20130108
Post date: Jan 8, 2013 1:41:18 AM
【前回の課題】
12/18 レポート 「メディアアートとは何か2」
★以下の課題を出席URL(j.mp/ShiraiSemi)とキャリアポートフォリオの両方で投稿すること.
1: 本日の授業の感想
2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
オプション課題「年賀状を作ってみよう」
〒、メール、Twitterで受け付けます
★学籍番号、名前等はわかるようにお願いします!
<締切:次回講義の前日 2013-01-07 21:00 まで>
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1023163 1/6 17:42
1: 本日の授業の感想
現代における”遊び”心から生まれる、メディアアート界への基盤として、とても参考になるものだと感じました。製作者並びの考えや理論、理想などをまとめて、ゲーム哲学と呼ばれることがありますが、このような、または他のメディア作品製作にあたっての発端、クライアントへの要求は、”こうであるべき”、”こうあってほしい”など、想像から生まれる哲学により、技術的な肉付けを行い、現在に完成して現れるものだと思います。なにごとも発想する、そして行動する意欲をかきたてることが、新しい開発への道であることがよくわかります。
2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
”アート”とは、直訳では”芸術、またはその行為”であることを示します。そもそも芸術とは、人の五感を通して評価されるものであり、そうやって昔から今までにおいて根付いたコンテンツだと思います。もちろん一人で納得し、お蔵入りという事もあるでしょうが、人という生物は、発想、感動を無意識に人に表現、提供したくなることがあると思います。この表現意欲から生まれ、現代に繋がっているのがアートであると私は思いますので、メディアアートも、人を通して互換で評価されるものであるため、アートの枠組みに入ります。
では、”人と人との関係を作り出す”とはどういうことかというと、アナログのアート(美術や演技など)と比べ、メディアアートとは、近代の技術の象徴でもあるため、製作工程や仕様時において、デジタル要素を介して、さまざまな人との連携がとれることが可能です。その気になれば、世界中に情報を飛ばすこと等も簡単であるため、積極的に人が人へと情報を発信することができるという利点があります。勿論古来よりのアートもデジタル環境を通して発信することもできますが、これは動画、画像等に限ります。これらの発信要素は、3D映像等の発展も考えると、既にメディアアートの段階へと成り立ちつつあると思いますので、結果的に、簡単に人と人との関係を作り出せるのは、メディアアートによる成果であると言って良いと思います。そう考えてしまうのは、自分が物心ついた頃より、既にメディアアートの環境下にいる状態であったからなのかもしれませんが、改めて考えてみると、若者の自分でも、技術の進歩による人と人との繋がりやすさが目に見えて分かってきます。
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1023011 1/6 21:43
<課題1>
メディアアートの授業半年分の総括ということで、今日までの講義で学んだことを「メディアアートとは人と人との関係性を創り出すアートである」ということを念頭に置きながら振り返りました。
ラスコー洞窟の壁画から始まり、あそびの研究と歴史、遊びの成立、遊びの段階説、キャズム理論と、あれ?これメディアアートなの?と、今言葉だけ見ると疑ってしまうタイトルのものが多いですが、紛れも無く内容は「メディアアートに通じるもの」でした。
というのも、振り返る際念頭に置かれた「メディアアートとは」を踏まえて考えると壁画にしても遊びにしても、そのすべては自分の中(内の世界)で生まれた感情や意思を自分以外が認識できるかたち(外の世界)に表現してこそ成り立つものであり、その表現が誰かに受け取られた瞬間から、そこに発信者と受信者の関係が成り立つからです。振り返ってみた感想としては、メディアアートの講義でやってきたことはメディアアート専門というよりも、エンタテイメント全般に通じる「楽しさの根幹」や「伝える」といった『考えそのもの』についてのことだったのではないか、と思いました。
テーマを持って振り返ったことで、当時とは少し違ったものを見ることができました。
<課題2>
私が最近になって考え付いた「メディアアートとは」の問に対する答えは「発想で人々の関心を惹きつける作品」です。先生が提示した命題とは少し異なりますが、両方の根底には「媒体を選ばず人の気持ちを伝えるものである」という同じ考えがあるのではないかと思いました。
冒頭で書いたとおり、私の考えるメディアアートは、発想で人々の関心を惹きつける作品です。今までに無い使い方や技術で人々を感動させるものをメディアアートと考えています。そして私がもっとも重要だと考えるのが、それが「媒体を選ばない」ということです。絵、紙、動画、画像、建物、光、装置など、介するものはなんだっていいのです。ただ発想と伝えたいことが融合して、人々が感動するものができたのであれば、それはメディアアートと呼べると私は思っています。
