20110706

Post date: Jul 12, 2011 4:22:33 PM

情報メディア特別講義「エンタテイメントバーチャルリアリティ」

今回は前年の動画を多めに使った作品紹介講義とは対照的に、エンタテイメント業界に生きるためのバーチャルリアリティ技術者としての生き方、考え方、を中心に講義をしてみました。

作品紹介はYouTubeやこのホームページでも公開していますし、昨年のスライドショーもおいてあります。

また次週の小坂先生が(きっと)やってくれるでしょう。おもしろいことを。

<以下受講者の感想です>

遊びについて起源から知れてとても興味を持った。

特に「感覚的に遊ぶ」とか、「象徴的に遊ぶ」とか考えたことも無かった。

すべてルールのある遊びだと思っていたためです。

でも自分は今でも感覚的に遊んでいることが多々あります。

そういったことを見つめ直すいい授業でした。

ありがとうございました。

ちなみに初めてゲームをしたのは、5歳のときだと思います。

(白井)現在普及しているビデオゲームは3つ目の段階であるルールプレイが前提となっているプレイデザインがほとんどなのですが、ゲームのレイティングをしているCEROなどは「3歳児にとって危険でなければA」といった指標になっている点は(業界団体であり独立審査機関ではないという点で)問題はあるかもしれません。たしかに3〜4歳児でも某レースゲームなどが遊べる子どもはいるのですが、レースゲーム=競争(アゴン)という学習をしながら他者との関係・ルールを学ぶわけです。遊びを支える基本原則である「自由」という点にも問題が多いのでは。

講義の中で最も興味深かったのはキャズムについてである。自分はキャズムのどの部分に当たるのかを考えた。そして、自分はラガードに当たると思った。なぜなら、新しいもの好きでそれによる少々の痛みは厭わないからだ。特に新しい技術に目がないのもそれを特徴付けているのではないかと思った。

今回の講義では、これからの生き方でとても大切なものを学んだ。さらに説明が具体的で非常に分りやすかった。年収などお金のことに関してもはっきりと答えてくださったのでとても参考になった。

(白井)ラガードという自覚のあるイノベーターですね。

今回の講義のテーマ「フィジカルコンピューティング」は興味深い話でした。

単に、プログラミング技術が必要というだけでなく、電子工作スキルが必要となってくると言うお話は確かに、と思いました。

自分の思うものを作るなら、それを作るためのアイデア、プログラミングが必要だし、それを形にするなら、電子工作スキルが無いと作れません。

それは当然のことですが、自分が興味深いと思ったのは、作る過程です。

いきなり作り始めるんじゃなく、自分のアイデアを描き、ダンボールなどで作ってみて、発泡スチロールで改良して、最低限の実装を施し、木で作ってみたり補強したりすると言う何段階も「試し」て見るところです。

実際に作ってみて、うまくいかなかったから一からやり直し、ではなく、物事を建設的に見つめできるまでのイメージをして作っていくのがいかにも「プロ」っぽいなと思いました。プログラムと技術が両立して、なしえることができるものです。

それに、最近ではFunnelがあると、お聞きしました。

C++をJavaに変えたり自分の得意な分野で作ることができる、と言うから驚きです。

さらに、万が一できなくても誰か他社の手を借りる、「Do it yourself」から「Do it together」へ動き出す。

一人でできなくても、みんなで作れば不可能でない。自分の欲しい商品を作る。まさに今、世界はそのような流れで動いています。

これからをはFunnelのような「個人で簡単に」できるような物に焦点があてられてゆくんだと言う実感をしました。

提出締め切りを越えてからの提出まことに申し訳御座いませんでした。

(白井)先週の講義の内容を教えてくれてありがとう(笑)

講義をうけて年代、出身などさまざまな状況によって人の感じるものが違うとわかった、そのことから他人と同じことをせず自分の感じることを生かして仕事をしてみたいと思った。

これから生きていくのに沢山の壁が立ちはだかると聞いたので少し不安があるが、自分の壁と向き合い世の中との関係を見つけ生きていく目的を持っていくことが大切だと理解した。

自分のやりたいことの中に方向性を見つけ遊びを取り入れることでエンターテイメントはうまくいくものだと自分は思いました。

始めてゲームのキャラが動かせて楽しいと感じたのは、初めて小学校1年のとき任天堂64を買ってもらって始めはどうやって操作するのか説明書がよくわからなかったのできちんとキャラを動かせた時、嬉しかった覚えがあります。

(白井)少なくとも作っている側が「楽しい」と思えないと、ということでもあります。実際作っていると「これほんとうに面白いのかな」と悩むことは日々あります。でもその壁を超えると、突然「誰も作ったことがない面白い物」がみえてきたりします。それは生まれて初めてゲームの中でキャラを動かすことが「楽しい!」と思えることに似ているかもしれません。そんなに難しいことじゃない、と思い込むのも大切かも。

今回の講義で感じたことは、まず自分の価値観をあげていかなければならないと感じました。

価値観をあげていくことで自分の普通のレベルをあげて社会に適応していきたいと思いました。

そして、純粋に物事を考えて作品を研究していかなければならないとわかりました。

最終的に、自分と世の中の関係を理解していくことがとても大事なことだとわかりました。これからは、生活するうえで世の中との関係を少しずつでも意識しながら生活していこうと思いました。

(白井)「価値観をあげていく」とは新しい表現だな。

バーチャルリアリティはヘッドマウンテッドディスプレイなど、様々なデバイスに3DCGなどで情報を表示し、直感的に理解することができるすごい技術だと思った。また、ゲームや映像アミューズメントだけでなく、医療や教育、その他の多くの分野での応用など幅広く活躍していてすごいと思った。

(白井)残念ながらそんな話は一切していません。私の釣りに見事に引っかかっていますね。

今回の特別講義では改めて自分が本当に何がしたいのか、考えさせられました。

いずれ自分のいる場所がただの消費者ではなく製作者としていたいという思いが以前より強くなりました。そして、講義を受けてやはり製作者は多くの人のことを考えなくては面白い物を作るのは無理だと改めて考えさせられました。

