バイト店員受難編

御存知の方もいらっしゃると思いますが、私は某ディスカウントショップのバイト店員をやってます。

安売り店の常で、うちの店ではほぼ毎週、日替わり特価セールをやってます。

卵6個が5円とか、しょうゆ1.8Lが99円とか。

当然赤字です。基本的に客寄せのためだけの身を削るセールです。当然、それだけを狙ってくるお客さんも多いです。

ひどいのになると、特価品全種と消費税を合わせた金だけ握りしめ、朝もはよから雨にも負けず風にも負けず、並んで開店を待ち、開店するや、一目散に目玉だけかっさらって逃げるように帰る人もいます。

次に多いのは、何度も買いに来るお客さん。

赤字商品は、無限に用意は出来ませんから総数が限定されます。少しでも多くのお客さんにまわすには、”一人一個”と言うように限定をかける必要があります。

そこで、一度買っては並び直して、もう一個、さらに並び直してもう一個と買い漁ろうとします。

レジ担当の人はその辺慣れたもので、何度も来るお客さんは顔を覚えて置いて、何度も売らないようにします。

すると、敵もさるもの今度は百面相ばりに変装してきたりするのです。

眼鏡を取ったり、シャツを重ね着したり、裏返してきたり、

中にはカツラを被って来た人もいたと聞きます。

そういう人が、何度も来たことを指摘されると、それはもう、細かい点の違いを言い募ったり、脅したり、すっとぼけたり、逆切れしたり、およそ、あらゆる手を使ってその場を逃れようとします。

そのお客さんも、そんなお客さんでした。

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その客は、父、母、息子二人の四人家族でした。

私が、レジ担当の休憩のためにレジに入ろうとしたら、レジ担当の娘が、「あのお客さん、もう四本ソフター買ってるので、売らないで下さい。」と言いました。

程なくして、その家族連れがレジに来る。

手にはソフター特価99円が二本。特価の最後の二本だ。

私が、レジ担当が言ったとおりのことを告げると、「ああ、それはうちの子供達で、そいつらはもう帰った。」

だから売れと。

こういうことは良くあるので、とりあえず、申し訳ありませんがと言うと、急に切れだしたのでした。

その家族の父親が言っていた言葉は、不快にも不快な言葉ばかりなので、ここに書くのはやめておきます。鬱陶しいので。

脅し、すかし、ねちねちしたいびり。

以前、一人暮らしのアパートに、やくざが朝○新聞の勧誘に来たことがありましたが、彼の喋りと、その父親の喋りは、内容も語り口もそっくりでした。

果ては、「店長を呼べ。俺は店長の親戚だ。知った顔なんだぞ。」と言い出した。

結局、店長が話を聞き、私も一緒に謝ることになってしまいました。

いつの間にか、私は彼らに特価以外の商品も売らないと言い、散々失礼な態度をとり、他のお客さんの前でそのお客さんに恥をかかせたのみならず、店の名を汚し、店長の顔に泥を塗った不良バイトということになっていました。

最初には「帰った」はずの子供達は実は買い物などしておらずさっきまで車で寝ていたのを、一人一本のルールを守るため無理矢理起こして買わせたと。

「なのにこいつは売ろうとしやがらねえ!」

彼の話は矛盾だらけで、それを脅迫や罵声で押し通しているだけなのは、簡単にわかります。とにかく、自分のメンツを守りたいだけのチンピラです。

たぶん、また来るでしょう。

で、断られたらまた同じように絡み、脅し、怒鳴り散らすのでしょう。

事のあと、店長が、「まあ、うちの店では良くあることだから、余り気にするな。」と言ってくれました。

これまでにも何度もあったし、これからもあるだろう。10円100円のちっぽけなことにメンツをかけるチンピラにいちいちつき合っていたらきりがない。

だから、実はこれが本題ではなかったのです。

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私が語りたかったのは、彼の横にいた息子のことなのです。

彼は、父親の横で人を舐めた目で眺め、父親の言葉に拍子を合わせるように、「本当にね」「こいつ馬鹿じゃないの?」「気持ち悪い」等々の言葉を浴びせかけてきたのです。

それを見たとき、頭に来る以上に強いショックを受けました。

「子は親の背中を見て育つというのはこれか!」と。

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おそらく、この父親は何処でも(自分の力が及ぶところを狙ってでしょうが)同じようなことをやっているのでしょう。

で、この子はそれを見て育ってきた。

彼の目から見たら、私は、強いお父さんにネチネチ絡む気持ち悪いすかんぴんと見えたことでしょう。

お父さんが、機知と脅迫めいた言説を働かせて一つでも多くソフターを買ったりすることは、10円、100円ごまかしてみせることは彼にとって、たぶん当然の、気持ちの良いことなのでしょう。

彼は、父親の力を信じ、だからこそ、私を嘲弄することが言えるのだと思います。

強い父と、それを信じる息子。

幸せな親子関係です。

その内容が、いくら人に迷惑をかけるものであったとしてもです。

ある意味、恋愛に似ているかもしれません。

この親子は、きっと父親が取り返しつかない失敗をするまで、あるいは息子が決定的に自分の一生に疑問を持つまで、ずっと、このまま幸せな幻想の中で生き続けるのでしょう。

それで良いのか?

そんなことで本当に良いのか?

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別に、かの親子が悔い改めることを願っているわけではありません。

正直言えば、どうでも良いのです。

ただ…。

息子は、私を見て育っているのでしょう。

私と妻の全てを見て、それを人の在り方ととりながら大きくなるのでしょう。

その姿には、きっと私と妻の良いところも悪いところも偏在していることでしょう。

私は、(妻は)そのあからさまな自分の鏡像を見据えることが出来るのだろか?

あの親子のような、人に迷惑かけながら、自分たちだけが幸せな関係ではなく、より、よい親子関係を作ることが出来るだろうか?

私の背中に、息子は何を見るのだろうか?

それが、とても気になるきっかけになった、受難の日でした。

2000/9/18