嘘つき
最近、息子の精神的な成長が著しいです。
もちろん、彼が生まれてこの方成長が停滞すること自体無かったわけですが、言葉や人との接し方と言った点で、ここ二・三ヵ月で急速に成長して来たようです。
先日のことです。
うちではいつも、私が帰宅してから、夕食の準備の仕上げが始まります。
息子が一緒だと、邪魔されることも多く効率良く進まないので、私が帰宅して息子を見ているうちに、妻がさっと仕上げるようにしているのです。
が、この時間というのは、ちょうど腹も減って来て、様々な誘惑に駆られる時間帯でもあります。
その日も、息子はいつものようにおかしの誘惑に駆られ、「おかちーおかちー」と繰り返し、すがりついて来ては、断られて泣くを繰り返していました。
その日は、煮物か何かでちょっといつもより時間がかかっていたので、さすがに可哀想になっておかしを一つ開けて一緒に食べたのですが、それが無くなるや、またしても「おかちー」攻撃が始まりました。
「今食べたでしょ?あんまりおかし食べるとご飯食べられなくなるからだめ。」と言うと、何やらゴニョゴニョ言いながら首を振るのです。
「え?何が言いたいの?」と聞くと、なにやらとぼけた表情で知らんぷりをして、また、おかしを指さし「おかちーおかちー」。
「今食べたでしょ?」と聞くと、また首を振ります。
どうやら、「食べてない」と言っているようなのです。
その、真剣に知らんぷりする表情に笑いを誘われましたが、同時に驚きも感じました。
息子が嘘をついたからです。
「嘘をついた」と言うのは語弊があるかも知れません。
とりあえず経験的に「おかしを手に入れるために、うなずいてはいけない。」と考えたのでしょう。
「おかしを食べた」と「食べてない」の差はわかっているようです。
おかしを欲しがって泣きわめいたり逆切れしたりは、今までもしていました。でも、明確に意識して、事実を違えることは無かったと思うのです。
(もちろん、はっきり言いたいことを表現したり、こっちも理解できていたわけではありませんが…。)
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"嘘をつく"という行動とは、なんでしょうか?
まず、自分が置かれている状態を認識し、そこから自分にとって都合の良い方向を判断し、その方向へ進むための具体的な言動を意識的ないし無意識的にとることができると言うことだと思います。
動物には、擬態というものがありますね。
代表的なのは「擬死(タナトーシスあるいは狸寝入り)」です。敵に出会ったとき、死んだふりしてやり過ごすという行動形式です。生きた餌、ないし動く餌しか餌として認識できない天敵を持つ生物に良く見られます。
ここから、"狸や狐は人をだます"というような話が生まれたとも言われますが、これはいわゆる嘘とは別物と考えるべきでしょう。
擬態はその生物にとって反射的に行なわれる行動であるからです。
もし、死んだ餌が好きな生物に出会っても(そのことを知っていても)彼らは擬態をとるだろうし、それで食われてしまったりもするわけですから。
人間の嘘は、相手との間にある共通の認識ができている前提があって、初めて成立します。
例えば、件の息子との問答(というかやりとり)で言うなら、「おかしは沢山食べられない。」と言うのが私と息子の共通概念です。
これを踏まえた上で、おかしを好きなだけ食べるために、「おかしを食べてないなら、食べても良いはずだ」と考え、「おかしを食べた」と言う事実を否定したわけです。
ここまでの、認識や判断、実行が伴って初めて嘘は成立するのです。
ある意味、とても人間らしい行動だと言えるでしょう。
嘘をついたと言うことは、息子がまた一歩人間らしくなったことだと言えるわけです。
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聖書の創世記の失楽園の話は以前、例に出しましたが、失楽園の直接の原因は、禁断の知恵の実を食べたことそのものではなく、それで知恵を身につけたアダムとイブが、自分達が神様との約束を破った事を認識し、神様から見付からないところに身を隠したり、「知恵の実を食べたか?」という質問に「食べてません」としらばっくれて嘘をついたことが、神様の逆鱗に触れたのが原因のようです。
もし、「はい。食べました。ごめんなさい。」と答えていたらどうなっていたか気になりますが、とにかく嘘をついたことが、約束を破ったことより罪深いと大学のときの授業で習った気がします。
古代の人も、"嘘をつくこと"が人間の人間らしい部分の一つだと考えていた証拠だと思います。
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嘘は、成長とともに、状況の変化とともに、つき方も内容の質も変わります。
嘘をつくためには、上に書いたように様々な認識や判断が必要です。そういった能力は、経験とともに成長し深化していくからです。
息子は、今後ますます凝った嘘をつくようになっていくことでしょう。
はたして息子は今後、どんな嘘をつくのでしょうか?
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蛇足
先日、「たけしのアンビリーバブル」(だっけ?)を見ていたら、その日は詐欺師特集でした。
例によって、何人かの詐欺師の境遇を紹介していたのですが、最後に出て来たのは、フリッツ・クライスラーという人物でした。
19世紀から20世紀にかけて活躍したバイオリニストで、「バイオリンの帝王」と呼ばれた人物なのですが、この人が世に出たきっかけがふるってます。
バイオリン奏者としてなかなか目が出ないクライスラーが、東ヨーロッパ方面に演奏旅行をした際、各地の図書館などで、クラッシックの大家の未発表曲の楽譜を見付け、バイオリン用に編曲してリサイタルを開いたのです。
これが大評判となります。
評論家達はこぞってこれらの曲を絶賛しつつも、彼の腕前がそれを台無しにしていると批評しました。
彼は全く相手にしませんでした。
リサイタルを開く度に彼の名は高まり、遂には「バイオリンの帝王」と呼ばれるまでになりました。
晩年、彼が批評家達の酷評を相手にしなかった理由がわかります。アメリカの評論家のインタビューにこう答えたのです。
評論家 「あなたが発見した楽譜は、本当はあなたが作曲したものではありませんか?」
クライスラー「その通り。あれは全部、私が作曲したものだ。誰もこの三十年間、それを指摘した者はいなかったよ。」
そう、彼は贋作で「バイオリンの帝王」になったのでした。そして、専門家達を始め、誰もそのことに気がつかなかったのです。
もし、大作曲家の名をかたらなければ、彼の曲は世に出ることはありませんでした。嘘をつくことで、彼の曲が、彼の才能が、世に出ることができたのです。
これも嘘です。でも、(少なくとも後世の私達から見れば、)これは価値のある嘘だったと言えるでしょう。
少なくとも、思ったことを正直に言ってしまって、世界中から顰蹙を買う某国の総理大臣の真実よりは。(^^
2000/11/4