アブラハム・マズロー

1908~1970年(享年62歳)


アメリカの心理学者で人間性心理学の創始者。フロイトの、人は性的欲求や無意識、過去に左右されているという精神分析学と、人は刺激と反応の機械であるという行動主義心理学に異を唱え、人間性を取り戻した心理学を主催した。


今回はこれまでの事例でもたびたび引用したアメリカの心理学者、マズローを紹介します。彼は精神分析学や行動主義心理学などに対し、人は「潜在意識の意のままに動く手先」や「環境に反応して動く機械」ではなく、心や意思を持っていると主張しました。心の病的側面だけではない、自分らしさや、やりたいことなど強みを活かす自己実現の心理学を目指したのです。

そして提唱した説が、よく知られる『欲求5段階説』です。これは下位段階の欲求が満たされると次の欲求が顕在化するというもの。いまではマネジメント分野に活用され、モチベーションやリーダーシップを考える上で重要な概念となりました。

第1段階の生理欲求は、食事など最も基本的な欲求です。例えばユダヤ人精神科医のビクトール・フランクルは著書『夜と霧』の中で、自らも収容された第二次大戦のユダヤ人強制収容所では多くの捕虜が「パンひと切れでもいいから食べたい」「とにかくシャワーが浴びたい」状態であったと記録しています。ここでは、危機的状況での生理欲求が如実に表現されていました。

第2段階は安全欲求。平和であること、生活に困らないことへの欲求を指します。しかし平和を得て経済的に満たされたとして、心の安らぎがなければどうでしょうか?そこで家族を持つ、職場などに属するという第3段階の所属欲求が出てくるのです。人と関わりたい、どこかに所属したいという気持ち。ニートやひきこもりの人には「どこかに所属したいがうまく適応できない」という障壁があるのかもしれません。

本来、家族がいれば愛情に包まれ、温かく育まれることが想定されますが、必ずしもそうとは限りません。そのためにも大事なのが第4段階の承認欲求です。最悪なのは“無視”されること。最も陰湿で残酷ないじめは無視やシカト、存在の否定なのです。メンタル面で問題を抱え苦しんでいる人がよく口にする言葉が「居場所がない」。これは心の居場所がないという感覚です。だからこそ所属するだけではなく、承認されることが大切になります。お互いに関心を示し、声を掛け合う、食事をする、感謝するなど、心で認め合うことが必要なのです。

近年の職場における特徴のひとつは社員間の接触が希薄なことです。一日中パソコンに向き合って帰るということも珍しくない。一時期、サテライトオフィスやホームオフィスがもてはやされましたが、実際には普及していません。それは人に所属や承認の欲求があるため。ひとりでは仕事もはかどりません。

最後の第5段階が自己実現欲求。自分らしく生きる自己表現や創造、成長などへの欲求です。彼は自己実現した人の特徴として、客観的で正確な判断ができ、自己受容と他者受容、自然な態度、自発性、心理的自由などを挙げています。そこにいたるには、やはり“認められる”ことが必要だとしています。

彼は人の成長のために“承認”し“受け入れる”という行為が非常に大事だと説いています。現代は多忙化、個人主義化し、相手をしっかりと分析しその人が持つ良さを認め合うという余裕すら失いつつあります。少し手を止めて相手に感心を持ち、良いところを認めること。それだけで人は変わるはずです。

例えば幼いころ、お絵描きや工作などに熱中していませんでしたか?頭の中にいろいろなアイディアや図面が浮かび、それを工夫して描き、作る。表情は明るくなり、いきいきとしていたのではないでしょうか。これこそ小さな自己実現です。親の役目はそこで関心を示し良いところを認め、子どもの自己実現を助けることだと思います。職場でのリーダーの役割も同じ。メンバーに関心を持って良いところを承認し、自己実現を支援する。そうしたマズローの考え方は、いまなお経営分野において大きな影響を与え続けているのです。

※ワールドジョイントクラブ誌、Vol.70、2011年11月20日号寄稿分