先生の提示した命題は、「人と人との関係性を創り出すアート」でした。つまり、人と人とのつながり、つまり両者の架け橋、媒体となり、意思や楽しいといった感情を共有できるアートがメディアアートということです。その媒体はやはり決まった形を取りません。時には壁画であり、時には映像であり、時には新技術なのです。
根底にあった「媒介を選ばず人の気持ちを伝えるもの」というのは、言い換えると「どんな形、ものであっても、人の心に人の心を伝える事ができたらそれはメディアアートになる」といえるのかもしれません。
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1023106 1/7 2:34
1.本日の授業の感想
この授業を通して,今までの授業はすべて人と人とのつながりであるコミュニケーションを円滑に行うのに必要な物なのでは無いかと思いました。ラスコー洞窟の壁画は後世の人に情報を伝えることによって生活に余裕を生み出し、そこから新たな関係性を築きました。遊び関連では、同じ物に取り組むことにより連帯感が生まれ同じ話題ができることが、関係性を円滑にしました。
その他にも、自分自身を知ることにより効率良く相手に自分を伝えて話題を増やすこと。また、それによってコミュニケーションをとること。これらも同じように、人と人との関わりを円滑にするために必要なことなのではないか、と感じました。
これら全てを通して、人と人との関係性をより円滑にすすめるためには、何よりも伝えることが大事なのだと思いました。
2.「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい
メディアアートとは人と人との関係性を作り出すアートである、そのとおりだと思います。
アートとは作り手側が感じた感情や伝えたい感情を作品に載せて伝えることだと私は考えており、その伝えたい思いや感情と言ったものを受取り手がどんな形であれ受け取ることによってアートと呼ばれているのだと思っています。
言葉を交わすことができなくてもアートといったもので表現する事により関係性が深まる、こうやって人々は互いの情報を伝え合い発展してきたのだと思いました。
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1023195 1/7 13:50
1: 本日の授業の感想
今までの授業の復習となる授業でしたが、私が一番印象に残っているのは「遊び」についての部分です。「遊び」に必要な6つの特徴を学んでいる時私は小学校の道徳の時間に「自由」について学習したことを思い出していました。教科書曰く、自由とは「好き勝手にしていいことでは無い」というもので、これを命題に自由について考えてみようという授業だったと思います。私は反抗的な子供だったので、このとき教科書が間違っていると考え、このような命題こそが不自由ではないかと暴論を言っていたことを思い出します。話を授業に戻しますと、何やら歴史の偉人たちが高尚なことを言っていましたが、私が考えるに彼らは遊びとは数式のようなものと考えていたのではないかと思います。ありとあらゆる方向から考え、解いていく高度な数式として見ていたがゆえにあのような難しい特徴により遊びというものを定義付けていたのではないかと思いました。
私が考える遊びとは砂場のようなものです。砂を掘っても、砂を積んでもよく、計画の有無もなく、誰かが砂場にいるのを見ていてもいい、「好き勝手にしていい」というものです。守らなくてはいけない制約もなく、これがなくてはいけないという特徴も存在しない。遊びとはそのような自由なものではないかと私は思いました。
2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、私はそのとおりだと思いました。これが「アート」となると途端に人と人同士で議論がされるようなものになってしまいますが、この二つの違いはなんでしょう。私は2次元と3次元、言い換えるならデジタルかそうでないかの違いだと考えます。アート、すなわち「美術」、「芸術」とは見る人によって評価が変わります。落書きにしか見えない絵に、こめられた悲しみを見出したり、未完成にしか見えない像にかけているがゆえの美しさを人は見出したりします。私が思うにこれらは美術、芸術家が筆または彫刻刀に等に乗せて作品を作り上げていることによって起こりうる現象だと考えています。しかし、「メディアアート」場合は作者が作品を作る上でどんな気持ちを込めようとデジタルを間に挟むことによって完成作品に作者の感情が入り辛くなります。するとどうなるか、「メディアアート」による作品は感情が籠もっていないがゆえにほとんどの人が同じ視点から作品を見ることができます。これにより多くの共感が得られ、共感を得られた同士の関係を作ることができます。これが私の考える「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」ということです。
【白井】よく書けていますね。
砂場=sandboxという考え方ですが、やはり観察するとルールはあると思います。考えてみてください。
また、メディアアートの「命題」として、「感情がこもってない」とは問題ですね!
