【記録】2001年 気まぐれ日記

これは、以前やっていたサイトで2001年の3月から4月にかけてのたった一ヶ月の間だけ、自作CGIを使って(書ける時にだけ)気まぐれに書いていた日記の過去ログです。

4月30日月曜日

今日は一日中、これから芝居とどう係わって行くべきか考えた。

なんとなくわかったことがある。

私は、何かを守ろうとしてきたらしい。何か。これまで十年近く芝居をやってきたということ。そのプライド、みたいなもの。

だが、残らないのだ。残っていないだ。積み重なっていることはある。だが、それは微かな記憶のようなものだ。

これまでの役者としての、芝居人としての自分、それは既に終ったものだ。もう、無い。のに、あるものとしてそれを後生大事に守ろうとしていたのかも知れない。

終ったものは、埋葬し、先に進むべきだ。死んで、生まれろ。新しく始めるのだ。

言うは易しだ。何が終ってないのか、何が死にぞこなっているのか。解剖が必要だ。

気配はすれども姿は見えず。ほんにお前は"へ"の様だ。

4月29日日曜日

新聞を見ていたら、「三歳児神話を覆す調査結果が報告された。」と言う記事があった。

三歳児神話と言うのがある。生まれてから三歳になるまでの、子供にとって大事な時期は親(特に母親)が職につかず一緒のいて愛情を注いでやらないと、長じて人間不信から不良になる。と言う様な神話だ。

根源的な対人間への信頼感や愛情は、三歳児までの時期に形成され、以後は取り返せない。だから、大事にするべきだと言う様な話は、育児書を読めば三冊に二冊は書いてある。

私も息子が託児を受けるまでは、正直この考えに傾いていた。

今回発表された調査報告は、1000組近い家族について、子供が生まれた時から14歳になるまでの間、子供にどのような問題行動があったか、その時の家族の状況はどうだったかについて調査し、まとめたものだそうだ。

それによると、三分の一の家庭で奥さんが仕事についていたが、小学校入学までは、つきっきりの家庭の方が社会性などの点で問題行動が多く、小学校以後はその差がほとんど無かったと言う。

親が職についている家庭の方が、社会に早いうちから接する機会を持つためであろうとまとめている。

私も親が共働きだった。親戚の家での共同経営だったので、学校からそこに帰宅し母親が帰るまで店にいた。自然、店に来るお客さんと接することも多かった。それがどの程度私の人格形成に影響したかはわからないが、挨拶の大事さの様な基本的な事柄を肌で感じていたように思う。

うちも共働きだ。息子は保育所に行ってるおかげで、日々色々なことを勉強して帰って来る。

鳥は生まれるために一つの世界を壊さなければならない。卵は世界だ。鳥の名はアプラクサスと言う。

4月28日土曜日

Play Staion2用のLinuxが発表されたそうだ。販売価格等はまだ未定だが、Play Station2上でLinux用ソフトが使えるのだそうだ。Sonyもやるねー。

でも、プレステの機能はほとんどオープンにせず。雰囲気としては、ファミコン時代のファミコンBASICを思い出す。

とは言え、中身は普通のLinux。十分、激務に耐えるもののようだ。

使いやすいGUIと、Officeソフトでもバンドルして出したら、かなり売れるだろうな。なんせ、「プレステ2のゲームも出来るLinuxパソコン」な訳だから。

4月27日金曜日

最近の息子は、とても返事が良い。「~して。」と頼むと「はい」とか言ってやろうとしてくれたりする。

やること自体はとんちんかんなことだったりするが、返事が良いとそれだけで良しと言う気分になる。

あんな返事、教えてない。保育所で習ったのだろう。本当に助かる。

保育所では悪友が出来たらしく、妻が連れて行くと言い合いとか叩き合いとかやって笑ってるらしい。良いこっちゃ。羨ましくさえある。

生涯の友…には無理かも知れないが、良い影響を与えあって欲しいと思う。

4月26日木曜日

「ノートンアンチウイルス」のウイルス定義ファイルの無償アップデート期間が終るので、新しいバージョンを買いに行った。駅裏のヨドバシカメラで5000円弱。

最近、パソコン系のコラムやニュースサイトを見ると、新種ウイルスやWindows、IE、Outlook等のセキュリティホール、バグの話題に事欠かない。恐い話題が続々出て来る。とても、ウイルス対策ソフト無しでネットなんて出来ない。もちろん、ウイルス対策ソフトだけでどうにかなるものではなく、きちんとしたセキュリティ意識を持つことが必要なのだが…。

Linux用のウイルスも最近は出て来たが、大抵、こまめにアップデートすれば回避できるものばかりで、オープンソースの良さが発揮されてるとつくづく実感する。Microsoft製品は千人以上の専属プログラマが四六時中開発に当たってるはずなのにねー。

帰宅後、やっと時間が出来たので「ワガクニ」のダビングついでに見るとは無しに見る。

なんか、自分の演技の荒が結構見えて来た。力みすぎだ。情けなや。

関さんの独特なふがいないだらしなさの芝居。美峰子ちゃんのきりっとして、でも軽快な魅力的な演技。狭い空間を十全に生かし切った熊谷君の演出。それと、企画そのものを完璧なまでに切盛りしてくれた室井さんの制作。

みんなの力があって始めて成立し得た奇跡的な公演だったのだと、再確認した。

つくづく、魅力的な芝居だ。

あれから一年以上経ったのだな。関さんは熊谷君等と芝居を作ってる。美峰子ちゃんは劇団OCT/PASSに戻った。室井さんはパントマイムの企画に絡むそうだ。

俺は何をやっているのだ。

4月25日水曜日

疲れが取れない。晩飯を食い片付けをし、早々に寝る。

夜中に目が醒める。

闇の中に、ボウッと光る物体。…マウスだ。パソコンの電源入れっぱなしだったらしい。

メールチェックをし、掲示板をチェックし、電源を切る。

夜中でもネットの中は賑やかだ。夜道のコンビニみたいだ。

小泉氏が自民党党首になったそうだ。正直、心配だ。

あの人は「待たれたヒーロー」だ。だが、状況はけして一人のヒーローの力でどうなるものでもない所まで来ている。

ヒーローの登場で、くじけかけた人達が自力で立ち上がれたら何とかなるかも知れないが…。そこまでの体力すら失っていたら、むしろ、激動が起こる分致命傷になる可能性がある気がする。

日本に物語は生きているか?

