(その14)
大ちゃんは3か月に一回、健康診断に山根先生のところに行きます。
悪いところはどこもないのですが、念には念を入れます。
ある日、山根先生が大ちゃんを診察しながら
「橋爪さんちには大ちゃんがいるからなあ・・・・ブツブツブツブツ」
と独り言を言っています。
「なんですかあ?」」と聞くと
「実は病院の入口に段ボールの中に捨て猫があったんだよ。チンチラペルシャと、ベルシャのタビ―、それとものすごく大きな日本猫」
「ちょっと見せてください」
山根先生はチンチラペルシャをわが家の養子にと考えていたようです。しかし、私は隅でふるえているペルシャのタビ―が目から離れません。まるで「僕を救いだして」と訴えているようです。
後で知ったのですが、チンチラペルシャと巨大日本猫がペルシャのタビー(のちの三郎)をいつもいじめていたのでした。
「もしかしたら大ちゃんのお友達になってくれるかもしれないので、もらっていきます」と私は決めてしまいました。
ポンポンと大ちゃんが仲良く暮らしていたあの頃をもう一度見てみたかったのです。
大ちゃんが三郎を受け入れてくれたら、大ちゃんも私たちが留守の間、寂しくないでしょうし。
三郎は、玄関から入ったところに、つないでおきました。
そうして、私はダーリンに「この子は三郎と名前を付けました。山根先生からいただいた子です。」とメモを書いて、仕事に出かけました。
仕事は実家でピアノを教えていたのですが、そこにダーリンからものすごい勢いで電話がかかってきました。
「後で事情を説明するから」ととりあえず切りました。
ダーリンが仕事から帰ると、「ガサガサ!!」と物音がしたようです。
夕方で、家の中は真っ暗だったようで・・・・
ダーリンは「どろぼう!!」と思ったようでした。
息をひそめて様子を見ると、どうも人間では無いようです。
そこで、明かりをつけると、毛むくじゃらの猫がいたという事です。
「出会いが悪い!!!」とダーリンは結構長い間、この時の事を怒っていました。
三郎は3歳くらいの男の子です。
チンチラペルシャと巨大日本猫と3匹で飼われていたようです。
どういった事情でか飼い切れなくなって、山根動物病院の玄関に捨てられていたようです。
後に、チンチラペルシャは私の父の友人にもらわれていきました。
そして、三郎は・・・残念ながら、大ちゃんが「ポンポン以外の猫とは仲良く出来ない!!」と拒否をし、
私の実家で暮らすことになりました。
でも、私の両親や祖母たちが愛情たっぷりに育ててとても幸せな一生を送りました。
弟が結婚し、手伝いに来ていた祖母が来なくなってから、長毛種である三郎の手入れが行き届かなくなったので、わが家に引き取ることにしました。この年の1月にすでに大ちゃんは大往生をいたしました。
三郎を引き取って何日もしないうちです。
最期は心臓病で、あっけなくたった一日で亡くなりました。
その前の日にはダーリンの部屋に遊びに来て、最初の出会いのわだかまりも解け、これから仲良く家族になろうとした矢先でしたが。
大ちゃん、嫌だったのかなあ?
私たちが他の子とイチャイチャするのが。
焼きもち焼き屋さんだなあ。こんなに愛されているのに。
焼き場で「この子は、赤ちゃんの時に栄養が足りてなかったんですね。骨がボロボロです。」
可愛そうな三郎。3歳からは私の実家で悠々自適に暮らしていましたが、それまではいじめられ、辛い時間を過ごしていたのでしょうね。
山根先生のところに定期的に連れて行く時、山根動物病院に居残ったあの巨大猫の鳴き声を聞くと、一気に体温が上昇してしまいます。よほど怖い思いをしていたのでしょう。トラウマになっていたのでしょうね。
三郎の遺骨はやはりわが家にあります。
でも、魂はわが家でなく、祖母と共にいる気がします。
祖母が「さぶちゃん」と、本当に可愛がっていた子でしたから。