「もし感情が篭っていると」
という仮定で例をもって証明してみては。
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1023014 1/7 15:29
1: 本日の授業の感想
「遊び」というキーワードに対して真面目に考えさせられる授業内容であった。特に世界的な意味での「Play」の幅広さは実に面白いと思う。また、遊びの段階説において、感覚運動遊びが重要になってくるというのは、今のゲーム業界の動向を見ると確かにそうなりつつあるように思える。スマートフォンなどのアプリでも直接タッチして操作するゲームが流行っている。今後はそうした仮想的な空間での感覚を重視したものが主流となっていくのだろうと思った。
2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
メディアアートを通じて人と人とが関係し合うというのは、一緒に他の人と遊びや楽しみを共有するという意味で捉えていたが、授業が進むに連れてそれだけではないようになんとなく感じた。映像、音楽、感覚的運動など人とコミュニケーションを取るのは必ずしも言語だけではないということなのだろう。メディアアートとは人との関り合いの起点として機能すると共に、それをより拡張し、更に人の心に感動や希望を与える夢の様な技術だと感じさせられました。
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1023062 1/7 16:15
1: 本日の授業の感想
講義資料を特別に公開します
今回の講義を受けて、資料では遊びとは6つの要素があって成立するとありましたが、その中でも脳トレやリハビリなど目的が別に存在する物について考えてみると、私の中で「もしかすると、遊びらしい遊びはどこにも存在しないのではないか?」という疑問が浮かびました。
例えばMarvinMinskyの子供の積み木遊びや、人が電話をしながらメモを取るわけでもなしに紙の上でペンを走らせることで考えを整理する事のように、ひょっとすると私たち人間が日常的に行っている「遊び」という行為すべてが、自分自身の意識していない領域で、「遊び」を通した何らかのこころの整理や末端神経のトレーニング等をほどこす命令が脳から出されていたとしたらどうでしょうか。
これらはもちろんただの空想なので真意のほどはわかりませんが、自分自身がこれまで行ってきた「遊び」という行為すべてに意味があるとしたらとても興味深い、そんな考えが浮かんだ授業でした。
2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
これまでの授業を通して触れてきた多くのアート、古代の壁画を始めジブリの森、google検索まで、時代も媒体も込めたメッセージも違うため一見すると何の脈絡もなさそうに見えても、
いずれもメディアアートとして何ら違いはないということ、
重要なのは目的や物体そのものの意味ではなく、そこに含まれた人間の情熱やメッセージがあればそれはアートと言えるのではないか、そう考えてみると、それぞれが異なる色、異なる方法であっても、誰しもが伝えたい事を伝えるべくして持っている人間こそ、歩くメディアアートそのものなのではないか、というのが私の出したひとつの結論です。
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1023047 1/7 16:29
・■1: 本日の授業の感想
今回の授業は、主にこれまでのメディアアートの授業の振り返りであった。ラスコー洞窟の壁画は本当にいろんなことを考えさせられたし、結局なにを伝えたかったのかはわからないのだが、考え方は人それぞれで答えがないからこその楽しさなのだなと実感した。
今回のキーワードとも言える「遊び」というワードが授業で何回も出てきたのだが、私の思う遊びは「友達と遊ぶ」などと言った時に使ったりする。この場合広い意味で遊ぶという事になるが、今回の授業では遊びを定義付けていた。
「いつでもやめられる自由な活動」「日常と非連続、隔離された活動」など確かに私の言う遊びにすべて当てはまっていて納得し、また「この定義以外の遊びもあるんじゃないか?」と考えたのでさらに遊ぶという事に興味を持った。
■2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
・これまでメディアアートの授業を受けて思った事は「人と人との関係を作り出すアート」つまり、コミュニケーションの一種であると考えた。ラスコー洞窟の壁画を見て、大昔に多分今の言葉などは通じない時に描かれたものなのだが。結局なにを伝えたかったのは正確にはわからなかったが、なにかしら伝わったと思う。「すごいなー、下手だなー」でも、なにかしら伝わった時点でそれを書いた意味はあるのではないかと考える。
つまり伝えたい思いをのせてそれを形に残す、これがメディアアートなのではないかと私は考える。その思いが100%伝わらなくても、感動させたり、笑わせたり、なにかが人に伝わればそれはメディアアート、つまり「人と人との関係を作り出すアート」なのである。
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1023146 1/7 16:39
○本日の授業の感想
12月18日のメディアアートでは今までの講義の総まとめのような内容で、私自身もこれまでのメディアアートの授業を振り返ることができました。授業を振り返り、私が感じたことは「メディアアートというのは通常のアート作品よりも遊びの精神を大事にしたアートなのでは。」と感じました。授業の中や個人的に様々なメディアアートと呼ばれる作品を見てきましたが、絵画や彫刻などのアートでは人を感動させたりさせるものという私の感じ方に対して、メディアアートのエンターテインメントの分野をフルに使用した作品では観客すらも作品の一つにさせてしまうものも多く、作品に対する感動よりも好奇心や遊び心をくすぐられるようなものの方が多く存在している気がしました。
