2026年5月16日から17日にかけて開催される東京大学の第99回五月祭において、参政党代表・神谷宗幣氏が講演を行う予定です。この件をめぐり、東京大学の学生を名乗るアカウント「差別とデマのない五月祭を」がSNS上で抗議声明を発信しました。
東京新聞「『差別的な言論の自粛を』参政党・神谷宗幣代表に東大生がもの申す 五月祭での講演前に抗議文、SNS騒然」2026年5月14日 06時00分
それに呼応する形で、日本共産党員でカウンター活動家とされる「家登みろく」氏が、SNS上で抗議活動への参加を呼びかけました。
この問題については、以前「東大自治会全学連脱退事件」のキーパーソンであるX氏にインタビューを行ったことがあり、また、ここ数年、日本共産党をはじめとする野党と市民運動の関係について調査してきた立場から、まとまった形で論じたいと考えていました。
しかし、開催が迫る中で時間的制約もあり、ここでは簡単に所見を述べようと思います。
五月祭は、学生自身による企画・運営を前提とする場である。したがって、特定の企画に問題があると考える場合でも、第一に問われるものは、学内の手続きと学生間の合意形成である。
「差別とデマのない五月祭を」の抗議声明は、学生自治のプロセスを十分に踏まないまま、SNS上で外部に向けて発信されているように見える。
講演の実施に抗議するのであれば、まずは五月祭常任委員会、または当該企画の主催団体に対して、学内において申し入れを行うのが筋である。必要に応じて、有志を募り、署名を集め、企画の問題点を学内で可視化することも考えられる。
もちろん、五月祭常任委員会や主催団体が問題を適切に扱わない、あるいは申し入れを事実上無視するという事情があれば、その経緯を公益性に照らして公開することは理解できる。しかし、今回の声明では、そのような学内手続きがどの程度尽くされたのかが明示されていない。
その点で、抗議の方向が最初からSNS上の世論形成や外部動員に向かっているように見える。
「差別とデマのない五月祭を」の抗議声明には、いくつかの不明瞭な点がある。
声明は「差別的・非科学的な言論の自粛を強く求めます」としているが、これは誰に対する、どのような要求なのかが明確ではない。神谷氏本人に対する要求なのか、主催団体に対する要求なのか、五月祭常任委員会に対する要求なのか、あるいは常任委員会と協議する東京大学に対する要求なのかが曖昧である。
また、「抗議の意思を伝えるため、友人と共にこのアカウントを立ち上げました」とされているが、要求なのか、抗議声明なのか、問題提起なのかが混在しており、論理構成に混乱がある。少なくとも何に対する抗議なのかは不明瞭である。
さらに、「必要に応じて集団行動を呼びかける」とする表現は、講演会や五月祭運営に対して直接的な圧力をかけることを示唆するものと読める。声明全体の論理構成が十分に厳密でない中で、直接行動を示唆することは、言論による批判というより、運営への圧力行為として受け取られうる。
特に問題なのは、それが学内の民主的手続きや学生自治の筋道ではなく、SNSを通じた外部動員と結びつきうる点である。これは、学生自治の内部での異議申し立てというより、外圧によって自治に影響を与えようとする行為に近い。
東京大学の学生自治をめぐっては、過去に日本共産党東京都委員会の関与が問題化した経緯がある。この点については、X氏へのインタビュー、公開されている当時の資料、特に東京都委員会の当時の声明等からも、一定程度確認できる。
そのため、今回の事案も、単なる一講演への抗議としてだけでなく、学生自治と外部政党・外部活動家ネットワークの関係という文脈で見る必要がある。
日本共産党員「家登みろく」氏による抗議活動の呼びかけは、東大の学生自治に対して、外部から直接行動を通じて介入を試みるものと解される。
同氏は「参政党プロテスト」と銘打って抗議活動を呼びかけているが、参加予定者が作成したプラカードには、「面白半分に差別者呼んで講演会やるんやったら家で寝てたらよろしい」という文言が含まれており、「家登みろく」氏もそれを好意的に紹介している。
この文言は、神谷氏個人だけでなく、「差別者を呼んで講演会を行う」とされる主催者、およびそれを承認した者を対象にしていると読める。今回の講演会は学生団体が主催し、五月祭の運営主体である五月祭常任委員会の手続きのもとで実施される企画である。
