HELLSING:平野耕太

少年画報社YKコミックス。月刊ヤングキングアワーズ不定期連載中(のはず)。"大英帝国と国教会を犯そうとする反キリストの化物共を退治するために組織された特務機関"王立国教騎士団(通称HELLSING)と、化物達との戦いを描いた、大変同人誌的な漫画。吸血鬼を倒すため、吸血鬼をぶつけるという、『バンパイヤハンターD』的な漫画です。他にも似たような漫画が、少年漫画雑誌には氾濫してますが、それらとこの作品の違いは、徹底的にクサイキャラクター達と、定番過ぎる展開と、それを納得させる力技の絵柄でしょう。はっきり言って、B級オカルトバイオレンスアクションです。そのB級さ加減が良い。とにかく遅筆なのが珠に傷です。

この漫画家は、実はエッチ漫画になかなか凄い作品があります。詳しい題名は覚えてませんが二年前くらいに「零式」という雑誌に掲載されたヒットラーらしき人物の帝国崩壊の話は凄かった。切れに切れまくっていた。『HELLSING』には、今の所、その切れた感じはあまり現れてない。これからの展開の中で、出てくることを期待します。

(ネタ的には怪奇っぽいが、読むと怪奇じゃないと思うのでこっちに入れておきます。)

<追伸>

平野耕太と言う名を最初に知ったのは、この「HELLSING」からだった。「YOUNG KING OURS」誌上に連載されはじめたばかりの頃、第二話くらいだったと思う。

バンパイヤを主人公とした作品は多く、バイオレンスものやホラーものの中に1ジャンルを築いている。「ドラキュラ」や「カーミラ」、手塚治虫の「バンパイヤ」や横溝正史の「髑髏検校」、菊池秀幸の「バンパイヤハンターD」等がすぐ思い浮かぶし、赤川次郎も明るい吸血鬼シリーズなどを書いている。

それらの多くは、大きく三つの要素をネタとしているように思う。

1つは、バンパイヤの不死性。

もう一つは、バンパイヤの伝染性。

最後の一つは、バンパイヤの脆弱性である。この三つが、すなわちバンパイヤの特徴でもある。

バンパイヤの多くは死なない、死にそうになっても驚異的な回復力で復活してしまう。さらに驚異的な力、技術を持ち、魔術も使いこなす。その強靱不死はバイオレンスものの主人公や敵役にはうってつけである。

伝染性と言うのはもちろん吸血によって死んだ者は吸血鬼になるというアレである。

このルールは作品、物語ごとに微妙に設定が違うが、吸血の対象として狙われるのは大抵処女で美女である。それ以外の場合はただの栄養補給でか兵隊の補給であり、死んでもゾンビや喰屍鬼(グール)となってしまい吸血鬼の不死性を手に入れることは出来ない。

この伝染性のテーマは「血」の魅力に裏付けされているように思う。血にはその人のもつ力、魂が含まれているという考えであり、「近親婚を繰り返してでも血を守る」とかいう考えと容易につながる。美女が狙われるのは、吸血行為が、栄養補給だけでなく「結婚」であり「同化」であり、「血の存続」のシンボルでもあるからだろう。

こっちのテーマはホラーものが得意なようだ。

脆弱性とは?

いろいろなモンスターの中で、バンパイヤほど弱点の多いものは無い。

太陽がダメ、流れる水がダメ、十字架がダメ、ニンニクがダメ、昼間は棺桶で寝てないとダメ等々。この欠点の多さが、不死性を無効にしてあまりある。

ギャグ漫画などで吸血鬼が出るときは、これを徹底的に利用する。

また、シリアスな作品では、この弱点の多さが、身体に障害がある方の物語のような悲劇性を高める効果を醸す。

バンパイヤものでは、これらのテーマが上手い具合に互いに作用し合うよう気をつける必要がある。下手くそな作品だと、一点に集中する余り、とても薄っぺらなバンパイヤ像となってしまう場合が多い。

『HELLSING』ではどうだろうか?

