世界のダンスの歴史 

14世紀~16世紀(ルネッサンス時代)

  世界各地の民衆によって踊られていた民族舞踊は12世紀ごろから徐々に王侯貴族たちの間で踊られるようになります。ルネッサンス時代になると フロアに輪を作って全員が同じ踊りをする「ラウンドダンス」というダンスが主流で、ブランルパヴァーヌガイヤールが踊られました。その後、ラ・ボルタと呼ばれるカップルダンスが登場。


17世紀~18世紀半ば(バロック時代)

 17世紀のフランスでは、国王ルイ14世の絶対王政の下、王侯貴族は贅沢で華やかな宮廷生活を送り、音楽会や舞踏会が頻繁に行われていました。特にルイ14世は踊りが好きで、舞踏会だけでなく度々バレエにも出演して踊っていました。ダンスをより良く普及させるために1661年に王立舞踏アカデミーを設立し、舞踏の理論・技術を研究し舞踏教師の育成を図りました。こうしてフランスがヨーロッパ宮廷舞踏の中心となります。この宮廷舞踏の中でも最も格式高いのがメヌエットです。


18世紀後半~19世紀末(自由主義)

 18世紀後半になると、ヨーロッパ各地で自由主義の運動が始まります。19世紀に入ると、ヨーロッパ諸国の宮廷の舞踏会でも次第に、これまでの変哲もない技巧と形式的なメヌエットに代わって、ポルカマズルカギャロップが踊られるようになります。そしてオーストリアの民族舞踊レントラー から発展した新鮮味に溢れるワルツ(ウインナーワルツ)が人気を博していきます。これが現在の「社交ダンス」の誕生とされています。このダンスには男女の接触や抱擁が含まれているため、年配者や宗教関係者からは当時強く反発され、度々禁止にされていましたが、イギリスのヴィクトリア女王がワルツを好んだことから世間の偏見も薄れてきました。また世界では民衆の間でブルースとアルゼンチンタンゴが生まれます。日本に社交ダンスが伝わったのはこの19世紀末で1883年に鹿鳴館が開館されます。