紀ノ上一族:久生十蘭

“滅びの美学”という言葉があります。十蘭の作品には、この言葉がしっくりくる作品がかなりあります。

この作品は、その中でも最高峰のものだと思います。恐ろしくも美しい滅びの物語です。

全部で四部構成になってます。舞台は戦前の北米です。

第一部は紀ノ上村の入植団が、カリフォルニアに到着したところから始まります。折も折、カリフォルニアに大地震が起き、町は廃墟と化し、暴動が頻発します。紀ノ上の人々は、救援や廃墟の撤去作業に積極的に従事し、復興に力を貸しますが、無実の罪で皆逮捕され、アルカトラズ監獄へ送られます。一時は脱獄を考えた人々ですが、若者の一部だけがそれを行い、幼少の者や、上の者達は残ることにします。しかし、結局、米軍による奸策に填り、脱獄者はグランドキャニオンで皆殺しにされます。

第二部では、亜米利加の役人が、パナマの事務所に赴任しますが、そこで妙に知的で立派な黒人の少年達を見つけます。やがてそれが、コールタールを塗られた紀ノ上の少年達であることを知り、なんとか助命しようとしますが、彼らはむしろ誇り高く死ぬことを選びます。結局、盗みをやった黒人として、(そして、日本男児として)立派に死んでいきます。

第三部では、カリブの孤島に逃げ延びた、逮捕されていた者達の生き残りが、そこを自分たちの拠点として頑張っていましたが、米政府に見つかり、徹底した空爆を受けます。が、彼らは決して屈することなく逃げることなく、立ち続けます。そして、ついには島ごと絶滅されます。

第四部では、カリフォルニアで入植者の受け入れを行っていた紀ノ上の数少ない生き残りも、警察の策略によって追いつめられ、一人また一人と殺されていきます。そして、最後に残った一人も、グランドキャニオンで暗殺されようとするとき、暗殺を行うブラックバーン氏にこう言います。「ブラックバーン君、おれの勝ちだ。」そういって、笑いながら死んでいきます。

なんという話でしょうか。凄まじい残酷な運命です。そして、その残酷な物語が、十蘭のあまりに美しい、完璧と言っていい文章で、語られていきます。読んでいて、怖くなります。物語が怖いというだけでなく、彼らの残酷な運命に対して従容としてそれを受け入れ、誇り高く立派に死んでいこうとする姿が-そしてそれを、美しいと、憧れさえ感じてしまう自分が-怖くなるのです。

私達は、自由であることが正しいことだと教えられて育ちました。消極的に受け入れるだけの部品のような人間になることはいけないことだと、(ひいては日本人であることに誇りを持つこと自体が罪であると)洗脳されています。

この作品は、その考え方に強い衝撃を与えます。今の私達には、持つことを許されない考え方だからです。

紀ノ上の一族は、誇りを持って、笑いながら、死んでいきます。死んでいきます。

それは、とてつもなく美しく、恐ろしい姿です。そして、その姿は、戦前の日本で、理想とされていた日本人の姿なのだと思います。実際、この作品が書かれたのは昭和17年から20年の戦争の真っ最中です。文化統制、世論などもあったでしょう。でも、それをだらだら書き流すのではなく、それを磨き上げ、滅びを“滅美”の作品として作り上げました。

優しい本ではありません。読む方も、ちょっと覚悟がいります。でも、面白いです。絶対後悔はしません。

私は、この本に図書館で出会いました。沖積舎というマイナーな出版社から出ています。

機会があったら、ぜひ読んでみて下さい。

暗黒作家列伝久生十蘭の章へ