○「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめる
「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」。このテーマには私自身も賛同です。授業の感想を述べる項目でも書きましたがメディアアートの作品を見てみると、作品の多くが遊びの精神を大事にしており、作品の多くが一人ではなく複数の人と見て、感じることで作品が完成するものが多く存在しています。作品を最大限に楽しむためには2人以上の人が必要になるので、メディアアートには自然と人と人とを繋がらせることができる気がします。だから、私はメディアアートには人と人とを繋ぐ力を持ったアート作品なのではないかと思いました。
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1023168 1/7 18:18
1.講義の感想
今回の講義は以前までの授業をまとめて、「メディアアートは一体何なのか」を様々な視点から考察していく為に重要な要素を一つ一つ丁寧に見直していく、必要不可欠なものであったと思います。
そして、13回の授業を終えた上で、講義の要となっていた「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対し、5回目の課題で一度でていた課題をどう反芻し、今回の課題に対して、どう昇華させていくことが出来るか、考えさせられる講義でした。
2.「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめる
今回の命題である 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」に対して自分は「メディアアートは『テクノロジー』が『アート』という題材を基にして人と人を繋ぐことで関係を作りだすコンテンツ」であると考えました。
芸術(アート)とはアーティストの伝えたい事を表現したものであり、それを見たり聞いたりして感じる側の人間はそれを受け入れるか、受け入れないかの二択でコミュニケーションが終わってしまうものだと私は考えています。それに対し、メディアアートとは製作者、あるいはそのコンテンツの鑑賞者が、作品や他の関係者とコミュニケーションを行うことによって成り立つものであり、そういった意味で、「人と人との関係を作り出すアート」であると思います。
また、それは現代のオーディオ、ビデオを中心とするコンピュータ技術が可能にした新しいコンテンツの形であり、芸術(アート)のから現代の技術によって昇華した存在だと考察しました。
そして音、時間、空間に新たな芸術の可能性を開拓し、芸術の世界に新たなインスピレーションを与えてくれる存在でもあり、これからも進化を続けていくメディアアートというコンテンツは、アートという枠組みを超えて、人とを人とを繋ぐ重要なファクターになっていくのだろうと感じました。
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1023158 1/7 18:20
1: 本日の授業の感想
今回の抗議は今までの抗議の総まとめということで、メディアアートと呼ぶには何が必要かを振り返ることができました。改めて抗議を見て、人と人との関係性を創り出すには、遊びから生じる「楽しい」という感情が鍵ではないかと思いました。作り手が作品に込めた遊び心が受け手とのつながりを作り、また受け手と受け手同士でも、楽しさを共有することでつながりを作ることができる。遊びから生じる感情はプラスな感情はあっても、マイナスな感情はない。逆にマイナスな感情が生じることは、遊びとはいえないと思いました。
2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
本日の授業の感想でも同じようなことを述べましたが、メディアアートが人と人とをつなぐために、遊びから生じる「楽しさ」が必要ではないかと感じました。メディアアートと遊びは切っても切れない関係。遊びがなければメディアアートとは呼べないし、楽しくなければ遊びとは呼べない、つまりメディアアートとは楽しくなければいけないと考えます。
受け手がメディアアートを楽しむ事で関係性を創り出していく、そうして生まれた関係がさらにメディアアートを発展させていくのだろうと思います。ただし、「楽しさ」はあくまで遊びの成立に加えたいもう一つの条件であって、講義で説明された6つの条件が整ってこそ、この考えがまとまるもと思います。
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1023181 1/7 19:3
課題1
「遊び」を様々は方向から考察していて、とても興味深い講義でした。遊びの段階説には興味があり、確かに今私たちはルールの有る遊びしかしてないと思います。子供のころ、自転車に乗ってマンションの周りを走るだけでも楽しかったあの時代のように感覚運動遊びというものをしてみたいと思いました。
課題2
まさにその通りであると思います。メディアアートは、近代技術の象徴でもあると思うので、これからどのように発展していくのか非常に楽しみです。新しい関係を作り出してほしいです。
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1023035 1/7 19:22
・授業の感想
