【随筆】迫り来る(恐怖の)未来世紀 -Microsoft社の.NET構想に思う-(+2011年の追伸)
この所、技術ネタやアンチネタは避けていた私なのですが、現在Microsoft社が推進している.NET構想の正体が明らかになるにつれ、どうしても一言書いておかないと収まらない気持ちになってきました。
どうか、技術的なことに興味のない方も、一読だけでもしていただけたら嬉しいです。
.NETとは
現在、Microsoft社が進めている、インターネットを利用し、総合的なネットワーク情報サービスの開発と提供が、容易に出来るようにする統一的な技術体系を構築し、提供していくという技術・経済・情報戦略のことです。
噛み砕いて言うと、個人の様々なデータをXMLという技術を使って統一的に利用できるようにし、そのデータを利用して様々なサービスを、よりその人の嗜好に応じて的確に提供できるようにするようなシステムを作り、販売することです。
例えば、Eメール。
現在、ユーザーが自分の都合に応じて、POPサーバーに取りに行くと言うスタイルがほとんどですが、.NETが進んだら「ユーザーが外出していたら携帯に、家にいたら家のパソコンに、会社にいたら会社のパソコンに、自動的にメールを届けてくれ、必要なら他の所にコピーを送ってくれ、宛先や内容に応じて自動で返信してくれたりしてくれるそうです。
あるいは。
帰宅の時間から、丁度良いタイミングで暖房をセット、帰宅の数分前に電灯を点け、お風呂を暖めてくれると言うのも可能になるそうです。
前提は、.NETで開発されたソフトウェアを使うこと。
ユーザーの些細な情報まで、.NETに提供すること。
もちろん、ほとんどのサービスは直接的にあるいは間接的に、有料である。
.NETがMicrosoftの戦略通りに普及すると、現在のWWWを使ったサービスの多くは.NETにより行われるようになり、人々は、より自分にあったサービスを簡単に享受できるようになるそうな。
Microsoftが.NETについて語る言葉は、多くの人にとってとても魅力的に聞こえるようです。
でも、ここまで読んですでに、どれだけ恐ろしい事態が出現しつつあるか感じた人もいるのではないでしょうか。
あたしゃこわいよ。
Microsoftだからじゃない。他の企業でも、どこかの企業が独占的にこんなこと始めたら、やっぱりイヤだ。
何が怖いのか
まず、前提として個人情報の徹底的な提供が求められる点です。
「ちゃんと管理してくれれば、大丈夫でしょ」
こんな言葉がどれだけアテにならないか、皆さんも十分承知しているはずです。
.NET構想では、個人情報は管理されるのではなく、共有されます。利用されます。
.NETのサービスを利用する人は、どんな人が彷徨いているかわからない所に、自分の生活のあらゆることを預けなければなりません。
ちょっとばかり、自分向きのサービスを受けるのと、不特定多数が、自分のスケジュールまで確認できる状態になるのと、どちらが良いですか。
次に、安全性の問題です。
確かに、Microsoftの構想は立派です。が、Microsoftのセキュリティはとても立派と言える代物ではありません。
自社サーバーでさえ、クラッカーの侵入から防ぎ得ず、数度に渡りサーバーダウンを起こし、現在自社サイトさえ他社に管理させている状態です。
ネットワークの要、サーバーOSとして名高いWindowsNTやWindows2000は、クラッシュやフリーズや、沢山のバグやセキュリティの穴があることでクラッカーに大人気です。(以前入っていたアルファネットというプロバイダがWinNTでしたが、テレホタイムにはいるとブチブチ接続が切られ、30分でダウンするという芸当を演じていました。また、知り合いが勤める某大手情報会社では、客の情報管理にWinNTを使い、一日300人体制で仕事をしているらしいのですが、しょっちゅう落ちて、その度に300人がぼけーっと待ちぼうけを食うそうです。)
あなたの目の前にWindows。
フリーズしたことありますか?ブルーバックに白文字のエラー画面が出たことは?
大事な作業中に、固まったことは?
個人で使うなら、再起動するのでもいい。
でも、こんな製品作る会社に、その会社の製品に、それを使う不特定の多数に、あなたの全ての情報を預けられますか?
クラッカーがやって来て、預金口座の番号盗むかもしれないのに?
サーバーがダウンして、生活の全てが不能になるかもしれないのに?
