ダンスと皇族
明治初頭、ヨーロッパから伝わったボールルームダンスは日本では社交ダンスと訳され、上流階級の社交のツールとして始められましが、鹿鳴館とともに衰退したかに見えました。しかし大正、昭和、平成を通して上流階級の最たる天皇家、皇族のあいだでは社交ダンスが「世界の社交界での教養、常識」として愛され続けたのです。残念ながら社交界で最も格式のあるバッキンガム宮殿の舞踏晩餐会は1958年で幕を引いたそうです。
1. 明仁上皇
2013年4月12日に開かれた国際福祉協会創立60周年のチャリティー晩餐会で公の場としては20年ぶりに天皇皇后両陛下(当時)が踊られました。陛下が皇后さまをリードしながらワルツやタンゴのリズムに乗って軽やかなリズムを踏まれると、会場から大きな拍手がわきました。宮内庁によりますとこの日の為にお住いの御所で古いレコードをかけて練習をされたとのことです。
2. 三笠宮崇仁親王
昭和天皇の末弟である三笠宮殿下は「ダンスと名の付くものはすべてやりました」と周囲に語るほど生涯にわたってダンスを愛され、三笠宮杯という冠名をいただいた最高峰のダンス競技会は現在も続いており、40回を重ねております。また昭和48年札幌で開催された全日本ダンス選手権では百合子妃殿下とともに、ご臨席を賜っております。ちなみに殿下の社交ダンスの師は助川五郎氏です。また第3男子の高円宮憲仁親王も社交ダンスを趣味とされておりました。
3. 天皇陛下
浩宮さまと呼ばれていた1985年、留学先のオックスフォード大学の卒業記念舞踏晩餐会に際し、同伴するお相手の女性がおりませんでした。イギリス外務省は一人の女性職員を選びます。浩宮さまのお相手を命じられた入省1年目の外交官リズ・ウエッブは見事に任務を果たし、パーティーも無事に終了したのことです。陛下はその後、同じ外交官であった雅子さまとご成婚となりますが、出会いは赤坂離宮での晩餐会だそうです。陛下は積極的で現代的なキャリアウーマンがお好みかもしれません。
4. 秋篠宮佳子内親王
社交ダンスではありませんが、秋篠宮家の次女佳子さまはヒップホップのダンススクールに通われ、発表会にも積極的に出演されて切れのあるのダンスを披露されているようです。現在はコロナ禍のため控えられているようです。
5. 女性皇族
明治に開国した日本にとって、海外の国々と同等に渡り合うためには、外国の文化を学ぶ必要がありました。その尖兵として渡航し、積極的にファッション、テニスやゴルフ、社交ダンス、ピアノ、バイオリンなど西欧の文化を吸収してきたのが女性皇族たちでした。