(白井)こういう話を聞いて、それでも『製作者としていたい』と思う、という体験は大変重要です。良い回り道をしよう。

ぼくがゲームが面白いと感じたのは幼稚園のときでした、親のPCでゲームをするようになり、そのうちゲームボーイなどの携帯ゲーム機で遊ぶようになり、やはりスーパーマリオなどの単純だけど単純だからこその面白さも気付いたからです。

ぼくは携帯などの最新機種などに興味はあるが、今の使い慣れているほうがよいということで4年前のを未だに使っている。変えたいとは思っても変えた後今のように使いこなせるか疑問だからだ。ラガードに分類されていると思うので少しでも変えていきたいと思う

子宮で胎児がお腹を蹴るのはゲームで自由にキャラが動くのが楽しいと思うことと同じか?という課題を受けて、先日産まれた姉の赤ん坊を思い起こしました。

生後3週間の姉の赤ちゃんは、腹が減った時か(汗や排泄で)気持ちが悪い時だけに泣いてアクションを起こしますが他の時は周囲にアクションを起こすようなことは滅多にありません。生きることで精一杯で遊ぶ余裕などないのだろうと先生の講義を聴いて思いました。

では子宮の中ではどうなんだろうと考えます。生まれるか生まれないかの瀬戸際で生きるのに精一杯なことは確かだと思います。となると生きるのに精一杯なら「遊ぶ余裕などない」ということになってしまいますがそれでは素っ気無くてツマラナイ結論だと感じました。

赤ちゃんがお腹を蹴ったときに外にいる僕らも子宮を隔てて赤ちゃんに触れることができます。一方赤ちゃんもお腹を蹴るとまだ見ぬ外界という未知なるものに接触することになります。自分のアクションが自分の考えもつかない未知なる物に触れることができる。このことは赤ちゃんでも楽しいことなのではないかと考えます。(赤ちゃんという未知なるものに触れられて僕らはとても楽しい思いをしました。)

その証拠に赤ちゃんは産まれた直後、まだ羊水まみれの状態で周りの未知なる世界をめいいっぱい目を開けてグルングルンと見渡そうとしていたそうです。人は生まれながらにして未知なるものに興味を持っているのだと感じました。

ゲームも先のわからない未知なるものです(先がわかっていたらそれはツマラナイゲームになってしまいます)、自分の操作で未知なるものに触れていくという点で、子宮の中で胎児がお腹を蹴ることとゲームで自由にキャラが動き自分に新しい興味を与えてくれることとは同じ楽しみだと考えます。

ゲームを初めて面白いと思ったのは小学生1年生だったと思います。幼稚園まではルールがないほうが楽しめていました。

TVゲームは小学生3年ぐらいだったと思います。ただ現役の子達とは年齢が随分違うので参考にはなりにくいかと思います。

授業はとても面白いもので色々考えさせられました、ありがとうございました。

今回の講義を聞いて、最初にゲーム制作の企業などに就職し、働くうえでの心がけを聞くことができたので、このことを忘れずにこれからも勉強していきます。

さらにエンタテインメント・バーチャルリアリティがゲームなどで表示されている空間を現実のように見せることができると知り、大変興味深かったです。

今回の講義、担当の先生が白井先生だと分かった瞬間今日は面白いと思える講義になるだろうと確信しました。先生にはC言語の演習でお世話になっていて、その時に話が上手くてユーモアがある先生だなと思ったからです。

1限目の講義で眠たくなる時間帯でしたが、今回は集中して話が聞けることができ楽しかったです。

ちなみに初めてゲームをPlayしたのは6,7歳の頃だったと思います。

初めてPlayしたゲームタイトルは「バイオハザード」です。

今回の講義で「キャズム」という言葉がでてきたが私はその中の「イノベーター」か「アリーマジョリティ」だと思います。自分の趣味の娯楽の場合は「イノベーター」ですが。趣味以外は実用的か見るので「アーリーマジョリティ」だと思います。

初めてゲームをして楽しいと思ったのはいつ頃からかは、はっきりと覚えていないですが車のレースゲームをして楽しかった記憶はあります。ゲームをやったのは3、4歳からぐらいだと思います。自分のことはあまり覚えていないので私の弟のことですが、現在5歳で、操作が単純で、ルールもわかりやすいゲームは楽しそうに長い間やっていますが、操作が難しかったりするとすぐにやめています。そのためゲームによって楽しいと感じていると思います。3歳の時には、ただやっているだけでしたが。4歳ぐらいから楽しそうな表情も見せているのでおそらく4歳ぐらいから楽しいと感じ始めたのだと思います。

最初に、面白いポーズをしてくださいと言われたとき何もポーズをとれませんでした。なぜかと言うと、面白いポーズってどんなだっけと考えてしまったからと思います。講義を聞いていくうちに面白いとは人それぞれ違うとわかり、みんなが面白いと思うことを考えるのはとても難しいと思いました。ゲームを作るとき、アーリーアダプターより下の人たちにゲームを売るには共感が必要で、それが面白い、ストーリー、システムなど、どれかで共感を得ないと売れないことが判りました。自分は、今までコンシュームするだけだったのですが、これからはコンシュームするだけでなく、そこから何かに生かせるようにいろいろ考えていこうと思います。また、また、今までは、新しいものにも、興味がなければまったく反応してこなかったのですが、これからは、新しいものにも常に注目してこれからに生かしていこうと思いました。

エンタテイメントバーチャルリアリティの講義

・エンタテイメントとは、人間の娯楽に使用するようにデザインされたコンピュータシステムであること。

・「遊び」の研究

「遊びの分類」が近代の傾向・発達心理学:年齢ごとの遊びの分類

「観察と分析」が現代の傾向

・「遊び」の種類

感覚運動並び・象徴的遊び・ルールのある遊びなどの種類がある。

・ゲームのキャラクターを見たとき自分はどう思ったのか?

