【戯曲】#1笑う門には福来る

「或る感染症を巡る六つのお話」の一遍

【登場人物】

・医者 四十代。男。
・女 三十代。女。緊急入院した男の妻。

※「狂猫病」をオニムバス向けにリライトした作品です。

 殺風景な部屋に椅子が二脚。女、部屋に入ってくると、椅子に座り部屋を見回す。と、白衣を着た医者が入ってくる。女、立ち上がって挨拶する。

あ、あの、よろしくお願いいたします。
医者 ああ、奥様ですね。大変でしたね。
はい。…あの、夫は?
医者 今は寝てます。精神安定剤が効いたようです。
そうですか。
医者 急に旦那さんがあんな風になって、随分驚かれたでしょう。
…はい。
医者 ですよね。昨日まで普通だった人が、朝起きたら急に四つん這いで唸ったり飛び跳ねたりしだしたら、パニックになりますよね。
あの、あれってなんなんでしょうか?ストレスとか、なにか精神的なあれとかなんでしょうか。
医者 奥さん。旦那さん最近、猫の鳴き真似とか形態模写とかしませんでしたか?
え。
医者 猫の鳴き真似。にゃーって。
…あ、したかもしれません。昨日、一緒にテレビドラマを見てて、
医者 しましたか。
ええ。「家政婦が見たんだニャア」って。普段そういう事言う人じゃないんでびっくりして顔を見たら、別にふざけた様子はなくて…私の聞き間違いかもしれませんけど。
医者 それ、聞き間違いじゃありません。
そうなんですか?
医者 ええ。それが狂猫病の初期症状だったんです。
きょう…凶暴?
医者 狂猫病。ごぞんじありませんか?
すみません。聞いたことありません。
医者 そうですか、でもすぐ嫌というほど聞くことになりますよ。つい先日から、世界中で爆発的に流行しはじめた病気なので。
そうなんですか。新型インフルエンザみたいな?
医者 ウィルス感染症という意味では一緒ですが、症状は大きく違います。

 医者、立ち上がると壁にウィルスの映像が投射される。

医者 これが、狂猫病の原因となる、HELLOWORLD、略してHWウィルスです。
えいちだぶりゅう。
医者 はい。ネコロナウィルスなんて呼ぶ人もいますけどね。
聞いたことないです。
医者 それでいいんです、コロナウィルスとは一切関係ありませんから。形も違うでしょ?コロナはほら(形を手や身体で表現)こんな球体にこう突起がたくさんあって太陽みたいな形だからコロナって聞いてもああ、そうだなぁって思えますけど、こっちはほらこれがこうなってこういう感じになってて、ね?全然違いますよね?どこがHELLOWORLDなんだと。ね?
はあ。…あの、危険なウィルスなんですか?

 医者、映像を消す。

医者 何をもって危険と判断するかが難しいところですが、感染力に関してはそれほど高くはありません。感染経路は飛沫感染が主で、接触感染や空気感染はしません。乾燥に弱くアルコールや次亜塩素酸ナトリウムなどによる消毒も十分効果を発揮します。マスクの着用やうがい・手洗いでだいぶ感染を防げます。そういう意味ではそれほど危険性は高くないとも言えます。
そうなんですか。
医者 ただ、一度感染してしまうと話は別です。現在、HWウィルスを倒せる薬やワクチンはまだ開発されてません。感染者の殆どは1週間以内に発症しています。発症すると…そう、一言で言えば、「猫」になります。
猫。
医者 そうです。
にゃ―って鳴く。
医者 はい。
虫とかネズミを追いかける。
医者 はい。十年生きたら化け猫に、二十年生きたら猫又になるかもしれません。
そうなんですか?
医者 そんなわけないじゃないですか。ジョークですよ。場を和ませるための。
笑えません。
医者 猫化が始まると脳の萎縮が始まります。特に、人間らしさにつながる大脳新皮質が最初にどんどん干からびます。自由に動いたり、物を考えたり記憶を辿ったり言葉を発したり、その他人間らしい行動が全く取れなくなります。やがて脳の他の部分も萎縮して、ついには死に至ります。発症から1週間後の死亡率は約8割です。仮に死を免れても、萎縮した脳は元に戻りません。
つまり、治らない?
医者 ええ。で、検査の結果ですが、…旦那さん、陽性でした。
ようせい。
医者 ええ、羽が生えてて空を飛ぶ、ってそれはフェアリーの方の妖精でしょ。…ジョークですよ。
笑えません。
医者 そうですか。
あの、じゃあ、…あの、夫は、
医者 旦那さんは、HWウィルスに感染・発症したと思われます。
そんな!なんとかならないんですか?
医者 残念ながら。今後徐々に猫化が進んでいくでしょう。…ただ、症状の進行を遅らせる方法ならあります。一つだけ。
え!?ど、どうすればいいんですか?
医者 笑うんです。
…笑う…んですか?
医者 そうです。