4月24日火曜日

職場の休憩に、だらだらと駄文をパソコンに書き連ねる。最近の日課だ。

昼の30分、3時に30分、5時にサービス休憩が15分ある。

乗って書くには時間が足りない。なにもしないのにはやや多い。

この時間しか、物語に浸る時間が無いのに…。はふ。

4月23日月曜日

連休前の最後の休日。明日からは、二週間近く休み無し。

午前中、寝る。午後、ゴロゴロ寝る。

疲れが取れない。酒のせいだ。悪循環。…まあいいや、実家からもらったビールでも飲もう。(これがあかんのだ。)

4月22日日曜日

連休に実家に行けそうもないので、単語の節句のお祝いをするために実家へ。

実家には鯉のぼりが泳いでいた。

父が息子の相手をしている間に、昔使っていたコンピュータを引っ張り出してみた。

「PC6001mk2」NEC製のパソコンで、システム全部で30万近くかけたが今では携帯並の能力すらない。

ケーブルをつないでスイッチを入れてみた。いじっていると昔を思い出す。DOSすらない。BASICが標準装備されている時代だ。この頃は、BASICをいじる以外することがほとんど無かった。あの頃に、今いじっているようなパソコンがあったら、人生変わっていたことだろう。

より、一層暗いおたく道を進んでいたかも知れないが…。

料理が出来、食事。残念ながら息子の食欲はいまいち。ちょっと盛り上がりにかける。結局こう言うものは息子の機嫌次第なのだ。

帰りにブックル西多賀店に寄る。全体的に高い。ついでに近くのハードオフにも寄る。極めて高い。

ブックオフと違い、ハードオフはあくどい商売をしている。中古のパソコンにろくなものが無く、安いのがあってもCPUやメモリーといった品定めに必要な最低限のスペックすら書いてない。

買い取るときは、散々買い叩くのだろうに。

4月21日土曜日

今日は、妻が「遺棄の構造」を見に行った。

妻の感想「良い芝居だったね。」

本当、良い芝居を見るとそれしか言えない。その先は、好みの差だけしかない。

ああ、芝居がしたい。良い芝居がしたい。

役者として客演するのではなく、作り手として悪戦苦闘したい。

4月20日金曜日

「遺棄の構造」を見て来た。

大先輩の役者二人ががっぷり四つに組んで共演すると言う。

期待しただけの価値がある芝居であった。やっぱり、伊達じゃない。良い。

だが、構成・台本的にはちょっと疑問が残る部分があった。

戯曲家の都合で書いた台詞、シーンがそのまま残っている気がしたのだ。

たぶん、新人や私程度の役者がやった分には気がつかなかったろうが、実力派の二大役者の芝居だったので気になったのだと思う。

…しかし、こんな劇評めいたことばかりやっていると、人間としてだんだん腐って行きそうだ。

4月19日木曜日

今日は、とにかく物が大量に入荷した。おかげでへとへとだ。

帰ると妻が「牛舌食べたい」という。近所に牛舌の店があると情報誌に載っていたらしい。ちょうど具合が良いことに、私の書いた『ワガクニ』の台本使用料が入ったので、それを使って食べに行くことにする。

牛舌定食、1300円(昼だと1000円)。味はそこそこいける。ただ、店の雰囲気がちょっと暗い感じがして、また来たいとは思わなかった。

食事って、味ももちろん雰囲気も食べるものだから、それを含めると、ちょっと高かった気もする。

帰り道で、近所の古本屋に寄る。店の4分の3がエロ本、エロビデオがズラリという店で、「駄目だコリャ。」と思っていたのだが、妻と見ていくと結構堀出し物があった。

島本和彦の「ワンダービット」の1巻とインター編の二冊。他の古本屋ではほとんど見掛けない。

他にも安野モヨコのあまり見かけない本が100円であったりした。

エロ本屋兼古本屋、おそるべし。

妻曰く。「ヤフーで高く売れるようなお宝は無いけど、"こんなのどこにもないよ!!"というのが結構あって凄い店だ。」

しばらくしたら、また行こう。

4月18日水曜日

妻が、東北大演劇部の芝居を見に行くというので、片平のキャンパスへ送って行き、帰りがけに息子と晩飯を買いに寄った。

買物カゴを持とうとすると「もつのもつの」というので渡すと、「おかいもの♪おかいもの♪」とよたよたご機嫌で持ち歩いていた。どうやら買物の楽しさがわかって来たらしい。

ところでこいつは、お金の意味がわかっているのだろうか。…わかってるんだろうな。なんとなく。

私は、物心ついてから、近所の本屋から勝手に本を持って来て怒られたときに、お金の意味を知った記憶がある。知合いだったから良かったが…。

息子の場合、2歳になったくらいの時にはお金に興味を持っていたので、そういった感覚は早いかも知れない。

それが経済感覚につながると良いが。

4月17日火曜日

疲れがたまっている。いくらでも眠れる。

パソコンをやる時間がなかなかとれない。とれても、出来ることはたいしてないのだが。

最近、古本屋に行く機会が増え、急速に本やCDが増えている。我慢しているつもりはなかったのだが、我慢していたのだなと感じる。一度買い始めると、なんかつい買ってしまう。

一人暮らしの頃は、毎日1時間の立ち読み、毎週2~3回のレンタルビデオ、古本屋巡り、週一回の図書館行きをやっていた。

情報量に関しては、当時の1割に満たないかも知れない。それが、芝居への引け目につながっていたように思う。

今、物語にどっぷり浸る時間はなかなかとれない。その中で、なんとか時間をやりくりしてやっていくしかないのだ。

4月16日月曜日

今日は、定休日。

妻が、後処理の経過を見るために病院行くと言うので、車で送る。

とりあえず近所の本屋で『UNIX USER』今月号を探す。終ったら連絡をもらうことになっていたが、一向電話がかかって来ない。

周囲の本屋を何箇所か回るが、件の雑誌はどこにもない。よっぽど人気があったのだろう。付録だけでも十分買う価値があるからなぁ…。

で、連絡もない。病院に行ってみると、「12時受付の方診察中です。」と札が出ている。

「をい!?今は3時だぞ!!」

結局、一旦うちに帰ることにする。程無くして妻から連絡。迎えに行くと、散々待たされたのに、診察はほんの数分で終ったらしい。

大病院おそるべし。これがなぁー。嫌なんだよなー。

今度、妊娠したときは、かかりつけの病院をちゃんとした所ににしようと考え、ここも候補の一つだったのだが…。

こないだのような、いざという時には大きいところの方が良いのだが、日々の細やかな対応と言う点では個人の病院の方が良い場合が多いし…。

4月15日日曜日

帰宅したら、実家の両親が来ていた。

息子と一緒に動物園に行ったのだった。事前に聞いてなかったのでちょっとびっくり。

時間が無かったので、きりんと、象と、シマウマだけ見たのだそうだ。息子、大興奮。

両親は「今度、ゆっくり見に行こうね。」と言って帰って行った。

そう言えば、妻と始めてでぇとした時、同じ動物園行ったな。隣に遊園地があるのだが、そこにも行った。

今度行くときは、息子が主役になるのだろうな。

4月14日土曜日

『闘うプログラマー』を読了。

大規模プログラム開発に纏わる、あれやこれやの問題点や、Microsoftのプログラム開発体制(と言ってもNTは特殊だったらしいが。)等を知る上で、非常に興味深い本だった。