私は小さい頃、スーパーマリオやドンキーコングなど様々なゲームをたくさん遊んでいました。しかしマリオやドンキーコングのキャラクターを見たとき私は何も思っていませんでした。そのキャラクターを意識せず、無意識のまま遊んでいました。

なぜキャラを意識しなかったのか?私は考えてみましたが答えが見つからず、どうしてなのか?と不思議に思いました。

この講義の中で一番印象に残っているのが、ディレクションについてだった。

私は、プロダクションCGクリエーター特訓に1年から参加し、2年になってからCGアニメ―ションをグループで作り、コンテストに出すというプロジェクトで監督という立場を取ることになった。最初は何をして良いのか分からず右往左往していたが、技術力で引張っていこうという決心をしたら、うまく回るようになった。白井先生の講義を拝聴し、ディレクションをするということに対しての自分の選択が間違っていなかったと感じ、安心した。コンテストの応募締め切りは7月末なので、気を引き締めてより一層頑張っていきたい。

また、学生のうちに何かをしておきなさいという先生の意見に対しては、私も大いに賛成で、せっかく設備が揃っているのに、何も行動を起さない人がこの学校には多いように感じるからだ。

人事なのでどうでもいいが、何もしていない人間と、何かした人間が同じ社会というステージで果たして同等に戦うことができるのか、疑問に思う。

ゲームでキャラを動かせるのが楽しいと思ったのは5歳の時にやったポケモンです。自分で思ったように動かせたのがとても新鮮でした。

また、今回の講義のテーマがエンタテイメント・バーチャルリアリティーについての感想として、人生の壁というこれからの壁についての話を聞けて、

改めて頑張っていこうと思いました。

”スイトックに色々な事を考え、自分との壁を越えなくてはいけない”という言葉はとても心に響きました。

キャズム以上でないと最終的に自分が生きていくことができなくなります。

これから将来に向けて人の心を動かす作品を作るためにも、

大学で色々な事を学び将来に役立てていきたいです。

面白いゲームは人それぞれですが、人には感情というものがあるので、

良い作品は多くの人がそれに動かされるので、そのようなゲームを作っていきたいです。

講義を聴いて私が思ったことは、大学1年のときでもあまり浮かれてはいけないということです。まさか自分はまだどんなアルバイトをするかを決めてすらいない内に、いきなり「アルバイトは2年まで、3年からは自分のスキルで稼ぐ」と言われるとは思いませんでした。正直、講義を聴くまでは「アルバイトは3年までぐらいならいいな?」と思っていました。ただ、先生の言うことには自分でも納得することは多く、講義を聴いてからは、1年の内でもある程度は将来を考えて行動しなければいけないんだなと思いました。「あそび」の歴史は、まさか「あそび」についてこんなに研究をしている人がこんなにも多かったのかと思いました。因みに私が始めてテレビゲームをしたのは確か小学校2~3年生のときだったと思います。

私はまず面白い格好をしてみようということだったのでがんばって、ジョジョが好きだったので有名なジョジョ立ちをしてみましたが、私が思っていたより周りの人たちが面白い格好をしていなかったので少し残念だなぁと思いました。こういったお題ならみんな違うことをしているとおっしゃっていたので、みんなどんな格好しているかなぁなんて周りをきょろきょろしている人ばっかりだったらつまらないなぁとなってしまいました。

講義の中で「壁にぶつかろう、若いころの苦労は買ってでもしろ!」とありました。私は、学校も推薦できましたしいろいろとハードルをくぐってきたように思います。なのでこれから大学生活の中で先生が言っていたような、大きな壁にぶつかるんだろうと思います。壁に当たった経験が少ないですが、覚悟を決めて大学生活を送りたいと思います。

問、キャラクターを思いどおりに動かせて楽しいと初めて思ったのはいつごろか

私は6歳くらいだと思います。プラモデルを作って自由に動かしたり、ゲームを始めて買ったのはこのころなのでゲームの中のキャラクターを自由に動かせて楽しいと持ったのはこのころだと思います。

私はまず面白い格好をしてみようということだったのでがんばって、ジョジョが好きだったので有名なジョジョ立ちをしてみましたが、私が思っていたより周りの人たちが面白い格好をしていなかったので少し残念だなぁと思いました。こういったお題ならみんな違うことをしているとおっしゃっていたので、みんなどんな格好しているかなぁなんて周りをきょろきょろしている人ばっかりだったらつまらないなぁとなってしまいました。

講義の中で「壁にぶつかろう、若いころの苦労は買ってでもしろ!」とありました。私は、学校も推薦できましたしいろいろとハードルをくぐってきたように思います。なのでこれから大学生活の中で先生が言っていたような、大きな壁にぶつかるんだろうと思います。壁に当たった経験が少ないですが、覚悟を決めて大学生活を送りたいと思います。

問、キャラクターを思いどおりに動かせて楽しいと初めて思ったのはいつごろか

私は6歳くらいだと思います。プラモデルを作って自由に動かしたり、ゲームを始めて買ったのはこのころなのでゲームの中のキャラクターを自由に動かせて楽しいと持ったのはこのころだと思います。

「あそび」に古い歴史があったことに驚きました。また「あそび」に、自由な活動、非生産的な活動、などいくつかに分類されていることも初めて知りました。

確かに、昔はルールもわからずに遊べていた気がします。ルールがわかる今の私たちでは考えられませんが、ただサッカーボールにじゃれるだけでも子供にとっては「あそび」でした。講義を聞き、小さい子供にとっての「あそび」について興味を持ちました。

「おもしろい格好をしろ」など、少し変わった授業でしたが、聴きやすく楽しめました。

・自分は音楽関係のことをやりたいと思っていたが、ただ他の人の曲を聞いて勉強するだけではダメで、自分のオリジナリティやイマジネーションももっと豊かにしていかないといけないと思った。