 女、微妙な笑みを見せる。

医者 違います!スマイルではなくラッフィング。がっはっはと声を出して笑うんです。昔から「笑う門には福来たる」などと言われてますよね。笑うことにより免疫物質や副腎皮質ホルモンなどの物質の分泌が活性化することは近年の実験で確かめられてますが、このウィルスの発症や進行を抑制する物質も分泌されているようなのです。(声をひそめる)これはあくまで仮説ですが、ここにこそ、このウィルスを作った者の目的があったのではないかと、私は考えています。
え?作った?
医者 そうです。このウィルスは人工的に作られたものなのです。
ジョークですよね?
医者 違います!私はこんな時にジョークをいう人間じゃありません。
でもさっき。
医者 発端は「HELLOWORLD」という名前でした。この言葉、プログラミング業界などで、画面上にHELLOWORLDと表示させるだけの初歩的なプログラムを表す言葉です。なぜこんな名前がついたんでしょう?「これは人工的に作られたウィルスだ」というメッセージだとは思えませんか?
そうなんですか?
医者 さらに!このHWウィルスの感染が最初に始まった地域には、このウィルスを最初に見つけレポートしたバブルクンド王立研究所という研究所がありますが、ここは、以前から細菌兵器を研究しているとの噂が絶えないところなのです。そこで開発中だった人工ウィルスがなんらかの理由で外部に漏洩したのでは?という噂は初期段階から囁かれていました。
はあ。
医者 しかし!私はこう考えます。彼らは敢えてこのウィルスを漏洩させたのではないか?このウィルスはすでに完成形なのではないかと。これを完成形とするなら、彼らの目的はなにか?何だと思います?
なんなんですか?
医者 人々を笑顔にすることです。
笑えません。
医者 そう、笑えません。でも笑えない人間が猫化し、死んでしまったらどういう人間が残ります?笑うことが出来る人間が残りますよね。それが彼らの目的だと考えれば、すべては一本の線で繋がります。…信じてませんね。
だって、デマっぽいですよね。
医者 はい。そう思わせれば、それ以上誰も疑わないし信じません。そうしている内に彼らの願いは達成されます。ね?どうです?
どうですって、だから、なんなんですか。
医者 だから、逆に彼らの目論見に乗っかるんです。
目論見。
医者 だから、笑うんですよ。まだエビデンスはわずかですし、因果関係も確認できてません。が、私が診たHWウィルスに感染・発症した患者さんの中において、笑っていた人間はそうでない人間に比べ完全猫化までの期間が平均200%伸びていました。これはすごいことです。試すに値すると私は考えます。いかがですか?
…えーと、結局、どうすればいいんでしょうか。
医者 ですから、笑うんです。
笑うって、どうやって?。
医者 だから、がっはっはと声を出して笑うんです。
それはわかってます。そんなこと言ってるんじゃないんです。
医者 じゃあ、なにが問題なんです。
あの人、…笑わないんです。
医者 …笑わないんですか。
ええ。
医者 お笑い番組とかコメディ映画とか見てもですか?
見ません。家に居る時はずっとパソコンにばっかり向かってます。時々、何か見て笑ってるようですけど、こんな感じなんです。(女、引き釣ったような顔をする)で、突っこみが甘いとか、ネタがどうのとか難しいこと言って難しい顔してるだけなんです。
医者 あーいけませんね。理屈は笑いの敵です。ではこの後、私が厳選したコント動画集を強制的に見て頂く様にしましょう。
効果あるでしょうか。
医者 笑いが出れば。
だって、あの人、もう…。
医者 ええ、猫化はだいぶ進んでますね。
見ると思います?
医者 正直、難しいと思います。でも、猫もテレビに夢中になる時はあるじゃないですか!つけていれば見るかもしれない。見れば笑うかもしれない。笑えば効果が期待出来ます。少しでも可能性があるならそれにかけるべきではないでしょうか?
可能性。
医者 はい。それに奥様も一緒にご覧になれば、発症を予防することにも繋がります。
え、私も!?
医者 奥様は濃厚接触者ですから。もちろん検査が必要ですが、まず感染していると考えるべきでしょう。でも、一緒に笑うことで発症を防ぐことが出来るかもしれません。
にゃあるほど。