したがって、この抗議活動の一部は、東京大学の学生に向けられたカウンターであり、学生自治に対する直接行動となる可能性がある。
これは、当日の抗議だけにとどまらない。抗議活動の準備段階から主催団体や五月祭常任委員会に対して圧力を与え、次年度以降の五月祭運営にも影響を及ぼす可能性がある。その意味で、これは学生自治への外部介入といえる。
「家登みろく」氏による抗議活動は、講演会だけでなく、五月祭全体の運営にも影響を与えうる。
参政党に対するカウンター活動は、近年、強い言葉による糾弾や、街頭での大音量の抗議などを伴う場合がある。今回については、「肉声のみ、またはサイレントのスタンディング予定」とされており、その限りでは比較的抑制的な形態が予定されているともいえる。しかし、政治的緊張を伴う抗議活動である以上、現場に一定の緊張感が生じることは避けがたい。また、呼びかけられた抗議活動が、主催者の想定どおりに終始するとは限らない。
もちろん、すべての抗議活動が違法または不当であるということではない。しかし、抗議活動が東大正門前で行われるのであれば、五月祭に向かう来場者や、講演会とは無関係の参加者も、その抗議活動に接触する。五月祭当日の正門前は、多くの来場者が通行する場所であり、そこに政治的抗議の場が形成されること自体が、来場者の動線や心理に一定の影響を与えうる。
この点が広く周知されれば、五月祭への参加を控える人が出る可能性もある。また、講演会とは無関係に五月祭を訪れる学生、保護者、地域住民、一般来場者にとっては、大学祭の入口付近で政治的抗議活動に接触すること自体が、その良し悪しとは別に五月祭の印象を左右しうる。
つまり、抗議活動は講演会単体に向けられたものにとどまらない。実際には、五月祭全体の円滑な運営や来場者の経験にも影響を及ぼしうる。少なくとも五月祭常任委員会の運営上のリスク要因になることになる。
この意味でも、抗議活動の呼びかけ自体が、学生自治に対する外圧として機能している。
「差別とデマのない五月祭を」は、「家登みろく」氏による抗議活動について、少なくとも現時点では明確な肯定も否定もしていない。
しかし、自らの声明に呼応して外部の活動家が抗議行動を呼びかけているにもかかわらず、それに対して距離を取る表明をしていない以上、結果的には事実上の追認・容認になっている。
X氏を通じて、当該アカウントの運営者が東大生であるとの情報は得ている。ただし、運営者の人数や政治的背景は不明である。そのため、このSNS上での声明活動がどのような意図と目的に基づくものなのかは、現時点では判断できない。
以上のように、「家登みろく」氏による抗議活動の呼びかけは、「東大自治会全学連脱退事件」以来、東大の学生自治に対する最も重大な外圧の一つと位置づけうる。
もちろん、講演内容への批判や差別的言説への抗議そのものは、当然に認められるべき表現活動である。しかし、問題は、その抗議が学内の自治手続きを経ず、外部の政治活動家ネットワークによる直接行動として組織されている点にある。
これは、言論内容への批判というより、学生が運営する場に対する外部からの圧力である。
他方で、「家登みろく」氏による抗議活動に対して、明確な東京大学生側の反応は現時点で十分には観測されていない。SNS上では匿名アカウントによる散発的な反応が見られるにとどまる。
また、五月祭常任委員会および東京大学の自治会関係者も、この問題について少なくとも公には沈黙しているように見える。
現時点では、この抗議活動について、多くの東京大学生は不知、あるいは黙認している状態にあるといえる。
現代のSNS環境において、数日のうちに反対声明、署名、申し入れ、オンライン上の呼びかけを組織することは、必ずしも困難ではない。たとえば、学内で話し合いを行い、署名を集め、「家登みろく」氏が所属する日本共産党東京都委員会に申し入れを行うこともできる。あるいは、日本共産党との関係が深いとされる「みんせい東大」に対して、今回の抗議活動への見解を問うこともできる。また、オンライン署名サイト等を通じて、五月祭の円滑な運営のため、外部の政治活動家による関与の自粛を求めることも可能である。
