【随筆】“好きコロ”衰退の原因に関する一考察 -サイバースペースの栄枯盛衰-
前口上
私のサイト「水天工房」には、「好きなものコロシアム」(通称好きコロ)というコーナーがあった。
いや、今もある。(2000年9月20日現在、閉鎖中)
象の墓場で象牙に囲まれ死を待つ象のように、ひっそりとサイトの片隅にある。しかし、誰も寄りつかない。管理人すら寄りつかない。(「いやぁ、チェックはしてるんですがねぇ…。」管理人談)
一時期は、水天工房の名物コーナーと言って良いほどの賑わいを見せ、毎日カキコが絶えない時期もあったというのに、ここ二ヶ月近く書き込みが絶えている。レンタル掲示板なら即刻削除だ。
諸行無常は世の定めとはいえ、なかなか切ないものがある。
だが、ネット行脚をすると同じような掲示板をよく見かける。
一時期、隆盛を誇りながら瞬く間に寂れ、人気の無くなった掲示板。
一方、どんなに時間が経っても廃れない掲示板もある。
この両者には、どんな違いがあるのだろうか?
より良い掲示板とはどんな掲示板なのだろうか?
このレポートでは、好きコロの衰退の原因を探りつつ、掲示板文化のより良い在り方について考察していこうと思う。
掲示板文化について一言
さて、本論に入る前に、掲示板そのものについて軽く見ていこうと思う。
ネット文化における掲示板の重要性は、今更語る必要無いだろう。様々なサイトに、それは存在し、そのサイトに集う人々の交流の場となっている。中には掲示板だけのサイトや、掲示板しか見ない人さえいるくらいだ。(私の妻もそうだが…。)
この“掲示板”というものはどのようにして生まれたのだろうか?
ネット上の掲示板の祖先は、まだインターネットが解放される前、地域地域ごとのLANやWANなどで行われていたパソコン通信時代から存在する。ネット上でのメールのやりとりが発展して、投稿したメールが登録した会員全てに同じ内容のメールが届く仕組みが生まれた。いわゆるML(メーリングリスト)である。このMLの発達によって、ネット上での情報の交換、ネットを通じての交流が活発化していった。ニュースグループなどはこの頃から始まっている。
インターネットが解放され、一般の人が気軽にネット行脚を楽しんだり、自分のサイトを作ったり出来るようになると、このMLのような情報交流のシステムを個人で持ちたいと思う人が増えた。
CGIでよく使われるPerl言語の発展がそれを後押しする。
Perlを使うと、比較的容易にCGIが組める。Perlは文章処理に強いし、フリーソフトであるから予算をあまりかけずにサーバーに導入できた。Perlで作った掲示板が生まれた正確な時期はわからないが、生まれる経緯はこんなところでは無いかと思われる。
“想像される”“思われる”ばかりで、申し訳ない。
とにかくも、こうして掲示板が比較的気軽に利用できるようになると、様々な用途でこれが利用されるようになっていく。様々な情報交換、交流。ジャンルを限定したもの、なんでもありのもの…。
MLと違うのは、誰でも参加できる点やいつでも閲覧できる点だろう。もちろん、様々な理由で会員制をしいてる所もあるが、基本的にはMLより開放されていて気軽さがある。また、MLは“向こうから来る”と言う感覚が強いが、掲示板には“遊びに行く”という感覚があり、“必要なければ行かなきゃ良い”と感じられる点も気軽さを強めていると思われる。
好きコロもこんな掲示板の中の一つである。半端であるが、本論に入ろう。
好きコロ衰退の原因
好きコロは何故衰退したのだろう。
その前に、好きコロというのがどんな掲示板であるかを説明するとツリー形式の掲示板だ。
売り文句は「あなたの好きなもんについて、マニアックに語り合いましょう」だ。
この掲示板は、水天工房がジオシティーズにあった時代に設置された。
これが、その後の引っ越しなどで二度三度CGIを変更したり、そのどさくさで過去ログが消失したりトラブルが絶えず、今のTKcity(Takeoff)のミラーサイトに落ち着いたのが、2000年5月末頃。ジオシティーズ時代の過去ログも追加し、さあ順風満帆となった頃から急速に寂れ現在に至る。
すでに一つ原因が見えている。移動、引っ越しのしすぎだ。
掲示板の信用度
好きコロは、今までに4回ほど新装開店している。
ジオシティーズで最初にツリー式のジオボードを使って設置。
CGIの仕様変更で過去ログが消失。同じジオボードをつかって新装開店。
ジオシティーズからアルファネット(現在のメイン)に移った際、レス式レンタル掲示板を使って新装開店。
やっぱり、ツリー式が良いとアルファネットに設置しようとするが上手くいかず、1ヶ月のブランクを置いて、TKcityのスペースにツリー式で設置。
