闇に葬られた日本最初の冷凍事業

イントロダクション

大正十一年。ニューヨーク。

世界の発明王と呼ばれたエジソンと、天才医学博士野口英世とともに談笑する一人の日本人がいた。

星 一。

当時、新興企業として脚光を浴びていた「星薬品」の若き社長である。

初老のエジソンは、彼に言った。

「利益よりも、まず公共のことを考えなければ物事はうまく運ばない。私は、人類のために新しい富、新しい道具、新しい産業を創造しようと働いているのだ。」

この言葉は、星の心を揺さぶった。

その波動は、やがて星の頭に一つのプロジェクトとなって結実して行った。

冷凍事業。

アメリカでは、すでに冷蔵庫が普及し始めていた。

日本では、冷蔵庫を利用できる企業はほとんど無かった。

この事業はきっと、日本の産業を、いや、我々の生活をより快適なものに変える原動力になる。

星は、確信していた。

だが、この事業が日の目を見ることは無かった。

国家によって、叩き潰されたのだ。

これは、日本初の冷凍事業に賭けながら遂に果たせなかった、男達の物語である。

プロジェクト×(ペケ) -失敗者たち-

「闇に葬られた日本最初の冷凍事業」

「新しい文化の火付け役 星」

「くじけない力」

「はびこる陰謀」

「あの手この手の妨害」

「逮捕」

「時間切れ」

「そして、新しい希望」

アメリカ帰国後。

星は、自社の研究部員達に冷凍事業に関する研究を命じた。

冷凍に関することならなんでも良い。思いついたことは遠慮無く提案してくれ。

それが、星のやり方だった。

青年時代。彼は自力で渡米し、働きながら、アメリカの経済の仕組みなどを勉強した。

野口英世との交際は、その頃からのものだった。

帰国後、彼は薬品会社を立ち上げた。

当時の日本において、薬は置き薬を行商人から買うのが一般的だった。

それに対し、彼は店売りを中心とし、当時日本で例の無いチェーン店方式を採り入れた。

宣伝にも力をいれ、星薬品は評判と業績をぐんぐんと伸ばしていた。

彼は、社員一人一人の教育にも力をいれ、良いアイデアがあれば、例え新米のものでもけして無駄にしなかった。

新しいことをやろう。

それが、彼のポリシーだった。

冷凍事業のアイデアは次々と生まれた。

食料品の冷凍保存はもちろん、薬品の生成、アイスクリームなどの製造。

酒の冷凍化を提案した者が作った、冷凍で余分な水分を減らした酒は、冷やで飲むとき独特の深いうまみがあった。

いける。

星は、冷凍事業の未来に確信を強めた。

冷凍事業の新会社の名は「低温工業株式会社」にきまった。

資本金は五千万。

それも、出来るだけ大口の投資家ではなく、全国の大衆からの投資で集めるというのが、星の考えだった。

彼は、足を棒にして全国を廻り、地元の特約店とともに冷凍事業の展示会を行った。

様々な冷凍技術を応用した食品が並び、パンフレットが配られ、星や何人もの専門家が解説や講演をした。

それは、人々にとって、新しい時代の幕開けを感じさせてくれるものだった。

冷凍酒は、未来の味がした。

会場は、どの地方でも盛況だった。

冷凍事業は評判となった。

だがこの頃、星は、一方で厄介な問題を抱えていた。

星薬品躍進のきっかけとなったもう一つの事業があった。

アルカロイドの抽出。

キニーネやモルヒネの様な鎮痛剤や麻酔剤に用いられる物質を、原料となる植物から抽出する事業である。

この事業の商売敵は多かった。

だが、星はいち早く、当時日本の領域だった台湾の亜熱帯の気候に目を付け、そこで原料を栽培し日本に輸出すると言う事業を台湾政府に上申し、輸入の許可をもらった。

同業者達は、それを妬んだ。

星だけに良い思いをさせるわけには行かない。

彼らは、それぞれのつき合いのある大物政治家に話を付け、大物政治家達も、星の後ろだてになっている政治家を失脚させるために蠕き始めた。

その手始めは、「阿片令」の改正だった。

阿片令は、麻薬などの取扱を定めた法律であったが、これが改正され、自由に輸入することが出来なくなった。

次にやったのは、台湾の総督のすげ替え。

星の後ろだてだった政治家は内地に戻り、アンチ星の人間が総督となった。

そして、この妨害は、後に星薬品が完全に潰れるその時まで、執拗に徹底的に、繰り広げられていくのだった。

その日、星は福島で冷凍事業の講演会を行っていた。

旅館に戻ると、主人が奇妙な顔をして星を迎えた。

「お変わりはございませんせんか?」

主人の話では、東京の本社の社員が、星の安否を電話で尋ねてきたと言うのだ。

やがて、本社からまた電話がかかってきた。

社員は、うろたえ気味の声で説明をした。

「星一、市ヶ谷刑務所に収監さる」

そんな大きな記事が、新聞各社に載ったと言うのだ。