・キャズムの考え方は興味深かった。新しいものに対するリアクションの差を考えながらも新しいものにチャレンジしてみたい。

・「遊び」についても興味深く、遊びが段階的であることや幾つかの特徴を持って初めて遊びが成立することなどは今まで知らなかったので印象的だった。

・プログラムやゲーム・エンタテイメントの未来については、自分もそういった時代の流れを取り込んで生きたいと思った。

最初に、面白いポーズをしたときに、周りを気にしてポーズを取れなかった。毎度、周りの目を気にするばかりに、やりたい事、思いついたことをやらないことが多い。多くの人を前にすると自己主張が出来ない。これが僕が前からぶつかっている壁である。もう随分と、小学生の頃から乗り越えられていない壁だ。恥をかくんじゃないかと、失敗を恐れ、自ら行動を取れない。社会に出たら、もう失敗は許されないと思う。この大学生活が、失敗しても許され、そこから学ぶことができる最後のチャンスだと思う。だから、早いうちにこの壁を乗り越え、何事にも挑戦していきたい。

自分はレイトマジョリティだと思う。むしろラガードかもしれない。新しい技術や商品には疎い。が、これから技術者になるために、アーリーアダプターになれるようにしたい。

今回の講義でキャズムの話が出ていましたが私はアーリーアドプターとアーリーマジョリティの間くらいだと思います。確かに新しいものは好きだけど買うまでは行かない。世間が新しくでも自分が自分の中で新しいものでなければ買わないことが多いです・・・。自分の中で新しいと思えたものは進んで友達におすすめをしようと話に出しますがあまり理解されません。どちらかと言うと本当に微妙な位置でした。壁にぶつかると言う話でしたが、19歳の壁がどうも危ういです。高校も大学も勉強をしないで面接だけで受かってきたのでもしかしたら先生の言っていた通り隙間から抜けて行くかもしれません。ですが今回の講義でこのままじゃだめだと思えたため今後気をつけて生きたいと思っています。自分はアートの方向に行こうと思っていますが正直自分の中では向いてないのではないか?と言う考えもあります。今後のこともシッカリと考えていかないといけないなと感じました。

人に娯楽を提供する場所や職業が氾濫する現代ですが、それでもまだ万人が楽しめるようなコンテンツは存在しません。ではどうすればそんなコンテンツが増えるか。自分で作ればいいのではないのか。今の時代音楽にしろ映像作品にしろその職業についてない個人でも様々なものが生み出せる世の中になった。ならば自分が楽しめないコンテンツがあるなら自分で作ればいいのではないか。それこそが新しいコンテンツを生み出すための種になるのでは、と私は思いました。

いきなり面白い格好をさせられて驚いたが、そこでどんな発想が出てくるかもエンジニアにとっては大切な

ことなのだと思った。キャズムという言葉を初めて知ったが、EAとEMの間の境界で将来が変わってくること

がわかった。そこでこれからどうすればEAやinnovators側に行けるか、考えが深まる講義であったと思う。

また壁という言葉が頭に残った。今まで生きてきて何らかの壁はあったと思うし、これからもやはり壁には

何回もぶち当たるものだと思った。また今まで見たものこれから見るもの、それを一つ一つ自分の考えを深める

ものにして、自分にプラスにできるものとして活用できるようにしたいと思った。

初めてゲームをして楽しいと思ったのは小学生の時にポケモンをやったこと。

自分で捕まえたポケモンを育てて戦うという感覚が面白かった。

講義を聞いて、今後自分がやるべきことと今の生活の改善すべきことがよくわかりました。

先生が言っていたことが、たまに自分に当てはまったことがあってそこが自分が反省して変えるとこだと思いました。

キャズムに自分がどれに当てはまっているかを調べたら、アーリー・マジョリティーが一番合ってると思いました。自分が使いたい新しい技術はなるべく使ってみたいし、自分の手の中にほしいと思います。

今回の講義を聞いて、すごく自分のためになったと思います

先生の学生が持つべき心構えの話に感銘しました。

私も何か一つ技術を磨いて自分の腕で食べていけるよう精進したいです。

エンタテインメントシステムにおいても、人間の娯楽に作用するという目的に多くの発想や技術力が駆使されているのが分かりました。

この講義を通じて、人とは違う特徴を持った技術屋になりたいと思いました。

社会の中で過ごしていくには、アーリーマジョリティやレイトマジョリティ、ラガードの様な他人の行動を待ってから行動しはじめる大衆の中で埋もれるような考え方では生き残れず、イノベーターやアーリーアダプターの様に常に新しいものを追求していかなければならないということを聞き、大学という所は自分から学びに来る場所であり、高校以前のような先生から指示された事だけをこなすという受動的な考え方は改めていかなければならないと思った。僕自身はプログラミングの知識を独学で勉強したため他の一年生より持っているが、それでもまだまだ未熟で社会で通用するレベルではなく、また長けている枠組みが世界と比べると非常に小さな集団なので、もっと上を意識してスキルの向上をしていかなければならないと思った。

次に、ピアジェの発達理論の説明の中で問われた「コントローラーを用いてゲームでジャンプをする事は、どの段階に該当するか」で、僕は「象徴的遊び」に該当すると思った。理由は、この段階は変わりの物を使う、見立てるということが特徴で、これより代役を立てるという事は元となる物の機能や原理を理解していないと出来ないと考えたからだ。また、これ以前の段階である「感覚運動遊び」と迷ったが、この段階では物に触れるという感覚を楽しむ時期で、こちらはコントローラーを用いてジャンプをするという仕組や機能を理解しておらず当てはまらないと思った。

(白井)キャズム理論では「生き残れない」訳ではなく、生き残れるのだけれども「大きな谷がある」という話をしています。普通はマーケティングの話なのですが、ここではさらにクリエイションを生業として生きる人々の話にまで拡張しています。理解としては問題ないです。ピアジェの「象徴的遊び」ですが、これはシンボリックなものとして主に「言語あそび」が挙げられます。しかし「ごっこ遊び」も代表的なシンボリックプレイです。「思考の具体的操作」といった言葉でも表現されますので、ビデオゲーム内でのアクションはそれに該当するという見方は大変高度で重要な視点だと思います。またビデオゲームの企画製作者も「現実ではなくシンボリックに」というという話をバーチャルリアリティと比較してよくされていますので、間違った視点ではないと思います。ただ、感覚運動遊びとシンボリックプレイには明確な境目がない部分もあります。シンボリックプレイ→ルールプレイの境界も、思考の具体的操作から、得点といったものに結びつくまでの評価が外部(社会)にあるかどうかの差と言えるでしょう。ご指摘のとおり、コントローラの操作との因果に眼を向けることが重要ですね。

