文科省、政治家、メディア、そして大学

:それぞれの問題

A-n-I/42

1 はじめに

   ここではこれまでに発表してきた調査を通じて見えてきた、文科省、政治家、メディア、大学についてそれぞれの問題点を振り返ります。(強調は蒲生)


改革時代の無能な英雄:大学は文科省を盲信し続ける (併読推奨)

2 文科省の問題

   コロナ禍の大学をめぐる騒動を通じてわかってきた文科省の問題は、適切なデータ管理や根拠に基づいた政策決定のための情報提供が行われていなかったことです。

   この調査プロジェクトが注目されたきっかけは、文科省の苦情分析でありました。

文部科学省に届いた「苦情・要望」についての調査(A-n-I/01-04)


「萩生田光一」文科大臣が「学生の声」をもとに大学を非難しましたが、実際には、絶対数として少なく、保護者の投書がかなりの割合を占めており、さらにはSNS上の対面授業再開活動家による集中的な投書運動であったことが明らかになりました。

 このレポートについては当時私たちが共有していた調査結果のうち、極めて単純で初歩的なものだったのですがSNSで拡散され、大きな反響を生み出すものになりました。

*きっかけとなったのは「Takashi Okumura」名義のアカウントが投稿したツイートです。

 この調査が明らかにした最も重要な点は、「学生の声」を根拠にした割に、それを整理し管理していなかったことです。

 根拠とすべき情報を文科省は持ち合わせておらず、萩生田文科大臣が自信満々に全国の大学トップを叱責したのは今となっては噴飯ものでしょう。

 また、中退(退学)や休学をめぐる発表も同様で、文科省は「オンライン授業によって学生が苦しめられている」という物語のために、データの読み取りをめちゃくちゃな基準で行ったり、ほとんど意味のない「コロナの影響」というファクターを用いたりしていました。国立教育政策研究所にサポートされて行われたというデータ分析も、基本的な用語の間違いが指摘されるレベルで、文科省自体が行政機関としてまともな調査能力がない疑いがありました。

 実際、私が退学・休学データを文科省の提供を受ける際、高等教育局の係員とのコミュニケーションが破綻するケースが生じました。

 変更されたカテゴリーに対して従来のカテゴリーで検討したいから基本的なデータ分析の結果を開示してほしいと要求したところ、話が通じず、結局、一般公開されたデータが送られてきました。

 「いや、これはもう公開されているでしょう」と苦情を告げたら、係員は意味不明になってしまい、別の部局の担当者が間に入ってくれて任意提供となりました。

 当該係員は最後まで要領を得ず、遂に交代となりました。交代後の係員も最後までこちらの意図が理解されず、苦労しました。

 それらを通して、そもそも文科省内にデータを管理するとか分析するとかいうことが業務として定着していないのだなという確信が生じました。

 言うなれば文科省はデータや根拠に弱く、それを収集し、管理するという意識が弱い一方で、自らには何かしらの根拠があるという思い込みだけは強いというわけです。トップへの助言も適切に行えず、「根拠に基づく政策立案」が求められる時代においては官吏としての能力不足は明らかです。


追記:文科省の調査には一貫性がない。例えば、萩生田文科大臣は事実上の対面授業として「ハイブリッド型授業」を推進していたが文科省の授業実施状況調査は対面と遠隔授業の割合であり、「ハイブリッド型授業」の普及・実施状況は把握できない。文科省は何をしたかったのか。

3 政治家の問題

 萩生田文科大臣の「心変わり」が答弁書と実際の答弁の比較から証明できたのは個人的には非常に価値あるものと思います。

 公文書開示請求においては、萩生田の心変わりに官邸や厚労省の事務局ベースでの圧力、介入は確認できず、文科省を介した政治家同士のやりとりでも決定的なものはありませんでした。

政治家同士の裏のやりとりがあったなら事前に萩生田と文科省側で調整が行われたと思われますが答弁書からはそのような痕跡も見られませんでした。

純粋に日本共産党の「吉良佳子」の質問に対し萩生田が反応したに過ぎない、これが実際でしょう。大臣が省庁の政策決定をリードすることは間違いではなく、この点は萩生田を非難するつもりはありません。

一方で彼が何をもってそのような心変わりをしたのかは不明瞭であり、単なる思いつきであるなら「根拠に基づく政策」とは言えません

当時は検察庁長官人事をめぐるSNSでのハッシュタグアクティビズムが注目されていた時期である点、主要メディアに「#大学生の日常も大事だ」が飛び火しそうな時期であった点、元来コロナ禍の文科省への批判を萩生田は大学の個別案件として交わしながら、大学全体を批判し、従来の文科省の姿勢通り大学を「調教」しようとしていた点を考えれば、その背景を理解するのは容易いでしょう。

また、彼個人の政治家としての資質・能力を考えるに、目立ちたがり屋で「深謀遠慮」とは無縁のこの男の「地」が見えたとも言えます。どちらにせよ、文科省の職員たちは萩生田の「心変わり」に驚くほど忠実に対応していったのは事実であり、彼に再度の心変わりを促すことよりも、その思い込みを強固にするために奔走したと言って良いでしょう。

