八十里越 ブナ林の逍遥と山岳景観
福島県 八十里越(木ノ根峠)845m、田代平900m、松ヶ崎820m 2018年11月4日
新潟県 鞍掛峠965m、番屋乗越895m、火薬跡820m、空堀765m、椿尾根725m 2018年11月3日
新潟百名山、会津百名山
343
どうだい今年の秋風は
タレントの別れ話じゃなくってさ、
あの、汗がでそうなときにピューっと吹いてきて
顔をすっきりさせてくれる、あれだよ
(秋風の詩)
@@@@@@@
吉ヶ平は「よしがひら」と読むのは三条市のネットで知った。ついでに雨生池は「まおいがいけ」。これは読めないね。そして南に屏風のように連なる冠雪の守門岳を見る。あれは確かに雪だ。その先で、冠雪の守門岳の右手前に見えていた草紅葉の山は大岳だったようだ。
朝日が射し、紅葉が輝く。薄緑のブナの黄葉にウルシの紅葉。そして番屋乗越の石標を越え、尾根の東側に出る。最初に北に見えていた双耳の山は烏帽子岳。光明山の頂上には突起がいくつか見え、王冠のように見える。遠く冠雪しているのは御神楽岳ではないだろうか。そして山々の下に、工事中のR289を見る。巨大な柱は橋脚らしい。
錦秋のブナ林を駆け降りていった先に八十里越の最難関が待っていた。それはブナ沢だと思うが、水量が多くて渡渉地点が水没していた。最終的に、対岸に足場のある湖からの出口を渡り、対岸の大岩をまっすぐ登る。やった、越えられた、と思うと同時に、帰りにまたここを通らないといけないというプレッシャーに暗くなる。まあ、一度通れたんだから、大丈夫さ。
背後に見えていた烏帽子山のスラブ斜面はますます切り立ち、迫力の景観。突然現れた池に烏帽子山が逆さに映っていて、この池は何だろう、とGPSを見て、初めてルートを大きく外れているのに気づく。結局、45分のロスとなったが、この烏帽子山を見れたのは幸運。
鞍掛峠を越え、東の視界が広がり、その中心に浅草岳がゆったり左右に尾根を広げていた。険しい姿の守門に対し、浅草岳は優雅そのもの。そして浅草岳の左手前に初めて田代平の草原を見る。谷底の破間川よりもだいぶ高い所に、白いテラスのように見えている。湿原まで下りたかったが、もう13時と分かり、ここで引き返す。
帰路についてすぐ、二人の登山者に会う。大きなザックを背負っているので、たぶん田代平のあたりに泊まるのだろう。なるほど、その手があったか。
なんとかブナ沢を渡り切って対岸に上がり、ひっくり返って休むと、頭上に二本のブナの大木が立っていて、なにやら話しかけているように感じた。
ブナたちがざわざわと言い争っている間に私は帰路につく。見渡す限りのブナ林。若い木は静かだが、老木はなにかしら話しかけてくる。
(D2)
浅草岳登山口駐車場からR289を行く。ゲートを通り、工事中の重機が並ぶ道をしばらく歩くと、その先には立派な舗装路が目の届くはるか先まで伸びていた。だいぶ舗装路工事は進んでいるようだ。
すると、軽トラに乗った一団の人達が声をかけてきて、八十里越の登山口はここから2kmほど先の左側にあると教えてくれた。そろそろ2kmのところで、舗装路の左下、50メートルくらい離れたところに掲示板が二つほど立っているのを見る。あれが登山口に違いない。
最初の出っ張り755m地点の手前で林を抜けて視界が広がる。霧は消え始め、見えてきた青空に紅葉が映える。その美しさに足が早まる。天高くそびえる大きなブナ。出っ張りの先に出ると北に山々が連なっていた。もう霧は晴れ、青空の下に並ぶ山々は壮観。
二つ目の出っ張り822m地点には祠があった。古い木標の文字は松ヶ崎と読める。西に見える冠雪の山は黒姫らしい。その真下あたりに八十里越があるはずだが、樹木に隠れている。
行く手に立ちはだかる高い尾根に忽然と切れ目が現われ、それが八十里越だった。深く積もった落ち葉の上にひっそりとたたずむ二つの石標。ここが八十里越の中心点、会津と越後の国境。
そして田代平の石標のところに着き、すぐに湿原に下る。やがて広大な湿原が見えてきて、そこには古ぼけてはいるが、木道があった。そして木道にはなんと人がいた。まさかここで人に会うとは思わなかった。軽装の男性は今朝、吉ヶ平から来たという。ひとしきり、お互いに苦労した話になる。「ロープはあるんだが、歩きにくくてたいへん」というのが八十里越の結論のようだ。
草紅葉の代赭色の湿原には小さな池塘もあり、夏にはどんな花が咲くのだろう。周囲は山に囲まれ、西には黒姫と守門が見えている。人里からはるかに離れた山奥に忽然と現れた湿原は、とても不思議なところだった。
D2 6:42 浅草岳登山口440m発 8:07 八十里越登山口520m 9:52 出っ張り770m10:47 松ヶ崎820m11:43 八十里越845m12:27 田代平石標12:30 田代平・湿原・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・浅草岳登山口から5時間48分12:50 田代平石標発13:28 八十里越14:13 松ヶ崎15:04 出っ張り770m16:45 八十里越登山口17:51 浅草岳登山口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復11時間9分
D1 往路16.4㎞、標高差1,429m、速度2.3㎞/h、198m/h 帰路13.9㎞、標高差714m、速度2.4㎞/h、125m/hD2 往路15.3㎞、標高差1,242m、速度2.6㎞/h、214m/h 帰路14.1㎞、標高差662m、速度2.6㎞/h、124m/h
**********************************
(D1)
たどりついた吉ヶ平には広い駐車場があり、2台ほどが停めてある。ヘッドランプを灯して準備している間に明るくなってきて、夜明け前に歩き始める。準備している間に一台がやってきて、大きなザックを背負っているのが見えた。泊まりがけのようだ。大きな橋を渡る。吉ヶ平は「よしがひら」と読むのは三条市のネットで知った。ついでに雨生池は「まおいがいけ」。これは読めないね。どっちにしても、後から歩いてくる人がいるので、雨生池には寄らずに進む。近くに「詩場」と彫られた石標。そして南に屏風のように連なる冠雪の守門岳を見る。あれは確かに雪だ。その先で、冠雪の守門岳の右手前に見えていた草紅葉の山は大岳だったようだ。分岐標識があり、「八十里明治新道、緩やか、少し遠回道」とある。並行したルートのようなので、帰りに歩くことにし、旧道をあるく(結局、帰りは遅くなってしまったので、新道は歩かず)。道は昨日までの雨のためかびしょ濡れ。ぬかるんだところも多い。今日はコネロ・シューズにスパッツなので多少のでこぼこには強い。石ころの多い道をしばらく登り、「椿尾根、標高735m」の石標に着く。そのすぐ先に番屋山933mへの分岐があったので、そこは番屋山の南西尾根だろう。番屋山にも帰りに登ることにし、寄らずに進む(結局、登らず)。