今回の講義でエンタテイメントシステムについて学習し、「人間の娯楽に作用するようにデザインされたコンピュータシステム」について考えてみた。

それは例えば私たちが日頃遊んでいるゲームなどであり、信号機やgoogleマップなどのシステムは娯楽とは言えない。

エンターテイメントとは人を楽しませることを目的としている。それは逆を言い換えれば楽しくなければそれはエンターテイメントではないということになるのだろうか。

現に、楽しいのではなく怖いゲームや悲しいゲームなどが存在しているが、それらは楽しませるのではなく人の興味を強く惹くという点で1種のエンターテイメントであると考えられる。

だが、それだけではなくゲームには「自分が自分以外の物を動かす」というのも重要なポイントになっていると考えられる。例えばラジコンはただ車や飛行機を動かすだけで楽しい。ならばそれはゲームでも同じことが言えるだろう。ゲーム内のキャラクターを動かすことが純粋に楽しい。私がそう思ったのは10歳の時に初めてRPGをやったときだった。自分以外のキャラクターを思ったとおりに戦わせて強くなっていくというのが衝撃的だった。

このようにゲームでは「自分以外のモノを思い通りに動かす」というのが重要になるだろう。また、それはエンターテイメント全体でも同じことが言えるのではないかと、今回の講義を聞いて考えることができた。

今回の講義を聞いて、私は情報機器や技術を使う人にも段階を持って表現できること(キャズムに関するモノ)に興味が湧きました。

授業中に紹介されたホームページで見比べると私の立てる位置はおそらく「アーリーマジョリティ」あたりと思われ、次の技術になかなか踏み込めない、今の技術で満足してしまっている自分がいる。まさしくこの位置だと思います。

この場に立ち止まらず、ゆくゆくは「アーリーアダプター」、「イノベーター」へとコマを進めたいです。

また、娯楽(遊び)に関しての情報は人間にとって余暇とはなくてはならないモノ、常に心を動かし、探究心や気持ちを和らげる存在なのではないかと感じました。"

エンターテイメント・バーチャルリアリティーの講義を聞いて、もっとたくさん知りたいと思いました。

キャズムという言葉をこの講義で始めて知り、自分はアーリーマジョリティだということを知りました。

自分は新しいものや、面白そうなものが好きなので、イノベーターになりたいのですが、お金がないのでなれません。

もし自分にお金があれば絶対にイノベーターになっていました。

遊びというものにも様々なものがあるということも知り、大変興味深い分野だということも学びました。

レポート課題

自分が記憶に残る最初に触ったゲームがNintend64のマリオカートであり。年齢は5歳程でした。

そのときは、ルールなどを考えずにただキャラクターを走らせるだけで楽しめていました。

そのため、ゲーム内のキャラクターを動かすだけで楽しいと思ったのは5歳です。

人生についての勉強は為になったと思う。

キャズムの話は興味深かったけれど、講義の全体の内容自体は少し薄かったなと感じた。

個人的にバーチャルリアリティの話をもっともっと盛り込んでほしかった。

最後に自分のポーズは面白くないものでしたが、先生のポーズも面白くなかったです。"

面白いという事にも人によって違う。誰がどういう物をが欲しいのかが大切だと思った。周りと同じものを作っていてはダメという言葉を聞いて海外のleft4deadを真似して作った龍が如くthe endは酷いと思った。バイトでレジ打ちばかりしないと聞いてすごくヒヤヒヤしたので僕も違うことをしないといけないと思った。キャズムの話は初めてきいた。新しい漫画、ゲームをラガードの人に受け入れられるにはどうしたらいいか、ラガードの意見は大切だと思った。オリジナリティーのないものはつまらないので、アイデアを持っていこうと思った。遊びの語弊と歴史の中で美は遊戯がないと面白くないという言葉に共感できた。確かにただの絵を見ても面白くないから。そこから飛び出す絵なり、笑わせる絵なりアイデアが出てくると思った。

"コンシューマであり、アーリーマジョリティである自分にとって現実を突きつけられる講義でした。

ただ惰性で日々を暮らさず、クリエイターを目指すなら好きなものに対して貪欲に過していくことが重要だと感じました。

ゲームの単純動作が楽しいと思うようになったのは、6歳の頃でした。

今回の講義内容は非常に興味深い話で、心にくるものがありました。

いえ、心にくるものがあったというよりも、現実を聞かされて、心が痛くなったという感じですね。

いつまでもだらだら怠けて生きていても、その場その場は非常に楽です。

しかし、今一番楽な道を選ぶということは、将来的には最もつらい道を歩くようなものという話を聞いたことがありますが、私は今つらい道を歩んでいます(過去に楽な選択ばかりをしたために)。

それにより、いろいろと苦悩やコンプレックスがあったりします。

努力することを今までスルーしてきたばかりに、今現在の自分の知識、思考力、行動力、決断力などなど、周りの人たちよりも劣っているということを実感しております。

今もこのままでいいのか?と言うと、いい訳はないですね。

今もよく日曜に憂鬱になり、最近よく憂さ晴らしのためにホラー映画を見てたりします。

しかし、そのホラー映画によくパンチをくらっています。

インパクトが強いものだと、見終わった後しばらく放心状態になったりします。

見なきゃ良かった・・・と、後悔することもあったりします。

しかし、またホラー映画を見たくなります。

それはなぜでしょうか。

では、ホラー映画についていろいろと考えてみることにします。

ホラー映画とは、どんなものが恐ろしいのか?怖いのか?

