茶臼岳、朝日岳、三本槍岳 那須連峰・日帰り縦走

栃木県  茶臼岳1,915m、朝日岳1,896m  2003年11月3日

福島県  三本槍岳1,917m

(那須連峰)日本百名山

344

どうだい今年の秋風は

タレントの別れ話じゃなくってさ、

あの、汗がでそうなときにピューっと吹いてきて

顔をすっきりさせてくれる、あれだよ

(秋風の詩)

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明るくなるにつれ、代赭色の雄大な那須連峰の姿が浮かび上がってくる。ピークがたくさん並んでおり、日本百名山に記してあった、北から三本槍岳、朝日岳、茶臼岳、南月山、黒尾谷山が全て見えている。

県道17のカーブを回り込んで行って最初に見えたのは代赭色の鬼面山、続いて鋭鋒をもたげた朝日岳、最後に現われたのが巨大な図体の茶臼岳。同じ代赭色だが、それぞれに個性的な姿をしている。

避難小屋から茶臼へ。山腹二箇所に噴気孔があり、少し煙を出している。外輪山に入り、東側に回りこみながら山頂へ。ここから見る朝日岳は中央の鋭い岩尾根の左右に急峻な谷が翼のように広がっていて、実に見事。自然美の極致の一つではなかろうか。

那須岳神社の鳥居と立派な祠のあるところが茶臼岳最高点だった。南には那須連峰の南半分が連なり、西にシルエットになっているのは高原山と男鹿連峰。その右奥に微かに見えているのが会津駒らしい。北には那須連峰の北半分、三本槍岳の左の尾根続きに流石山、大倉山、三倉山が連なる。

お鉢を一回りして非難小屋まで戻り、今度は朝日岳へ。剣ヶ峰は頂上右をトラバースしてゆき、草木のない岩場を登り、もろそうな山道や細尾根を越えていく。たどり着いた朝日岳の狭い頂上にはてんこ盛りの頂上標識。谷向かいに今度は茶臼岳が雄大に見えている。急峻な翼の朝日に対し、茶臼は分厚く豪快そのもの。

三本槍岳は、そのなだらかな姿は茶臼や朝日に比べるとやや平凡に思えるが、よく見ると西側にナギ斜面を落としていて、強烈なアクセントになっている。

清水平まで降りると木道と小さな湿原。小雨がちらつく中を三本槍山頂に到達。賑やかな山頂の北側で、小雨のなかで上着の帽子もかぶって食事。少し寒いがビールはうまい。

すぐ北に見える鋭鋒は旭岳。登山道のないこの魅力的な山には雪山で登る計画だが、未だ登頂を果たしていない。その奥には甲子山、小白森山、大白森山が並ぶ。旭岳と甲子山の奥に見えているのは二岐山だろうか。

福島側へは山道が2本ほどついており、登山者が行き来している。雲が厚くなってきて、遠くの山はもう見えない。三本槍岳頂上には11:00過ぎまでいて、帰路につく。

2時間ほどで登山口。松尾芭蕉の句碑は奥の細道に旅立つときのもの。車で途中まで降りると、もはやガスで那須連峰は良く見えなくなっていた。

 県道17のカーブを回り込んで行って、最後に現われたのが巨大な図体の茶臼岳。急峻な翼の朝日に対し、茶臼は分厚く豪快そのもの
 朝日岳は中央の鋭い岩尾根の左右に急峻な谷が翼のように広がっていて、実に見事。自然美の極致の一つではなかろうか。
 三本槍岳は、そのなだらかな姿は茶臼や朝日に比べるとやや平凡に思えるが、よく見ると西側にナギ斜面を落としていて、強烈なアクセントになっている。
 那須岳神社の鳥居と立派な祠のあるところが茶臼岳最高点だった
 たどり着いた朝日岳の狭い頂上にはてんこ盛りの頂上標識。
三本槍岳頂上(背景は大倉山、流石山、三倉山)
 松尾芭蕉の句碑は奥の細道に旅立つときのもの。「田一枚 植えて立去る 柳かな」
  6:45 駐車場発  7:36 避難小屋  8:09 茶臼岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り1時間24分  8:48 避難小屋  9:28 朝日岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・茶臼岳から1時間19分10:09 清水平10:37 三本槍岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝日岳から1時間9分11:14 三本槍岳発11:48 清水平12:55 避難小屋13:38 駐車場・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・周回6時間53分