でも、一度読めば十分だ。(笑)

4月13日金曜日

帰宅途中に本屋に寄り、『UNIX USER』今月号を探す。

今月号の付録はVine Linuxの最新版2.1.5と、Debian GNU/Linuxの全パッケージ。

今、基本的に使っているのがVineなので、それの最新版は欲しかったのだが、Debian(デビアン)にも興味があった。

Debianは、他のディストリビューションよりマニア向けな雰囲気があり、かつ、パッケージ管理が徹底している点で有名だ。全部で4000本のフリーソフトがついて来るらしい。すごいこっちゃ。

ま、入れる入れないはともかく、手に入れておきたい。

と思ったら、本屋に無い。どうやら売れたらしい。

がっかり。だが、ちょっと嬉しくもある。

その本屋には3冊のUnix向けの雑誌が入るのだが、私以外の人が買うのを見たことは余り無い。

目的の本は手に入らなかったものの、Linuxに興味がある人が私以外にも居た(それも、近所に)というのが、それだけで嬉しい。

…今度は、別なところに行ってみよう。

4月12日木曜日

最近、ネットが出来ない。

息子を、遅くとも10時くらいには寝かし付けるようにしているのだが、前は息子が寝ついた後に起き出してネットできていたのが、最近はそのまま私達も寝ついてしまう。

疲れが溜っているのだろうか。

暖かくなって来たのもあるか。春は眠い。いくらでも眠れる。

一人暮らしの頃、三日三晩だらだら眠り続けたことがあった。三日目、食糧が尽きてやっと起き出した。当時は貧乏と引換に眠りを貪り続けることができた。

あれはあれで、幸せだったなぁ…。

4月11日水曜日

『闘うプログラマ』を読んでいる。

カリスマ的プログラマ、デビッド・カトラー率いる、WindowsNT開発チームの悪戦苦闘のドキュメントだ。

私は、基本的にMicrosoftもビル・ゲイツもWindowsも嫌いだ。(と言いつつ、使うパソコンの半分はWindowsな訳だが…。)が、そうであっても、この本は結構面白い。

Windows NTは、その最初の段階でかなり高い目標が掲げられていた。もしそれに向かって進み続けることが出来ていたら、本当の意味でUNIX系OSに対するキラーアプリとなっていた(Microsoft得意の自分勝手な規則を押しつける戦法をとらなくても良い程にすばらしいものになっていた)かもしれない。

それを、今の最低最悪のサーバーOSと呼ばれるものにした原因は、結局、Microsoftにとって商売以外の何者でもなかったからだと言えるようだ。

理想ではなく、売れるもの。使えるものより、「使える」と思わせるもの。理想と現実。(夢想と経済。あるいは逆に、「使えそうな雰囲気のもの」と「現実に使えるもの」)そういったもののギャップ。

カトラー氏は、自ら陣頭に立って力業でそのギャップを螺伏せたが、その後に続くWindows98/2000/me/XPという流れを見ると、カトラー氏に続こうとする者はいなかったのだろうなと思わざるを得ない。

カトラー氏がNTをフリーソフトとして開発したとしたらどうなっていただろうか。

世界中で売られ、使われることはなかったかもしれないが、彼の名はプログラマ達の中で偉大な存在として伝説に残ったことだろう。

もちろん、歴史に"もし"は無いわけだが…。なんだか、残念。

4月10日火曜日

今日は出勤。午後には妻が退院するが、実家の母が迎えに行ってくれるとのこと。ありがたい。

店長に「大丈夫か?」と心配される。一応、一通り説明する。

他の社員、店員の人は知ってるのだろうか?特に話題もでない。

知ってて黙ってるのか、知らないから出ないのか。

知ってたってワイワイ言い立てる話題でもないから、これが当然の状態か。

心無しか、自分が少しハイになっているのに気がつく。ふっ切れたつもりだったが、気になってるのだな。

帰ると、妻と実家の母と息子。母はすぐ帰ってしまった。気を使ってくれてるのだろうか。

息子は大はしゃぎだ。嬉しさを、ハイテンションで表現し尽くしている。

おかげで、なかなか寝ついてくれなかった。

やっぱり、うちには妻が必要だ。

4月9日月曜日

今日は職場の定休日。息子を保育所に連れて行き、一人。

病院の面会時間までまだ間があるので、ネットでも…と思ったが、気が乗らない。

結局、掃除と洗濯することにした。結構溜ってる。

そうしていると、妻から電話。シャンプーやリンス、ブラシなども欲しいとのこと。また、

「暇だから何か読むものと、ノートパソコン持って来てくれるかな。」

読むものはともかく、ノートパソコンはLinuxオンリーだから、使うの大変だよというと、「日記とかのネタを書いておきたい。」とのこと。

これはチャンスだ。妻もLinux使えるようになったら色々風通しが良くなる。

読むものに、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を持って行く。これ、内容知っている人なら、「ばっかじゃないの?」と思うことでしょう。(^^::

病院に着いて、Linuxの基本を教える。楽しい。

だが、数時間後、「書いてるプログラムが消えた。」と電話をもらう。

滅多に無いことだが、エディタが落ちたらしい。がっかり。

これで、妻のLinux使いへの道はついえてしまった…。

明日には退院できるとのこと。良かった。

息子が、寝るとき母恋しさに寂しがるのも今晩だけの辛抱だ。

4月8日日曜日

職場に連絡し妻の流産を告げ、急拠休みをもらい、妻の着替えなどを用意して息子と一緒に病院へ向かう。

病院は、車で行くと呆れるほど近かった。

妻は点滴を受けている最中だった。ほっとする半面、なんて声をかけて良いかわからなかった。

ごにょごにょ言っていると、妻が一言。

「そう、がっかりするな。また作れば良いじゃん。」

この一言で、なんだか気が楽になった。

妻も言っていたが、本当、立場が逆転している。だらしが無いったらない。

妻だって、別に何も感じてないわけも、平気なわけもない。

なのに、こう言うとき、気を張って元気を見せてくれる。

強いと言ってしまえばそれまでだが、やさしさゆえの強がりなんだろうなと思う。

親戚のお姉さんも流産したことあるが、そのときはずっと泣き暮らしていた。私達がお見舞行ったときも泣いていた。思う存分泣けたのは、旦那さんがやさしく強い、頼れる人だったからなのだろう。

