【戯曲】#2ゼロの不安

「或る感染症を巡る六つのお話」の一遍

【登場人物】

・村長 四十代。男。王滝村の村長
・須藤 三十代。男。王滝村役場の職員。総務課情報政策係所属。
・久保 三十代。女。王滝村役場の職員。住民課で窓口担当。

 王滝村の村長室。村長の机があり机の上に「村長」と書かれた三角柱が置いてある。村長が椅子に座って髪型や服装を気にしている。机の前に職員の須藤が機材をいじっている。

須藤 あー、じゃあそろそろ時間なんで、村長、いいですか。
村長 え、ま、待ってよ須藤くん。(自分の後頭部を指して)ちょ、ちょっとハネてない?ハネてるよねここ。
須藤 …大丈夫じゃないですか?
村長 え、待って待って。それ、そんなにハネてませんよって意味?それともいつものキミのどうだっていいじゃんって言う意味での「大丈夫」なの?どっち?
須藤 まあ…両方ですかね。
村長 が!あのね、君ね、一応これさ、オフィシャルな広報活動なわけだよ。うちの村の公式チャンネルなわけでさ、うちの村をもっと知ってもらってもっと親近感を持ってもらって、あわよくば村に来てもらおうっていう活動なわけでさ、うちの村のオ…オンド…アンド、
須藤 オウンドメディア。
村長 そうそれ!オウンドメディアなわけじゃん。この動画見た人はさ、この動画を通してああ王滝村ってこういう村なのかーって思うわけだよ。ね?そのメディアでさ、村のトップである村長の髪の毛がハネてたらさ、見た人はどう思うと思うの?
須藤 え?…まあ、ああ、ハネてるなあって。
村長 でしょ?思うでしょ?ハネてるなあって。そうしたらさ、思うわけじゃん、あーこの村の人は身嗜みも整えられない田舎者なんだなって!ね?思うよね?
須藤 いやー。僕は別に。
村長 思うの!普通は思うの!そうしたらさ、村のイメージダウンになっちゃうじゃん。オウンドメディアじゃなくてダウンドメディアじゃん。
須藤 え、なんですかそれ。ダウンド?
村長 …とにかく、もう少しさ、気を入れて取り組んでよ。須藤くん。
須藤 はあ、で、どうします?中継やめときます?もう時間ですけど。
村長 え!?あ、うん、じゃあ…。あの髪のハネてるところ映らないようにしてね。
須藤 はい。(カメラを村長に向けPCを操作する)…はいじゃあどうぞ。
村長 (深々と頭を下げる)皆さん今晩は。王滝村チャンネル。ソンチョーです。今日も王滝村役場の村長室からお送りします。いやー今日は暑かったですね。日差しがもうすっかり夏の日差しです。暑くて暑くて、思わずエアコンのスイッチ入れたらウィーンっていうだけで動かないんです。あれ、おかしいなあと思ってもう一度入れ直してもウィーン。しかも音の出処がおかしい。後から聞こえるんです、ウィーンって。恐る恐る後を振り向いたら村長室のDVDデッキのトレイが出てて。エアコンのリモコンだと思ったらレコーダーのリモコンいじってたんですね。

 須藤、静かにウケている。

村長 まあ、それぐらい暑かったということですね。実はうちの村、夏にはよく、県内第2位の最高気温を記録してるんですけどご存知でした?1位はお隣の香西市。あそこの測候所とコンマ1度差位を競い合うんですけど、いつも2位。たまには1位になりたいですよね。「県内で1番暑い村!」ね。今年の夏こそ1番を目指しましょう。ま、目指してもどうしようもないんですが。…さ、じゃあ王滝村の今日の出来事をお知らせします。まずはこれ。

 村長、フリップを1枚見せる。

村長 遠見の佐藤牧場で妊娠していたハナコが、昨晩、無事出産を終えました。生まれたのはメスで体重は45Kg。母子ともにとても元気です。今年の夏には牧場で、親子で寄り添う姿が見られる様になるでしょう。(フリップを下げる)いやーめでたいですね。この村では本当に久しぶりの誕生のお知らせ!実は私、これ、立ち会ったんですよ。逆子で、なかなか生まれなくて。結局、子供の足に縄付けて、みんなでグイっグイって引っ張って。そんな誕生の一部始終の記録動画はチャンネルにアップしてますんで、ぜひ皆さんご覧になって下さい。さて次のお知らせは、

 村長、フリップをもう1枚見せる。

村長 大滝村駐在所の近藤巡査がこのほど定年退職されました。近藤巡査が王滝村駐在所に配属になったのは今から十年前。それからずっと、私達村民の安全安心のために活躍して下さいました。無事定年を迎えられた近藤巡査にインタビューした動画もアップしてますんで、ぜひご覧下さい。(フリップを下げる)近藤巡査、村のために長い間本当にありがとうございました!!