まず、それが現実味を帯びていたりすると、その恐怖は身近なものと感じられて、その恐怖がしばらく頭から離れないと思います。

例えば、・・・なんでしょう。私はまだ、そのような映画とは出会っていないので、まだたとえられません。

映画では例えられませんので、怪談の「トイレの花子さん」で例えたいと思います。(トイレの花子さんの映画もあるらしいですが、見たことはありません。)

これは、学校の女子トイレというどこにでもある場所に、怪談が生まれることによって、それは身近な恐怖となります。もしこれが、学校のトイレではなく、高級料理店のトイレに現れる、とかだったら、誰も怖がりませんよね。

学校と言うあまりにも身近な存在に、それをおくことによって、「トイレの花子さん」というそれに現実感がでます。

身近で現実的な要素をおきつつ、非現実的な要素をいれる。これで恐怖感が出てきます。

おもにこの要素は、ジャパニーズホラーの映画に良く見られる傾向です。

さて、次にグロテスクで残酷なものも恐怖感が出てきます。

さっきの要素が「ひぃっ!」と言う感じだと、こちらは、「うわぁ・・・。」って感じですかね。グロテスクな死体や、残酷な殺害描写などは目を背けたくなります。

この残酷な殺し方などにも、現実的な要素が入ると、よりいっそう怖くなります。

それは、想像できるような痛みを受けている描写です。

銃や爆弾で、人を殺しているような描写よりも、ナイフや、ハンマなどの身近な道具を用いて殺害したほうが痛々しくて、怖い感じがあります。個人的な意見ですが。

ホラー映画の初心者が、ホラー映画を語ってしまってもいいのかなどど思いつつも、書いてしまいました。当初は、ホラー映画のスタッフロールに出てくるテクニカルディレクタについて調べて書こうかと思いましたが、どの作品のスタッフロールにも出てこなかったため、このような内容になってしまいました。

あれからは、いろいろと意識して映画とかを見ることにしています。

自分が初めてゲームをプレイしたのは幼稚園に通っていた頃、誕生日にゲームボーイを買ってもらったときである。ソフトはワリオランド、今から見たら単純なスクロール2Dアクションゲームだったがプレイしてみて興奮したのは覚えている。それまでは電車が好きだった自分は見向きもしなくなりゲームに夢中になってしまったのだ。よく親に連れてもらい最寄り駅で走り抜ける電車を見ているだけでも楽しかった電車、ゲームと共通して言えることは非日常的ということで、猛スピードで物体が視界を横切って行く体験、これが堪らなかったのである。確かに電車自体が好きということもあったがじっくり見たいのなら家にある電車の玩具でも眺めてればいいのだ。

こういった非日常的体験は喜びなり悲しみなり、人の根元に大きく訴えるのではないだろうか。そしてそのファーストコンタクトはその後の印象を絶対的ではないにせよ、揺るぎにくいものにすると考えている。あの頃の非日常と言えば自分の手で動かさなくても動くもの、そして自分の手で何かを操ること。非日常であれば先が読めない、そして先が読めないものが遊びという講義の中にでてきた言葉は強く共感できた。ゲーム業界でも10年前できなかったことが今では当たり前になってしまっていることから、娯楽を提供する側にとってハードルは日に日に高くなっているのだろう。ありふれてしまったものから可能な限りの非日常を提供する、新しい技術が武器となるどころか壁となって立ちはだかるゲーム業界の難しさを痛感した。

笑わせる側でもないのに、クリエーターとして「笑わせるもの」を作るのはおこがましいということににとても納得をした。

しかし最近のゲームは「感覚運動遊び(例:パタポン、キネクトなど)」の類も増えているのではないかと考える。

私が予想するに、最近のゲームはルールばかりでやり込みもゲーム側が用意したものしかなく、消費者がそれに嫌気がさして、間隔だけで遊ぶゲームが世間一般に

受けてるのではないかと考えている。

しかし今は「笑わせる人間」とないり、趣味である楽器の演奏を時間いっぱい楽しみ、「自分」というのを探したい。

今回の講義で、改めて自分がどのように行動していくべきなのかを考えさせられました。先生の話の中のところどころに、思い当たる部分があり、とても納得できました。国立大学への進学を目指して勉強していた自分にとって、受験という壁は乗り越えることはできなかったと思います。そのことが理由でもあるのですが、今の自分の勉強習慣には自信がなく、不安という壁と対峙しています。しかし、この講義のおかげで壁を乗り越えるように努力することの大切さをあらためて実感させられました。私の今の目標はどの科目でもAランク以上を取ることなので、目標を達成するためにより努力しようと思いました。

講義でキャズムという言葉を初めて聞きましたが、私は「アーリー・アダプター」に近いと感じました。というのも、気に入っている製品やメーカーの新製品が出ると、旧バージョンを売ってでも買いたくなってしまうからです。

今回の講義において「2歳児の外界操作とマリオの操作は同じ」という話があり、これが一番印象に残った。これは私の考えなのだが、2歳児の外界操作は直感的というか、本能的なものであるため(まだあまり知能が発達していないからこのように考えた)、同じようにマリオの単純かつ直感的な操作も「外界を操作できる楽しさ」に直接関係してくるのではないかと考えた。だからマリオは万人受けするのではないかとも考えた。このようにゲームについての考察ができてとても面白かった。

また、「レジうちバイトは2年まで」とか、キャズムとか今後に役立つような話を聞けてとても有意義だった。

・自由にゲームのキャラを動かせるのを楽しいと思ったのはいつ?

