。
トイレを終えて2階のベッドルームに帰って来ると、なおさら呼吸が荒くなっているのです。
2階にトイレを移動しようかとも考えましたが、フェリーチェはわが家に来てからずっと同じ場所でトイレをしています。
トイレの場所を変えることはかなりのストレスになると考えました。
フェリーチェはわが家に来てからしばらくはキッチンにずっといました。
なので、秋になって、過ごしやすくなり状態が落ち着くまではキッチンで寝起きもしてもらう事にしました。
9月になり、ますますフェリーチェは食べることを拒否し、私の様子を戦々恐々と見ているフェリーチェの目に私は悲しみを感じました。
でも、食べてもらわなければ! 薬は絶対飲まさなければ!
手作りごはんをあきらめずに色々な食材を試しました。
それでも小康状態かな?と思われる日々でした。
私たち夫婦は「もう病院に連れて行く事はしない」と二人で決めました。
フェリーチェを苦しめることはもうできるだけしない事にしよう。病院に行くとそれだけで呼吸困難になってしまうから。車に乗せただけでもはや、今、ここで死んでしまうのでは!と言うくらいの状態になってしまうのです。
自宅での皮下点滴をやってみようか?とも考えましたが、それも時間稼ぎ。やはり、口から食べてもらうのが一番です。
関係が悪くなっても、もしかしたらフェリーチェの気が変わって自ら食べてくれる日が来るかもしれない。そのことに期待しました。食べさせることと、薬を飲ますこと以外は自然に任せようと二人で泣きながら決めました。辛かった。
元気なころのフェリーチェは可愛らしい舌をよく出していました。
気持ちよさそうにあくびした後、ついうっかり舌が[th]の発音時のように出っ放しの時があるのです。その時は「舌が出ていますよ」と教えてあげると恥ずかしそうにしまいます。
しかし、9月10日を過ぎたあたりから苦しそうに少しだけ舌を出すのです。開口呼吸まで行かなくても息苦しいのでしょう。
食べること、おしっこやウンチをすることも呼吸困難につながっていきます。
おしっこやウンチは我慢できませんが、食べることによって苦しさが増すことを経験で知ったフェリーチェはますます食べることを拒否します。
9月16日の夜、フェリーチェの呼吸がどうやったら楽になるのか、改善のツボや指圧といった方法があるのかネットで調べていました。
そうしたら『酸素室』というものを探し当てました。
費用だって私たちが払えない額じゃあありません。
夫にそのことを伝えました。
ただ、夫は「もう、そういう事をしないって決めたでしょ?」と言います。
一生懸命、説得して,やっと「じゃあ、もう、ここまでだからね。フェリーチェを苦しめることになるんだからね。」と了承してもらいました。
翌朝(17日)8時になるのを待ってすぐに酸素室をレンタルしてくれる会社に電話をしました。そして、その日の昼、1時に届きました。
すぐに入れると、フェリーチェの呼吸が整ってきます。
小さなアクリルの箱ですが、自分がここにいると楽だとわかったのか、落ち着いています。
はじめは反対だった夫も「酸素室を借りてよかった」と言ってくれました。
その小さな箱の中に私も入り、フェリーチェに食べさせます。
しかし酸素室2日目の18日、フェリーチェはとうとう「もう絶対に食べない!死んでも食べない!」と強い拒否を示しました。これ以上無理強いすると本当に死んでしまうかもしれないというくらい激しい拒否です。
私はやっと悟りました。
そして、自分の部屋に行ってノートに『フェリーチェの嫌がることはもうしません。」と泣きながら20回書きました。
お水は飲んでほしいので、ポカリスエットを薄く作り酸素室に入れました。そうしたら、自分からたくさん飲んでくれました。
19日はウンチをしました。ちゃんと消化吸収されているいいウンチです。量はいつもの半分ぐらいで固めでしたが。
ああ、きちんと胃腸は動いているんだ。食べてくれたらいいのに・・・でも、もう誓ったので無理やり食べさせることはしませんでした。
「よかったらここに置いておくから食べてみてね。」とレバーペーストを酸素室に入れました。
しばらくしてから見ると、フェリーチェの舌の形どうりにレバーが無くなっているところがあります。一口食べてくれたのです。
自分で食べてくれたのはいったい何日ぶりでしょうか。
本当にうれしかった。私と夫は抱き合って喜びました。
酸素室が来てから私はキッチンで寝ています。
時々、酸素室の中でも呼吸困難で、「今なの?」(体と魂が離れる時はフェリーチェ自身が決める事と私たちは悟りましたから)という場面がありました。
「もう頑張らなくていいよ。ママたちは幸せだよ。」と声をかけました。
20日の朝、私はシャワーを浴びに2階へ行きました。
3日間もキッチンの床で寝ているので背中ががちがちです。
シャワーの前にマッサージチェアにかかろうと思い、座りました。
マッサージチェアの正面には先代の猫たちのお骨が置いてあります。
