姑獲鳥の夏:京極夏彦

京極氏のデビュー作であり、個人的に一番好きな作品であります。

デビュー作には、その後の作品の全てが含まれていると良く言いますが、『姑獲鳥の夏』の場合、他の作品に余り見られないものが強く存在してるように思います。それは、“哀”とでも言うべきものです。ただ悲しいだけでなく、もっと切ないどうしようもない情念です。

京極堂-中禅寺秋彦が、黒装束を身に纏い、言霊を駆使して、絡み合い縺れ合い、妖怪と化した情念達を解きほぐし払う、陰陽師シリーズ(と言うべきでしょうか。正式には何と言うのでしょうか?)の第一巻です。この巻では、自閉気味の作家、関口巽が語り部として自らの視点で語っていくのですが、これが後に重要なキーポイントとなります。

関口自身が昔関わったことのある古い産婦人科医院を舞台に起きる、奇妙な事件。いつまでも生まれない胎児を抱えた娘と、密室から失踪したその夫。付近に連続して起こる、乳児誘拐。絡み合う愛憎。そして、京極堂の登場によって謎は、情念は、一つ一つ解きほぐされ払われていく。しかし、全てが払われた時に待つ、悲劇...。

はっきり言って、良いの一言です。

ミステリィというとやたらトリックに拘るパズルブック的な作品が多いですが、京極作品では、むしろ心理的な絡みに拘りがみられます。その絡みが“妖怪”として表現されます。もともと、妖怪というもの自体、人の心が言葉に出来ない、理解の及ばない何かを表現するために生み出されたシンボルと言うことが出来ます。もちろん、そのシンボルは言葉等と違い、本来現そうとしていたモノと完全にイコールとはされず、その妖怪と関わった、またはその妖怪を語った人々の思いを纏い、集め、変化し、育ち、あるいは消えていきます。

陰陽師シリーズでは、その妖怪達に、人の情念を、心の綾を仮託し、それを払うことで、事件を解決していきますが、解決したことで、全てが万万歳の大団円になるわけではなく、払われた妖怪達の名残が、哀しく漂うエンディングを迎えることが多いです。この作品は、特にそれが強く感じられるのです。

しかし、この頃の関口は随分まともだったなあ。今じゃ、すっかりダメ人間として(作者にさえ)扱われてますが。

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