『HELLSING』において重点が置かれている点は上の3つの中では「不死性」であろう。

主人公(?)アーカードの不死性、強烈な戦闘能力、殺して殺して殺しまくる残忍さ、そーゆーのを平野耕太に書かせると本当に上手い!!

初めて「OURS」上で読んだときも、戦闘シーンの残忍さではまってしまった。

黒スミを多用した暗い絵、キャラクターは太めの線で描かれ、躍動感を十分に表現している。

では、こわいか?というと、ちょっとそうでもない気がする。

バイオレンスアクションではあるが、ホラーではない。作者もそっちは意図していない気がする。

“不死なるものが不死を餌にそれを願う者を操って野望を企て、不死なるものがそれを打ち砕く”という構造は、国枝史郎の伝奇浪漫などによくある“悪の野望を悪が打つ”的な構造ではある。ひいては仮面ライダーやキカイダーなどの“特殊なものが(人々に誤解されながら)特殊なものから人々を守る”という「孤独なヒーロー」の系譜でもあり、『HELLSING』もまた、それらの系譜を引き継ぐ作品と言うことは出来るだろう。

(同じ時期に『トライガン』もOURSに河岸を変えて連載が始まっている。両作品には、そう言う意味で構造的に似ている部分はあると思う。現れ方はだいぶ違うが。)

上に書いた他のテーマはどうだろう。

伝染性は、話のバックに流れるテーマとして(不死の軍隊。不死への渇望と、人間-死に逝くもの-としての誇り等)は存在するが、上の不死性への書き込みの強度に比べたらだいぶ低い。不死に取り憑かれた人々についての描き方は割と一辺倒である気がする。

ま、普通の人が普通に物語に絡むシーンなど書かれてないから当然か。

考えてみると、出てくる人ほとんど皆超絶者なのだ。それじゃなきゃコロスか。

脆弱性はそれなりに描かれているが、これも割と味付け的な雰囲気が強い。

と言うか、もともと脆弱性は不死性の反面的な意味合いが強いから、不死性を強め強めに描くと、脆弱性は反比例的に弱まってしまう。

アーカードはバンパイヤの欠点を次々克服してしまっているし、(太陽もつらいがOK、流れる水も船ならOK←これは「ドラキュラ」でもそうだが。)何度もバラバラになってるが、その度復活している。

だが、おかげで一般人ではなん百人と束になってもアーカードは倒せないことがはっきりし、超絶者が敵役で出てくる意味がはっきりしてそれはそれで良いのかもしれない。

上のバンパイヤものの定理(そんなのあるか)から言うなら『HELLSING』はバンパイヤものとしてはちょっと薄っぺらい作品であるということは言えるだろう。

物語的には少々弱いと感じることがままある。

キャラクターの台詞も割とありがちだし。繰り返しが多いし。

だが、それが欠点と感じない魅力が平野耕太作品には感じられる。なんだろう。

その魅力とは、アーカードとセラスが、「イギリス国教守護」の名目で、より残忍な、残酷な、強力な敵を殺して殺して殺して殺す。ただひたすら、それを魅力的に描くのだけを求めている潔さなのではないだろうか。

その中で、キャラクター達は目に見えて悩んだりなんかしない。変に自信満々で、悩む前に撃つ、切る、喰らう。

「ガンダム」以降、漫画のキャラクターは悩んで成長してなんぼみたいな風潮が延々と続いてきた。「EVA」などはその最たるものの一つだろう。

悩むキャラクターは嫌いじゃない。けど、ありがちな悩みをありがちに悩まれてくよくよしているのを見るくらいなら、悩まずスカッとやりまくってほしいと思うことも多い。

『HELLSING』はそこに特化した作品の一つと言っていい。

映画で言うなら完璧にB級映画だろう。

だが、とても純粋である意味良質なB級作品だと思う。

今年の秋、アニメ化されるらしい。それも地上波で。

ちょっと心配だ。ダメダメにされるんじゃなかろうか。

悩むアーカードなんか見たくない。原作の、殺して殺して殺しまくる快感を、きちんと表現して欲しいものだ。