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天気予報は晴のち曇ということで、4:30起、5:00前出発。6:00頃高速を降り、2~3回車を止めて写真を撮る。明るくなるにつれ、代赭色の雄大な那須連峰の姿が浮かび上がってくる。ピークがたくさん並んでおり、日本百名山に記してあった、北から三本槍岳、朝日岳、茶臼岳、南月山、黒尾谷山が全て見えている。すごい、すごい。ぞくぞくして、「このすばらしい景観を写真に収めなくては」という気持ちを「早くあそこに登りたい」という気持ちがまさり、先を急ぐ。県道17のカーブを回り込んで行って最初に見えたのは代赭色の鬼面山、続いて鋭鋒をもたげた朝日岳、そして巨大な図体の茶臼岳。同じ代赭色だが、それぞれに個性的な姿をしている。

ロープウェイはまだ動いておらず(営業時間8:30-16:30)、その上の駐車場へ。広い駐車場にはもう車がたくさん。7:00前出発。古ぼけた登山口標識に小さな鳥居。目の前に朝日岳の岩峰を見ながら登る。左手の茶臼岳にはロープウェイ頂上駅(因みに、8時前にロープウェイが動き出しているのは試運転?臨時便?)。「一面のササ原」の案内。チシマザサとミヤコザサの違いは葉の裏の毛らしい。左側に茶臼の外輪と山頂付近の2本のトンガリ耳が見えてくる。トンガリ耳の手前に土台型の案内標識。風が強いのでこういう形にしているのだろう。茶臼と朝日の間には、避難小屋と剣ヶ峰。最初は青空だったが、次第に雲が増えてくる。

避難小屋から茶臼へ。山腹二箇所に噴気孔があり、少し煙を出している。外輪山に入り、東側に回りこみながら山頂へ。はるか眼下に避難小屋。ここから見る朝日岳は中央の鋭い岩尾根の左右に急峻な谷が翼のように広がっていて、実に見事。自然美の極致の一つではなかろうか。ロープウェイからの道との出会の道標付近に三角点があったらしいが気付かずに通り過ぎ、更に西に登り、那須岳神社の鳥居と立派な祠のあるところが茶臼岳最高点だった。南には那須連峰の南半分が連なり、西にシルエットになっているのは高原山と男鹿連峰。その右奥に微かに見えているのが会津駒らしい。前日登った帝釈山は男鹿連峰の陰のあたりだろう。北には那須連峰の北半分、三本槍岳の左の尾根続きに流石山、大倉山、三倉山が連なる。

お鉢を一回りして避難小屋まで戻り、今度は朝日岳へ。避難小屋周辺には人が大勢。三斗小屋方面に行く人もいるのだろう。剣ヶ峰は頂上右をトラバースしてゆき、草木のない岩場を登り、もろそうな山道や細尾根を越えていく。北側の稜線に出てから東側にある山頂まで一登り。こんな先細りの尖がった山頂に良く簡単に登れるものだ。たどり着いた朝日岳の狭い頂上にはてんこ盛りの頂上標識。谷向かいに今度は茶臼岳が雄大に見えている。急峻な翼の朝日に対し、茶臼は分厚く豪快そのもの。茶臼から北に見えていた三本槍は、朝日山頂からまた見えていて、そのなだらかな姿は茶臼や朝日に比べるとやや平凡に思えるが、よく見ると西側にナギ斜面を落としていて、強烈なアクセントになっている。縦位置なので近く見えるが、手前の二つほどの峰を越えた向こうである。さっきまで朝日山頂にいた団体さんがその手前の峰を進んでゆく。

清水平まで降りると木道と小さな湿原。団体さんは東側に降りて行ってしまったので追い越さずに済む。しかし、三本槍への途中でたくさんの登山者を追い越す。ぬかるんだ部分もある。小雨がちらつく中を三本槍山頂に到達。ガイド通りの3時間半(7:00~10:30過ぎ)。賑やかな山頂の北側で、小雨のなかで上着の帽子もかぶって食事。少し寒いがビールはうまい。こちら側は福島県で、ガイドに載っていた山々が見えている。すぐ北に見える鋭鋒は旭岳。登山道のないこの魅力的な山には雪山で登る計画だが、未だ登頂を果たしていない。その奥には甲子山、小白森山、大白森山が並ぶ。旭岳と甲子山の奥に見えているのは二岐山だろうか。町並みも見える。南に微かに見えていたのは沼っ原調整池。福島側へは山道が2本ほどついており、登山者が行き来している。雲が厚くなってきて、遠くの山はもう見えない。三本槍岳頂上には11:00過ぎまでいて、帰路につく。