私、感じたのです。
ポンポンが「ママ、何やってるの?フェリーチェはここに居たいんだよ。ベッドルームに居たいんだよ。キッチンなんかに居たくないよ。」って言っているのです。
あわてて、キッチンに行くとフェリーチェに付き添っていてくれる夫に今の事を話しました。
夫は「そうだね。じゃあ、ベッドルームに連れて行こう」と早速、酸素室ごと2階へ連れて行きました。
ベッドルームに着いたフェリーチェは目を細めて安心した様子です。
呼吸も落ち着いています。
いつものようにBSで7時30分からの『あまちゃん』を一緒に見ました。
フェリーチェはおばさんなので朝の連続テレビドラマが大好きなのです。
ああ連れて来てよかった。
『あまちゃん』が終わると、座り直しました。
おしっこをしたようです。
シートを取り換えてあげるとお水を飲みました。
そしてもう一度「うーん」と踏ん張って・・・・・
後で見たら、ウンチをひとかけら ダイヤモンドのように美しいウンチがお尻についていました。
その後、急に呼吸困難になって、夫と私の見守る中、体から魂が離れていきました。
ちょうど、7時50分頃でした。
ベッドルームに連れて来てわずか1時間ぐらいの出来事です。
フェリーチェはキッチンなんかで死にたくなかったのです。
トンちゃんが亡くなってからずーっと入り浸っていたベッドルームで私たちに見守られながら行きたかったのです。
私はバカだなあ、そんなことも分からなかったなんて。
その日は、私はがんばって仕事をしました。
大人の人の声楽グループレッスンです。
きっと、まぶたが泣きはらして・・・何かあったんだって皆さんお気づきでしょうが、武士の情け、聞かずにいてくださいました。
聞かれたら、大泣きしてしゃっくりあげて、せっかくフェリーチェが頑張ったのに、私が頑張れなくなるから。
その仕事が終わってから、ずっと私たち二人はフェリーチェと一緒でした。
素晴らしい最期に立ち会えたこと、何よりフェリーチェと一緒に生きてこられたことに幸せを感じて。
とっておきのシャンパンをあけました。
少しだけ、フェリーチェに飲ませてあげました。
21日も午前中からピアノのレッスンをしました。
いつもと変わらないように、頑張ったよ。
そして、4時にペットの火葬場に連れて行きました。
立派なお骨に夫は「フェリーチェ、本当に驚かしてくれるなあ!」と健康だった娘に声をかけました。あまりに立派なお骨だったので、少しも崩したくなくて大きな骨壺に入れてもらいました。
わが家で最初で最後の娘はどの子より大きな骨壺でみんなと一緒に並んでいます。
いいよね、一人娘なんだから。
火葬場から帰って来る車の中で気がつきました。
BSの『あまちゃん』の後は7時45分からイワゴウさんの『世界ネコ歩き』という番組なのです。
私たち夫婦はいつも「かわいい!!!」と言ってみています。
ちょうど、フェリーチェが苦しみだしたのはその番組が始まる時だったのです。
「きっと、私たちに他の猫の事を かわいい!! って言わせないために、あの時間を選んだんだね。」と二人で笑っちゃいました。
23日の月曜日の朝、いつものように『あまちゃん』を見て、きっと近くにいるはずのフェリーチェに「面白いね」と話しかけ、
画面に『つづく』がでた時、「他の猫の事、かわいい~って言っちゃおうかな」ってフェリーチェに意地悪言ったとたん!!!!!!!
『世界ネコ歩き』は終わっていて『心の旅』になっていたのです。
イワゴウさんもフェリーチェに負けたのです。カンペキです!!!フェリーチェ凄すぎ!!!!
金曜日に乗馬に行ったとき、私のブログを読んだコバヤシさんが「お彼岸に亡くなる子って言うのは本当にいい子なんだよ。仏様が守ってくれるんだよ。」って声をかけてくれました。
嬉しかった。本当に嬉しかったです。
24日から夫はほぼ一週間、九州と大阪で仕事でした。
私たちにとって一番恐れていたことは
朝起きてフェリーチェが死んでいたらどうしよう
仕事から帰ってきてフェリーチェが死んでいたらどうしよう
一人で不安と恐れの中、死んでいったらどうしよう
そのことでした。
でも、それもフェリーチェが決める事。
なので、夫に「もし、準ちゃんが出張中にフェリーチェが死んじゃってもそれは受け止めてあげてね。私はちゃんとやるから。」と話し合っていました。
これもバカでした。
もっと信用してあげればよかった。
私たちに見守られてその時を迎えるに決まっていたじゃない!
出会いから、何から何まで計算ずくの完璧なフェリーチェです。
『お見事!』まさに、その言葉です。
天使のような自慢の娘、今も私たちの周りに気配を感じます。
自慢の息子たちと一緒にパパとママの周りにいてくれるのですね。
長いブログに付き合ってくださってありがとうございます。
明日からは、いつものブログに戻ります。
11月には演奏会もあるし、優しいパパと元気なママがフェリーチェは大好きなんだから。