しっかりしなくちゃ。

実家の両親に電話で伝える。「どうして!?転んだのか!!」

そう、普通の流産のイメージはそれだ。転んだり無理して、ばっと倒れ、血が出る。

でも、今回の流産は本当にあっけなかった。時間をかけて、すんなりと流れてしまった。

担当のお医者さんの話しによると、一週間前くらいに、子供の心臓が停止していたのだろうとのこと。

つまり、どちらかと言えば死産に近いものだったらしい。弱い受精卵の場合、得てしてそうなるものらしい。言ってみれば自然の摂理の一環と言えるだろう。

とは言え、お見舞に来た実家の親には「自然の摂理で」とはなかなか言いにくい。

とにかく激しい運動や無理をした結果ではない、(むしろ、息子の時に比べ大事にしすぎたくらいだと妻が言っていた。)ことを強調して説明した。

感情的には納得できないものの、理屈で無理矢理納得しようとしているようだった。

とにかく、流れてしまったのは、もうどうしようもない。

次に、望みをかけよう。

そう言いつつ、甘え放題甘える息子だけが、実家の親にとって慰めであるようだった。

4月7日土曜日

仕事から帰ると、妻が「あそこから少し血が出た。」と言う。

聞けば、お昼くらいから、トイレに行く度に少しずつ血が出たと言うのだ。

かかりつけの病院は休み。とりあえず、安静にして様子を見ることにする。

この時点で無理にでも病院に行くべきだったかも知れない。

夜が更けるにつれて腹痛を訴えるようになり、深夜12時、妻の声で目を覚ますと、妻の布団が濡れるほど血のような水のような液体があそこから漏れている。

トイレに行くと、今までに無い勢いで出血。流産だ。まちがいない。

急いで片っ端から産院や大病院に電話しまくる。

かかりつけの医者は留守電になっている。もともと出産設備も無い所だから、夜中とかの対応を全く考慮にいれてなかったのかも知れない。

他の病院は、かける所かける所どこでも「かかりつけの病院には連絡しましたか?」と聞いて来て、連絡つかないと言うと「かかりつけのお医者さんに状況を聞けないと、こちらでもどうしようもないんです。」と断られる。見事なまでにどこの病院でもそう。

愕然とした。流産は人の命がかかっている一大事なのに。

でも、病院の側の都合もわかる。人の命がかかっているから、下手なことは出来ないのだろう。

かかりつけではないが、近所の「桜田産婦人科」と「仙台逓信病院」の方はこちらの状況をきちんと聞いてくれ、「救急車を呼んで、探してもらった方が良いよ。」とアドバイスしてくれた。それだけでも、気持的にはありがたかった。

それにひきかえ、仙台NTT病院は最低だ。仙台市の産婦人科の救急担当病院だったのだが、連絡すると「うちにかかったことありますか?」と聞かれ、かかってないと言うと「今、先生留守なんですよ。」と居留守を使われた。救急担当の意味わかってるのだろうか。

ともあれ、結局救急車を呼んで探してもらうことになった。

息子のことがあったので私は家に残り、妻が一人で行くことになった。涙が出るのを止められなかった。慰めるべき妻に慰められてしまった。

情けなかった。出産の時もそうだが、こんなとき男には何も出来ない。

しばらくすると、病院から連絡。仙台国立病院に入院したとのこと。止血のために子宮内のものを取り除く手術をするらしい。「本当は旦那さんにも来てもらった方が良かったんですが…。」と言われた。手術に家族の承諾が必要で、本来は書類に書き込んでもらった りするためだそうだ。とりあえず、緊急なので電話越しで口頭で承諾する。

二時間後、無事手術が終ったと連絡があった。良かった。本当に良かった。無事で良かった。

妻は先日から風邪をひいていたので、その感染を避けるため熱が下がるまで入院するよう言われた。

病院に着いた時点では、もう、すっかり子供は流れてしまっていたらしい。

とても残念だ。

でも、とりあえず、妻が無事で、それだけでも良かった。それだけは本当に良かった。

明日の朝、息子と、妻の見舞に行こう。

4月6日金曜日

『オールざっとウルトラ科学』がつまらないと書いたが、どうもおかしいと思って読み返したら、これは「漫画篇」だったらしい。

つまり、もともとの連載は、サイエンスライターの鹿野司氏が書いた文章に漫画が入ると言う西原理恵子の作品でおなじみの形式だったのだが、それを何かの都合で漫画だけ取り出して出版したものだったらしいのだ。どうりでつまらんわけだ。(^^;

4月6日金曜日

休日である。が、息子と私の髪が伸びたので散髪に行くことに。

実家の近所の私が子供の頃から行きつけの床屋があり、最近は息子を親に会わせに行くついでに散髪もすることにしている。

いつもは髪を切られるのを嫌がる息子が大人しく切られていた。

目はテレビに釘付け。テレビには「機関車トーマス」。耳には森本レオ。さすがだ。

ちなみにこちらには息子より一年弱お兄さんの子がいて、髪切ってもらった後遊んでもらっていた。(というか、互いに自分のペースで遊んでいた。)

私も髪をばっさり。頭が軽い。

帰り道で古本屋と本屋に寄る。鈎取の萬葉堂とモールの紀伊国屋書店だ。

萬葉堂は相変わらず品揃えが凄い。古書の類からズラリ。迫力だ。学生の頃はよく泉店の方に入りびたったものだ。

買ったのは『闘うプログラマー』上下巻。『トライガン』2・3巻。

それと、懐かしの『オールざっとウルトラ科学』1巻!!見付けたときはびっくりしただす。

ASCII社のお笑いお楽しみ系パソコン雑誌『Login』に連載されていた科学エッセイマンガと称したオタッキーな漫画である。

懐かしさから買ってしまったが、読んでみると案外つまらない。あの頃は凄く面白く感じたのだが…。

雰囲気としてはとりみきに雰囲気が似ている。(作者の米田裕さんはとりみき等と交流が会るらしく作中に出て来たりしている。)