 村長、深々と頭を下げる。頭を上げると別なフリップを出し。

村長 さ、次に観光情報です。この写真、キレイですよねー。そう、王滝さん、不動明王の滝です。村のシンボルとも言える王滝さんは実はネット上で結構人気でして、SNSで「村の王滝」っていうタグで検索すると魅力的な写真がたくさん見つかります。愛されてるんですねー、私達の王滝さん。SNSされてる方はぜひ、いい写真撮れたら「村の王滝」のタグをつけて投稿して下さい!どんどんいいねさせて頂きますんで。よろしくお願いいたします。

 村長、フィリップを下げる。

村長 さて最後に、テレビで毎日報道されてるHWウィルス感染に関してのニュースです。隣の香西市、出ましたねクラスター。感染された方達は香西中央病院の感染者病床で治療を受けてるそうです。心配ですね。さて、気になる王滝村の感染者数ですが、(感染者数のグラフのフリップを上げる。ずっと0。)はい!今日も感染者ゼロです。これも皆さんが日頃から衛生的健康的に生活してくださってるおかげです。ぜひ今後も、密集、密室、密接を避け、不要不急の外出は控えつつ頑張っていきましょう。では、今日はこのへんで。ソンチョーでした。明日も同じ時間にお会いしましょう。おやすみなさーい(手をふる)。

 須藤、ノートPCを操作する。

須藤 お疲れさまでした。
村長 はあ。(椅子に座り込む)いやーいつやっても緊張するなあ。どうだった?イケてた?
須藤 んー、ハネてましたね。
村長 え?
須藤 髪。
村長 えー、ちょっとー、だから言ったじゃない。ハネてるの見えないように撮ってって。
須藤 大丈夫です大丈夫。
村長 なにが。
須藤 あのほら、最後の方の「感染者ゼロです」のとこですから。「ゼロです」って言った途端にピョコンって…。

 須藤、思い出して静かにお腹を押さえてクツクツ笑い出す。村長、髪を押さえる。

村長 えー、それさ、修正できたりしない?
須藤 生配信でしたし。
村長 そんな事言わないでさ。
須藤 ま、いいじゃないですか。笑えば感染しにくいって言うし。

 須藤、思い出して静かにお腹を押さえてクツクツ笑う。

村長 それデマだったらしいよ。それに…まあ、いいや。明日気をつけよう。うん。

 と、ドアを開けて女性職員の久保が入ってくる。弁当を下げている。

久保 あ、動画配信中でした?
村長 ああ、もう終わったから大丈夫。え、見てくれなかった?
久保 すみません、オンタイムはちょっと。あとで見ます。

 久保、弁当の一つを村長に差し出す。

村長 そっか。(弁当を受け取り)あ、弁当、いつも悪いね。
久保 いえ、どうせ1人分だけ作るより効率いいんで。はい(もう一つを須藤に渡す)
須藤 うす。(おずおずと受け取る)
久保 あ、お茶入れますか?
村長 ああ、大丈夫マイボトルあるから。(引き出しからマイボトルを出す)あ、須藤くんは?

 須藤、自分のバックからペットボトルのお茶を取り出し示す。

久保 そうですか。ところで帰ってます?家。
村長 いやー、帰ってないなあ。(須藤を見る)君は?
須藤 まあ、用事無いんで。
久保 駄目ですよ。たまに帰って休まないと。そりゃ緊急事態ですけど、そこまで切羽詰まってるわけでもないんだし。家で寝た方が疲れ取れますよ?
村長 うん、そうだね。ありがとう。
久保 んじゃ、食べ終わったら置いておいて下さい。
村長 あ、久保くん忙しい?
久保 え?…まあ、処理は色々溜まってますけど、今日やる予定だった分は大体終わってますんで、大丈夫ですよ。
村長 今さ、須藤くんと考えてることあるんだけどちょっと煮詰まっちゃっててさ。よかったら、君の忌憚ない意見を聞かせてもらえたらなあと思ってさ、あ、お弁当食べながらでいいから。
久保 え、でも私、大したこと言えませんよ。
村長 いやいや、思ったことを言ってくれるだけでいいんだよ。ほら、僕たちはこの村じゃちょっとあれだから。偏ってるから。
久保 ああ、まあ。
村長 ね、お願いできる?
久保 いいですよ。んじゃ食べながらで。

 久保、自分の弁当とマイボトルを用意して。

久保 じゃ、頂きます。
村長 頂きます。

 須藤、ボソボソと言って手を合わせる。3人食べ始める。以下食べながら。

久保 …で、なんですか?
村長 うん、あのさ、HWウィルスの感染者数のことなんだけどさ。
久保 はい。
村長 ほら、うちの村ずっとゼロじゃん。
久保 ですね。
村長 どう思う?
久保 え?どうって?…平和だなあって。
村長 うん、平和。たしかに平和。でもさ、それってなんかこう、かえって不安になったりしない?
久保 えー?
村長 だってさ、ほら、隣の香西市なんかクラスターで一気に5人だよ?
久保 ああ、はい。
村長 うちの村、香西市に出勤してる人結構いるしさ、そろそろ出てもおかしくない、でも感染者は出てこない。そうすると、どう思う?
久保 えーと、気をつけなきゃなあって。
村長 そうじゃなくて!