このあたりから道は険しくなり、トラバース路が崩れた箇所を何度か高巻きしていく。ヤブ道ではなく、要所にロープがあるので越えられるのだが、道の整備は最小。四角いコンクリの中に賽銭が供えられているのは、たぶん昔ここにあった祠が壊れたか無くなったのだろう。四国でも、木造りの仏像が無くなって標識のみが立っているのを見た。コンクリや切り株を祠の代用にしているのも何度か見たことがある。朝日が射し、紅葉が輝く。薄緑のブナの黄葉にウルシの紅葉。そして番屋乗越の石標を越え、尾根の東側に出る。よって、今度は北と東の景観が広がる。樹木があって全景は捉えられなかったが、最初に北に見えていた双耳の山は烏帽子岳680mで、その左手前に大谷ダムとひめさゆり湖が見えている。その右(東)に、視界を遮る灌木をはさみ、並んでいるのが万之助山827mと光明山879mのようだ。鋭鋒の烏帽子岳に比べると万之助と光明山はなだらかだが、光明山の頂上には突起がいくつか見え、王冠のように見える。光明の右(東)に並ぶのはたぶん毛無山1,044m、中の又山1,070m。更にその右(東)に遠く冠雪しているのは御神楽岳1,386mではないだろうか。そして山々の下に、工事中のR289を見る。巨大な柱は橋脚らしい。
金属製の三角点の形をしていたのは「道路台帳基準点」とある。ここでザックを下ろし、レインウェアを脱ぎ、ポカリを半分飲む。最初は分厚い手袋をしていたが、ここでガーデン手袋に替える。1,000円弱なので気楽に使える。下はまだ濡れており、腰を下ろさずに先に進む。尾根を回り込んで南に向かうと、初めて行く手に烏帽子山1,350mを見る。これこそが八十里越の核心の山だと思うが、最初に見た北からの姿はややおとなしい。烏帽子山の右奥には再び守門岳。尾根の東側をトラバースする道の壁側が削られているように見えるのは自然の姿なのだろうか、それとも人が削ったのだろうか(実はここに「火薬跡」という石標があるのだが、往路のときは気づかなかった)。トラバース路からブナ沢への下りとなり、最初のロスト。つづら折りの下りの左折地点で間違えて直進したのはそっちにもピンクリボンがあったからだが、八十里ルートにはピンクリボンがあるものの、それ以外の目的のピンクリボンもあるのがまぎらわしい。GPSを見て引返し、このときは数分でルート復帰。2度目も同じくつづら折りを直進し、荒れた作業道をだいぶ進んでからルートを外れていることに気づく。戻るには登り返さないといけないので、最短ルートを探るが、険しい地形が遮っていたので諦め、登り返す。長く感じたが、6分ほどで復帰。
錦秋のブナ林を駆け降りていった先に八十里越の最難関が待っていた。それはブナ沢だと思うが、水量が多くて渡渉地点が水没していた。穏やかなブナ林の中にある湖から大量な水量で流れだしていて、下流では垂直に近い深い谷になっている。その湖からの水の出口に立木に寄りかかった大岩があり、その手前にあるブナの大木との間にロープがかけてある。その間、1メートルちょっとを渡ると、対岸に上がれるのだが、水量が多くて対岸の足場が水没しているようだ。下流の水が少ないところが渡れそうだが、下流の岸は垂直に切り立っており、降りるのは難しそうだ(ロープを木にひっかけて懸垂で降りる手はあるかもしれない)。最終的に、対岸に足場のある湖からの出口を渡り、対岸の大岩をまっすぐ登ることにする。幅1メートルの左岸には細い流木があり、そこに立って左手でロープを掴み、右手のスティックを支点にして対岸の狭い足場に片足を踏み込む。大丈夫そうなのでもう片方の足も移し、大岩の下に立つ。さあ、あとはこの岩を登ればいいだけだ。上に立ちはだかる灌木の間に体とザックとスティックを押し込み、片手を岩の上にかけ、体を持ち上げ、もう片方の手をかけ、・・・・ついに岩の上に立つ。やった、越えられた、と思うと同時に、帰りにまたここを通らないといけないというプレッシャーに暗くなる。まあ、一度通れたんだから、大丈夫さ。
そこからは烏帽子山の東斜面に登り返していくが、高清水沢というのを渡渉。ブナ沢に比べればたいしたことはなし。平坦なところを歩いていて、「空堀小屋跡」という石標に出会う。ここに小屋が立っていたのだろう。そのすぐ先の「空堀、765m」という石標がR289。国道だが、八十里区間は車両通行不能で、番屋乗越で見た道路工事の真っ最中。新道を作っている真っ最中に、旧道も整備するというのは予算的に厳しいのだろう。でも、長い歴史をもつ古道の保護も忘れてはなるまい。無くなってしまっては元には戻せなくなるだろう。空堀は三叉路になっているのだが、このときは何の迷いもなく左に進む。道ははっきりしており、リボンもちゃんとある。背後に見えていた烏帽子山のスラブ斜面はますます切り立ち、迫力の景観。突然現れた池に烏帽子山が逆さに映っていて、この池は何だろう、とGPSを見て、初めてルートを大きく外れているのに気づく。どこで道を間違えたのかさっぱりわからず、ともかく空堀まで戻り、更に戻ってみて、正しいルートに乗っていることに気づく。空堀に着いたときは北側からで、そこから左(東)でなく右(西)に向かわなければならなかったのだ。結局、45分のロスとなったが、この烏帽子山を見れたのは幸運。
空堀から西に向かう道はすぐに南に転進し、烏帽子山の東斜面をトラバースしていく。そしてつづら折りの手前に「殿様清水」の石標。ポカリを飲んだと思うが、下が濡れていたので腰は下ろさず。行き帰りのつづら折りの先は長いトラバース路で、何度もえぐれた沢を越えていく。高度が上がり、北に烏帽子岳、万之助山、光明山が並んでいるのを見る。番屋乗越では樹木に邪魔されて並んでいるところは見えていなかった。双耳の烏帽子岳、ごつごつした光明。トラバース路はいつかは南側の尾根を越えるはずだが、行く手の尾根は高く、登っていく様子はない。ようやく固定ロープで斜面を少し登った先に尾根がくびれた部分があり、そこが鞍掛峠だった。いつもの石標と、その左上に祠。ザックを下ろし、コンビニ袋を敷いて初めて腰を下ろして休憩。パンを食べ、温くなったホットレモンを2/3くらい飲む。時間を見ずに先に進む。たぶん10時半くらいだと思っていたが、実は12時。それを見ていれば戻っただろう。
