(その12)
ダーリンは見事、一次試験を通過しました。
次は2次試験だ!という時に
「中小企業診断士と言う資格は役人や商工会議所、銀行員などが持っていれば有効だが、一般民間人が持っていても資格を生かしきれないという事から大学校はなかなか民間人を入学させてくれないのだが民間人が入れる可能性は0ではない」と、父がアドバイスをくれました。
どうやら、父もいろいろと調べてくれたようです。
ただ、民間人は『排除』という暗黙の了解はあったのではないでしょうか?(私だけの考えです。関係者さん、違っていたらごめんなさい。)でも、受験料を払えばいいだけの話なので、ダメもとで受けてみよう!という事になりました。
我が夫をこんなに褒めるのはどうかと思いますが、彼はやりました。
狭い間口をこじ開けて、中小企業大学校の診断士コース、鉱工業コースに入りました。
コツコツと勉強した花が咲きました。
ここで一年間、みっちり勉強することになります。
同期は彼以外はほとんどが役人、そして数人の銀行員です。この時の素晴らしい仲間、先生が彼の財産です。
合格のお祝いに長崎に旅行に行きました。
そこで『長崎バイオパーク』に行き、「こんな楽しかったことは初めて!!!」というくらい楽しみました。
ほとんどの動物が放し飼いなのです。
カピバラにも触っちゃったし、リスざるは肩に乗って来るし、ペリカンは勝手に私たちの後をついてくるしなどなど
一昨年、(2012年)母と長崎バイオパークに再び行きました。
でも、だいぶ制約が多くなって、前ほどは楽しめませんでした。
よき時代だったんだなあ。
昔の方がよかった!
そんな年よりじみた感想が出てしまいます。
私たちの新婚旅行は中国でした。
「中国の写真を見ているとなんだか懐かしい。きっと私の前世は中国人だったんだ。だから前世をたどる旅をしたい」
と言って、新婚旅行先を決めました。
1986年、この時の上海は戦前の『魔都』の雰囲気を残した、ミステリアスなところでした。
その後、20年くらいたってから行った上海は「東京と同じでつまんない!」ただの立派な大都市になってしまったのでした。
ダーリンが大学校に通うようになって、私はお弁当作りに精を出しました。
「あっ」と驚くお弁当を毎日作るのです。
たとえば恐竜の卵のようなものを作ったり
(1、かた茹で卵を作る。
2、ケチャップご飯を作っておく
3、かた茹で卵のまわりにケチャップご飯をくっつける
4、小麦粉、溶き卵、パン粉をまぶし、油で揚げる)
この気持ち悪い卵は何の卵?というものを作ったり
(1、茹で卵を作り、殻をむかないでヒビだけ入れる
2、みどり色の食紅を溶いた水の中に1のひび割れ卵を漬けて一晩おく
3、殻を取ると、ひび割れのところに緑の筋が・・これが非常に気持ち悪い)
お弁当のふたを開けるとご飯しか入っていないように見えるお弁当を作ったり
(おかずをすべて下にひいて、その上に白いご飯で覆う)
真夏は食中毒が怖いので止めていましたが、せっせとお弁当作りに精を出した妻の鏡のような生活でした。