 須藤、自分のスマホを操作して画面を久保に見せる。

久保 え?(画面を見て)ああ、村役場のページですね。感染者情報の記事の(須藤、記事のコメントを指差す)ああ、コメント?(記事についたコメントを読む)…はあ?なんですかこれ。
村長 「パンデミック起きてるのに、この村が感染者ゼロなのはおかしい。実は大量に患者が出てるのを隠蔽してるんじゃないか?」
久保 いやいや、そんなわけないでしょ。
村長 うん、そう。そうなんだけど、でもそのコメント、ものすごくいいねされてるんだよ。村のお知らせなんてせいぜいいいね二十個位だよ?それがこんなにいいねされるってことはさ、みんな心の底ではそういう風に思ってるってことじゃないかと思うんだよ。
久保 (須藤にスマホを渡し)いやー、それは考え過ぎじゃないですか?だって、もし本当に感染者隠してたら、助役さんとか商工会の会長さんとか黙ってないでしょ。絶対。
村長 うん。だよね。
久保 それに隠すったって、この村にそんな場所無いじゃないですか。全部筒抜けですもん。ほら、村長の奥さんが実家帰っちゃった時も翌朝にはみんな知ってたじゃないですか。
村長 うん、まあ…
久保 これはほら、村と関係ない人が面白がってるだけじゃないですか?
村長 うん、まあそう思うけど。
久保 気にしなくていいですよ村長。だって実際ゼロなんですから。それに色々対策もやってるじゃないですか。事務処理のネット窓口の整備とか、備蓄のマスクとか消毒薬、配布したりとか。大体、村長自らネットでお知らせ配信する村なんてそんなに無いですよ?ねえ、須藤くん。
須藤 はあ。
村長 まあ、情報発信とかネット窓口は須藤くんの力があったればこそで。
須藤 はあ。
久保 まああれですよ。村長、なんだかんだで目立ってるってことじゃないですか?これ。有名税みたいなもんですよ。
村長 うん、まあ、そういう面もあるとは思うんだけど…。でもさ。
久保 はい。
村長 感染者ゼロと感染者1名と、どっちが安心できる。
久保 え、…それはゼロでしょ。
村長 本当に?考えてみてよ。ゼロって言う場合、本当にいないのと把握できてないのと両方の場合があるわけじゃない。でもさ、1名っていう場合は、少なくとも把握はできてるって言うことになるでしょ?把握できてるのと把握できてないのと、どっちが安心。
久保 えー。なんかそれ屁理屈っぽくないですか?
須藤 は、把握は。
久保 え。
須藤 …できてる方が。
久保 …まあ、そりゃ、把握してるかしてないかなら、してる方がいいでしょうけど。
村長 だよねだよね。それにだよ?このままゼロが続いたらさ「うちの村は安心なんだ。」って油断する人も出てくると思うんだよね。それって、村にとってリスクじゃない?
久保 まあ、…そう言うのはあるかもしれませんね。
村長 でしょ?
久保 でも、実際ゼロなわけだし…、まさか県の対策本部に嘘の報告するわけにいかないですよね。
須藤 虚偽の報告が発覚した場合、地方公務員法第六十一条一項により三年以下の懲役又は十万円以下の罰金を課せられます。
村長 そう。だからそういう公式な方向じゃなくて、でも「ああ、今のところは安全だけど、俺たちもいつ感染してもおかしくないんだ。」って思えるような、そんな仕掛けをしたいんだよね。
久保 はあ。でもそんなの、あります?
村長 須藤くん、レジュメ。

 須藤、かばんからA4数枚位の書類を取り出し、全員に渡す。

村長 そこでさ、僕たち、この村の昔話を活用することにしたんだよ。
久保 昔話?
須藤 2ページにあります。「王滝の行者」っていう話です。今は昔、北条泰時が執権の時代、飢饉が村を襲った。田植え時期に雪が降り、その後も長雨に洪水に暴風雨が続く冷夏となった。田も畑も実りが無く、村人は飢え、木の根や雑草、虫や土まで食べて飢えを、
久保 えーと、全部読むの?