文科省の姿勢を強固なものにし続けたという点で野党、日本共産党や立憲民主党らの功績は重要です。国会の本会議で大学の調査を信頼できないとした立憲民主党の「稲富修二」は大学の自己評価機能に疑問を呈し政府に追認させた点で重要な仕事をしました。どのような調査であれ、政治家が信じたくない結果を大学が出せばそれは疑われ文科省が直接調査をしないといけない重要な前例を作ったのです。

騒動の発端を作ったのは日本共産党であり、それは明らかに党のフロント団体と組織的な青年運動方針と関連していました。日本共産党はこの10年来、「SNSの市民活動家」なるものにすり寄っていました。日本最大の組織政党は高齢化の中で有権者のニーズと実態を理解する術を失い、SNSのトレンドを追う、立花孝志以上のネット依存体質となっていました。この点は立憲民主党であれ自民党であれ同じなのですが、日本共産党は戦後全ての時間をかけ築き上げた現場のつながりを捨て明白にSNSを主戦場としようとしている点で、日本の政治史上大きな転換を描いています。

与党野党、総じて言えるのは政治家たちの「若者」なるものへの渇望があったということです。

若者の政治離れは政治家たちに何が若者の声なのか、勘を狂わせていきました。特定の(それも海外資本の)民間企業が運営するインターネットサービスの(それもどのように算出されるかわからない)トレンドが若者の心象を表していると本気で信じ込み、そこで活躍する活動家が自分たちの新しい代理人になると本気で盲信しているかのようです。

加えて若者の親世代、つまり、「保護者」の声も魅力的だったかもしれません。それは同時にSNS上の過激活動家との接近を意味するのですが、意外なことにこれら過激活動家と最後まで寄り添っていたのは日本共産党の末端地方議員でした。そういう点で、野党が野党なる所以を垣間見たとも言えるでしょう。

4 メディアの問題

複数人のメディア関係者、特に新聞社や通信社と話をしましたが、流布された「可哀想な大学生」ストーリーを現場レベルでは本当にすっかり信じ込んでいる様子でした。それはメディアが流したストーリーをメディアが信じるというウロボロスの蛇のようでした。

一方で大局からそれが各社の方針とメディア特性と強い関係があったことも忘れてはいけません。

新聞社は読者が持つイデオロギーへの媚びが顕著でした。朝日新聞は公による危機を謳い、読売新聞は政府に従わない大学を批判することを好む傾向が見てとれました。

また、通信社は記事を売るためにセンセーショナリズムを愛しました。2021年4月段階で私たちの調査についてかなりの情報を知っていた通信社の記者は最後まで大学を批判する記事を書き続けました。彼は「大学生はオンライン授業に満足している」という文科省の調査発表を「陳腐なものだ」と切って捨て、そのデータから「大学生が可哀想である」という無理なストーリーを捻出して記事にしました。

テレビ報道において「コロナ禍の大学をめぐるストーリー」はいいビジネスになったのかもしれません。SNSで大学への不満を呟く学生からその「不満のみ」を、さらには活動家から「対面授業再開に向けた意見」だけを聞く。そして「可哀想な大学生」というシンプルで分かりやすいパッケージのもとで描き出す。

これらイデオロギーやセンセーショナリズムに対して、週刊誌等のゴシップ雑誌はいかにして人目を引く事実=ネタを提供できるかを戦っていました。そのためか、今回の検証プロジェクトとの親和性は高かったのです。

幾度となく述べていますが、大手メディアの「イデオロギーポルノ」に対抗するのが、雑誌の「ゴシップ」と「リアルポルノ」であったのは最高の皮肉でしょう。

メディアは自社の取材源を秘匿する権利を有する以上、その言説の信憑性はメディア自身の信頼に依拠するものが基本なのです。

朝日新聞の偏った「中退報道」とその裏で展開された「中退防止事業」については、関連性の有無というよりも関連性が疑われる利益相反の管理が大手メディアでさえもまともに行えていない現実を示しています。それは事業の成功と報道の信頼性を天秤にかけるような危険な行為だったと思います。

このような偏った報道を検証するには取材対象となった学生への再取材しかなく、そんなことは一般的に考えて不可能なのです。それなのに今回の調査シリーズではこのような再取材が可能になったのはメディアの取材先が簡単に割れたからなのです。それはメディアが極め小さい範囲でしか取材をしていなかった証拠でもあります。

5 大学の問題

これまで私は大学以外のものについて批判を加えてきましたが、正直なところ、大学や大学教員の側にも問題はあります。

たった一人で大学にオンライン授業の質向上を訴え挑んだ学生の話は、大学、そして個々の教員の大学生とのコミュニケーションの下手さを明瞭にするケースです。

ある⻘年の真実(A-n-I/11)


SNS上での大学教員の発信も一部の大学生の気持ちを逆撫でするものであり、不安や不満を際限なく増長させ、扇動する側面があったりしたでしょう。トップの発言もさまざまな点で考慮の足りない側面がありました。