鞍掛峠を越えて最初に見えたのは冠雪した浅草岳。樹間に頂上部分のみが見えていた。次に見えたのは緩い円を描く黒姫。これも薄く冠雪している。そして黒姫の右後ろに鋭角に姿を変えた守門岳。朝に見た屏風の守門を真横から見ているのだが、見えているのは守門岳・東峰1,527mのようだ。眼下の紅葉の谷を流れるのは破間川(あぶるま)。ロープを使わないと越えられないえぐれた沢をいくつか越え、トラバース路が南に突きだした先端に「小松横手」の石標。東の視界が広がり、その中心に浅草岳がゆったり左右に尾根を広げていた。険しい姿の守門に対し、浅草岳は優雅そのもの。そして浅草岳の左手前に初めて田代平の草原を見る。谷底の破間川よりもだいぶ高い所に、白いテラスのように見えている。更にいくつかの沢を越え、谷に下る分岐のところに「田代平」の石標を発見。湿原まで下りたかったが、もう13時と分かり、ここで引き返す。朝6時に出て7時間かかっているのだから、今からでも20時になってしまう。こんなに時間がかかるとは思わなかった。だがこれは、関田峠・伏野峠の10㎞、700mに6時間半(往復14時間)、野根山街道初日の11㎞、700mに7時間、(往復12時間)とほぼ同じ。秋の涼しい気候でもっと早く歩けると思ったのが甘かった。道が歩きにくく、ルートを2度間違えたのも痛かった。
帰路についてすぐ、二人の登山者に会う。大きなザックを背負っているので、たぶん田代平のあたりに泊まるのだろう。なるほど、その手があったか。それにしても、あの大きなザックでどうやってブナ沢を渡ったのだろう。くたびれて殿様清水で横になって休憩。ここは乾いていた。足を伸ばすと楽になる。空堀の近くの真っ赤な紅葉はウルシ?高清水沢を越えて下っていくと、もう夕日になってきた。ブナ沢に着き、大岩の上から見下ろすと、灌木の隙間はえらく狭くて通り抜けるのは辛そう。西側のルートを探るが、そっちも水の上に足場はない。再び大岩の上に上がり、右足を灌木の隙間に差し込んで通り抜け開始。体を後ろ向きに180度廻そうとすると、右足のすねの筋肉が灌木に押されて釣り、痛みが走る。後ろ向きになって右足の痛みもなんとかおさまり、今度は灌木を掴んで隙間を下る。足元が見にくかったが、左足が水の上の足場にかかり、次に右足を下ろし、そしてロープを掴んで水面側に向きを変える。今度は対岸には流木があり、その手前の水の中にスティックを差して支点にし、右手のロープと左手のスティックを支点に右足を踏み出して対岸の流木に踏み込む。あとは左足を持ち上げ、流木から土手に上がるときは小走りになっていた。やった、なんとか渡れた。
なんとかブナ沢を渡り切って対岸に上がり、ザックを下ろしてひっくり返って休むと、頭上に二本のブナの大木が立っていて、なにやら話しかけているように感じた。
(二本のブナとの会話)
右のブナ「おまえさん、無事に渡れてよかったねえ。でもいつもうまくいくとは限らないぞ。今日はたまたま水の中にはまらなかっただけさ。気を付けな。それにしても、こんなところまでくるとは、物好きだねえ」
左のブナ「おい若いの、おまえなんか水の中に落っこちちまえばよかったんだ。ちょっと水は冷たいだろうが、少しは思い知るだろ」
余計なお世話だと思いながらも、私「うわあ、すごくでっかいブナだなあ。ところで、あなたたちのどっちが背が高いんですか?」
右のブナ「そりゃあ俺の方さ。葉がふさふさして・・・・・・・見りゃわかるだろ」
左のブナ「なに言ってる。葉っぱがなんだ。この美しいすべすべした幹を見てみろ。」
ブナたちがざわざわと言い争っている間に私は帰路につく。見渡す限りのブナ林。若い木は静かだが、老木はなにかしら話しかけてくる
暗くなる林の中で夕日に紅葉を輝かせるブナたち。トラバース路まで上がると、往路では気づかなかった「火薬跡」という石標を見る。やはりここの岩壁は火薬も使って穿ったのだろうか。朝は陰になっていた建設中の車道が夕日に白く見えている。橋脚の先の車道はだいぶできているように見える。その上に、夕日に赤く染まる光明山。番屋乗越につき、ヘッドランプを出してウェストバッグに入れ、横になって休む。そのヘッドランプは光度が弱いので最大光度で照らして歩くが、これの電池が切れてもブラックダイヤモンドのヘッドランプがある。夕日に黒いシルエットのブナ。ついに吉ヶ平の明かりが見える。どうやら丘の上にテントが張られているようだ。19時前だから復路は6時間弱で、往路より1時間早かったのは、往路で道を間違えたためだろう。車に戻ってゆっくり着替え、カーナビをセットするのにやや時間がかかり、駐車場を出る。広場には食事中の人。
(D2)
只見からR289を北上すると、浅草岳登山口駐車場にたくさん車が来ている。予定していた八十里の登山口はもっと先だが、浅草岳登山口のすぐ先が工事中で通行止めになっており、戻って浅草岳登山口に停める。燃費14.3。西会津から会津坂下を経由せず、山越えのR400を来た。途中に「黒男山、木地夜鷹山、xxx山登山口」の表示。登山道が整備されたのだろう。この日は朝は霧がかかっていて遠景は見えてなかった。準備していると、テント泊したらしい隣の車の人がやってきて、「浅草岳ですか、雪が膝まで積もってますよ」と言う。そんなに積もっていたのか。「八十里越に行くのですが、浅草岳の雪は見ました」と答える。浅草岳登山口の隣に八十里越・古道入口の表示があったが、そちらには入らず、R289を行く。ゲートを通り、工事中の重機が並ぶ道をしばらく歩くと、その先には立派な舗装路が目の届くはるか先まで伸びていた。地理院地図よりもだいぶ舗装路工事は進んでいるようだ*。霧はあいかわらず立ち込めていて、道の上は湿っている。
*車道整備: 最大の難所である八十里越の区間については、三条市大字塩野渕から只見町大字叶津字入叶津に至る延長19.1 kmの区間が自動車の通行不能区間として残存している。両県と国土交通省北陸地方整備局長岡国道事務所では「八十里越道路」の改築事業を実施 (wikipedia)