だが、ネタの練り込み深みが弱い。

もっとじっくりネタを練り込み、かつ一回のページももう少し多かったら…とは思うが、今となっては言ってもせんないことである。

懐かしみつつ、もう一度読んでみようと思う。

紀伊国屋では『Rubyプログラミングマニュアル』を買う。

この辺で一つ、使えるプログラミング言語を見につけようと思ったのだが、Ruby関連の本は余り見当たらない。C++やJavaの本も気になったがそれらの本はどこでも買えるので、Ruby本を買うことにした。

結局使ってなんぼなのだが…。

4月5日木曜日

昨日の圧縮ファイルの持っていった解凍ソフトで無事解決。

画面一杯に広がるエロ画像を見て、さすがに自分がやっていることに気づいたらしい。そう、その手のものは家で一人でこそっと見て楽しむものだ。

その後彼は、マージャンゲームを始めた。途端に今までパソコンに気の無いそぶりだった奴までやって来てパソコンに夢中。

なるほど、ゲームは技術障害を乗り越える原動力と言うが、このことなのだな。

Linuxが一般のユーザーに広がるために必要なこととして、「エロゲーの開発」をあげる人がいる。

どちらかと言うとボランティア精神とハッカー精神で開発が進んで来たLinuxだけに、その手のソフトは皆無に等しい。オープンソースにすると金にならないからだ。技術的には大層なことやっているわけじゃなく、肝心なのは中身の絵だから、これをどうやって秘匿し金儲けに繋げるかが大きな問題になる。

だが、正直その手のソフトならフリーソフトでなくても出るだろうと思う。WEB上で一番金になっているのはアダルトサイトだというし。

それでLinux使いになる奴の気は知れないが…。

4月4日水曜日

職場の新入社員の人が、少し前に新しくノートパソコンを買ったのだが、今日職場に持って来た。

SHARPのメビウス。もちろんWindowsME。早速触らせてもらった。

体感的には、うちのデスクトップと同じくらいの早さか。メモリーが64MBらしいので、あとで泣くことになるかも知れない。

私もLinuxを入れているノートを職場に持ち込んで更新とかしているのだが、A4サイズのGUIだとなんだか大袈裟のような気がするのは気のせいか。(Linuxは大抵コンソールモードでテキストエディタ動かしたり、テキストブラウザで文章読んだりしている。それ以外使わないからそれで十分なのだ。)

で、同期のパワー重視パソコンマニアのゲームをに社員CD-ROMに焼いてもらいそれを開こうとしたのだが開かない。

どうもRAR形式の圧縮らしいのだが解凍ソフトが無いのだ。結局、後日私がいつも使っている奴をあげることにした。

しかし、よりによってエロゲーを会社休憩室で開こうとするのはどうかと思うぞ?

4月3日火曜日

今日、息子が通う保育所で新年度の入所式があった。

妻が出席したのだが、帰ってみるとブルーになっていた。

聞くと、今度息子が入ったクラスの担任がきつい性格の人だったらしいのだ。

息子が腹を下し気味だったので、病院から胃腸の薬をもらっており、それを昼にも飲ませてくれるよう持っていたらしいのだが、あいにく朝のバタバタしている時間で担任が居らず、妻も急いでいたのでお願いする旨を紙に書いてオルガンの所に置いて仕事に行った。

仕事の帰りに迎えに行くと、薬を飲ませていない。開口一番「他の子が飲んだらどうするんですか!!こういうことは困ります。正式に頼まれてないので薬飲ませませんでしたから。」と怒鳴られたそうな。

言ってることは確かに正論だけど、もし飲ませないとまずい薬だったりしたらどうするつもりだったんだ。そのせいで病状が悪化しても"それは親のせい"と言って責任逃れする気なのだろうか。

他にもいくつか似たようなことがあったらしい。聞いていて私までブルーになった。

担任は選べない。その保育所に通わせないと言う選択肢以外選ぶ方法は無い。変な奴や嫌な奴が担任についたら一年ブルーになるしかない。

担任だってきついのはわかるし、そのきつさを幾らかでも軽減するために決まり事があるのもわかる。それを守ることは大事だと思っている。

だが、それは結局のところ本論ではないはずだ。少なくとも、決まり事で子供や親や保母の先生をがんじがらめにし、規律を守ることのために保育所に子供を預ける親はいないし、預る先生もいない。最終的には子供のより良い成長のために保育所があるはずだ。

今度の担任は、規則をダシにその一番大事な部分を蔑ろにした。少なくともその点だけは何とかして欲しいものだ。

でないと、妻も私も安心して息子を預けて仕事が出来ないから。

4月2日月曜日

今日は、職場が棚卸しだったので比較的早く仕事をあがった。

快晴。風はまだちょっと冷たいが、もう春の陽気だ。

今朝NHK教育を見ていたら、番組が細かく変わっていた。

英語遊びの番組が新番組になっていたのだが、なんだか気持ち悪かった。

ある一家を舞台としているのだが、登場人物のうち、日本人は母親だけ。父は外人、娘はハーフになるわけだが、明らかに外人。あとはセサミストリートのビックバードを思わせる物の怪が一匹。

台詞も多くが英語で、何故か、途中の歌は日本語を英語の歌風に唱っていた。

公園で遊ぶ子ども達に英語で話しかけるシーンもあるのだが、小学生と思われる子がすらすらっと英語で返答していた。

これが、セサミストリートのように海外で作られ日本語版として放映されてるなら別に良いのだが、純日本製の番組というのが気持ち悪い。

全体の作りも、海外の番組っぽいセンスだった。実際製作者の半数は欧米人らしい。

「英語喋れるのはごく普通のことなのよ。いや、喋れない方がおかしい。女性はどんどん欧米人と結婚しましょう。それが国際化です。」みたいなメッセージを感じるのは、気にしすぎか?(^^;

4月1日日曜日

最近、番組改編のためつまらないスペシャル番組が多く、早めに息子を寝かすことにする。(で、寝かしたらネットやろうと思いつつ、そのまま寝てしまい、レスも日記も遅れがちになってしまうのだが…。)

今日から荷電リサイクル砲が試行されるそうだ。(←ぜろだまの掲示板より)

粗大ゴミの不法投棄が増えるのは目に見えているし、家電関係の業績の伸びが一気に冷え込むのは分かり切っている。リサイクルに金がかかるのはわかるが、わからないように金を取り立てるシステムに出来なかったのだろうか。(メーカーから取り立てるとか。そうするとメーカーが倒産したりして困るからなんだろうが。消費税と同じだ。)

新しく生産されるトラックにスピードを制限する装置の設置が義務づけられる法律もちょっと疑問だ。

確かに、スピード違反で捕まるトラックは多いだろうし、それらによる事故も多いだろう。

だが、結局安全運転の意識があるかどうかと、スピードの出る出ないは別問題だし、リミッターを外す改造も蔓延るだろう。

スピードガンガン出して運ばなくても良い、余裕のあるスケジュールが組める環境の整備も大事だろう。そのためには、資材の運搬にかかる経費も増やさなければなるまい。そのためには物価を上げる必要が出てくる。

どこに、そんな余裕があるんだ?

