【戯曲】ザリナン教授 作:升孝一郎
・「夢幻回路2003」の中の一編を短編戯曲として編集。
【登場人物】
・男=ザリナン教授 改革派の歴史学者。亡命中。
・女=チェシカ ザリナン教授のファン。
客車の座席に座る男。コートを来た女が入って来る。
女 ここ、よろしいですか?
男 え?…あ、どうぞどうぞ。
女 すいません。
女、男の向かい側の座席に座る。と、汽笛、汽車の出発音、そして走行音。間。
女 …もしかして、ザリナン教授ではありませんか?
男 え?
女 やっぱり!こんなところでお逢いできるなんて光栄です。
男 いえ、違います違います。
女 どちらに行かれるんですか?
男 いえ、その、
女 あ。
女、急に息をひそめ辺りを見回す。
女 すいません。亡命中なんでしたよね。
男 いや、気にしなくていいですから。
女 私、先生の著書は大好きで、全部読んでます。過去の政治制度から現代を鋭く批判した論文…あれ、ええと、なんでしたっけ…あれ好きなんです。何回も読み直しました。
男 ああ…そうですか。
女 素敵ですよね。なんて言うんでしょう。理論家の先生にこんなことを言うのはどうかと思いますけど、とてもロマンチックだなぁって思いました。
男 ロマンチックですか。
女 ええ。歴史という人類が描いてきた絵を幾重にも重ね合わせたコラージュを見ているみたいでした。それでいて、現代を見つめる視線はあくまで冷たく鋭くて、
男 ロマンなんて求めたことはありません。
間。
女 …ごめんなさい。
男 いえ、いいんです。すいません。
女 あ、あの、ロマンチックって言っても理性的でじゃないと言ったわけじゃなくて、
男 わかってます。わかってますから。
女 いえあの、私が言いたかったのは、素敵だなって。とにかく、先生の書く文章はとても素敵で、
男 もういいですから。
女 いえ、よくありません。本当にごめんなさい。私、言葉知らないんです。馬鹿なんです。無知なんです。
男 そんなことはありません。
女 いえ、先生は知らないんです。私がどれだけ脳無しか。
女、男の手を握る。
女 先生。お願いです。私を導いてください。スポンジ脳の考え無しの私を、先生の知性の光で導いてください。
男 …しかし、私は亡命中なんです。
女 わかってます。私、先生のお供をいたします。一人の旅より、二人の旅の方が安全です。私が先生を守ります。私、少しですけどお金も持っているんです。だから、お願いします。連れてってください。先生の弟子にしてください。
男 …だめです。危険です。それに、親御さんが何と言うか。
女 大丈夫です。うちの親は認めてくれます。
男 …遊びじゃないんですよ。
女 わかってます。お願いします。
男 …。
女 先生。
男 わかりました。一緒に旅をしましょう。あなたがいいと言うところまで。
女 ありがとうございます!!
男 とにかく、…次の駅で西行きの列車に乗り換えましょう。西の方がいくらか安全ですから。
女 はい!
男 ところで、…どうしましょうか。つまり、私達の関係は。
女 関係、ですか?
男 ええ。師弟関係と言うのでは、ばれないとも限りません。その…恋人。いやいや、夫婦と言うのはどうでしょうか。
女 夫婦ですか。
男 あ、嫌ならいいんです。嫌ですよね。
女 いえ、そんなことは無いです。
男 いえ、やめておきましょう。夫婦って言うのは不自然ですよね。ええと、
女 私が秘書と言うのはどうでしょうか。
男 秘書ですか。
女 そうです。先生がボスなんです。どうですか。
男 子供っぽいですね。
女 そうですけど…。
男 いいです。あなたは秘書とボスの関係がいいんですね。
女 あ、でも、どうしてもと言うわけじゃないんです。先生がお望みでしたら、その…夫婦と言うことでも私は構いません。
男 構うとか構いませんとかじゃないんですこういうのは。心なんです。
女 え?