地理院地図にある大三本沢出会い付近の登山口にやってきたが、車道はまっすぐに続いており、その右手にあるはずの登山口は見当たらない。リボンのある微かな踏み跡を登っても、道脇はすぐに川岸の壁になっていて道はない。とりあえず車道を行ってみることにする。すると、軽トラに乗った一団の人達が声をかけてきて、八十里越の登山口はここから2kmほど先の左側にあると教えてくれた。乗せようかと言われたが、歩きますと応ずる。2kmもいってないところで、車道の左側に八十里越・旧街道跡の石標が立っていた。ここに違いないと思い、やや荒れた、いや、だいぶ荒れた踏み跡に入る。だが、しばらく進むと踏み跡は川岸の崩壊部分で途切れていて、それを迂回する道も見当たらない。こいつは違うな。戻る。古道は崩壊し、立派な石標はもはや道標ではなくなっていた。
そろそろ2kmのところで、舗装路の左下、50メートルくらい離れたところに掲示板が二つほど立っているのを見る。あれが登山口に違いない。舗装路からそこに至る道は、知らないうちに通り過ぎていて、少し舗装路を戻る。そこには斜めに作業道が下っており、車の轍がついていた。だが、100メートルほど先にあった掲示板は「国民の森林・国有林」と「奥会津森林生態系保護地域および会津山地緑の回廊」というもので、八十里越の文字は見当たらない。これも違うのかな、と思っていったん引返すが、この道を下ってきた二人がいた。それは昨日、田代平付近で会った二人に違いない。二人に、これが八十里越の道であることを確認し、先に進む。最初はGPSピンクルートから外れ、つづら折りの道。朝霧に濡れた紅葉。下ってきた三人連れに会う。たぶんキノコ採りだろう。彼等に会ったあたりでつづら折りが終わり、崩壊斜面を高巻きし、GPSルートに一致するトラバース路に出たと思う。
そしてトラバース路になってから、延々と続くやっかいな沢越えが始まる。水の音が聞こえ、広く歩きやすい道の先に滝が見え、その滝の上流が最初の沢越えだったと思う。再び広く歩きやす道になるが、また水の音が聞こえ、沢がはるか下に見えたと思ったら、その沢が深くえぐった沢筋を、たよりなさげなロープを使って越えていく。これが何度も何度も続くのだ。岩の上を水が流れているナメ沢を越える。ナメの途中にポッドがあり、沢靴なら楽しかろうが、夏靴だとおっかなびっくりで通過。八十里越に向かって西に向かうトラバース路は、途中で二度、北に出っ張るが、その最初の出っ張り755m地点の手前で林を抜けて視界が広がる。霧は消え始め、見えてきた青空に紅葉が映える。その美しさに足が早まる。天高くそびえる大きなブナ。また崩壊斜面を高巻きしたと思うが、高巻きしたあたりが755m地点だったと思う。出っ張りの先に出ると北に山々が連なっていた。もう霧は晴れ、青空の下に並ぶ山々は壮観。
このあたりは急斜面なので、トラバース路を沢が横切るところはより深くえぐれていて、おそるおそるロープを頼りに足場を確かめながら慎重に渡っていく。こういうのは精神的ストレスになる。帰りもまた通らないといけないからだ。そして二つ目の出っ張り822m地点には祠があった。古い木標の文字は松ヶ崎と読める。松ヶ崎でザックを下ろして最初の休憩。パンを食べる。西に見える冠雪の山は黒姫らしい。その真下あたりに八十里越があるはずだが、樹木に隠れている。北に連なる山々は左から1,191m峰、917m峰、双耳の1,031m峰、やや遠く大倉山985mと思われるが、いずれも登山道は記載されていない。東のかなたに見える平らな山は博士山だろうか。双耳1,031m峰の左奥のかなたに真っ白い山が見えている。御神楽岳あたりだろうか。またいくつか沢を越え、八十里越の手前でまた人に会う。どこから来たのだろう。彼等もまた、キノコ採りのように見えた。
トラバース路の行く手には峠らしきものはまるで見えてこないのは前日の鞍掛峠のときと同様。鞍掛峠のときは少し手前で登りがあったが、今回は登りは全くなく、行く手に立ちはだかる高い尾根に忽然と切れ目が現われ、それが八十里越だった。深く積もった落ち葉の上にひっそりとたたずむ二つの石標。ここが八十里越の中心点、福島と新潟の県境、いや、会津と越後の国境。二つの石標は「八十里峠(木ノ根峠)、845m」「木ノ根茶屋跡」とあるので、昔はここに茶屋があったのだろう。二つの石標を何度も写し、田代平に向かう。田代平まではすぐかと思ったら、意外に距離があり、しかも難所続きだった。崩壊した急斜面のトラバース路をロープや灌木を掴んで越えていく。往路は登りが続く。紅葉の上に青空と黒姫。南のかなたに見える白い山は越後駒ヶ岳だろうか。突然出くわした分岐は五味沢方面への道らしい。少し進んだ先に今度は木柱が立っていた。「林道を下り大白川へ至ル」とあるので、さっきと同じ五味沢方面の道。こっちが本来の分岐で、さっきのは近道のようだ。
次に着いたのは林の中の広場で、手前に細い沢が横切っていたが、テント場に使えそうな平らな広場。今朝会った二人はここにテントを張ったのだろうか。大きな案内板には「越後三山只見国定公園」とあり、「・・・この湿原は30ヘクタールほどの広さで・・・北側にはミズバショウ・・・東南側はヌマカヤの多い湿性湿原が広がっている」というのは田代平のことだろう。そして田代平の石標のところに着き、すぐに湿原に下る。かなりの下りは標高差20mくらいだろうか。やがて広大な湿原が見えてきて、昨日も含めて初めての「橋」を渡り、湿原の中央を走るまっすぐな道に入ると、そこには古ぼけてはいるが、木道があった。そして木道にはなんと人がいた。まさかここで人に会うとは思わなかった。軽装の男性は今朝、吉ヶ平から来たという。ひとしきりお互いに苦労した話になる。「ロープはあるんだが、歩きにくくてたいへん」というのが八十里越の結論のようだ。彼は吉ヶ平には戻らず、林道(五味沢方面だろう)に下ると言い、湿原の中央の木道分岐を東の方に歩いて行った。その方向から八十里越の道につながる分岐3もテント場の近くで見たような気がする。来年は只見から登るそうだ。
草紅葉の代赭色の湿原には小さな池塘もあり、夏にはどんな花が咲くのだろう。周囲は山に囲まれ、西には黒姫と守門が見えている。人里からはるかに離れた山奥に忽然と現れた湿原は、とても不思議なところだった。石標のところに戻り、ザックを下ろし、横になって少し休み、帰路につく前に昨日の残りのナッツを食べる。これは大きな袋だったので、半分残っていたナッツをウェストバッグに入れて、時々食べながら歩く。帰りに南に浅草岳を見る。八十里越の斜めの尾根の上に浮かぶゆったりした冠雪の山。支沢の奥に架かる大きな滝を見る。それは高い垂直の岩壁を細く流れ落ちていた。八十里越で二つの石標に再会し、松ヶ崎でザックを下ろして休憩。木陰にトラロープのロールが置いてあるのに気づく。