 間。

医者 今、
え…今のが、そうにゃんですか。え!?
医者 奥さん。
私、私、
医者 大丈夫。笑えばいいんです。笑いましょう!はい!

 医者、笑って見せる。女も、無理矢理笑う。無理して笑って疲れてしまい。

無理です。理由も無しに笑えません。
医者 じゃあ、これをどうぞ。ベストセラーになったジョーク集のジョークです。読んでみて下さい。
世間知らずに育てられた男がようやく結婚し、ハネムーンの夜に母親に電話する。「ママ、この後ベッドでなにしたらいいの?」。母親が、恥ずかしそうに答えて曰く「あなたの一番固いところを…お嫁さんがおしっこするところに入れたらいいのよ!」。その夜、フロントにSOSが入る。「夫が便器に頭を突っ込んで取れなくなったんですが!!」

 医者、笑う。

医者 あの、これはつまり、母親は性行為をぼかして表現したわけですが、男は人体で一番固いのは頭蓋骨だと考えそれを
先生、面白くありません。
医者 …じゃ、これはどうですか?(別のネタを見せる)
事故で重傷を負った男の傍らで、看護婦が尋ねた。「先生、治る見込みは?」「全快は無理だ。恐らく左半身不随だろうな、一生。」患者は混濁した意識の中で必死にイチモツを右に寄せはじめた…。

 医者、笑う。

医者 ええと、これはつまり、イチモツを不随にならない方に持っていけば以後も性行為が出来るのではないかという男の涙ぐましい努力
つまらにゃいです。あ!
医者 駄目です!希望を捨てにゃいください。は!?
え、先生もにゃ。

 医者、ジョーク集を女から奪い取って読む。

医者 ある男が医者に言う。「先生、ヒドイ頭痛がするんです。どうしたら良いでしょうか?」。医者は笑って曰く「私の場合は、私の妻とセックスをするだけで治るよ。」「なるほど」納得して男は帰る。一週間後、その男がまたやって来る。「具合はどうだい?」と医者が聞くと男は上機嫌で。「先生に言われた通りにしたらすっかり治りました!それにしても、先生のご自宅は立派ですね!」

 医者、笑う。が、ジョーク集を打ち捨てる。

医者 笑えるかー!!…いかん。奥さん!駄目です。笑うんです。笑うんです!!

 医者と女、無理矢理笑う。ひたすら笑う。笑いは中味の無い、辛いものになっていく。やがて、二人疲れ果て崩れ落ち、猫になっていく。

医者 にゃあ。
にゃあ。
医者 にゃあ。
にゃあ。

 二人、ネコの泣き声を続ける。暗転。