その2
千葉大学教育学部附属中学校に進学しました。
そこで、音楽の武田和子先生と出会い、そのお美しいお姿と美声に憧れ、「私も声楽家のなりたい」と思いました。
そして、高校は国立(くにたち)音楽大学附属音楽高等学校に入りました。
くにたちの受験を許してもらえた条件は『寮に入ること』でした。
自宅から2時間半かかることもありましたが、新宿のような繁華街を通って行くのが父にとっての一番の心配の種だったようです。
寮生活は毎日が『修学旅行』みたいなものだと思い、かるーく考えて、逆に楽しみにしておりました。
さてさて、いよいよ寮生活が始まります。
くにたちの音高は本当に自由なところです。
制服がないのも『芸術家は自分にとって何が似合うか考えなければならない』という事からです。
千葉大附属中も制服がありませんでした。
それは「あなたたちは選ばれてきた人たちです。中学生らしい服装とはどんなものかおのずとわかるでしょう。なので制服がないのです。」とはえらい違いです。
高校の入学式に黄色いイブニングドレスでオストリッチのストールをまいている人を見てぶっ飛びました。
その人は音楽中学からの人です。
そんな自由な高校なのに、寮は勝手が違います。
「大事なお嬢さん方を預かっているのだから」と寮母さんが厳しく私たちを縛ります。
学校に行けば「これが高校かい!!!」と言うくらい自由なのに、寮では「良妻賢母を養成します」のようなギャップです。
寮生は全国中から集まってきています。
千葉は2時間半で帰れますが、九州や北海道はそうはいきません。
なので、めったな事では家に帰らせてもらえないのです。
週休2日制(土日は家でたくさん練習しなさいって事です)なのに、金曜日の授業が終わっても家に帰れません。
演奏会を聴きに上野に行った帰りも、千葉の方が近いのに国立に帰らなければならないのです。
私は「お家に帰りたいよう」と父に毎日手紙を書きました。
毎日毎日なので、郵便事情で2通いっぺんに届くこともあったようです。
根負けした父は「家から通ってもいい」と言ってくれました。
ようは、1年生の夏休みが始まるまでしか、寮生活してないって事です。
私だけじゃありません。
千葉県習志野市に住んでいる同じ部屋だったアーコもやはり、寮生活に耐え切れずに夏休みまでで寮を出ました。
アーコは結婚して『加戸あさ子』になってピアノソロや伴奏などピアニストとして活躍しています。
私とも何度も共演しております。
千葉県八千代市に住んでいるルミちゃんは偉かった。
冬休みまでがんばった。
結婚して今は宇喜多留実になってピアノの先生をしています。
今でも二人とも大の仲良しです。寮の2階に部屋の窓から焼きそばUFOのお湯を一緒に捨てました。下に人がいなくて良かったね。
寮の先生からは「千葉の人はもう入れません!!!」と言われちゃったようですが、千葉も広いですから。
高校生の私は競馬に凝っていました。
金曜日の学校帰りに国立駅のキヨスクで競馬新聞を買って土曜の競馬の予想をしながら電車で帰ります。
ただ、車内で新聞を広げていたら、隣のオッサンに「ネエチャン、どの馬が来るかね?」と言われ怖い思いをしました。
国立は府中が近いので競馬に興味のあるオッサンがけっこう電車に乗っているのです。
その年のダービーは荒れました。
しかし、私が父に助言をした馬が勝ったもので、父は大儲けをしました。
0000000-が勝ったあのダービーです。
歳がばれるので。
父が「雅子がこの馬にしなさいっていって勝ったのだから、雅子の好きなもの、何でも買ってあげる」と言うので「猫が欲しい!」と言いました。
「外国出張から帰ってきたら買ってあげるね。」と約束してくれました。
父が出張から帰ってきたので「パパ、ネコ買ってくれるんでしょう?」と言ったら「もう買ってきたよ」と言います。
「え!!!!!どこ?どこ?」
「ほら ここ!」
父は私に黒檀で出来た猫の人形を見せました。
私は父に騙されたので悔しくて大泣きをしました。
父は私に弱いので「ママが、良いって言ったら買ってあげるよ。」と言いました。
私は「約束だよ」と念押しし
自分の部屋に行くと、白い紙を持って母のところに行きました。
「ママ、ママってどんなサイン書いたっけ?ここに書いてみて?」
と白紙を差し出しました。母は「こうよ」と自分の名前を書きました。
もう一度自分の部屋に戻ると。母の名前の前に
『猫を飼ってもいいです』の文章を付け足しました。
それを父に見せました。
そこには
『猫を飼ってもいいです
関根博子』
の文が書いてありました。