同じ枝に黄色と赤に染め分かれたモミジ。よく見ると、同じ葉でも黄と赤に染め分かれているのもある。色素の問題なのだろう#。なんとか明るいうちに登山口に着き、舗装路脇にザックを下ろして最後の休憩。車が数台、新潟方面に走っていく。残り3㎞強は1時間で歩けるだろうが、ヘッドランプを出しておく。もう温くなったホットレモンを飲み干して出発。すぐに暗くなり、八十里越古道入口の石標はヘッドランプで照らして確認。交互通行の信号が秒数を刻みながら赤と青に光っていたが、どうやらバッテリー付の太陽光発電らしい。工事現場の狭い道のところで、只見方面からやってきた車が通り過ぎるのを待つ。ようやく浅草岳駐車場に着く。まっくらだが、隣の駐車場で出発準備中の車が一台。ゆっくり片づけし、カーナビセットして車を出す
#葉の色素: 木の葉にはクロロフィル(緑)と、カロチノイド(黄色)が含まれています。秋になり日照時間が短くなり、日差しが弱まると、両方の色素が分解されるのですが、 一般的にはクロロフィルのほうが早く分解されるので、カロチノイド(黄)が目立つようになり黄葉になります。葉が赤くなるのは、秋から冬になると葉の中でこわれた葉緑体と、葉の中に残っていた栄養の糖分が一緒になって、アントシアニンという赤い色のものが増えてくるためです。(知って得する豆知識)
(D1)
夜明け前の吉ヶ平
たどりついた吉ヶ平には広い駐車場があり、2台ほどが停めてある。ヘッドランプを灯して準備している間に明るくなってきて、夜明け前に歩き始める。準備している間に一台がやってきて、大きなザックを背負って、泊まりがけのようだ。大きな橋を渡る。吉ヶ平は「よしがひら」と読むのは三条市のネットで知った。
雨生ヶ池(まおいがいけ)分岐
ついでに雨生池は「まおいがいけ」。これは読めないね。どっちにしても、後から歩いてくる人がいるので、雨生池には寄らずに進む。近くに「詩場」と彫られた石標。そして南に屏風のように連なる冠雪の守門岳を見る。あれは確かに雪だ。その先で、冠雪の守門岳の右手前に見えていた草紅葉の山は大岳だったようだ。
「詩場」の石標
冠雪の守門岳
八十里天保古道の分岐
分岐標識があり、「八十里明治新道、緩やか、少し遠回道」とある。並行したルートのようなので、帰りに歩くことにし、旧道をあるく(結局、帰りは遅くなってしまったので、新道は歩かず)。道は昨日までの雨のためかびしょ濡れ。ぬかるんだところも多い。今日はコネロ・シューズにスパッツなので多少のでこぼこには強い。
「椿尾根、735m」の石標
石ころの多い道をしばらく登り、「椿尾根、標高735m」の石標に着く。そのすぐ先に番屋山933mへの分岐があったので、そこは番屋山の南西尾根だろう。番屋山にも帰りに登ることにし、寄らずに進む(結局、登らず)。
番屋山分岐
大岳
コンクリの祠
このあたりから道は険しくなり、トラバース路が崩れた箇所を何度か高巻きしていく。ヤブ道ではなく、要所にロープがあるので越えられるのだが、道の整備は最小。四角いコンクリの中に賽銭が供えられているのは、たぶん昔ここにあった祠が壊れたか無くなったのだろう。四国でも、木造りの仏像が無くなって標識のみが立っているのを見た。コンクリや切り株を祠の代用にしているのも何度か見たことがある。朝日が射し、紅葉が輝く。薄緑のブナの黄葉にウルシの紅葉。
朝日
「番屋乗越895m」の石標
そして番屋乗越の石標を越え、尾根の東側に出る。よって、今度は北と東の景観が広がる。樹木があって全景は捉えられなかったが、最初に北に見えていた双耳の山は烏帽子岳680mで、その左手前に大谷ダムとひめさゆり湖が見えている。
ひめさゆり湖と烏帽子岳
万之助山と光明山
その右(東)に、視界を遮る灌木をはさみ、並んでいるのが万之助山827mと光明山879mのようだ。鋭鋒の烏帽子岳に比べると万之助と光明山はなだらかだが、光明山の頂上には突起がいくつか見え、王冠のように見える。光明の右(東)に並ぶのはたぶん毛無山1,044m、中の又山1,070m。更にその右(東)に遠く冠雪しているのは御神楽岳1,386mではないだろうか。そして山々の下に、工事中のR289を見る。巨大な柱は橋脚らしい。
光明山、毛無山?、中の又山?
烏帽子岳
光明山
御神楽岳(奥)と駒形山?
道路台帳基準点
工事中の橋脚
初めて見えた烏帽子山
火薬跡の岸壁
金属製の三角点の形をしていたのは「道路台帳基準点」とある。ここでザックを下ろし、レインウェアを脱ぎ、ポカリを半分飲む。最初は分厚い手袋をしていたが、ここでガーデン手袋に替える。1,000円弱なので気楽に使える。下はまだ濡れており、腰を下ろさずに先に進む。尾根を回り込んで南に向かうと、初めて行く手に烏帽子山1,350mを見る。これこそが八十里越の核心の山だと思うが、最初に見た北からの姿はややおとなしい。烏帽子山の右奥には再び守門岳。
「火薬跡」の石標
尾根の東側をトラバースする道の壁側が削られているように見えるのは自然の姿なのだろうか、それとも人が削ったのだろうか(実はここに「火薬跡」という石標があるのだが、往路のときは気づかなかった)。
ブナ林の黄葉
トラバース路からブナ沢への下りとなり、最初のロスト。つづら折りの下りの左折地点で間違えて直進したのはそっちにもピンクリボンがあったからだが、八十里ルートにはピンクリボンがあるものの、それ以外の目的のピンクリボンもあるのがまぎらわしい。GPSを見て引返し、このときは数分でルート復帰。2度目も同じくつづら折りを直進し、荒れた作業道をだいぶ進んでからルートを外れていることに気づく。戻るには登り返さないといけないので、最短ルートを探るが、険しい地形が遮っていたので諦め、登り返す。長く感じたが、6分ほどで復帰。
ブナ沢の上流の湖
錦秋のブナ林を駆け降りていった先に八十里越の最難関が待っていた。それはブナ沢だと思うが、水量が多くて渡渉地点が水没していた。穏やかなブナ林の中にある湖から大量な水量で流れだしていて、下流では垂直に近い深い谷になっている。その湖からの水の出口に立木に寄りかかった大岩があり、その手前にあるブナの大木との間にロープがかけてある。その間、1メートルちょっとを渡ると、対岸に上がれるのだが、水量が多くて対岸の足場が水没しているようだ。下流の水が少ないところが渡れそうだが、下流の岸は垂直に切り立っており、降りるのは難しそうだ(ロープを木にひっかけて懸垂で降りる手はあるかもしれない)。
