犬神博士:夢野久作

長くつん読状態だった本をやっと読了しました。“犬神”と聞くと“明”と考えてしまう私には、最初の数ページは、あまりに題名の印象と違いちょっと引いてしまいましたが、読み進むうちにぐいぐい引き込まれていきました。

物語は、犬神博士と呼ばれる特異な男が、取材に来た新聞記者に自分の生い立ちを語るという形で始まり、彼の幼少時代をじっくり語り、クライマックスで唐突に終わります。まさに、唐突に終わるので、却って印象が強く残ってしまいました。この唐突さは、新聞掲載の打ち切りのためだったそうです。もともとこの作品は、九州の地方新聞に連載されていた作品で、100話完結の約束だったらしいのですが、ペース配分に失敗し、久作自身は「110話まで延ばして欲しい」と望んだらしいのですが、編集側の判断で108話で打ち切りになったそうです。そのため、終わり方が唐突なのだそうです。

この作品は、『犬神博士』という題名に関わらず、彼は語り部としての役目しか果たしてません。物語の主人公は、あくまで彼の幼少の頃とされるチィ少年です。

チィは、女の子と見まごうばかりの美少年で、踊りの天才で、手先が器用で、頭の回転もよく、天性の才能を詰め込めるだけ詰め込んだかのような少年です。彼は幼少の頃に実の親から誘拐され、誘拐した大道芸人夫婦とともに旅をし、往来で卑猥な踊りを見せて金を稼ぐ生活を強制されます。それが、警察署長や県知事に気に入られたりしたことから、どんどん利権絡みの大事件に巻き込まれていきます。

総じて、チィ少年は運命の外側にいます。絶大な力がありながら、それをがんがん行使して運命を切り開くのではなく、常に運命に対し受け身とならざるを得ません。その姿は、幼児キリストであり、戦前の天皇を思わせます。みんなに崇められ、畏怖され、利用され、しかし常に蚊帳の外に置かれる。

そんな立場の中で、チィ少年は自我に目覚め、運命を駆け抜けていきます。その先に、犬神博士がいるとはとても思えない終わり方です。解説の言葉で言えば、「永遠に大人になれなかった少年」の物語なのでしょう。

ところで、この物語が『犬神博士』なのは、チィ少年の物語を語る博士の「語る」という行為が、つまり犬神様の託宣と同格のものというモチーフだからなのではないかと思われます。つまり、犬神という得体の知れない霊の語る言葉のように、犬神博士も自分の幼少時代をカタッテル(語ってる、騙ってる…)ということではないかと思います。そういう面で見ると、またちょっと印象の違う作品にも見えてきますね。