講義開始時はどんな講義をするのか検討も付かず、講義を進めていっても「ラスコー洞窟」や「遊びの段階説」など、関係ないのではないかと思ってしまうような内容ばかりでしたが、後半に差し掛かっていくにつれ、どんな講義でどのような内容を行っているのかが分かってきて、今まで関係ないように疑っていた内容も、「メディアアートとは人と人との関係性を創り出すアートである」ということを踏まえて見ると、全てメディアアートというものに繋がっているのだと理解できました。
メディアアートの講義を受け、関係性を築くためにコミュニケーションというものが特に重要なものである、コミュニケーションをとるために相手に伝えることが重要であると知り、講義開始時と比べ、よりメディアアートというものの重要性が理解できました。
・「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
私は人と人との関係を作り出すアートであるメディアアートは、自己満足や相手に伝えるだけでなく、自分と相手が共有できるものであると思います。ラスコー洞窟の壁画から東京駅で行われたプロジェクションマッピングまで様々な形で相手に伝え、感動や思想、志などを自分と相手、両者の意思伝達の仲介役を成し、意思を共有できる作品であれば、それは立派なメディアアートであると思います。
しかし、アートである以上送り手側と受け手側の意思の食い違い、評価の違いは生じます。受け手側が共感できなかったり、送り手側が伝えたいことが受け手側には違った表現でとらえられたりしてしまうことがあります。ですが、メディアアートはエンターテイメント性を含んでいるので、そういった食い違いが起こりづらく、より多くの人々に隔てなく共感されるのではないかと思われます。
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1023023 1/7 19:38
<1>: 本日の授業の感想
・これまでの授業を振り返りますと、「遊び」という言葉の意味の深さを改めて理解しました。ラスコー洞窟の壁画の時代から現代まで、長きに渡る歴史の中で日々進化していくのが「遊び」です。ある意味これまでの人間の歴史の中で一番発展したのではないかと思います。「娯楽」「楽しむ」「遊ぶ」など、ピアジェの「遊びの段階説」は印象に残りました。人間は生まれた時から「遊び」を覚え、そこから生きるすべを学んでいくのです。人間の本質、そして「遊び」と「人類の歴史」の関係性が分かりました。そして、現代でも「遊び」は生活に関わっていますが、確かにほとんどが「ルールのある遊び」です。これはルールがあるほうが、人々が平等に遊べるからだと思いますが、逆にルールに縛られていることになります。つまり「遊び」の幅が狭くなって、「遊び」の進化も停滞してきているのです。このことが分かった時、感覚運動遊びとしての任天堂の「Wii」が何故人気だったのか理解しました。これからの時代、感覚を用いた作品が注目を浴びることでしょう。そうした技術が作れるようになりたいと思います。
<2>: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
・私はメディアアートとは、人と人との関係を作り出すコミュニケーションツールの1つだと思います。
・「人と人との関係性」とは、発信側(製作者)と受け手側(ユーザー)に別れるということです。発信側つまりメディアアートを作る側には、作品に「メッセージ」が込められているはずです。受け手側は、その「メッセージ」をどのように解釈するかが重要視されると思います。
・いきなり見知らぬ相手と「言葉だけで」コミュニケーションを取ることは、困難かも知れません。何か「媒体」を通してコミュニケーションと取れば、相手にも理解しやすく共感されると思います。何よりメディアアートは自由な発想で描けます。枠にはまらず、言葉の壁もなく、伝えたいという情熱だけで、どんな人でも関係を作ることができるのが、メディアアートだと思います。
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1023010 1/7 19:45
メディアアート 白井先生
1,本日(2012/12/18)の授業の感想
本日の授業で、フォントでの印象の違いやフォントの色々な使い方が見えてきた良い授業でした。先生のお子様の文字と先生の文字での比較がとても印象に残っていて、お子様の字は1文字ずつの原文より、文章にする事によってはっきりとした見やすい文章体になっていたのだと思います。先生の文字は1文字ずつの原文のほうが綺麗にみえました。これは先生の方が大人であり、文章を書く機会が多く、その際にトータルでバランスを取りながら書くことに慣れていることや、PCによるワープロ操作が多く、原文の1文字ずつ書くことが少なくなったからだと思いました。
授業中に言っていた自分のフォント作成というのも、授業時にはピンと来ませんでしたが、自分自身のように普段あまり字を書かないもしくは書けない人にはフォントとしてデータを残しておくのもいいと思い、また、特別な動画(ビデオレター)には、演出や特別感を出すためにはとても活用出来ると思いました。
2,「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめる。
メディアアートを半期学んできて、メディアアートとは人と人との関係を繋ぐインターフェイスを学ぶ授業だと後半になるにつれてわかってきた。
ラスコー洞窟、トトロ、ディベート、など少しずつ勉強してきたが、ラスコー洞窟の事は自分自身知らなくて、ラスコー洞窟の伝えたいことは未だにわからない、これは「ケーブルは繋がっているが受信出来ない状態」であり、トトロは「トトロの課題」で自分自身での解釈は出来た。しかし人それぞれの解釈は出来ていたので「ケーブルは繋がっていて受信は出来る。だが受信のデータが違う状態」であったと思う。ディベートにいたっては必要ないと思って後ろにいたので「ケーブルすら繋げていない状態」だった。
