赤塚文彦・美津子組
鎌田秀昭・
小泉保夫・深笛組
1963年(昭和38年)にラテンチャンピオンになって以降、1978年(昭和53年)までにモダン、ラテン共に数多くの優勝を数える。その間、昭和42年から昭和48年までは東京で修行。1975年(昭和50年)札幌市白石区大谷地で開業、そして1980年(昭和55年)琴似に移転。現在のサトウタカシダンスパークである。引退後は小泉學・睦子組、大門組、室谷組、佐藤充・真紀組、岩尾省吾・直子組、加藤直樹・ひろ子、三国組を始め、多くのプロ・アマ選手を育てた。昭和63年に開設した石山通り教室は岩尾組に引き継がれた。小泉保夫先生は酒と武田節を愛したという。
鈴木昌憲・洋子組
昭和42年、北見の宮川ダンス教室でダンスを始め、競技会デビュー。昭和43年に赤塚ダンス教室でプロとなる.。第9回、第10回毎日杯でラテンチャンピオンになる。また第8回から第10回までモダンの部で3年連続準優勝をする。昭和60年に現役を引退、後進の育成に力を注ぐ
佐藤伴幸・優子 組
1972年(昭和47年)アマチュア競技会デビュー。1974年(昭和49年)に鎌田ダンス教室所属でプロ競技会デビューし、3月にC級モダン優勝、5月にB級ラテン優勝でキャリアが始まった。また同年教師資格を取得した。1979年(昭和54年)のオープン大会でチャンピオンになって以降、毎日杯・道スポ杯を含めオープン競技会での優勝はモダン19回、ラテン15回を数える。特に第17回・18回毎日杯、第2回・第3回道新スポーツ杯ではモダン・ラテン同時優勝を果たす。その間、1984年(昭和59年)から1988年(昭和63年)まで英国留学しながらさらにダンスに磨きをかけた。1987年(昭和62年)道新スポーツ杯でチャンピオンのまま13年のプロ選手生活に幕を下ろした。小柄ながらパワフルで気迫あふれるダンスは無類の強さで他を圧倒し、全国にもその名を知らしめた。
1982年(昭和57年)に江別スクールを開設、1985年(昭和60年)に滝川スクール、1989年(平成元年)に南郷スクール、2007年に時計台スクールを開設。米田組、小野組、三宅組、大西組を始め、全国に通用する選手を数多く育てた。連盟役員としての功績は別述する。
小泉學・睦子組