さらにこの間、過去ログが2度消失している。一回目の分は後に圧縮ファイルでとって置いたものが見つかり、データに加えるが、二度目は現在の所に引っ越したのち、CGIをいじっている内に、ミスして数人分のデータが消失してしまっている。
これらが、掲示板の信用度を下落させてしまったものと思われる。
書き込みに行ったら見つからないとか、カキコしたのに無くなっていたら誰しも面白くないに決まっている。
ある意味、銀行に似ているかもしれない。客は自分の言葉を掲示板に預け、利子(みんなの反応)が付いてくるのを楽しみに待つというわけだ。銀行は利子が付かなくて当然の時代だが、掲示板には自分の一言で一気に盛り上がる可能性もある。
それだけに信用度の低い掲示板は、自ずと客が近寄らなくなるのだろう。
ハードルの高さ
次に、その内容について考えてみよう。
好きコロの売り文句は上にも書いたが「あなたの好きなもんについて、マニアックに語り合いましょう」だ。これに類する掲示板は思いの外多い。
様々なファンのページやマニアのページなどにはマニアックに語り合う掲示板が一つや二つ必ずあるし、マニアやヲタク的な人(ないし、その要素を強く持っている人)が集まる掲示板では、話がマニアックな方向に進むことはありがちだ。
マニアックな話は、確かにその話のネタに興味のない人にとって高いハードルであって客が減る原因の一つではあるだろうが、そういった話題が出て発展する以上、それを好む人も客の中にいるわけだから、マニアックな話題が一概に衰退を呼ぶ呼び水と決めつけることは出来ない。
否、むしろ、話題がどんなにマニアックであっても掲示板が存在し続けられる点こそ、雑誌などの他のメディアにないネットの掲示板文化の強みと言うことが出来るだろう。
では、なにが問題なのか?
その点をはっきりさせるため、好きコロと似たような掲示板を一つ例に挙げ、比較検討してみたいと思う。
私の知り合いのサイトに「TV高札」という掲示板がある。サイトの一コーナーのさらに一部にあるにもかかわらず、結構賑わっている。
ここも、マニアックな話をするための掲示板として設置されている点で好きコロと似ているが、その現状には月とすっぽん、光と影、アンドロメダ星雲とミジンコくらいの差がある。この差はどこから生まれたのだろう。
答えは簡単。サイトの人気の差だ。
うちとはカウンターのヒット数も一桁違うし、カキコの量も違うし、それもこれも人間性とか感性の差が人と成りが全然比べものにどうせ俺なんか(中略)
とにかく、そう言っては始まらないので、別なところから攻めてみよう。
まずパッと見違うのは、ツリー式とレス式の差だ。
ツリー式とレス式には、一長一短がある。
私がツリー式を選んだ理由は、題目がすぐわかり参加する人が好きな所を見つけやすいという点を考えてのことだ。マニアックな話題は、興味のない人には苦痛だろうと思ったためでもある。
だが、一見してどれだけ盛り上がっているかわかりにくいという欠点もある。
他人がどんなこと書いているのかは開いてみないとわからないし、話のとっかかりがなければ参加しにくい。ツリー式の欠点だ。
一方レス式の場合、一つの話題の動向を見ようとするとき、(ネタ的には)関係ない部分まで一応見なければならないという点が欠点といえるが、特に目的無く見て面白ければ参加するという位の気分の場合、この方が全体が一発で見渡せる分、楽だ。
明確な目的(質問と解答とか)がある掲示板の場合、ツリー式の方が有効だし、漠然と広い話題をみんなでわいわい語り合う場合、レス式の方が良いと思われる。
好きコロの場合、ツリー式はそれなりに有効であったが、食指の動かないキーワードばかりの場合、内容を見ずに立ち去る人も多かったと思われる。“誰でも気軽に”と考えるなら、レス式の方が良かったのかもしれない。
また、売り文句にも差がある。
「TV高札」の場合、要約すると“過去に見たTV番組についてのおぼろな記憶を、みんなで補完し合う掲示板”だ。言葉に微妙な差がある。
好きコロは「あなたの好きなもの」を「語って下さい」。それをネタに「マニアックに語り合いましょう」。
「TV高札」の場合「おぼろな記憶」を「みんなで補完し合う」。
好きコロはまず、参加者がまず話題を振ることを要求している。しかも、そのネタがどう料理されるかは、他の参加者次第である。そう考えると、ネタとしてそれなりに自分がしっかり通じていて、しかも発展性のあるものを無意識に選んでしまうだろう。
一方、「TV高札」の場合、提出されるのはおぼろな記憶でよい。提出されたネタはみんなの手で補完される。結果、間接的にそのネタから別なネタに発展していて良し、発展しなくても良しというような気楽さがあるように思われる。
言葉使いの微妙な差だが、客の無意識に働きかける影響は思いの外大きいのではないだろうか?