私が初めてゲームをしたのは小学5年生のときでした。なので,ボタンを押せばキャラが動くのは当たり前だと思っていたので楽しいとは思ったことはありません。あえて言いますと,高校2年の時に某無双で自分の好きな武将を自分で動かしたことは楽しいと思いました。でも,ある一定のキャラだけで後は楽しいと思ったことはありません。

・感想

今回の講義は今までと違う講義でこれからの生活にとてもためになりました。今回の講義で人生には壁がたくさんあることを知りました。私は推薦でこの大学に来たので,壁の隙間を通ってきました。そのように考えて見たら,私は今までの生活を振り返ると壁の隙間を探してそこを通ってきたと思います。だから,これからは壁をすべて乗り越えていきたいと思います。私は今,19歳の壁にぶち当たっています。まずは,この壁を乗り越えて今までの自分とは決別していきたいです。

・質問

いろいろ質問したいのですが,1つだけ質問します。神奈川工科大学生としては,Twitterはやっておいた方がいいのですか。

(白井)「壁の隙間を探してそこを通ってきた」という表現は面白いな。それも才能かもしれない。多くの人々が19歳の壁にぶつかります。ここで一番学ばなければならないことは「人生には壁がある、自分でどうにか乗り越えなければ!」ということです。「壁があったら登るタイプ」、「壁があったら壊すタイプ」、「壁があったらみんなを踏み台にしてその上を登るタイプ」などいろいろな人がいます。「今までの自分と決別する」…なかなかいいですね!これは「昇る」感じですね。Twitterはやっておいたほうがいいとおもいます。最新のネット社会、コミュニケーション技術に敏感でいてほしい、ということです。感覚的にはCDROMに入っているゲームと、DVDROMに入っているゲームの違いぐらいかもしれませんが、私のようなオッサンでも活用できているのに、情報学部の大学生が活用できていないと、逆に不安になります。私が。

まず、講義のはじめに行った「おもしろい格好」については、まったくできずただ立ちすくんでいました。周りの反応を見てから何か行動を起そうとする考えでは他人と同じことしかできない。そして他人と違うものをクリエイトすることはできないということを改めて考えさせられました。

また、常に新しいものに目を向ける(イノベーターになる)ことも、高い技術で新しいものを作り上げることにつながる重要なことだと感じました。今まで自分は新しい製品が出ても、「そういうものがでた」程度の気持ちで、実際に買って触りたい、やってみたいという気はそれほど起こりませんでした。ネットで話題になったり、先端を行く人は手を出し始めたという話をきいてから自分も手を出してみるというのがほとんどです。これを機に新しいものにもっと目を向け、将来クリエイターの仕事に生かして生きたいです。

今回最も興味深かったのは「遊び」ということについてです。思い返してみると、幼いころから感覚運動遊び、象徴的遊び、ルールのある遊びと段階を踏んで「遊び」が変わってきました。講義の中で「Aボタンを押すとマリオがジャンプをすることがうれしい」という話が出ました。僕が初めてマリオをやったのは5~6歳の頃でした。この頃からゲームをやり始めましたが、初めはルールというものはまったく理解できず、ただ兄弟や年上の友達がやっているの見て、自分もキャラクターを動かしてみたいということでやっていました。ボタンを押したら効果音とともにキャラクターが反応するのは楽しく、マリオで例えれば、先に進むことよりブロックを探して壊すことに夢中でした。それからは年を増すごとにルールを覚え、一つの遊びでも友達間で追加ルールを増やして楽しむということをやっていました。

「遊び」とは何か、何が楽しいと思えるのか、「遊び」の範囲はどこまでかなど「遊び」についてはもっと詳しく知りたいと思いました。

(白井)「何が楽しいと思えるのか?」の仕組みについて考える、興味をもつことは大変重要です。例えば「レベルデザイン」というお仕事があります。ゲームの企画の中でも「概要」ではなく「詳細」を設計するお仕事です。単純なパズルゲームの1面、2面…といったものをつくっていくお仕事がイメージしやすいでしょうか。たとえば0面にあたるチュートリアルでは操作の方法を学ぶ必要がありますし、1面では「これは面白いな」と思える新しい何かが起きるべきでしょう。2面では「失敗しても続けてやってみたい」と思える仕組みをデザインする必要があるでしょう。そしてボスは?不可能そうに見えてクリアさせる仕掛けは?といった感じにみなさんが遊んでいるゲームの裏で、そのロジックを一生懸命に設計している人がいます。こういったレベルデザインは講義ではなかなか学ぶことができません(演習ならできるかも?)が、趣味的な活動でも十分学ぶことができるチャンスがありますので、ぜひ独学でも書籍でもツールでも使って学んでみることをおすすめします。

自分は工業高校出身で新聞の作り方の基本は中学レベルしかわかりませんでした。しかし講義の序盤で見出しの基本配置など知ることができました。自分は今まで受験は面接でしかなく筆記試験の苦労などしていないので、いつ苦労の壁などにぶち当たるのか怖がっていました。今回の講義で人生の壁に付いてお話されていて、19には決め事の壁、21には自分との壁、25には社会・チームとの壁、35は社会の貢献の壁など自分が想像していたよりも多く壁があり心が折れてしまいそうになりました。しかし実際に壁がぶち当たったらその時よりも深く落ち込んでしまいそうなので今から精神的に耐えられるよう頑張りたいと思います。また今回の講義はこの授業では今までの中で一番ためになった授業になったと思います。なぜなら今の時期学校に慣れてきて心がたるんできたからより身に染みたからです。

今までもあまり考えていませんでしたが、今回の講義で改めさせられました。

一生懸命に打ち込みたいものが周りに結構あり、のんびりとはいいませんが早めに決めたいと思いました。

また、キャズムの話を聞いたときにピラミッド底辺にならないように、上層にいけるように頑張りたいと思いました。

現実的な話が先生の人生を通して話してくれたのでとてもわかりやすく、またこれから、どのように行動したら良いのかを示してくれたため、自分の中にあった迷いや不安などが少し軽くなったような気がした。とても、ためになった講義内容だったと強く感じている。これからの自分の目指す理想像を考えることにもつながった。講義の内容として、エンタテインメントシステムについての説明もとても興味の湧くものだった。遊びというものをどう考えていくのか?遊び(ゲーム)を作る、考える上でなにを大事にしていくのか?

私がもし作るとしたら、誰も考えないような新しいシステムを導入したものを作ってみたい。なぜなら新しいシステムを設けることでいろんな人々の興味を引くことができると考えたからであり、また自分流の自分の基盤を作りこれからのゲーム(遊び)作りの参考とされ他の人たちにも使っていただき歴史に自分の名を刻みたいというちょっとした理想もあるからである。本当にためになった講義だった。

いきなりの面白いポーズを取れという発言には困りました

遊びをここまで深く考えたのは初めてかもしれません

iPhone等の新型の携帯端末をほしいと思うのが自分のガラケーと比較して利点が上回ったときに買い換えるのはどこに分類されるのでしょうか?