男 いいですか、何故私達は間柄を偽称するんですか。私がザリナン何某であるとばれないためです。私の身分がばれれば関係の無いはずのあなたまで迷惑を被ります。あなたを守るためには、私を守る必要があり、そのために関係を偽るのです。「構わないです」とかいう気持ちではいざという時、ボロが出かねません。だってそうでしょ。例えば、この汽車の車掌が私達を怪しんだとします。で、私達にそれとなく関係性を訊いてくるでしょう。一緒の時はなんとかなります。でも、あなたが一人の時はどうですか?あなたがトイレに行く。出て来たところを狙って車掌があなたに尋ねる。あなた達はどんな関係なんですか?さあどう答えます。
女 え…あの、私は、…どっちでしたっけ。
男 はい。もう駄目です。次の駅に着いた時には憲兵が私達を取り囲んでいることでしょう。いや、その前にこの汽車に乗っている秘密警察員が私を暗殺するかも知れない。あなたの、一瞬の戸惑いのせいでです。
女 すいません。
男 …いいんです。でも、そういうことなんです。私達自身が互いの関係を信じ切ることが出来なければ、そうなるんです。
女 すいません。
男 さ、どうしましょう。どんな関係が私達にピッタリくるでしょうか。
女 はい。
男 堅苦しく考えることはありません。こういうことは、むしろインスピレーションに頼った方がいいんです。
女 ええ、その、じゃあ
男 私は、男と女の組み合せの場合、それなりの関係の方が怪しまれにくいと思います。
女 それなりと言うと?
男 だから、さっき言ったじゃないですか。
女 …じゃあ、夫婦で。
男 じゃあ?
女 いえ。夫婦で行きましょう。それがいいと思います。
男 無理してませんか?
女 いえ。むしろ、光栄です。
男 そうですか。…少し歳が離れ過ぎて見えませんか?大丈夫でしょうか。
女 …大丈夫じゃないでしょうか。
男 そうですか。そうですね。
男、そそくさと女の隣に座る。
女 あの、
男 夫婦が離れて座っていてはおかしいでしょ。
男、女の手を握る。沈黙。
女 あ。
男 な、なんですか。
女 すいません。お腹空きませんか。私、なにか買って来ます。
男 大丈夫です。お腹空いてません。
女 あ、でも、なにか飲み物かなにか。
男 いいから、ここに座ってなさい。
女 …はい。
男 あなたは一人で歩くべきではない。買い物する時は私も一緒に行きます。
女 でも、その方が目立つんじゃないでしょうか。
男 私に教えを請うていたのではないのですか、あなたは。それともあれは嘘ですか。いつでも一緒の夫婦はいます。おかしいことじゃない。むしろ、私とあなたの年令差から見たらその方が異和感が無い。私はあなたの夫でありかつ庇護者なんです。そういう年令差なんです。どうです。そこまで考えましたか。
女 いえ。でも、
男 いいですから。お腹が空いたら一緒に行きましょう。いいですね。
女 はい。
間。
男 怒ってるんですか。
女 いいえ。
男 一緒に旅をしたいと言ったのはあなたですよ。
女 怒ってませんから。
間。
男 なら、何故黙っているんですか。黙っているとかえって不自然です。
女 何を話せばいいのでしょうか。
男 あなたが話したいことを、あなたらしい言葉で話せばいいんです。
女 …先生は、
男 先生じゃない。
女 あ、すいません。あ、…なんて呼んだらいいんでしょうか。
男 え?…あなた。いや、軽すぎるな。旦那様。意味合いが違うな。お前さん。時代錯誤だな。
女 普通に名前で呼んではどうでしょうか。
男 名前?
女 ええ、私のことはチェシカと呼んでください。
男 私は、
女 ザリナンとお呼びします。あ!
男 意味がありませんね。
女 すみません。
男 そう…こういうのはどうでしょうか。もちろんあなたが良ければですが。
女 なんですか?
男 …その、ダーリンというのは。私はあなたをチェシカと呼びます。どうですか?
女 ダーリン。
男 いや、あくまで侯補ですが。
女 私は構いませんが。
男 また!あなたはすぐそれだ。私が、遊び半分にこんなこと言ってると思ってますね。
女 すみません。
男 そうじゃありません。私は、謝って欲しいんじゃないんです。細心の注意を払って欲しいだけなんです。私達を取り囲む情况は極めて緊迫した危険な情况なんです。あなたが、
男、急に口をつぐみ何食わぬ顔を装う。車掌が来たらしい。
女 …先生?
男 そう、先生。先生は元気でしょうかね。
女 え?先生は、痛!!
男、女の太股をつねる。
男 え、いた。いましたか。どこにいたんでしょうか。いませんよ。え?