人と人との関係を繋ぐことがメディアアートで自分が感じた大事なことで、関係を繋ぐ事とは双方向性があり、お互いに理解して通信しあえることだと思う。
人と話していて自分の伝えたいことがはっきり伝わらなければ、相手には伝えたい情報は伝わらなく、ただ、自分のデータをただ飛ばしているだけで、また、相手に伝わらなくて、相手が必要のない情報だとしたら相手はケーブルを切ることも出来る。
そして、相手の伝えたい情報を正しく理解することも大切だと思う。これは最低限「ケーブルは繋げよう」ということである。
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1023057 1/7 19:47
課題1 授業の感想
技術革新や時代の変化によって、遊びの種類や構造に変化は生じているが、本質的な部分は変わっていない言う事が、今回の授業を通じて認識した。
課題2 メディアアートの意見
メディアアートは人と人の関係を作り出すアートだという事についての私の意見は、メディアアートは人と人の間に関係を作り出すだけではなく、ある程度他の人に干渉出来るアートなのではないかと考えている。なぜなら、メディアアートはアートの一種である事に変わりないので、見た人に発破を掛けられるアートや、価値観を変えてしまうようなアートも当然出てくる。ただそれらのアートと違い、メディアアートはインターネットに代表される媒体で発表しているので、作る側と見る側の距離が比較的近い、つまり人と人の間に関係が出来やすいのが大きな違いと言える。
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1023110 1/7 20:7
今回の講義の感想
『メディアアート』の意味、表現、発展性、効果、本質など、様々な角度から学んできた内容を総括する講義でした。
過去に描かれた絵画が何を伝えたかったのか考えたり、情報化が進む現代社会におけるメディアアートの価値とその未来について考察することは、私に新しい物の見方を教えてくれました。
具体的な情報と、個人の感性や感情の伝達を両立させるメディアアートは、これからも多くの観点から研究され、新たな手法と共に受け手に伝える何かを生み出し続けていくのだと思いました。
『メディアアートとは~』について
何故メディアアートがそのようなものであるのか、私はまず自分で解釈してみようと考えました。
メディアアートが持つ最も優れた特性は、その公表や閲覧が非常に容易な点です。
絵画や彫刻などに限らず、あらゆる作品は他人の目に触れなければ評価されません。
それが好評であれ悪評であれ、その存在を認知されて初めてアート足り得るのです。
従来の実体を持つアートは、展示会を開いて観客を呼び込むことで作品を公開していました。
指輪のように小型の作品ならともかく、細やかな装飾の施された石像などは気軽に運搬できるものではないからです。
この場合、作品を閲覧できる場所が展示会場に限定されている以上、事前に作者や作品が余程の評価を得ていない限り、観客は近隣の住民や個人的な関係をもつ相手が精々で、知る人ぞ知るような内輪の関係に留まってしまいます。
しかし、メディアアートはインターネットに代表される新しい情報媒体を用いることで、作品を制作した次の瞬間には世界中に向けてそれを発信することができます。
実体を持たないデータとして国境はおろか言語や人種の垣根を超えるメディアアートは、古い媒体を用いた作品とは比較にならない速度と範囲で第三者の目に触れ、その存在を認知されます。
また、現代においては掲示板やツイッターなどを利用して、その作品や情報に対する意見・評価を、時空間を超えて不特定多数の人々が話し合います。
つまり、従来のアートよりも遥かに多くの他人同士が、一つのメディアアートを通じて新たな関係を築き上げるのです。
これこそ、物理的な距離を気にせず会話ができる現代人の新しいコミュニケーションの形、メディアアートの姿であると結論付けたとき、私もその恩恵を授かる一人であり、現代社会は様々なメディアアートによって繋がっているのだと感じました。
メディアアートはこれからも様々な進化を遂げ、私たちの生活により密接に関係するものとなるでしょう。
私はこれからも、見えないけれど確かに存在する、この世界のたくさんの人たちと繋がっていこうと思います。
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1023022 1/7 20:21
課題1
12/18日の講義を欠席してしまったので、講義資料を見ての感想を書きます。
「遊び」と言っても様々な種類があり、漢字一文字で表しても、それぞれ違った「遊び」の意味になる事は知らなかったわけではないですが、言われるまではあまり気にせず、「遊び」は「遊び」だろうと思っていました。しかし、この資料と、以前の講義で、「遊び」にも定義があり、それぞれの条件がそろわなければ、遊びを崩壊させてしまうということ、現代の「遊び」には遊びではない遊びがあることを知りました。問題点としていくつか挙げられていましたが、この「遊び」を崩壊させてしまうものを、私は遊びだと思ってやっていたものも、いくつかあると知り、少し考えさせられました。
私はやりませんが、例えばパチンコやスロットなど、遊びというものは現実と区別をつけなくてはならないのに、その勝ち負けにより現実でのお金に影響がでてしまう。これでは遊びとは言えなくなる、しかし現代にはこのように遊びと現実の区別がつきにくいものが多く存在します。その中でもお金が絡んでくると、せっかくの楽しい遊びで人生を台無しにしてしまったりする人がでてきてしまいます。そんな物を遊びと思ってやるのはやはり違うなと思いました。これからの時代はお金が絡まず、「遊び」を崩壊させる要素がなく楽しめる何かが多く作られると良いなと思いました。