地図にある三斗小屋というのはかなり下の方で、稜線上からは見えない。2時間ほどで登山口。松尾芭蕉の句碑は奥の細道に旅立つときのもの*。茶臼を降りていたときに痛めた左足首は、その瞬間はひどかったが、なんとかなっている。踏ん張ってヒザを痛めるよりはぜんぜん良い。車で途中まで降りると、もはやガスで那須連峰は良く見えなくなっていた。朝早く来たのは正解。

*松尾芭蕉句碑と西行の歌

松尾芭蕉句碑 「田一枚 植えて立去る 柳かな」

有名な柳の陰で西行法師を偲んでいると、いつの間にか時間が過ぎ、気がつくと人々は田を一枚植え終えて立ち去ってしまった。 私も名残惜しいがこの辺で立ち去ることにしようか(senbonzakura.skr)

いよいよ奥州への第一歩、白河の関を越える前に訪ねたのが、西行が歌に詠み、後には謡曲でも知られた「遊行柳」である。

「道のべに清水ながるる柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ (新古今)」

漂泊の歌人・西行は、生涯に二度、奥州へと旅している。その西行を慕う芭蕉だが、同じ地に立っても歌ぶりは異なっている。西行は涼やかな木陰にゆったりと体を休めた。芭蕉もそうであったはずなのに、あたかも「一睡の夢」の如し。句の力点は「去る」ことにある。 時間の経過を「田一枚を植える」という行為をもって簡潔に描写した芭蕉の眼は、もはや旅の行く手に注がれていた。(居酒屋奥の細道bunshun.co.jp)

 県道17から見る那須連峰: 白笹山、黒尾谷山、南月山、茶臼岳、朝日岳、三本槍岳、鬼面山

代赭色の鬼面山

天気予報は晴のち曇ということで、4:30起、5:00前出発。6:00頃高速を降り、2~3回車を止めて写真を撮る。明るくなるにつれ、代赭色の雄大な那須連峰の姿が浮かび上がってくる。ピークがたくさん並んでおり、日本百名山に記してあった、北から三本槍岳、朝日岳、茶臼岳、南月山、黒尾谷山が全て見えている。

代赭色の朝日岳

すごい、すごい。ぞくぞくして、「このすばらしい景観を写真に収めなくては」という気持ちを「早くあそこに登りたい」という気持ちがまさり、先を急ぐ。県道17のカーブを回り込んで行って最初に見えたのは代赭色の鬼面山、続いて鋭鋒をもたげた朝日岳、そして巨大な図体の茶臼岳。同じ代赭色だが、それぞれに個性的な姿をしている。

代赭色の茶臼岳

代赭色の茶臼岳と朝日岳

駐車場と朝日岳

ロープウェイはまだ動いておらず(営業時間8:30-16:30)、その上の駐車場へ。広い駐車場にはもう車がたくさん。7:00前出発。古ぼけた登山口標識に小さな鳥居。目の前に朝日岳の岩峰を見ながら登る。

登山口

左手の茶臼岳にはロープウェイ頂上駅(因みに、8時前にロープウェイが動き出しているのは試運転?臨時便?)。「一面のササ原」の案内。チシマザサとミヤコザサの違いは葉の裏の毛らしい。左側に茶臼の外輪と山頂付近の2本のトンガリ耳が見えてくる。トンガリ耳の手前に土台型の案内標識。風が強いのでこういう形にしているのだろう。茶臼と朝日の間には、避難小屋と剣が峰。最初は青空だったが、次第に雲が増えてくる。

ロープウェイ

「一面のササ原」案内

茶臼岳のトンガリ耳

剣ヶ峰と朝日岳

土台型の案内標識

避難小屋と剣ヶ峰と朝日岳

茶臼岳と避難小屋と登山者たち

茶臼岳の噴気孔

避難小屋を見下ろす

朝日岳

避難小屋から茶臼へ。山腹二箇所に噴気孔があり、少し煙を出している。外輪山に入り、東側に回りこみながら山頂へ。はるか眼下に避難小屋。ここから見る朝日岳は中央の鋭い岩尾根の左右に急峻な谷が翼のように広がっていて、実に見事。自然美の極致の一つではなかろうか。

ロープウェイ頂上駅

ロープウェイからの道との出会の道標付近に三角点があったらしいが気付かずに通り過ぎ、更に西に登り、那須岳神社の鳥居と立派な祠のあるところが茶臼岳最高点だった。南には那須連峰の南半分が連なり、西にシルエットになっているのは高原山と男鹿連峰。その右奥に微かに見えているのが会津駒らしい。前日登った帝釈山は男鹿連峰の陰のあたりだろう。北には那須連峰の北半分、三本槍岳の左の尾根続きに流石山、大倉山、三倉山が連なる。