男、車掌に注意される。
男 うるさい。…すいません。はい。静かにします。はい?…あ、切符ですか。
男、ヘラヘラと笑いながら切符を取り出し、見せる。
男 ほら、君も出したまえ。
女、男に促されて切符を出す。明かに違う切符。
女 ええ、次の駅で東線に乗り換え…いえ、西、西ですよね?(男に)
男 ええ。西です。西に乗り換えるんです。
車掌、怪しんでいる。
男 え?…観光です。世界で一番高い寺院を見たくて…見に行けないんですか。何故。…封鎖、ですか。い、いつまでですか?…でも、急ぐ用事があるんです。本当に急ぐんです。なあ、僕達は急ぐよな。
女 はい、先生。
間。
男 違いますよ。先生じゃないです。何を言ってるんだ君は。
女 すいません。そうですね。違います。
男 え?…どちらからって、南からです。南から逃げて、旅して来たんです。旅です。観光です。そうだよな。
女 そうです。色々見ました。寺院とか。
男 …南に寺院は無い。
女 …え?あの、じゃあなんだったんでしょうか。
男 ええ、その…図書館。図書館です。あと、役所です。
女 あ、そうですね。古ーい図書館と、
男 違う、最新のデザインの奴だよ。
女 そうですそうです。勘違いしてました。だ、ダーリン。
男 しょうがないな、チェ…チェシカ。
二人、こわばった微笑みを見せる。車掌、怪しみながら去って行く。居なくなると、二人、脱力。
男 なにやってるんだ。なにやってるんだ君は!だから…だから言ったじゃないか。細心の注意を払って欲しいって。
女 でも、
男 でもじゃない!!おそらく、あの車掌は疑いを持った。秘密警察を呼びに行ったはずだ。…もうおしまいだ。
女 そうでしょうか。
男 そうでしょうか、だって?そうに決まってるじゃないか。さっきの会話のどこがリアルだったって言うんだ。まったくとんちんかんな答えばっかりしやがって。
女 でもそれは、
男 わかってる。僕が悪いって言いたいんだろ。僕がきちんと君に言うべきセリフを伝えるべきだったって。僕が無能だったからこういう事になったと言いたいんだろ。
女 そんなこと、
男 思ってる。君は思っているんだ。だけど、それを言ったら何故君は僕につきまとう事にしたんだ。結局、そこに行きつくんだ。君が、変な好奇心を僕に抱かなければこんなことにはならなかったんだ。
女 …そうです。私が悪いんです。
男 …そうやって、反省してるふりして。
女 ふりじゃありません。
男 君はすぐすいませんすいません、かまいませんかまいません、すいませんすいません、かまいませんかまいません、もううんざりだ。放っておいてくれ!!
女、立ち上がる。
女 わかりました。…ご迷惑お掛けしました。
間。女、去ろうとする。と、男、女にすがりつく。
男 いや、待って。待ってくれ。
女 …いえ、もう、おそばにいることはあきらめます。
男 あきらめなくて良い。あきらめないでくれ。え、おかしいじゃないか。ここであきらめるって事は、さっき君が言ったことは全て嘘だったってことだよ。嘘つきになるよ。
女 仕方無いです。
男 だから駄目なんだ。嘘はついちゃいけない。一度言ったことは嘘にしないために努力するべきなんだ。
女 だって、先生が。
男 言ったさ。うんざりだって。でもそれは、仕様が無いじゃないか。生命の危機を招いたんだよ。そうでしょ?
女 それだって、私がいなければ良かったんでしょ。
男 ちがう、君は悪くない。悪いのは僕だ。そうだ。全部、僕が悪いんだ。
女 そんなことありません。
男 そうやって、僕を追いつめるな!じゃあ、どうしろって言うんだ。君の無実を証明するために何をしたら君は納得するんだ。
女 私はなにも、
男 嘘だ。嘘だ。嘘つきだ。なにもかも、君に捧げれば良いのか。そうなんだろ。
女 先生。私の話を聞いてください。
男、窓を開ける。大きくなる走行音。飛び降りようとする男、羽交い締めにする女。
女 先生!駄目です!!やめてください!!先生!!
女、無理矢理男を引きもどす。男、床に座り込む。女の膝に伏して泣き出す。
男 頼む。もう捨てないでくれ。助けてくれ。僕は死んでもいいんだ。だから、僕を責めないでくれ。お願いだ。
女 …わかりました。先生、わかりました。
暗くなる。女、男の頭を抱く。汽車の走行音大きくなって行き、唐突に切れる。
おわり
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