自分が初めてゲームを触ったのはスーパーファミコンのスーパーマリオワールドが記憶に残っている中で一番古いゲームであり最初に触ったゲームはこれだと思います

もちろんハマりにハマって兄弟でずっとやっていました

たぶんすごく面白かったからやり続けたんだろうし今でも好きなんだと思います

あと妙な気休めではなく現実を突きつけていただけるのはありがたかったです

エンタテイメント・バーチャルリアリティーというものがはじめはどういうものかわからなかったけど、講義を聞いて理解することができまいした。

またエンタテイメントとというものは人それぞれ違い、個性があるので、その個性への共感がえられるかどうかという観点で考えることも大事ということや、

19才、21才、25才など様々な年齢で自分との壁にぶつかったときにそれを乗り越えることが大事ということはそのことに深く考えさせられ、

自分にとってとてもためになる講義になりました。

今回の講義を聞いて、私自身写真にはとても興味がったので写真の話にはとても興味を持って話を聞くことができました。

それと、これから自分自身が何を目的としどうしていくか、どう自分の壁と向き合って行かなければならないのか改めて考えなくてはならないのだなっと思うことが出来ました。

また、回りと同じことをしていては自分が目指しているものにはなれないのだとも思いました。

まず最初の「面白い格好をする」ということに戸惑った。この講義で「面白いことができる」ということは今までにないものを作ることができるということだったので、自分はアーティストなどのものを創造する職業は向いていないと思った。しかしエンジニアになりたいので今よりも努力しようと思った。

ルールのある遊びをしはじめるのは7歳以降ということだったが、たしかに自分もテレビゲームをやりはじめた歳も7歳くらいだったのでその通りだと思った。

(白井)「面白いという感覚はどこから生まれるか?」について考えると、おのずと新しいもの、誰もやっていないこと、という視点になると思います。ちなみに今回の受講生では7歳でゲーム開始は遅咲きのようです(むしろ良い適性年齢だと思います)。

正直なところ、今まで受けてきた講義の中で1番大学らしい、非常に実りのある講義でした。

それは、自分のやりたい事を本気で貫き通し、挑戦してきた人が発した言葉だったからというのもありますが、やっぱり「今の自分にグサリと刺さる内容だったから」という事が非常に大きいように思います。

『周りの日々変化していく環境に流されるな』

グサリ。

『自分のやりたい事をやるのは構わない。でもそれをただただ消費するのではなく、それをいかに自分を成長させるか、吸収するかを常に考えろ』

グサリ。

『SNSで時間を潰して、エッチな画像を壁紙にしてーー』

グサリ(笑)

それぞれ、今の自分の怠惰な生活、19歳のカベから逃げている自分には胸が苦しくなる内容でした。

しかし、だからこそ、「イイハナシダッタナー」で終わらせてはいけない。終わらせる訳にはいかない。

これをいかに吸収し、自分の人生に役立てるか。

これまでとこれからの大学生活、少し時間をかけてじっくり見直して行こうと思いました。

(白井)Blog調の文体ですが、言いたいことは十分伝わっていることがわかりました。忘れず反復してくださいね!

今日の話で感じたのは「一過性の娯楽ではなくて。そこから何を得るか。それが問題。」ということ。

考えてみると、”おもしろい”って人によって様々だなと思うんです。それが、普通にお笑いだったりしたり、映画ですごい迫力で面白かったなど、たくさんあると思うんです。

ただ、その娯楽が終わりがない娯楽だとするなら、それは害でしかない。

娯楽は一過性でないとダメなのであると思った。そして、その一過性のものから何を得て、どう生かしていくのか、それが問題であると感じた。

さて、初めて、ゲームをしたのはPSのストリートファイター98だった気がする。

みんな、ポケモンなどやっていましたが、「じゃあ、違うのやろ」っと思って。ストリートファイター98だった気がします。コンボとかいろいろありましたが、子供の時ですからボタンをガチャガチャやっているだけで面白かったというのが記憶にあります。

98だから、六歳の時です。適当にやってて勝てていたので、おもしろいということしか覚えていません。

(白井)終わりがある=一過性という視点が面白い。しかも一過性じゃなければダメ、という視点と何を得るか、という視点がごっちゃになっている作文も面白い。レポートとしては高い評価はあげられないのだけど。

説教くさいのはいりません。みんなわかってると思います

消費者のターゲティングと、目指すターゲット層についてはわかった。

(白井)残念ながら、このページを読んでみるとわかるように、「みんなわかっている」と思っても人それぞれ違うことが感じられると思います。また私は「消費者のターゲッティングと目指すターゲット層の話」はしていませんよね。あくまでクリエイター側につくための生活習慣の話と歴史が中心でした。本当に残念です。

エンタテイメントのことについてだけでなく、人生のことや収入についてなど今後とても参考になる内容の講義でした。

私は未だに3D映画を見たことが無く、流行に鈍感なので、消費するだけの人間にならないように新しいことを生かしていけるようにしたいです。

今まで学んできた数学を無駄にしないためにも、CGは力を入れて学習していきたいと思いました。

6、7歳くらいの頃にスーパーマリオをやっていたのですが、7歳未満の頃は、ただマリオを操作しているだけで楽しかったのですが、7歳を越えた頃からは、クリアすることが楽しいと感じるようになりました。

(白井)国際3Dフェアというイベントの委員をやっていたりもします。君みたいな学生にこそ見てもらいたい。

みんなそれぞれ響いてくれたみたいで、この方法をとったことを後悔せずにすみました。

(説教臭いのはいらない、というのはたしかにそうですが、本人は全然理解していない様子・・・)

クリエイションの世界で生きることは、心が折れるほど大変な事かもしれませんが、人生は楽しんでナンボです!

頑張ってください!