課題2
確かにその通りだと思いました。これまでの講義でもいくつかの映像を観てきましたが、メディアアートを制作する側も、そのアートをみたり触れたりするお客さんも、人との関係に繋がっていくものであったように見えました。
言葉や文字に興味はないと、言っていた猪子さんの言葉はグッときました。メディアアートならたとえ国籍が違い、話す言語も違う人達でも、映像などで触れたり、見たりして、楽しむことができる。これは国という範囲を超えて人同士が楽しむことができる。それはもう人と人との関係を作りだすアートだと言ってもいいのではないでしょうか。他にも、面白い事をやっていればそのアイディアを買ってくれる人がいる。というようなことも言っていたので、そこからまたビジネスとしての人と人の関係が作り出されるのではないでしょうか。
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1023188 1/7 20:44
今回の講義は今までの総括、復習をした内容でした。特に今回気になったのが遊びの6つの要素でした。その中でも自分が一番大切だと感じたことが、「現実とは区別がつくこと」です。6つすべての特徴があるときに「遊び」が成立するとありますが、この「現実とは区別がつく」以外のものであれば見方や解釈を変えれば当てはまるものが殆どになるように感じました。しかし、この「現実とは区別がつく」だけは見方や解釈を変えることはできないのではと感じました。
自分はまだ、この6つの「遊び」のうまい落としどころを見つけていませんが、今後知識を増やしていくに連れ自分なりの納得のいく落としどころを見つけたいと思います。
今までの授業で扱ってきた内容、ラスコー洞窟の壁画や2グループに分かれて討論したものなど、授業を受ける前はなんのつながりも感じられませんでしたが、今では、メディアアートとしてつながりがあると感じることができます。
メディアアートにおいて重要なことは、なんのために作られただとか、なぜそのようなものをなどといった「意味」ではなく、そのもの自体に込められたその人の思いやメッセージであると思います。したがって、人と人との日常の会話も、何気なく描いた机の上の落書きなども、人が無意識に作り出すメディアアートなのではないかと感じました。
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923025 1/7 20:48
1: 本日の授業の感想
先生のお子さんのフォントを作るスピードの話聞いて、私も楽しみながら作ったものは、自身でも驚くスピードでできたことがあったので共感できました。
何事にもそのような心で挑めるようにがんばろうとも思いました。
また、遊び概念を再度学んだことで私は自身の遊びが、定義に比べていささか歪んでいると思ったので、注意しようと思いました。
2: 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」ということに、アートとは人に向けて発信するもので、メディアアートは昔のものより、触れたり、意見することが容易なめんがあるのでそのとおりであると思います。
ただ同時に、メディアアートによる関係は昔のもの比べ、親密さが人それぞれになってしまう所や、途切れやすい所があるとも思いました。
例えば、インターネットで作品を公開した結果でも、似たようなことをしている人親しくなることもあれば、意見をいわれるだけで終わる、反響がないなど結果は様々で、作品自体も実物があるものに比べて、作者の都合で、消去したり改変したりと簡単に消えたり、形を変えてしまいます。
また、ネットでは親しくなっても、片方から一方的に縁を切るのが直接会うのに比べて容易な面もあると思います。
なので、作った関係をいかに大事にしていくかが、これからのメディアアートには大切になっていくと思いました。
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1023082 1/7 20:58
1. 本日の授業の感想
今回の授業の中で、「遊び」についての研究や歴史を見て、「遊び」の定義がエンタテインメントシステムを作っていく上で重要であると感じました。
SNSやMMOなどは「遊びを崩壊させる遊び」として、自分の身近にあります。ソーシャルゲームやMMOなどを実際に遊ぶことがありますが、ゲーム内で時間を限定するようなイベントや、人との協力を強制するといった要素には「遊び」としてどうなのかと疑問を持つことがあります。以前にNHKの番組「クローズアップ現代」でネットコミュニケーション依存が取り上げられていましたが、そこではソーシャルメディアが持っている「人が楽しめる、嬉しくなる要素」が依存のきっかけという分析がなされていました。
製作者側はこういった「遊びを崩壊させる遊び」の問題点を認識して「遊び」を提供しなければ、遊びの崩壊が進んでしまい、危険であると考えさせられました。他にピアジェの「遊びの段階説」にある段階分類についても授業で学び、その段階を追って「遊び」の理解していく仕組みも「遊びの崩壊」をさせないために重要だと感じました。
「遊び」に関する研究、歴史に学んで、自らの中で「遊び」の定義をしていくことで、より良いエンタテインメントシステム、「遊び」を提供していきたいと思います。
参考:NHKクローズアップ現代【http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3262.html】
