幼心の夢とうつつ

皆様お元気でしょうか?

久しぶりにUPしますこのコーナー。今回から、水天工房よりお届けします。(URLに注目)

注:この前は、妻のサイトに掲載していました。

もっと野放図に書き散らそうかいなと思いこちらに引っ越しました。

さて、どうなりますか?

と言うわけで、今回は「幼心の夢とうつつ」でございます。

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皆様は、小さい頃どんな遊びをして遊んでましたか?

私が一番好きな遊びは、“ごっこ遊び”でした。英語で言うならロールプレイングゲームです。

勿論、私の小さい頃には家庭用ゲーム機は普及してませんでしたから生です。

ジャンルは問いません。いろいろやってました。(とは言え、やはりSFっぽいネタの方が好きだったようです。)

探検ごっこをすれば、家の風呂が湖になり、押入が禁断の洞窟になりました。

おやつのかにパンは未来食になり、三角定規がレイガンになりました。

見慣れた風景を、そうやってうろつくのが好きでした。

(最初の頃は同級生の友達と一緒にやってたはずですが、記憶では何故かいつも一人だった気がします。「いつまでもそんな遊びしてられっか!」と言われた気もします。普通の子が“ごっこ遊び”を卒業しても続けていたのでしょうね。)

それと、暗い狭いところに閉じこもるのも好きでした。

懐中電灯とおかしと漫画本をもって、ずうっと籠もって物語に浸っているだけ。

アクティブな方には、“何処が楽しいの?”と言われそうですが、思うに、イメージの世界にたゆたっているのが心地よかったのでしょうね。

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先日、職場で品出しをしていた時のことです。

そこは棚の都合で袋小路になっている売場で、乾物が置かれてました。

焼き海苔なんかを出していると、一人の少年がこの売場に走り込んできました。

「隠れさせてもらおう…。」

少年はそう一人ごちると、(私に言ったわけではない)売場の奥の棚の影に入り込みました。

隠れん坊でもしてるのかと気にせず放っておきましたが、いつまで待っても変化がない。

誰が追っかけてるわけでもないし、少年が出てくるわけでもない。

ちらっと奥を見てみると、なんと、誰もいない。

いや、幽霊だったとかそうネタではありません。なんのことはない。棚の隙間から向こうに抜けてしまったのです。

大人の感覚では袋小路でも、子供には隙間があったってことですね。

さて、気にせず品出しを続けていると、さっきの少年が友達らしき子らを連れてやってきました。

「ここ、ボクの秘密の隠れ家ね」

少年、誇らしげに友達に言います。

「へえ、良いところだね」友達が言います。

「また来るんだ」と、少年。

そして、連れだって去っていきました。

をいをい、ここはディスカウントショップの売場の一部だ。隠れ家じゃないぞ。

それに言いふらしたらバレバレやん。

などと言っても詮無い話です。彼には確かにその売場が隠れ家だったわけですから。

蛍光灯の位置のせいで昼なおほの暗いその売場が。

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今、芝居などやってる源流の一つは、確かにあの頃のごっこ遊びの喜びがあります。

でも、なんてこと無い売場を隠れ家にしてしまう少年を見て、現役には到底敵わないなあとも思います。時間をかけ、段取り踏まないと夢や物語に浸り込めなくなってるわけですから。

それが悪いことだと言うつもりはありません。

私達は、そうすることで自分の夢や物語を他の人と共有可能なものに仕上げ、表現します。

時間をかけることで納得行くものに近づけることが出来ます。

あの頃、すぐ身近をリアルに流れていた物語は、今は遠く離れてますがだから到達できる領域というのも確実に存在します。

だから、確実に、価値があることだと思ってます。

でも、なお、あの頃に帰りたいとも思います。

何も考えずに、物語に浸ることが出来た時代に。

意味とか価値とかに囚われず、夢と現実の境を越えられた時代に。

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今回は、息子のことは全然書きませんでしたが、息子が物語の住人になる日もすぐ来るでしょう。

彼もまたごっこ遊びやお話が好きな子供になるのでしょうか?

楽しみです。

2000/7/31