言葉の誕生

息子も、2歳になりまして、だいぶ色々喋るようになりました。

まあ、まだ大半が私達の繰り返しか、意味不明のゴニョゴニョ語ですが、時々「はっ!」とさせられることを言ったりもします。

結構驚いたのは「だーめだーめ」でしょうか。

言わずとしれたサンマのダメダメボーイズ風の「だーめだーめ」です。

しかも、初めてやった時は指で×する、細かい振り付き。

番組は、たぶん一回くらいしか見せてないはずです。よっぽど心に残ったんでしょうね。

あ、そういえば、ODNのCMの「おっけ-おっけーよ」も良く真似するなぁ。

もしかして、サンマのファンなのでしょうか?

「~すき」というのも良く言います。というか、言わせます。(^^;

「お母ちゃんは好き?」「おかあちゃん。しゅーきー。」

「お父ちゃんは好き?」「おとーちゃん。しゅーきー。」

「おばあちゃんは好き?」「おばあちゃん。しゅーきー。」

「お肉好き?」「おにく。しゅーきー。」

「飴、好き?」「あめ。しゅーきー。」

「キーちゃん好き?(同じ組の子)」「きーちゃん。すーきー。」

といった具合。基本的にオウム返しなので何処まで本当だか…。

でも、先日初めて「~きらい」と言ってました。

保育所の担任にまほ先生という方がいるのですが、息子はその先生がお気に入りです。こっちが聞かなくても、「まほしぇんしぇー。しゅーきー。」と言ってますから、よほど好きなんでしょう。

それが先日、寝る前に

「まほ先生好き?」と聞いたら

「まほしぇんしぇー。きーらーいー。」

実は、その日保育所で、まほ先生に爪を切って貰ったらしいのですが、その時ちょっと失敗して指の先を軽く切ってしまったのです。怪我自体は、程なく治りましたが、どうもその記憶が残っていたようです。

妻も驚いて、「でも、本当は好きなんでしょ?ね?」と繰り返し、「まほしぇんしぇー。ほんとはー。しゅーきー。」と言わせていました。

繰り返しでなく、自分の意志で言った言葉です。とてもビックリしました。ようやく、「好き」と「嫌い」の意味をわかったということなのかもしれません。

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「あびこば」と言う言葉があります。

いや、もちろん、息子が発明した言葉です。

これ、「歯磨き」のことなんです。

きっかけは、ただの言い間違いだと思います。「はみがき」と発音できなかったので、出来ないところに適当な音を挿入したら「あびこば」になったのでしょう。

「はみ」と「あび」がその辺を物語っています。

でも、「がき」と「こば」では随分違うと思いますが…。

とにかく、ただの言い間違いだったのですが、だんだんそれに拘るようになりました。

妻が一音一音「は」「み」「が」「き」と教えるときちんと、「は」「み」「が」「き」と言えるのに、続けて言うと「あびこば」になる。「歯磨きでしょ」と言っても「あびこば」。

それも、一瞬間があるのです。考えるような、意地悪な顔をして「…あびこば!!」。

どうも、歯磨きと言う行為と「はみがき」の繋がりはわかっていて言おうとすれば言えるのだけど、でもそれを「あびこば」と自分なりに定義して、わざと使っているようなのです。

おかげで、私達まで歯磨きを「さーてあびこばするかな。」とか言うようになりました。

あ、もちろん、家でだけです。だって、なんとなく言い易いんですよ。「歯磨き」より「あびこば」の方が。(^^;

こういった子供言語というのは、小さいお子さんを持つ家庭ならどこにでも一つや二つあるのではないでしょうか?

最近流行っているのは、「しゅぱーっぷ!」という言葉です。正確には擬態語ですね。

こう、物を思いっきり放り投げるときの感じ。

あるいは、ジャンプするときの感じ。

ウルトラマンの「ジュワッッ!」みたいな感じと思っていただけたら間違いないと思います。

少し、コミカルで軽い響きですが、体重12000tのウルトラマンよりだーーーーいぶ軽い息子の軽さゆえでしょう。

どこかアメコミの擬音っぽい響きでもありますが、見せたこと無いので、あるいは前世の記憶で呼んだことあったのかもしれません。

これも、息子と遊ぶとき時々使ってます。

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言葉は、「表現されるもの」と「表現として使われる音(文字、絵、行為)」の恣意的な繋がりによって成立します。

恣意的ってのがみそです。

好き勝手というくらいの意味なのですが、つまり、言葉とその言葉によって表現されるものとの間には、本来なんの因果関係も存在しないと言う訳なんですね。

使う人の都合で好き勝手に変えられる。

ただ、それではコミュニケーション自体成立しなくなるので、大体周りの人達を定義を整理する行為の果てに、「~語」とか「~訛り」みたいな言語体系が生まれるわけです。

しかし、そうして生まれた言語体系だって、結局は個人の記憶を通してしか残っていかないし、その人の生活によって、どんどん追加、削除、変更、変質を繰り返していくわけです。

辞典にまとめたって、それを利用する際は必ず一旦個人の記憶の言語フィルターを通さなければならないから、結局は普遍であるとは言えない。解釈だって変わるでしょうから。

「言葉は生き物」と言われる所以です。

必要なことが伝わるなら、どんな言葉を使っても良い。

息子の「あびこば」や「しゅぱーっぷ」は、まさに息子によって、恣意的に生み出された言葉であり、少なくとも、今うちの中では公用語に加えられていると言えます。

でも今後、たくさんの人と出会い、活動の場が大きく広くなるにつれ、息子もこういった恣意的な言葉でなく、よりみんなに通じる言葉を使うようになるでしょう。言葉には、「多数派が少数派を駆逐する」傾向が強いですから。

息子の名前に「智」という字があるのですが、これ、「知識を言葉に出来る。(氏、曰くの曰。)」という意味があります。更に、知は本来「口から出る矢」つまり言葉です。

どうか、名前負けせず、たくさんの言葉をしっかり使いこなせるようになって欲しいとは思います。

(ま、名前にかけた期待なんて裏切られることが多いですが。かく言う私も、名前に「孝」の字があり、たぶん「親孝行」の孝であろうと思われますが、芝居者になる等、散々親不孝しております。^^;)

でも同時に、大きくなっても、自分が作った言葉のことも大事にしていて欲しいようにも思います。

「しゅぱーっぷ」じゃないと伝わらない感じというのも、あるでしょうから。

しゅぱーっぷ!

2000/3/18