ブナ沢渡渉点(渡った右側)
最終的に、対岸に足場のある湖からの出口を渡り、対岸の大岩をまっすぐ登ることにする。幅1メートルの左岸には細い流木があり、そこに立って左手でロープを掴み、右手のスティックを支点にして対岸の狭い足場に片足を踏み込む。大丈夫そうなのでもう片方の足も移し、大岩の下に立つ。さあ、あとはこの岩を登ればいいだけだ。上に立ちはだかる灌木の間に体とザックとスティックを押し込み、片手を岩の上にかけ、体を持ち上げ、もう片方の手をかけ、・・・・ついに岩の上に立つ。やった、越えられた、と思うと同時に、帰りにまたここを通らないといけないというプレッシャーに暗くなる。まあ、一度通れたんだから、大丈夫さ。
ブナ沢渡渉点(渡らなかった左側)
空堀手前から北の景観: 烏帽子岳、青里岳、万之助山、光明山
「空堀小屋跡」の石標
そこからは烏帽子山の東斜面に登り返していくが、高清水沢というのを渡渉。ブナ沢に比べればたいしたことはなし。平坦なところを歩いていて、「空堀小屋跡」という石標に出会う。ここに小屋が立っていたのだろう。そのすぐ先の「空堀、765m」という石標がR289。国道だが、八十里区間は車両通行不能で、番屋乗越で見た道路工事の真っ最中。新道を作っている真っ最中に、旧道も整備するというのは予算的に厳しいのだろう。でも、長い歴史をもつ古道の保護も忘れてはなるまい。無くなってしまっては元には戻せなくなるだろう。
「空堀765m」の石標
迫力の烏帽子山・東峰(背後が本峰)
空堀は三叉路になっているのだが、このときは何の迷いもなく左に進む。道ははっきりしており、リボンもちゃんとある。背後に見えていた烏帽子山のスラブ斜面はますます切り立ち、迫力の景観。
間違えて下った道の池と烏帽子山
突然現れた池に烏帽子山が逆さに映っていて、この池は何だろう、とGPSを見て、初めてルートを大きく外れているのに気づく。どこで道を間違えたのかさっぱりわからず、ともかく空堀まで戻り、更に戻ってみて、正しいルートに乗っていることに気づく。空堀に着いたときは北側からで、そこから左(東)でなく右(西)に向かわなければならなかったのだ。結局、45分のロスとなったが、この烏帽子山を見れたのは幸運。
「殿様清水」の石標
空堀から西に向かう道はすぐに南に転進し、烏帽子山の東斜面をトラバースしていく。そしてつづら折りの手前に「殿様清水」の石標。ポカリを飲んだと思うが、下が濡れていたので腰は下ろさず。行き帰りのつづら折りの先は長いトラバース路で、何度もえぐれた沢を越えていく。
見上げる烏帽子山・東峰
鞍掛峠
高度が上がり、北に烏帽子岳、万之助山、光明山が並んでいるのを見る。番屋乗越では樹木に邪魔されて並んでいるところは見えていなかった。双耳の烏帽子岳、ごつごつした光明。トラバース路はいつかは南側の尾根を越えるはずだが、行く手の尾根は高く、登っていく様子はない。
鞍掛峠の祠と石標
ようやく固定ロープで斜面を少し登った先に尾根がくびれた部分があり、そこが鞍掛峠だった。いつもの石標と、その左上に祠。ザックを下ろし、コンビニ袋を敷いて初めて腰を下ろして休憩。パンを食べ、温くなったホットレモンを2/3くらい飲む。時間を見ずに先に進む。たぶん10時半くらいだと思っていたが、実は12時。それを見ていれば戻っただろう。
鋭角の守門岳(東峰)
破間川(あぶるま)
「小松横手」の石標
浅草岳
鞍掛峠を越えて最初に見えたのは冠雪した浅草岳。樹間に頂上部分のみが見えていた。次に見えたのは緩い円を描く黒姫。これも薄く冠雪している。そして黒姫の右後ろに鋭角に姿を変えた守門岳。朝に見た屏風の守門を真横から見ているのだが、見えているのは守門岳・東峰1,527mのようだ。眼下の紅葉の谷を流れるのは破間川(あぶるま)。ロープを使わないと越えられないえぐれた沢をいくつか越え、トラバース路が南に突きだした先端に「小松横手」の石標。
浅草岳の頂上部(左・本峰、右・前岳)
東の視界が広がり、その中心に浅草岳がゆったり左右に尾根を広げていた。険しい姿の守門に対し、浅草岳は優雅そのもの。そして浅草岳の左手前に初めて田代平の草原を見る。谷底の破間川よりもだいぶ高い所に、白いテラスのように見えている。
毛猛山?
田代平・湿原
更にいくつかの沢を越え、谷に下る分岐のところに「田代平」の石標を発見。湿原まで下りたかったが、もう13時と分かり、ここで引き返す。朝6時に出て7時間かかっているのだから、今からでも20時になってしまう。こんなに時間がかかるとは思わなかった。だがこれは、関田峠・伏野峠の10㎞、700mに6時間半(往復14時間)、野根山街道初日の11㎞、700mに7時間、(往復12時間)とほぼ同じ。秋の涼しい気候でもっと早く歩けると思ったのが甘かった。道が歩きにくく、ルートを2度間違えたのも痛かった。
田代平・湿原への分岐表示
帰路についてすぐ、二人の登山者に会う。大きなザックを背負っているので、たぶん田代平のあたりに泊まるのだろう。なるほど、その手があったか。それにしても、あの大きなザックでどうやってブナ沢を渡ったのだろう。くたびれて殿様清水で横になって休憩。ここは乾いていた。足を伸ばすと楽になる。空堀の近くの真っ赤な紅葉はウルシ?高清水沢を越えて下っていくと、もう夕日になってきた。
田代平の石標
ブナ沢に着き、大岩の上から見下ろすと、灌木の隙間はえらく狭くて通り抜けるのは辛そう。西側のルートを探るが、そっちも水の上に足場はない。再び大岩の上に上がり、右足を灌木の隙間に差し込んで通り抜け開始。体を後ろ向きに180度廻そうとすると、右足のすねの筋肉が灌木に押されて釣り、痛みが走る。
烏帽子山・東峰
後ろ向きになって右足の痛みもなんとかおさまり、今度は灌木を掴んで隙間を下る。足元が見にくかったが、左足が水の上の足場にかかり、次に右足を下ろし、そしてロープを掴んで水面側に向きを変える。今度は対岸には流木があり、その手前の水の中にスティックを差して支点にし、右手のロープと左手のスティックを支点に右足を踏み出して対岸の流木に踏み込む。あとは左足を持ち上げ、流木から土手に上がるときは小走りになっていた。やった、なんとか渡れた。
紅葉(マユミ(ニシキギ)?)