しかし、少なくとも現時点では、そのような動きは確認できない。これは単なる無関心なのか、状況把握の遅れなのか、それとも黙認なのかは不明である。ただし、外部から見れば、結果として「問題にしない」という政治的態度として読まれうる。
今回の事案は、より大きな時代的転換を示している。
これは、東京大学における学生自治という一つの政治的世界に対して、かつて学生自治に関与していた政党の関係者、あるいはその周辺の活動家ネットワークが、「反差別」を掲げて直接行動を通じた圧力をかけようとしている事案である。
その際、「自治が十分に機能していない」「差別的言説を放置している」という論理が、外部介入を正当化する口実として用いられている。この構図は、東京大学の学生自治の歴史においても重要であるし、日本の政治・社会運動のあり方においても象徴的である。もしこの種のスキームが成功すれば、今後、自治会や市民団体、労働組合、各種NPOなどの、市民社会セクターに対しても、方針、資金配分、人事、招聘者選定などをめぐり、外部から直接行動を通じて圧力をかける前例となりうる。
とはいえ、「家登みろく」氏による抗議活動の呼びかけと、それによって生じる一連の出来事の直接的な当事者は、東京大学の学生自治に関与する者たちである。
一定の時間がある中で、東京大学の学生、五月祭常任委員会、自治会関係者がそれを許容するのであれば、それもまた一つの政治的態度として、外部の人間は理解しなければならない。
私自身としては、この抗議活動の成否は、今後の大学自治に対する政党・活動家ネットワークの介入可能性を占う重要な事案であると考えている。その意味で、強い切迫感を覚えると同時に、強い関心も抱いている。
ただし、私が「家登みろく」氏やその呼びかけに応じる人々に対して、何らかの要求を行うつもりはない。そうした要求を行うべき主体は、東京大学の学生自身である。
結果として、今回の事案が「まずは東大から」という形になるのであれば、それは東京大学の学生自治に限られない、極めて象徴的な出来事である。
ここで問われているのは、神谷宗幣氏の講演そのものだけではない。学生が自ら運営する場において、異論や批判をどのような手続きで扱うのか。そして、外部の政治活動家による直接行動を学生自治はどこまで許容するのかという問題である。
しかし、この問題は大学に限定されない。もし「反差別」や「人権」を掲げれば、外部の活動家ネットワークが、ある組織の内部的な意思決定に対して、直接行動を通じて圧力をかけることが正当化されるのだとすれば、その影響は大学自治の範囲を超える。
たとえば、職場、労働組合、市民団体、学会、NPO、地域団体、教育機関、文化団体などにおいても、方針決定、人事、予算配分、講演者・登壇者の選定、企画内容、広報方針などに対して、外部から「反差別」を掲げた圧力が加えられる可能性がある。
もちろん、差別的言説や不当な排除に対する批判は必要である。しかし、その批判が、当該組織の内部手続きや合意形成を迂回し、外部の直接行動によって意思決定を変更させる形になるならば、それは単なる抗議ではなく、組織自治への介入である。
今回の事案は、その境界線をどこに引くのかを問うている。すなわち、組織内の問題を内部の手続きと公開された議論によって処理するのか。それとも、「反差別」を掲げる外部圧力によって処理することを容認するのか、という問題である。
その意味で、今回の出来事は、大学自治だけでなく、現代日本における組織自治と社会運動の関係を考えるうえで、一つの重要な先例となりうる。
その点において、「家登みろく」氏は時代を動かす側に立とうとしている。これまで多くの人々が彼女を蔑み批判してきたが、まさに今、「家登みろく」なるものは時代のきっさきに立っている。それを人々は認めるべきであろう。彼女は今、東大の学生自治に対して外部からボールを投げ込み、その反応を迫っている。
では、そのボールを投げられた東大生たちは何をするのか。何もしないまま、外部の活動家に自らの主導権を渡し、自分たちが所詮は意気地なしの青白い受験エリートであることをあらわにするのか。それとも応答を示すのか。今回の局面は、誰が時代の作り手にふさわしいのかを露骨に問うている。
公開日:2026年5月15日
原稿作成にChatGPTを用いました