那須岳神社の鳥居

那須岳神社の祠

 茶臼岳頂上から西の景観: 南月山、白笹山、高原山、日の出平、男鹿連峰

 茶臼岳頂上から北の景観: 大倉山、三倉山、流石山、三本槍岳、朝日岳、赤面山

大倉山、三倉山、流石山

三本槍岳

避難小屋と人々

三斗小屋への案内標識と避難小屋

朝日岳

もろそうな山道

朝日岳の細尾根

 朝日岳頂上

お鉢を一回りして非難小屋まで戻り、今度は朝日岳へ。避難小屋周辺には人が大勢。三斗小屋方面に行く人もいるのだろう。剣ヶ峰は頂上右をトラバースしてゆき、草木のない岩場を登り、もろそうな山道や細尾根を越えていく。北側の稜線に出てから東側にある山頂まで一登り。こんな先細りの尖がった山頂に良く簡単に登れるものだ。たどり着いた朝日岳の狭い頂上にはてんこ盛りの頂上標識。谷向かいに今度は茶臼岳が雄大に見えている。

 茶臼岳

急峻な翼の朝日に対し、茶臼は分厚く豪快そのもの。茶臼から北に見えていた三本槍は、朝日山頂からまた見えていて、そのなだらかな姿は茶臼や朝日に比べるとやや平凡に思えるが、よく見ると西側にナギ斜面を落としていて、強烈なアクセントになっている。縦位置なので近く見えるが、手前の二つほどの峰を越えた向こうである。さっきまで朝日山頂にいた団体さんがその手前の峰を進んでゆく。

茶臼岳

形を変えた朝日岳と案内表示

隠居倉

三本槍岳と木道

三本槍岳と清水平標識

三本槍岳と旭岳

三本槍岳頂上(背景は大倉山、流石山、三倉山)

清水平まで降りると木道と小さな湿原。団体さんは東側に降りて行ってしまったので追い越さずに済む。しかし、三本槍への途中でたくさんの登山者を追い越す。ぬかるんだ部分もある。小雨がちらつく中を三本槍山頂に到達。ガイド通りの3時間半(7:00~10:30過ぎ)。賑やかな山頂の北側で、小雨のなかで上着の帽子もかぶって食事。少し寒いがビールはうまい。

三本槍岳の三角点

こちら側は福島県で、ガイドに載っていた山々が見えている。すぐ北に見える鋭鋒は旭岳。登山道のないこの魅力的な山には雪山で登る計画だが、未だ登頂を果たしていない。その奥には甲子山、小白森山、大白森山が並ぶ。旭岳と甲子山の奥に見えているのは二岐山だろうか。町並みも見える。南に微かに見えていたのは沼っ原調整池。福島側へは山道が2本ほどついており、登山者が行き来している。雲が厚くなってきて、遠くの山はもう見えない。三本槍岳頂上には11:00過ぎまでいて、帰路につく。

旭岳

沼っ原調整池

地図にある三斗小屋というのはかなり下の方で、稜線上からは見えない。2時間ほどで登山口。松尾芭蕉の句碑は奥の細道に旅立つときのもの*。茶臼を降りていたときに痛めた左足首は、その瞬間はひどかったが、なんとかなっている。踏ん張ってヒザを痛めるよりはぜんぜん良い。車で途中まで降りると、もはやガスで那須連峰は良く見えなくなっていた。朝早く来たのは正解。

 三本槍岳から北の景観: 旭岳、甲子山、小白森、大白森

松尾芭蕉句碑

「田一枚 植えて立去る 柳かな」

有名な柳の陰で西行法師を偲んでいると、いつの間にか時間が過ぎ、気がつくと人々は田を一枚植え終えて立ち去ってしまった。 私も名残惜しいがこの辺で立ち去ることにしようか(senbonzakura.skr)

松尾芭蕉句碑の説明

いよいよ奥州への第一歩、白河の関を越える前に訪ねたのが、西行が歌に詠み、後には謡曲でも知られた「遊行柳」である。

「道のべに清水ながるる柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ (新古今)」

漂泊の歌人・西行は、生涯に二度、奥州へと旅している。その西行を慕う芭蕉だが、同じ地に立っても歌ぶりは異なっている。西行は涼やかな木陰にゆったりと体を休めた。芭蕉もそうであったはずなのに、あたかも「一睡の夢」の如し。句の力点は「去る」ことにある。 時間の経過を「田一枚を植える」という行為をもって簡潔に描写した芭蕉の眼は、もはや旅の行く手に注がれていた。(居酒屋奥の細道bunshun.co.jp)