上の荷電リサイクル砲もそうだが、最近の法律には、互いに矛盾したり他への影響を考えてないものが多い気がする。

あんまりひどい状況なので、政治家も官僚どももみんな、ここで一花みたいな気分なのかもしれない。でも、それって、「1999年に恐怖の大王が振ってくる」のを信じたがった人達と同じだと思うが…。

必要なのは、実はもっと些細な、着実な、地道なことの様な気がする。中小零細企業のおっちゃんおばちゃんが、ちょっとやそっとのトラブルでぐらつかないような力を持てるような体制を作るための何か、とか。

3月31日土曜日

昨日録画して置いた「ケイゾク・映画版」を観る。

知り合いに、「TVシリーズ観てないと、楽しみづらいかも。」と言われていたのだが、確かにそうかもしれない。

私はTVシリーズはほとんど見ておらず、しっかり観たのは「特別篇」が最初(で最後)。今回はストーリー的には一応独立した事件として始まるものの、クライマックスはほとんど、TVシリーズからの総まとめ的な意味合いの方が強く、「こいつとこいつは、こうだったのでは?」みたいな創造をたくましゅうして、やっと追いつける始末。

映像に対するこだわりは感じられ、特に天本英世が出てくるイメージシーンはアングラっぽくて良かった。が、話的にはなんとなくエヴァンゲリオン的な心の話になってしまったところがちょっと残念。そういったことを臭わせつつも、もう少し、踏ん張って欲しかった気がする。あそこまでやっちゃっちゃお終いよ。

その点は、特別篇の方が良かった気がする。

内容的には結末編だが企画的には蛇足的だったのだとと思う。蛇足は本編を越えられない。その物語は、既に終わっているからだ。

息子が、朝倉が撃たれて倒れるシーンを見て喜び、私に銃のオモチャを持たせて何度も撃たれて見せた。嬉々として。

息子よ、やられ方が上手いと将来損するぞ。私みたいに。(^^;

3月30日金曜日

今日は、来週の定休日が棚卸しなので休みをとった。

身体を休めるつもりが、立て続けに二本更新してしまった。ま、時間があるときでないとね…。

どちらもいつか書こうと練りに練っていたつもりだったもの。

最近、色々書くたくてうずうずしている。毎年この時期から8月くらいまでが私の力が出やすい時期なのだ…等と言うとうさん臭いトンでも科学っぽいが、経験的にここからの時期はあまり心配しなくても方向さえ決まればがんがん行けることが多い。(あくまで本人の感覚ですけど)

で、その時期を過ぎると今度は力が腐ってくると言うか老朽化すると言うかそんな感じがして来て、無理に進むと年明けくらいから今の時期までボロボロというそんなサイクルを繰り返している気がする。

バイオリズムと言うより、天干地支の巡りの方がしっくりくる。

あの手のものを絶対当たると考えるのは危険だが、その占いのシステムを理解し、そのシステムのベースとなる思想を理解すると、案外いろんなものにそういったリズムと言うかテンポみたいなものがあることがわかり、楽しい。

ちなみにある本によると、私にとって2月3月は地が無く天が無限に広い状態なんだそうだ。これ、物理レベル経済レベルでは運が悪いが、精神面では幅広く奥深い思索を行うチャンスなんだと。

なんだかなー。

3月29日木曜日

下痢は止まらない。

愛が止まらないじゃなくて、下痢が止まらない。

止まって欲しいものが止まらないから、とかくこの世は生きにくい。

何言ってんだか。

今日は、妻が酢蛸と刺身を買って来た。盛り付けるだけで何だか凄い料理した気分。

見た目の贅沢も、料理の大事な一部だと言うが、本当だなあ。

で、酢蛸はブツ切りにして胡瓜のブツ切りとドレッシングで和える。うまい。

酢蛸がでかい。1K分はあろうかと言う大きさだ。

「安かったから」とのこと。切ってて切りごたえあるね。

息子は今日も早上がりしたそうだ。妻が帰りに医者に見せたら、高熱と下痢の時に体力消費して、それがどっと出て来たのだろうとのこと。

良く耐えてたものな。後褒美に胡瓜をやったら喜んでバクバク食っていた。味覚が少し親父臭いぞ、君は。

酢蛸がうまい。酒が欲しいな…。ますます止まらなくなるか。

3月28日水曜日

熱も下がったので、出勤。「大丈夫」と聞かれる度に、「なんとか…でも、下痢が止まりません。」と、まだ未治癒であることをさりげなく主張。

実際、一日、下利しっぱなしだった。トイレ行って、売場出て、トイレ行って、売場出て…。

しかも、だるさはあれど、熱とか激痛とかが無くてちょっと困る。なんか、サボってるようで恰好付かない。(←恰好付ける必要は無いだろ?)

こう言うときって、妙に自分を納得させてくれる痛みとかが欲しくなる。

俺はこれだけ苦しい。あなたたちはわからないかも知れない。でも、俺は激痛に悩まされている。全身を悪寒が駆け巡っている。

それでも、俺は仕事する。ああするともさ。

だから、トイレくらい行かせてね。

痛みが無いと、その辺の納得ができないのだ。

みんなは、別に気にしてないかも知れない。でも、気になるのだ。

だから、つい、痛くもないのにトイレに行く度に苦虫潰したような顔をしてしまう。で、病気は治ってないからなおタチが悪い。

この状態で仕事休んでも、仮病扱いになっちゃうんだろうな…。

3月27日火曜日

昨日からの熱がようやく下がるが、全身に筋肉痛とだるさが充満。頭痛もする。敢なく職場を休むことに。

職場、人が余り気味なので休みたくはなかったが行っても何にも出来なかったので「日頃の健康管理の不備」っちゅうことで休むことにする。

日頃の健康管理と言ってもな…。

野菜を多めにとか、できるだけ睡眠をとるようにとか考えていても、出来る範囲でだけしているのが現状だし。それをきっかり毎日正確にこなそうとしたら、私も妻も付いて行けない。自分のための時間は一人暮らしの頃に比べれば相当減っている。それをやりくりするためにはある程度、身体に無理がかかる生活でも仕方無い部分はある。