2. 「メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートである」という命題に対して、自分が感じたことをまとめて下さい。
これまでの授業の中でメディアアートについて学んできて、メディアアートが「人と人との関係を作り出すアート」と聞いて、確かにそうかもしれないと感じました。
メディアアートの定義は、Wikipediaによると「ニューメディアアート、メディアアート(New media art, media art)は、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。」となっています。しかし、明和電機の作品やラスコー洞窟の壁画がメディアアートでは無い、とは自分には思えませんでした。
メディアアートという言葉を構成している「メディア」と「アート」について調べて見ると、メディア (media)という言葉にはmediumの複数形で、「中間」や「媒介」といった意味があります。アート(art)という言葉は芸術、美術、技術と幅広い意味ありますが、その語源であるラテン語のarsには「自然の配置」「技術」「才能」「資格」などの意味があるそうです。更に「芸術」という言葉について調べてみると、「特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。」という意味を持っていることが分かりました。
こういった言葉の意味を考えてみても、「技術や才能、芸術、美術というような情報を伝える媒体となるもの」がメディアアートであり、「人と人との関係を作り出すアート」といえるものではないかと思いました。
参考:【http://ejje.weblio.jp/content/media】
【http://gogen-allguide.com/a/art.html】
【http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/66566/m0u/】
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1023007 1/7 21:2
課題1
今回の講義は、今までやってきたラスコー洞窟の壁画・遊びの古典理論などを総復習・まとめていき、「メディアアート」について「言語」「遊び」等の様々な見方で紐解いていくものでした。
改めて私はメディアアートとは奥深いものなのだなと関心出来、メディアアートをさらに奥深くまで探求していきたいと思える授業でした。
課題2
メディアアートとは人と人との関係を作り出すアートであるという命題と、今までの授業から、私はメディアアートに共通することは「人と人との繋がり」であり、自分の事だけを考えて作る、または自分の中の「何か」を形にするような芸術作品ではなく、鑑賞・操作する・使用する相手を意識してつくるのがメディアアートなのだと感じました。
【年賀状課題ギャラリー】
022 上田くんより
遅れて申し訳ありません。
あけましておめでとうございます。
年賀状の課題を作成しました。
年賀状とはいえるようなものではないですが、私はデジイチを持っているので、
部屋の中で三脚を立て、電気を消して長時間露光してライトでHAPPY NEW YEARを
書いてみました。本当はバルブ撮影で撮りたかったのですが、リモコンを持って
いなかったので、30秒設定で撮影しました。
なので、字を書く時間が短く、なかなか思ったようには撮れませんでしたが、何
とか最後まで字を書けたものを添付します。
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023 上信くん
あけましておめでとうございます。メディアアートのオプション課題である年
賀状のファイルを送信します。郵便年賀.jpのアプリケーション「はがきデザインキット2013」を使用してオリジナル作品を作りました。作成した年賀状の画像のを貼付したかったのですが、ファイル変換が出来なかったため、wordに張り付けて添付ファイルに追加します。送信が遅れてしまい申し訳ございません。
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188 吉永くん
明けましておめでとうございます。
昨年はメディアアートの授業を通じ、自分の見聞を広めることができ、
様々なことを考える良いきっかけとなり、とても良い時間を過ごすことができました。
今年からは、自分は白井先生の研究室配属ではないので疎遠になってしまいますが、
もし機会があれば、また色々なものの見方や考えかたなどをご教授願えると幸いです。
メディアアートの授業に関してはあと少ししかありませんが、とても楽しみにしています。
このような拙い文章ではありますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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1023181 山下くん
あけましておめでとうございます。
オプション課題の年賀状を添付致します。
昨年は、生まれて初めて結婚式に参列してきました。
自分も早く結婚したいです。
今年もよろしくお願いします。
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106 関さん
あけましておめでとうございます。
神奈川工科大学情報学部メディア学科3年関と申します。
迎春
謹んで新年のお慶びを申し上げます
昨年は大変お世話になりました。
本年もよろしくおねがいします。
上記の文章を付属した写真の方に文字として入れていたのですが
データが飛んでしまったため別々で送らせて頂きます。
写真の方は富士山が綺麗だったので撮影したものです。