次に、Microsoft社の独占状態が、ことパソコンだけでなく、生活のあらゆるものに広がるかもしれないという点です。
.NET構想のポイントの一つは、個人情報の積極的な利用であると思われます。
.NETに対応しているものが生活のあらゆるものに広がるほど、.NETで享受できるサービスも広がるわけです。
これは逆に言うと、.NETで可能になるサービスの業種は全て、Microsoftに歩調を合わせる必要が出てくると言うことです。
昔読んだ星新一の作品に『声の網』という本があります。
あるマンションの一階から十二階のそれぞれの一室で起きた、電話を巡る怪事件を辿っていくと、実は世界中のコンピュータが一つの意志を持つ存在になって個人の情報を使って、人々の生活を管理し始めたということが朧気に見えてくるというSFなのですが、ここで語られている電話は、まさに今のパソコンを思わせるのです。
この作品の良いところであり、怖いところは、人々が電話(パソコン)の与えてくれるサービスを享受し、真綿で縛るような管理の網を気にせず受け容れているというラストです。
最後のシーンで初老の男が、コンピュータの悩み相談に電話して言います。
「神はいるのだろうか?」
コンピュータが言います。
「その通りだ」
読了後、少ししてからぞぞぞぞと恐怖感がやってきました。
今、あの作品が現実になる可能性が出てきました。
でも、あの作品の中で、コンピュータの集合体は人間の手の触れない、いわば、冷静無比な第三者でした。
でも、今、我々の生活の全てを網によってとらまえようとしているのは、一つの企業です。
一部の人が、人の全てを管理する。
それは、人類が、今まで何度も経験した悪夢のはずです。
ヒットラーとナチがやった人々の生活の管理や、自分たちの意にそぐわぬ人間への過酷な扱いを、褒めそやす人がどれくらいいますか?
ポルポトのやったことは?大日本帝国陸海軍のやったことは?
中国の皇帝は、千人規模の奥さんと万人億人規模の家来に傅かれ、至れり尽くせりの生活を送った。したいことは何でも出来た。
ただ一つ出来なかったのは、唯一人で自由に生きることだった。
あなたは、サービスされるだけの歩く肉の塊になりたいですか。
結局
たかがサービスに何を大げさなと、言う人もいるだろうし、より良いサービスのためなら少しばかり個人情報が漏れたって良いという人もいるだろうと思います。
ここに書いてる文は、たぶんに感情的だとも思うし、体言壮言壁のあるMicrosoftのことだから、実際出来てみれば、大山鳴動ネズミ一匹みたいなものかもしれません。
この文章に書いたことが、大げさなデマで終わることを心より願ってます。
歴史をひもとくと、自由が失われるときは、大抵社会が不安定なときです。
その時に、強大な力と統一感を持ったものが現れると、人は弱いようです。
日本がまだ戦争できる国なら、今頃戦争が起きてても不思議じゃありません。
そんなときに現れた、生活の全てを快適にするシステム。
そんなものが、信用できるかっちゅーねん!!
私は、.NET構想が普及することに危機感を持ってます。
でも、それがなければ生活できない状態になってしまったら、利用することでしょう。
一企業によって握られた、「それがなかったら生活できない状態」を生み出すようなものが、良いものであるはずがない。
私が好きな映画、「未来世紀ブラジル」のラストで、
処刑されんとした主人公は、奇跡的に助かった恋人と再会し、救われて異境に脱出し、ハッピーエンドを迎える…という夢を見せられながら廃人と化す処刑をうけた。
今、私達は、あの未来世紀の入り口に立っている。
だが、何処へ進むかを選ぶ権利は、まだ私達に残っている。
私は、少々不便でもそれを克服して生きる自由を選びたい。本当の自由を。
ちなみに、今度出た、WindowsXPは、個人情報をMicrosoftのサーバーに送らないとインストールすら出来ないそうです。
2011年時点での追伸
…まあ、なんです。すみません。中二病ですみません。
この文章書いたのは.net構想が発表されたばかりの頃で、たぶん2000年頃だと思います。
さすがに10年前の気持ちのままではないので、今の考えを追記しておきたいと思います。
まず、Microsoft一社独裁的な世界は無かった。
けど、個人情報がネット上をあっちこっち自由に飛び交い、GoogleやAppleや、もちろんMicrosoftなども含め、大きな所、小さな所、いろんな所に蓄積流用される様になって、携帯端末でそれを活用出来る「クラウド」が当たり前になって、ネットにつながらない場所はとても不自由を感じる様になって、ほとんど監視世界的な状況もありの、でも便利だよねで使っている状態で。
未だにMicrosoftはイマイチ信用していないものの、でも、この頃みたいな極アンチな気分ではないです。
と言うか、むしろMicrosoftはまだマシな方で、プライバシーに関してはもっともっとグレーだったりブラックだったりする企業がいくらもいる時代に突入しており、Microsoftレベルで「信用出来ない!」と言い出したら、行き着く果てはネットからもPCからも離れた生活でもおくらなけりゃ、安心した生活は出来ないわけで。
また、正直、いつか死ぬんだから、その辺にまわす精神力を他に振り分けた方が有意義だとも思うわけで。
まあ、「信用はしないが信頼はする」位のスタンスで共存するしかないよね、だって便利だし楽しいもんね。
と言うのが今の基本スタンスです。
書こうと思ったことの根底には、たぶん、ニコラス・G・カーの「クラウド化する世界」や「ネット・バカ」で語られている様な危機感があったと思うのです。
でも思索は浅く、データは少なく、Microsoftへの悪感情だけでまとめてしまっているのは残念。
若さ故の過ちとお考え頂けたら幸いです。