結局、そうして溜め込んだものをどこでごまかすかの話なのだろう。

仕事の休日だけで済めば良。溢れた分は次回へ。で、溜りに溜って「日頃の健康管理の不備」が発生っと。この繰り返し。

自分の仕事が自分の趣味な人はこの辺で悩むことは少ないのだろうな。

今の仕事は楽しいが…。趣味にはちょっと出来そうに無い。

と言って、趣味と言える演劇やコンピュータで食うのは…今は想像も付かない。

結局、今のところ、現状で時間をごまかしごまかしやりくりして行くしか無いのだろうな。

はうう。

3月26日月曜日

今日は、定休日。でも、家で息子の看病。ま、疲れも溜っていたしちょうど良いや。寝倒そう。

とか思ってたら、息子の風邪に取り付かれた。

ちょっと弱っていたところに、息子を蹂躙し尽くした風邪のウィルス。イチコロだ。気が付いた時にはもう手遅れ。熱で息子のことも考えられない始末。二人で、飯もほとんど食わず(作る気力さえなかった)寝倒した。やった、計画通り。(←違うだろ。)

昨日は、息子に人間の強さを見たが、自分がなって見ると、何のことは無い。食欲が無くなるので、単に気にならないのだ。あの状態なら、千日行でも我慢できる。成就の前に死ぬけど。絶対。

昔、絶食に挑戦したことがあった。

数時間後、ラーメンの粉スープを「これはタベモノじゃないから良いんだ。」とかわけわからない理屈を付けて飲もうとしている自分に気づいて断念。

人間、追い詰められると、自分にも平気で嘘付くね。

3月25日日曜日

息子の風邪が、一向に良くならない。さすがに心配になって来る。(いや、昨日から心配ではあったんですが…。)

しんなりぐったりが夜まで続いた。が、夜寝る前に、やや熱が下がりだしてホッと一安心。

その間も、食っては吐き、飲んでは吐き。うまく食えたら下痢直行。

これで生き延びる体力を、どこに蓄えていたのか不思議だ。

人間って強いものなんだなぁ。

3月24日土曜日

息子が、吐いた。

どうやら風邪を引いたらしく、妻が仕事を休んで付きっきりで看病したら、夜には妻も風邪を引いていた。

私も疲れが溜まっている。気を抜くと私もダウンしそうだ。

息子の吐き気は、夜にはだいぶ落ち着いた。が、苦しそう。体は熱い。笑顔が時々出るのがまだ救いだ。朦朧と眠りに落ちていく表情は、可愛い。具合が悪いからだろうか、一層可愛く見える。

小さい時、病気になると親がとても優しくなったものだが、こういうタネがあったのだな。

3月23日金曜日

昨日買った高橋葉介の『KUROKO-黒衣-』第一巻を読んだ。

『学校怪談』に続いて連載されてる作品で、第一話から結構飛ばしていたので期待していたのだが、その後こまめにチェックすることが出来ず単行本が出るのを待っていた。(連載は進行中。佳境かな?)

中身は基本的に読んだ作品ばかりだったが、ラブクラフト有り、悪魔信仰有り、昔話有り。

さすがは葉介先生。守備範囲の広さを感じさせてくれる。

『学校怪談』に比べると、やや暗め(と言うかシリアスな)の展開で、そのストーリーの行き着くところも楽しみだ。

3月22日木曜日

最近、飯の支度は私がやっている。

別に凝ったことはしていないので、まあ、食える程度。

今日の晩ご飯は、鯛の糟漬けを焼き、焼鮭の雑炊と一緒に食べた。鯛は実家の親が大量に送ってくれた食糧の中にあったもの。

二日前には味醂干しの魚を焼いたのだが、結構うまかったので、今回も挑戦。

糟漬けもうまい。

なんのことはない、グリルを使ったのだ。

以前はガステーブルにグリルが無かったので、魚焼きの網を使って悪戦苦闘して外は焦げでカリカリ、中は生というのがせいぜいだったが、さすが本職。経験の無い私でも、ひっくり返すタイミングさえ間違えなければ、簡単においしい魚が焼ける。

快感だ。

明日も魚焼こう。

3月21日水曜日

今日は、「ロケットボーイ」の最終回を見た。

第一話から楽しく見ていた作品だが、遂に最終回。といっても、途中主人公小林役の織田裕治が腰を痛めたため一時中断して、七話で終了なのだが…。

面白かった。最後まで面白かった。

なんといっても、織田裕治が良かった。夢見がちな、情けないダメ人間を演じていたのだが、ありがちな「実は怒ると凄い」(トミーと松のトミータイプ)とか、「ただただ優柔不断で、自分の中でだけ苦悩している。」(エヴァンゲリオンのシンジタイプ)みたいなダメさではなく、バランスの良いダメさ加減(なんだそりゃ?)を表現していて、実は良い役者だったんだなぁと、感動した。

織田裕治と言えば、「東京ラブストーリー」であり「踊る大捜査線」であり、どちらかと言えば、いつも芯にしっかりとした熱いものを持っている好青年を演じて話題になることが多く、正直「空かした奴メ!」と思っていたのだが、第一話の泣きそうになりながら人を怒鳴り付けるシーンを見て、認識の甘さを痛感した。

ユースケサンタマリアにしても松たか子の兄貴(名前知らない)にしても、これまでにやってなかったキャラクターを好演していて、しかも無理が感じられなかった。

そのバランスの良さが脇役一人一人、ストーリーの隅々にまで徹底していたように思う。

大体、主人公が夢敗れたのに夢見る喜びを感じられるドラマなんてなかなか無い。

必然だったのか偶然だったのか、短縮されたことで全体がコンパクトに凝縮されたのが効を奏したのかも。

「カバチタレ」も原作に無いテンポとセンスとパワフルさで、なかなか面白く見れるドラマだし、最近は良いドラマが多い。

愛だ恋だ結婚だで1クールお茶を濁す製作者の苦労は知らないが、こういう良いドラマがもっと増えてくれるといいな。

3月20日火曜日

誕生日だ。

なのに、私は今日も仕事。ま、そんなものだ。(笑)

今日で30。やっとと言うか、遂にと言うか…。

感覚的には、二三年前からもう30代の気分だった。

否、劇団を止める二三年前(だから、今から四五年前)にはもう、「歳とったなぁ…。」とか考えていた。

その頃は、劇団で新人や老人俳優養成企画の肉練や柔軟、簡単な身体のエチュードなどの指導をしていた。人に物を教えていると、自分がすごく歳とった気がして来る。しっかりしなくちゃという責任感のせいもあるだろうし、相手が持っていないものをこちらは持っているという自信に裏付けられた余裕の様なものもあるだろう。