帝国通信社が流した記事であり、報知新聞、東京朝日など名だたる新聞社がこぞって取り上げているといのだ。

もちろん、そんな事実は無い。

社員が、誤報を新聞社に告げると、

「いやこれは確かな筋から聞いた話だ。誤報だと言うなら本人をつれてきなさい。」

と言って相手にしようとしなかった。

情報の出所は、アンチ星派の刑事部長であった。

新聞は、全国にその情報を流す。

東京に星がいないのを狙って、星の信用を落すために流した偽情報だった。

星の新事業へ、大衆が出資する気を無くさせることを目的にしたものだった。

東京の本社は検事局によって家宅捜索を受けていた。

急ぎ帰京した星は、報知新聞社に乗り込んだ。

そして、やったのは誤報への抗議ではなく、報知新聞社主催の冷凍事業の講演会であった。

この日、報知新聞社のビルで講演を行うことは前々から決まっていた。

記事を担当した記者は、それを知らなかったのだ。

報知新聞社の副社長が、講演会に祝辞を述べた。

誤報への謝辞は、一言もなかった。

星には、別の問題が待っていた。

台湾の司法省からの呼出だった。

星の、モルヒネ原料の輸入に違法性が見られるから出頭せよと言うのだ。

冷凍事業の株式払い込みの〆切は間近に迫っていた。

だが、司法省は、星本人の出頭がなければならないと言ってきかなかった。

星は、何度も自分の事情を丁寧に説明する電報を打たせた。びっしりと埋まったスケジュール表を送ったりもした。

だが、向こうの答えはいつも同じだった

「ぜひ出頭あれ」

星の無二の親友であり、共同経営者でもある安楽常務が、立ち上がった。

ひとまず、僕が行って説明して来よう。この件の責任者は僕だからね。

安楽は、この頃から身体を患っていた。

星は心配した。

常に新しいものに向かって前進する星を、必要なときは支え、必要なときは止めてくれるのが安楽だった。

星にとって、本当に頼れる親友であり、仲間だった。

安楽は言った。

「事件が解決してさっぱりとすれば、身体だって回復するよ。そのためにも行きたい。」

安楽は、台北へ出発した。

だが台湾からは、引続き星の出頭を求める電報が繰り返しくるばかりだった。

星は、冷凍事業実現への講演会や展示会をひたすらこなしつつ、その電報への対応にも追われた。

数日後、安楽が帰ってきた。

顔色は更に悪く、頬が更にこけたようだった。

「いや、おそろしいことだ…。」

安楽は言った。

台湾に着くなり、安楽は司法省に出頭し担当の検事に挨拶をした。

開口一番、検事は言った。

「喋りたいことがあるなら勝手に喋れ。だが、おかしなこと言ったら、すぐ牢にぶちこむぞ。」

そして、自分からは何も説明せず、安楽の取り調べを二時間程行い、

「よし、取り調べは終りだ。誰とも会わずさっさと帰れ。誰かと話したら、逮捕する。」

と言った。

安楽は帰るしかなかった。

冷凍事業の方が一段落着いたら、台湾に行くことを星は司法省に伝えていた。

安楽は言った。

ぼくでさえ、あれだ。君が行ったら、殺されてしまう。

その月の末が、株式払い込みの〆切だった。

新しい事業だった。

ただでさえ不安なところに来て、大手新聞の逮捕騒ぎ、検察の家宅捜索がダメを押した。

31日

奇跡は起こらなかった。

予定した出資金をほとんど用意できぬ状態で、日本最初の冷凍事業は水胞に帰した。

失意を癒す間もなく星は船に乗り、台湾を目指した。

海は、星の前途を暗示するかのように、暗くうねっていた。

その後

この後、星と星薬品を巡る情勢はどんどん悪化していく。

しかし、膨大な借金を抱えながら、執拗な妨害を受けながら、星は、星の仲間達は最後まで戦い切った。

やがて、日本は太平洋戦争の悪夢と混乱の中に突入して行く。

そんな中でも、星は死ぬまで自分の信念を曲げずくじけること無く、戦い続けた。

彼の死後、会社は大学の農学部で薬学を学んでいた息子に託された。

彼は、結局会社を立て直すことが出来ず、倒産させてしまう。

その借金との戦いの中で、彼は短い小説を書いて自分の才能を開花させる。

ショートショートの大家。星新一である。

2001/3/30

あとがき

今回の×は、全て、完全に、星新一先生の実父を描いたドキュメンタリー『人民は弱し官吏は強し』のぱくりです。

でも、その中の本の一部を扱っているだけですので、良かったら、是非、是非、原本を当たって頂きたいと思います。

星新一独特の軽い読みやすいタッチは健在でありながら、読後に何とも言えぬ悲しみと国家と言うバケモノへの怒りに満たされます。

それと、タイトルに「日本最初の」と付けてますが、案外他にあるかもしれません。(確認してません。すみません。)

参考書籍

『人民は弱し官吏は強し』星新一 新潮文庫