二本のブナ
なんとかブナ沢を渡り切って対岸に上がり、ザックを下ろしてひっくり返って休むと、頭上に二本のブナの大木が立っていて、なにやら話しかけているように感じた。
(二本のブナとの会話)
右のブナ「おまえさん、無事に渡れてよかったねえ。でもいつもうまくいくとは限らないぞ。今日はたまたま水の中にはまらなかっただけさ。気を付けな。それにしても、こんなところまでくるとは、物好きだねえ」
夕暮れのブナ
左のブナ「おい若いの、おまえなんか水の中に落っこちちまえばよかったんだ。ちょっと水は冷たいだろうが、少しは思い知るだろ」
余計なお世話だと思いながらも、私「うわあ、すごくでっかいブナだなあ。ところで、あなたたちのどっちが背が高いんですか?」
右のブナ「そりゃあ俺の方さ。葉がふさふさして・・・・・・・見りゃわかるだろ」
左のブナ「なに言ってる。葉っぱがなんだ。この美しいすべすべした幹を見てみろ。」
ブナたちがざわざわと言い争っている間に私は帰路につく。見渡す限りのブナ林。若い木は静かだが、老木はなにかしら話しかけてくる
雲
烏帽子山とススキ
暗くなる林の中で夕日に紅葉を輝かせるブナたち。トラバース路まで上がると、往路では気づかなかった「火薬跡」という石標を見る。やはりここの岩壁は火薬も使って穿ったのだろうか。朝は陰になっていた建設中の車道が夕日に白く見えている。橋脚の先の車道はだいぶできているように見える。その上に、夕日に赤く染まる光明山。
ブナ林の夕暮
番屋乗越につき、ヘッドランプを出してウェストバッグに入れ、横になって休む。そのヘッドランプは光度が弱いので最大光度で照らして歩くが、これの電池が切れてもブラックダイヤモンドのヘッドランプがある。夕日に黒いシルエットのブナ。ついに吉ヶ平の明かりが見える。どうやら丘の上にテントが張られているようだ。19時前だから復路は6時間弱で、往路より1時間早かったのは、往路で道を間違えたためだろう。車に戻ってゆっくり着替え、カーナビをセットするのにやや時間がかかり、駐車場を出る。広場には食事中の人。
(D2)
浅草岳登山口の八十里越・古道入口の表示
只見からR289を北上すると、浅草岳登山口駐車場にたくさん車が来ている。予定していた八十里の登山口はもっと先だが、浅草岳登山口のすぐ先が工事中で通行止めになっており、戻って浅草岳登山口に停める。燃費14.3。西会津から会津坂下を経由せず、山越えのR400を来た。途中に「黒男山、木地夜鷹山、百戸沼登山口」の表示。登山道が整備されたのだろう。この日は朝は霧がかかっていて遠景は見えてなかった。準備していると、テント泊したらしい隣の車の人がやってきて、「浅草岳ですか、雪が膝まで積もってますよ」と言う。そんなに積もっていたのか。「八十里越に行くのですが、浅草岳の雪は見ました」と答える。
工事掲示板「一般国道289号、八十里越」
浅草岳登山口の隣に八十里越・古道入口の表示があったが、そちらには入らず、R289を行く。ゲートを通り、工事中の重機が並ぶ道をしばらく歩くと、その先には立派な舗装路が目の届くはるか先まで伸びていた。地理院地図よりもだいぶ舗装路工事は進んでいるようだ*。霧はあいかわらず立ち込めていて、道の上は湿っている。
工事中の道路
*車道整備: 最大の難所である八十里越の区間については、三条市大字塩野渕から只見町大字叶津字入叶津に至る延長19.1 kmの区間が自動車の通行不能区間として残存している。両県と国土交通省北陸地方整備局長岡国道事務所では「八十里越道路」の改築事業を実施 (wikipedia)
ハウチワカエデ?の紅葉
「八十里越旧街道跡」の石標
地理院地図にある大三本沢出会い付近の登山口にやってきたが、車道はまっすぐに続いており、その右手にあるはずの登山口は見当たらない。リボンのある微かな踏み跡を登っても、道脇はすぐに川岸の壁になっていて道はない。とりあえず車道を行ってみることにする。すると、軽トラに乗った一団の人達が声をかけてきて、八十里越の登山口はここから2kmほど先の左側にあると教えてくれた。乗せようかと言われたが、歩きますと応ずる。
叶津川(かのうづ)の紅葉(カエデ?)
2kmもいってないところで、車道の左側に八十里越・旧街道跡の石標が立っていた。ここに違いないと思い、やや荒れた、いや、だいぶ荒れた踏み跡に入る。だが、しばらく進むと踏み跡は川岸の崩壊部分で途切れていて、それを迂回する道も見当たらない。こいつは違うな。戻る。古道は崩壊し、立派な石標はもはや道標ではなくなっていた。
車道から見えた八十里越登山口(紅葉の中に小さく見えている)
そろそろ2kmのところで、舗装路の左下、50メートルくらい離れたところに掲示板が二つほど立っているのを見る。あれが登山口に違いない。舗装路からそこに至る道は、知らないうちに通り過ぎていて、少し舗装路を戻る。そこには斜めに作業道が下っており、車の轍がついてた。だが、100メートルほど先にあった掲示板は「国民の森林・国有林」と「奥会津森林生態系保護地域および会津山地緑の回廊」というもので、八十里越の文字は見当たらない。
車道からの八十里越・登山口への入口
これも違うのかな、と思っていったん引返すが、この道を下ってきた二人がいた。それは昨日、田代平付近で会った二人に違いない。二人に、これが八十里越の道であることを確認し、先に進む。最初はGPSピンクルートから外れ、つづら折りの道。朝霧に濡れた紅葉。下ってきた三人連れに会う。たぶんキノコ採りだろう。彼等に会ったあたりでつづら折りが終わり、崩壊斜面を高巻きし、GPSルートに一致するトラバース路に出たと思う。
八十里越登山口にある「会津山地緑の回廊」の掲示
ハウチワカエデ?の紅葉
ポッド沢
そしてトラバース路になってから、延々と続くやっかいな沢越えが始まる。水の音が聞こえ、広く歩きやすい道の先に滝が見え、その滝の上流が最初の沢越えだったと思う。再び広く歩きやす道になるが、また水の音が聞こえ、沢がはるか下に見えたと思ったら、その沢が深くえぐった沢筋を、たよりなさげなロープを使って越えていく。これが何度も何度も続くのだ。岩の上を水が流れているナメ沢を越える。ナメの途中にポッドがあり、沢靴なら楽しかろうが、夏靴だとおっかなびっくりで通過。
晴れてきた霧
八十里越に向かって西に向かうトラバース路は、途中で二度、北に出っ張るが、その最初の出っ張り755m地点の手前で林を抜けて視界が広がる。霧は消え始め、見えてきた青空に紅葉が映える。その美しさに足が早まる。天高くそびえる大きなブナ。また崩壊斜面を高巻きしたと思うが、高巻きしたあたりが755m地点だったと思う。出っ張りの先に出ると北に山々が連なっていた。もう霧は晴れ、青空の下に並ぶ山々は壮観。
ブナの黄葉
このあたりは急斜面なので、トラバース路を沢が横切るところはより深くえぐれていて、おそるおそるロープを頼りに足場を確かめながら慎重に渡っていく。こういうのは精神的ストレスになる。帰りもまた通らないといけないからだ。
「松ヶ崎」の祠
そして二つ目の出っ張り822m地点には祠があった。古い木標の文字は松ヶ崎と読める。松ヶ崎でザックを下ろして最初の休憩。パンを食べる。西に見える冠雪の山は黒姫らしい。その真下あたりに八十里越があるはずだが、樹木に隠れている。
松ヶ崎からの景観:1,047m峰、1,191m峰、917m峰、1,031m峰、大倉山985m
大倉山
北に連なる山々は左から1,191m峰、917m峰、双耳の1,031m峰、やや遠く大倉山985mと思われるが、いずれも登山道は記載されていない。東のかなたに見える平らな山は博士山だろうか。双耳1,031m峰の左奥のかなたに真っ白い山が見えている。御神楽岳あたりだろうか。またいくつか沢を越え、八十里越の手前でまた人に会う。どこから来たのだろう。彼等もまた、キノコ採りのように見えた。
御神楽岳?
