ダンスと風営法
風営法は昭和23年に制定以後、警察の社交ダンスに対する公式見解は「ペアダンスは享楽的雰囲気を醸し出すおそれがある行為」というもので、長きに渡ってそれを堅持してきました。その認識の中、社交ダンス教室及びダンスホールの営業は風俗営業として公安委員会管理下に置かれてきました。その間、社交ダンス業界の努力もあり、平成10年に国家公安委員会指定団体が認定したダンス教師が営むダンス教室は自主規制の下、風営法の適用除外とするということになりました。一方、社交ダンス以外のダンスに目を向けると、平成22年より、これまで当局に黙認されていた無許可営業のクラブが犯罪の温床という認識の下、次々と摘発されていきます。しかし、この摘発が世の耳目を集めたことにより、「学校教育の科目にも入っているダンスを風営法の規制の中に入れておくのは時代にそぐわない」という声が次第に大きくなり、著名人及び議員連盟の活動もあり、ついに平成27年6月の風営法改正で、飲食を伴わないダンス教室・ダンスホールは風営法から完全に除外、接待の伴わないクラブなどは照明、営業時間、酒類提供などによって風俗営業、特定遊興飲食店営業、飲食店営業の3つに分類されることになりました。
社交ダンスの営業について言えば、この改正により従来の指定団体の認定する資格の有無に関わらず、風営法の規制から外れることになり、一部では「今まで風営法の下で築き上げてきた健全なダンスのイメージが損なわれる」と懸念される意見もあります。
ここで戦後からダンス教室が67年間にわたって多かれ少なかれ関わってきた風営法の歴史をダンス界の環境の変化とともに振り返ってみます。
1948年 (昭和23年) 風俗営業取締法制定
風俗営業として該当する業種を3つに分け、第2号で「キャバレー、ダンスホールその他の設備を設けて客にダンスをさせる営業」と規定される。「ダンスホールが売買春の交渉に使われている」との認識から、「ダンスホール=風俗営業」とされ、「ダンスをさせること」が規制の対象となった。営業区域、営業時間、入場者年齢、施設構造などに規制をされた中で、公安委員会の管理下に置かれる。
1959年(昭和34年) 改正 風俗営業等取締法
該当する業種を7つに細分化し第4号で「ダンスホールその他設備を設けて客にダンスをさせる営業」と規定され、ダンス教室もこれに該当。
1980年(昭和55年)
NHK杯日本インターナショナル選手権大会が開始され、テレビ放送される
1984年(昭和59年)
NHKレッツ・ダンスが始まる
1984年(昭和59年) 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律と改名
一定の条件下でダンス教室への18 歳未満立ち入り認める(午後10時まで)
1992年(平成4年)
財団法人日本ボールルームダンス連盟 認可
1995年(平成7年)
教師を中心に初めての社交ダンスの全国組織として「全日本ダンス協会連合会」(全ダ連)が発足
1996年(平成8年)
映画『Shall we ダンス?』、テレビ番組「ウリナリ芸能人社交ダンス部」がヒットし、国民の認知が高まる。
1997年(平成9年)
「ダンススポーツ推進議員連盟」(会長:元文部大臣、元農林水産大臣 島村宜伸)が発足。
1998年(平成10年)
国家公安委員会の指定を受けた団体(全ダ連と財団法人日本ボールルームダンス連盟)の講習を受けたものは,正規のダンス教師と認定され,認定された教師が営む教室は風営法の適用を除外される
2012年(平成24年)
高知市が公民館での有料ダンスパーティーは風営法の規制対象と警告。
2012年(平成24年)
風営法施行令改正,4 号営業での規制免除団体を拡大
2013年(平成25年)
「ダンス文化推進議員連盟」(会長:元文部科学相 小坂憲次参院議員)が発足
2015年(平成27年)
風営法改正法案の可決によりダンススクール営業が風営法の規制対象から除外