劇団を退団したときにも、自分が急速にどっと老けたような気がした。空かした言い方すれば「青春が終った。」様な哀惜感と安堵感というか…。(^^;

良くも悪くも、私の20代は劇団活動に終止した10年だった。

30代の10年は、どんな10年になるのだろうか。

晩飯は、誕生祝いと言うことでピザを採ることになった。旨い。

祝ってくれる人がいるから、歳をとるのが嬉しいのだ。

3月19日月曜日

今日は、職場の定休日。最近出来なかった更新をまとめてやった。

長い間懸案だった「果てしなきLinuxへの道」の整理と「水天堂のひとりごと」に追加。

「果てしなき…」は、思うところあってずっとお蔵入りにしていた。

あの手の技術的な話を載せるのに、うちのサイトは向かないと思ったからだが、なんだかそのまま放っておくのももったいないと思い、整理して再度アップすることにしたのだ。

以前程「何がなんでもLinuxが一番!!」的な考え方はしていない。ただ、やっぱり使ってて(使い難い所を使いこなす事も含めて、)面白いOSだし、その面白さを伝えたいとは思うのだ。とりあえず、今後も出来るだけわかりやすいネタを使ってちょびちょび更新していきたいと思う。

「…ひとりごと」は大体月一のペースで更新していたのだが、先月はAZ9の公演があったこともあってバタバタしてしまい、更新のチャンスを逃してしまった。

本当は、別なネタを考えていたのだが、ちょっと重めなネタになりそうな気がして止めた。(^^;

重めなネタは体力がある時でないと書けない。

次に更新出来るのはいつだろう。

3月18日日曜日

今日は実家の親が来た。

私の誕生祝いとのこと。正直、嬉しい。親に誕生祝いをしてもらうなんて何年ぶりだろうか。

プレゼントにワイシャツとトレーナー。あと、つわりがきつい妻でも食べられる寿司を買ってきてくれた。半分近く、私が食べてしまったが。

父と二人で「招福」という金粉入りの郷里の日本酒を一升開けてしまった。そんなに飲んだ記憶無いのだが…。(^^;

息子が、おじいちゃんとおばあちゃんを見て、すさまじくハイテンションになってしまい、家を走り回る走り回る走り回る。とにかく走り回る。

二人が帰ろうとすると、「いっしょにいく~!!」と着いていこうと泣いてしまいました。よっぽど楽しかったんだな。

十年前、芝居をばりばりやっていた頃、誕生日は一人で酒呑んで寝るのがせいぜいだった。というか、誕生日はほとんど意味を持たなかった。たかだか一歳年とるだけの日じゃないか。

それは、今でもそう思う。

でも、「おめでとう」と言われるのはやっぱり嬉しいものだ。

3月17日土曜日

今日は、仕事の帰りに芝居を見に行った。宮城教育大学演劇部の『半神』。

『ワガクニ』で、コケティッシュかつミステリアスな大家をやってくれた高橋美峰子ちゃんが出ると言うのだ。開演時間5分程過ぎて会場に到着。開演を押していてくれたので最初から見れた。

で、まあ、ちょっときつかったですね。なんと言っても、満席だったので立見で二時間だったのがきつかった。(;_;

『半神』は夢の遊眠社のビデオ版を見たことがあって結構好きだったんですが、あれはやはり野田演出だからこその物だったのだなと再確認した。

まとまりとしては、悪くなかったとは思う。でも、それなりに出来ていた分、全体のメリハリの無いノッペリ感が強く感じられた。多分、あの構成なら、1時間30分でちょうど良い時間だったのではないだろうか。

それに、野田の書く台本の言葉は、人の言葉(何かを感じた結果リアルに吐き出される言葉)として扱うと無意味な言葉の羅列になってしまう傾向がある。

むしろ、役者(と客)の心と身体が着いて行けないスピードで紡がれ展開されて始めて、伝えるべき物が残る…そんな台本だと思う。

彼らは、それを普通の芝居として(ありがちな手法で)芝居化していた。正直、食い足りないんだよなー。

まあ、私がビデオを見てるからというのはあるけど、それは既成の有名劇団の作品をやる全ての集団、個人に当然与えられる宿命なのだから、それを越えないまでも、自分たちなりのものを少しでも出せなければ、成功ではないと言って良いと思う。

ただ、きつさのあまり「俺ならこうやるのに!!」との思いに駆られ、芝居がしたくなった。

「ある意味、良い芝居だったって事じゃないの?」と妻に言われた。

そうかもしれない。

3月16日金曜日

今日は、仕事を休んだ。最近、疲れが抜けない。理由は簡単。休みにパソコンをまとめてやるからだ。ゆっくり休めば良いものを…。(^^;

それはさておき、今日は妻も休みだったので、午後から一緒に昼食をとりに近所の居酒屋に行った。ランチを580円からやっているのだ。外食の時は大抵息子も一緒なので、二人っきりの時間は貴重だ。なんと言ってもゆっくり食事ができる。(^^

食後にコーヒーを頼んだ。一杯100円。安い。味は、缶コーヒーと同じ程度。カップとソーサーが付いて、椅子に座ってゆっくり飲める分お得か。(基本的に、ドトールのコーヒーで十分の人。)

その後、近所のワンダーgooで中古CDを物色。

実は妻が、ここで筋少のCDを見付けたと言うのだ。

並んでいたのは『断罪!断罪!また断罪!』と、『ステーシーの美術』。合わせて3500円弱。私の基準では中古としては高めかな。でも、筋少のCDは滅多に見掛けないし、歌詞カードもラベルも付いていて傷も無い美品なので、良い買物だったと言える。

これが、バレンタインのプレゼントということになった。

ちなみに、ホワイトデーのお返しは、まだしてない。…何が良いんだろう?

3月16日金曜日

妻の真似して、日記のコーナーを作ることにしました。

元は、コラムのコーナーとして立ち上げるつもりだったのですが、一度書いてみて、どうも書き切れないというか表面的なことに終止してしまうと言うか、CGIを使って簡単になった分内容が粗くなってしまった様に感じ、やめました。

一つのコーナー立ち上げたり、ページ作ったりするまでもない、でも、ちょっと一言記しておきたい様なことを書くには、やっぱり日記帳にするのが良いだろうと考えました。

とは言え、日記と名の付くものが一週間続いたためしの無い私なので、「毎日付けよう!」と気張ると続かないのは目に見えてます。

ので、書きたいことがあった時、書ける時に書こうと思います。

そんなわけで、宜しくお願いします。