コロナ禍の大学関係者による「発信」について(A-n-I/39)

根拠なき非難と発信:「尾木直樹」の場合

6 おわりに

   これまで見てきたようにコロナ禍の大学をめぐる騒動から垣間見えることは、私たちが生きている社会は想像以上にいい加減であり、基本的なことさえおざなりにしているということです。

   官僚たちは「根拠に基づく政策立案」ができません。政治家たちは票欲しさにリーチできていない層にアクセスするためSNSのトレンドを追い続けます。メディアはまともな取材をしません。大学はコミュニケーションが下手で、関係者も不用意な発信をしてしまいます。

 コロナ禍という危機において、社会の脆弱性はその姿を明瞭にし、人々は混乱と混沌の中で全てを忘れていきます。「愚かさ」で満ち溢れた一連のシークエンスは多くの学びを私たちに与えますが、最終的に行き着く先は私たちが作り出した複雑で重層的なこの世界を私たちは持て余しているということでしょう。

 私たちは私たちが作り出したこの世界を十分に認識することができません。そこに生み出される「バグ」は常に攻撃者たちの格好の標的になります。

続いてこの「世界のバグ」をターゲットにしてきた対面授業再開運動について見ていきましょう。


「コロナ・キッズ」と「上野千鶴子的なもの」(A-n-I/43)

お願い・2021年4月19日に「文部科学省に届いた『苦情・要望』についての調査」のレポートをアップロードして以降、SNS上で私への誹謗中傷を含む投稿が、複数回、複数アカウントによってなされました。・その中から悪質なものに関して、不法行為としての名誉毀損が成立しており私に対して大きな損害が発生していることが考えられましたので刑事・民事の両面から法的措置を取るため、発信者情報開示の仮処分申請を東京地裁に行いました。債権者面接及びTwitter社代理人を交えた双方審尋が行われ、2021年6月9日、仮処分命令が発令いたしました。・これに伴い2021年6月17日、Twitter社より当該アカウントのIPアドレスが開示され、プロバイダへの消去禁止仮処分及び発信者情報開示請求訴訟を提起するため、サイバーアーツ法律事務所 田中一哉弁護士に対して委任契約を結びました。・今後はプロバイダとの間での発信者情報開示訴訟となり、契約者の情報が開示されて以降、刑事告訴及び民事訴訟を準備いたします。
・ただし、情報開示訴訟となりますと費用的時間的コストがさらにかかり、損害賠償請求の金額もより高額になってまいります。・不法行為の事実関係を争うかどうかは別にしても、誹謗中傷をされた方も債務が膨大になる危険が高まります。
・以上のことより、私への誹謗中傷に御心お当たりのある方は早急に代理人、サイバーアーツ法律事務所 田中一哉弁護士(連絡先ウェブサイト)にお申し出いただきますようお願い申し上げます・双方で事実関係を確認できましたら、示談も含めて法的措置のあり方を改めて検討いたします。
SNS投稿の引用方法について *以下、TwitterについてはXと読み替えます・公開中のレポートについてSNSの投稿を引用する際、以下の基準で行います。・Twitterの場合は埋め込み機能を用いての引用を認めています。(参考:Twitterサービス利用規約・ただし、レポートはPDF形式が基本のため、この機能を用いることができません。・Twitter社はTwitterフェアユースポリシーを公表していますがこれは米国内でのルールあり,我が国においては著作権法の権利制限規定で公正な慣行による引用(32条)が認められています
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。2 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。(出典:e-Gov 著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)
・このことからTwitterの投稿引用に関しては、公正な慣行に合致する方法であれば著作者に無断での引用が可能だと考えられます。・論文等で引用を行うための「公正な慣行」=「一般的な慣行」ではURLの記載は必要だと思われます。(参考)editage 「ソーシャルメディアからの情報を学術論文に引用する方法」・ただし、今回の調査については、大学生のアカウント等、未成年のものが対象となる可能性が考えられ、また、内容も論争的なものを含むことから、(場合によりますが)不必要にアカウントを人目に晒すことは本意ではありません。
・そこでTwitterに関しては「アイコン」「名前」「スクリーンネーム」及び「添付画像」について隠し、さらにURLについては場合によって検索避けのため画像での貼り付けとして、対象アカウントの保護と引用慣行の徹底を行おうと思います。・例外として、すでに削除されたものでアカウント所有者に危害が生じないと判断できる場合、あるいは研究の都合上、「名前」等を明記したほうが適切だと判断した場合は一般的な引用の慣行に従うこととします。・政治家等の公職者、メディア等の企業体等の公共性が高いと思われるアカウントについては一般的な引用の刊行に従うこととします。・ご自身のアカウント/投稿の引用方法について問題がある場合、当ウェブサイトの「お問い合わせ」からご連絡ください。

2024年3月30日

*上記レポート作成にはChatGPTを利用しました

本ウェブサイト掲載の内容は蒲生諒太の個人研究成果です。所属機関等の公式見解ではございません。