上に挙げた好きコロと「TV高札」との二つの差は、共に参加する際の気軽さの差、掲示板のハードルの高さに関わる違いである。
好きコロには、“マニアックに語り合う”という目的があり、そのため質問掲示板のように目的がはっきりした掲示板のスタイルを選んだわけだが、目的の捉え方に甘さがあったと考えられる。
前口上に書いたとおり、掲示板文化の特徴の一つは“気軽さ”にある。
本当は“気軽に語り合う”ことこそ目的だったのに、そこまで突っ込んで考えられなかった。重きを置くポイントを間違っていたのだ。
レスの弱さ
さて、もう一つ、決定的な失敗点も指摘せねばならないだろう。
上で私は掲示板を銀行に例えたが、銀行の人気の一つにきめ細やかなサービスという点もあるだろう。掲示板においてのサービスの最たるものは、管理人のレスであろうと思われる。
客は、ネット上のどこから来るかわからない。地球の裏側からでも電波が届けば月からだってカキコにこれる。(もちろんデータの転送に時間がかかるから実用的ではないだろうが…。)
客にしてみれば、初めての天地だ。自分の言葉がどんな扱いを受けるかわからない。常連になったって、必ず自分のカキコが受け入れられる保証はない。
だが、そこで、管理人が細やかにレスを返したらどうであろうか?
そのレスが、自分の書き込みを読んで理解した上で語られたものだと感じられたら、書き込んだ甲斐もあったというものだ。その後、話題が発展しないこともあるが、とりあえずレスが返ってくることで、掲示板上のコミュニケーションが成立する。
そう、客は、気軽にカキコするとしても、その根底には常にコミュニケーションに対する欲求が存在するのだ。レスが無くてはコミュニケーションが成立しない。上の銀行の例なら、口座が払い戻しできないようなものだ。そんな所に誰が預金するだろうか?
好きコロでは、私が管理人として出来る限りのレスをしたつもりではあるが、今現在読み直してみると、効果的なレスが出来ていたとはちょっと言い難い。否、書き込みに来る他の客のフォローに期待していた節が強い。
好きコロはマニアックな会話の掲示板である。なら、当然話題もマニアックな内容になりやすいし、それへのレスもマニアックな知識無くして書けない。結局、自分で思うほどマニアックでは無かった(好きコロにカキコしに来てくれた人達がレスに望むレベルほどにマニアックでは無かった)のだろう。
好きコロのように目的をはっきりさせた掲示板の場合、特に、レスの弱さは致命的であったと考えられる。
他にも原因と考えられることはあるだろうが、以上三つの点が、好きコロの衰退を招いた原因の最たるものであったと思われる。
まとめ
さて、ここまで長々と好きコロの衰退の原因について書いてきたが、これらは、こと好きコロだけの話ではなく、開設したもののいつしか寂れてしまった掲示板に共通することでもあろうと思われる。
掲示板の信用度。(安心してカキコが出来ますか?)
ハードルの高さ。目的との一致。(掲示板設置の目的とスタイルが一致していますか?)
レスの弱さ。(こまめに、適切なレスをしていますか?)
という三点。
あなたの掲示板で、思い当たる節はありませんか?
明日の好きコロは、あなたの所かもしれませんよ…。
2000/8/30