 須藤、困ったように久保を見る。

村長 ああ、あの。要約すると、そういう災害で飢饉がおきた年に、一人の行者がこの村を訪れて、村人に施しを願ったけど断られた。その行者はそのまま王滝さんまで行くとそこに身を投じてしまう。と、その後村で疫病が蔓延するの。
久保 えー、迷惑な奴ですね。
村長 で、村の長老がいうわけ、ああ、あれは不動明王の化身だったんじゃないかって。私達が慈悲の心を忘れていたから、その罰として疫病を撒き散らしたんじゃないかって。で、みんなで王滝さんにお参りして行者の供養をすると、村人の疫病がまたたく間に癒えてしまう、と…まあ、ありがちな仏教説話なんだけどね。
久保 あ、聞いたことあるかも
村長 でさ、今この村に、この行者みたいな人が現れたらどうかな?例えばこんな感じ。(書類を読む)昨日、クラスターが発生した香西市の飲食店に来店していたらしい方が、今日夕方、村の県道を王滝さんに向けて歩いているのが目撃されました。その後その方は王滝さん方面から戻ってきたことが確認されておらず、行方がわかっておりません。その方が感染されているかどうかは確認出来ておりませんが、可能性は高いと思われます。皆さん、もしその方を見かけたら村役場のHWウィルスホットラインまでご連絡下さい。…どう?
久保 …うーん。なんかデマっぽいですよね。それにほら、行方不明なわけでしょ、その人。それって把握できてないってことですよね。
村長 いやでも、入って来た経路も向かった先もわかってるわけだし。
久保 そうですけど…。これ聞いたら、かえって不安が増すというか…。
須藤 緊張感を高めるのも目的の一つです。
村長 そう、こういう情報も、注意喚起としてあえて発信してますっていうスタンスなら、隠蔽しているみたいなことを言ってる人たちに対しても、牽制になると思うんだよ。デマっぽい情報も含めてきちんと発信してますよっていう。で、住民にしてみれば、あ、感染者が村にいるかも知れないんだなってなって、気を引き締めてくれると思うんだよ。それにこれなら、終わった後に「あれはデマでした」で済むし。ねえ?どうだろう?
久保 いやいやいやいや、…うーん。
村長 ねえ久保くん。
須藤 久保さん。
久保 ちょ、ちょっと、なんでいつの間にか私が決めるみたいになってるんですか。
村長 いや、そういうあれじゃないよ。最終的な責任はもちろん僕が取る。ただ、君の率直な意見を聞かせてほしいっていうだけ。ね。
須藤 久保さん。
久保 …えーと。

 久保に迫る村長と須藤。

久保 まあ、あの、やってみても良いんじゃないですか?ほら、SNSとかでも、こういうデマは飛び交ってるわけですし、今更一個二個増えても変わらないと思いますし。あ、でも、「デマかも知れませんが」っていうことは強調した方がいいと思いますけど。
須藤 でもそうすると緊張感を高める効果が。
村長 まあ確かにその方が後始末は付けやすいか。
久保 自分で判断して下さいって付けるとか。
村長 ああ、それいい。その方がリアリティある。

 須藤、書類に修正を書き込む。

村長 このさ、感染者の外見とかももっと作り込んだほうがいいよね?性別とか年齢とか、着てる服とか雰囲気とか。
久保 どうでしょう。あんまり細かいとかえって嘘くさい気がしますけど。
村長 ああ、うん。じゃあ、今くらいでいいか。(スマホに電話がかかる)じゃあ、須藤くんフリップを…あ、ちょっとまって。(スマホに出る)はい、村長です。…ああ商工会長さん、どうしたんですか?…はあ…その人が…王滝さんに?…えーと、それって本当ですか?…いやいや疑ってるわけじゃないですけど、よく似た話を聞いたことあったんで。…はあ、…んー、どうでしょうか。…いやいや。はい、わかりました。あの、ちょっと検討します。…はい。
久保 どうしたんですか?
村長 …商工会長の知り合いが、香西市のクラスターの感染者の一人だったらしいんだけど、王滝さんにお参りに行くって言って家を出て、行方不明なんだって。
久保 え、なんで?
村長 王滝さんにお参りすれば、疫病が治るって。そういう話が出回ってるんだって。
須藤 あ。(スマホをいじる)
村長 え、なに。
須藤 確かに、ありました。そういうの。(スマホを指差し)ああほらこの記事とか。
村長 本当だ。あ、これ観光ツアーに売り込めるなあ。
久保 それより、商工会長はなんて?
村長 村のお知らせで発信して、住民に注意喚起してほしいって。…ん?

 三人、顔を見合わせる。

久保 …それ、本当の話なんですかね?

 暗転。