御神楽岳と本名御神楽?
ブナの老木
「八十里峠(木ノ根峠)」の石標
トラバース路の行く手には峠らしきものはまるで見えてこないのは前日の鞍掛峠のときと同様。鞍掛峠のときは少し手前で登りがあったが、今回は登りは全くなく、行く手に立ちはだかる高い尾根に忽然と切れ目が現われ、それが八十里越だった。深く積もった落ち葉の上にひっそりとたたずむ二つの石標。ここが八十里越の中心点、福島と新潟の県境、いや、会津と越後の国境。
「木ノ根茶屋跡」の石標
二つの石標は「八十里峠(木ノ根峠)、845m」「木ノ根茶屋跡」とあるので、昔はここに茶屋があったのだろう。二つの石標を何度も写し、田代平に向かう。田代平まではすぐかと思ったら、意外に距離があり、しかも難所続きだった。崩壊した急斜面のトラバース路をロープや灌木を掴んで越えていく。
八十里越
往路は登りが続く。紅葉の上に青空と黒姫。南のかなたに見える白い山は越後駒ヶ岳だろうか。突然出くわした分岐は五味沢方面への道らしい。少し進んだ先に今度は木柱が立っていた。「林道を下り大白川へ至ル」とあるので、さっきと同じ五味沢方面の道。こっちが本来の分岐で、さっきのは近道のようだ。
八十里越
黒姫
毛猛山?
五味沢方面への分岐表示
テント泊できそうな広場
次に着いたのは林の中の広場で、手前に細い沢が横切っていたが、テント場に使えそうな平らな広場。今朝会った二人はここにテントを張ったのだろうか。大きな案内板には「越後三山只見国定公園」とあり、「・・・この湿原は30ヘクタールほどの広さで・・・北側にはミズバショウ・・・東南側はヌマカヤの多い湿性湿原が広がっている」というのは田代平のことだろう。
広場の掲示「越後三山・只見国定公園区域図」
「田代平」の石標
そして田代平の石標のところに着き、すぐに湿原に下る。かなりの下りは標高差20mくらいだろうか。やがて広大な湿原が見えてきて、昨日も含めて初めての「橋」を渡り、湿原の中央を走るまっすぐな道に入ると、そこには古ぼけてはいるが、木道があった。
湿原への分岐
湿原の古い木道
そして木道にはなんと人がいた。まさかここで人に会うとは思わなかった。軽装の男性は今朝、吉ヶ平から来たという。ひとしきりお互いに苦労した話になる。「ロープはあるんだが、歩きにくくてたいへん」というのが八十里越の結論のようだ。彼は吉ヶ平には戻らず、林道(五味沢方面だろう)に下ると言い、湿原の中央の木道分岐を東の方に歩いて行った。その方向から八十里越の道につながる分岐3もテント場の近くで見たような気がする。来年は只見から登るそうだ。
湿原の池塘
草紅葉の代赭色の湿原には小さな池塘もあり、夏にはどんな花が咲くのだろう。周囲は山に囲まれ、西には黒姫と守門が見えている。人里からはるかに離れた山奥に忽然と現れた湿原は、とても不思議なところだった。
田代平・湿原から南の景観:湿原・東側への木道、930m峰、黒姫、守門岳
田代平・湿原から北の景観:守門岳、小松横手、1,135m峰、湿原北側からの木道、湿原・東側への木道
黒姫と守門岳(東峰)
石標のところに戻り、ザックを下ろし、横になって少し休み、帰路につく前に昨日の残りのナッツを食べる。これは大きな袋だったので、半分残っていたナッツをウェストバッグに入れて、時々食べながら歩く。帰りに南に浅草岳を見る。八十里越の斜めの尾根の上に浮かぶゆったりした冠雪の山。支沢の奥に架かる大きな滝を見る。それは高い垂直の岩壁を細く流れ落ちていた。八十里越で二つの石標に再会し、松ヶ崎でザックを下ろして休憩。木陰にトラロープのロールが置いてあるのに気づく。
色変わりハウチワカエデ?
同じ枝に黄色と赤に染め分かれたカエデ。よく見ると、同じ葉でも黄と赤に染め分かれているのもある。色素の問題なのだろう#。
#葉の色素: 木の葉にはクロロフィル(緑)と、カロチノイド(黄色)が含まれています。秋になり日照時間が短くなり、日差しが弱まると、両方の色素が分解されるのですが、 一般的にはクロロフィルのほうが早く分解されるので、カロチノイド(黄)が目立つようになり黄葉になります。葉が赤くなるのは、秋から冬になると葉の中でこわれた葉緑体と、葉の中に残っていた栄養の糖分が一緒になって、アントシアニンという赤い色のものが増えてくるためです。(知って得する豆知識)
岩壁を落ちる滝
なんとか明るいうちに登山口に着き、舗装路脇にザックを下ろして最後の休憩。車が数台、新潟方面に走っていく。残り3㎞強は1時間で歩けるだろうが、ヘッドランプを出しておく。もう温くなったホットレモンを飲み干して出発。すぐに暗くなり、八十里越古道入口の石標はヘッドランプで照らして確認。交互通行の信号が秒数を刻みながら赤と青に光っていたが、どうやらバッテリー付の太陽光発電らしい。工事現場の狭い道のところで、只見方面からやってきた車が通り過ぎるのを待つ。ようやく浅草岳駐車場に着く。まっくらだが、隣の駐車場で出発準備中の車が一台。ゆっくり片づけし、カーナビセットして車を出す