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「東大自治会全学連脱退事件」の真実①:X氏インタビュー

A-n-I/31-6

1 はじめに

2024年春、Web上に「東京大学教養学部学生自治会の全学連脱退に関する資料集」なるものが「東大全学連研究会」名義で公開されました(「日本共産党による組織的な学生自治会に対する指導・介入の実態」という「X」という人物の手記が先行発表されていた)。

これら資料は2012年の東京大学教養学部自治会の全日本学生自治会総連合(全学連)脱退に関するものだと思われました。全学連については全国の大学自治会の連合組織ですが、複数の組織が存在し、それぞれ別々の左翼セクトが指導する体制をとっていました。今回対象になる全学連は日本共産党の影響下に運営されていたとされるものです。

2010年代、全学連の加入大学は減っており、その中でも大きな勢力を誇っていた東京大学教養学部自治会の脱退は運営資金の減少に直結したようです。その後、2010年代末には日本共産党系全学連の活動は見られなくなり、事実上、消滅したのではないかと思われています。

この手記は全学連の終焉、つまり、大学における学生運動の1つの「切断」を作り出した当時の様子を物語る一級の歴史史料だと評価できます。しかし、その史料が「真正」であるのか、そして、手記に書かれていたことの裏で何があったのか、確認し明らかにする必要がまずあるでしょう。

「コロナ禍の大学」を巡り、「高等教育無償化プロジェクトFREE」という日本共産党系の学生団体を追っていた私はその歴史的根源に東京大学の学生運動があるのではないかと考えていました。詳細は別途、示したいと思いますが、その中で東京大学教養学部自治会の「全学連脱退」事件の存在を知り興味を持っていました。

今回、公開された「東京大学教養学部学生自治会の全学連脱退に関する資料集」について、その真正性とこの脱退事件の背景を探るため、資料集作成の当事者と目される、さらに脱退事件の中心人物であった「X氏」にコンタクトを取り、インタビューに成功しました。以下、X氏のインタビューを掲載いたします。今回はあくまでもインタビューの公開だけであり、それについての論評等は行いません。

なお、X氏から「東京大学教養学部学生自治会の全学連脱退に関する資料集」原本(Web上で公開されたものは匿名処理がされている)や関連資料を提供いただき、事前におおまかな事情を把握した上でインタビューを行いました。

2 X氏手記について

  X氏の手記「日本共産党による組織的な学生自治会に対する指導・介入の実態」の内容をChat GPTを利用して以下、要約しました。

 

2010-2011年(1年生)

 X氏は大学入試時に日本民主青年同盟(民青)と出会い、2020年の東京大学進学後、民青同盟、そして日本共産党に参加した。ただし、彼は中国籍であり、それら組織に正式に所属することは規定上、不可能であった。党の指導の下、自治会活動に関わり、2010年7月にX氏は自治会副委員長に、11月には1年生の委員長に選出された(この時、副委員長にZ氏が選出)。


2011-2012年(2年生)

 2011年4月、1年生のQ氏が民青に加盟した。X氏らは統一地方選挙で日本共産党の候補を応援するなど、政治・選挙活動に関わっていく。自治会は東日本大震災の被災者支援活動を強化。6月、X氏が自治会委員長に、Q氏が副委員長に選出されるが、この頃から党の方針に疑問を抱き始めた。11月、Q氏が離党を申し出た。X氏は12月、党の指導が自治会運動を妨げていると確信し、党からの離別を決意。18日に退任の挨拶を配布し、翌日、党に決別を伝え、1年9ヶ月にわたる党との関わりを終えた。

 

  2012年6月、Q委員長のもと、東京大学教養学部自治会は全学連からの脱退を決議した。

3 匿名処理について

  今回のインタビューでは、当時の学生たちについては匿名処理を行います。当てられた伏せ字(ローマ字)は「東大全学連研究会」が行った処理に準じます。

一方で日本共産党関係者については実名表記を行います。

理由は、


・ほとんどが公党の役職者であること

・選挙での立候補予定、あるいは立候補経験を持つ場合があること(また、将来的にその可能性があること)

・全員についてすでに広報等で氏名や役職、党所属であることを公表していること


  ただし、実名での表記に問題ある場合はご連絡ください。当事者の方々のご希望を優先いたします。

加えて、全学連関係者で現在公的な職業についている方のうち、このインタビューで特に名誉を害しない場合、実名とさせていただきます。

以下のインタビューについてはあくまでもX氏の認識、記憶に基づくものです。細部においては事実誤認や当事者間での認識違いがある可能性は否定できません。しかし、X氏から提供いただいた当時の資料(「資料集」の原本)、X氏の証言の細かさや具体性、また、日本共産党がX氏への「アドバイス」を認めている点などを鑑み、その内容は概ね事実であり、真実性相当性は高いと判断しました。加えて、大学という公共性の高い機関に対して、国政政党という同じく公共性の高い組織がどのように関与したのかを当事者の証言に基づき公表することは非常に高い公益性が認められるため、インタビューの公表に踏み切りました。

なお、当時を知る方々で以下のインタビュー内容に事実誤認があると考えられる場合、ご連絡いただければその旨、聞き取りをさせていただき、対応をさせていただきます。本ウェブサイト「お問い合わせ」よりお気軽にご連絡ください。

<2024年6月2日追記>

以下のメールを日本共産党東京都委員会のウェブサイトより送付しました。日本共産党東京都委員会の皆様のご要望には善処いたしますのでお気軽にご連絡ください。

ご担当者様
立命館大学で教育学を研究しております、蒲生諒太と申します。
学生運動の歴史について調査する一環で、2016年に東京大学教養学部自治会の全日本学生自治会総連合(全学連)脱退に関わった元学生さんからインタビューを行いました。
以下、そのインタビューです。(略)このインタビューでは貴党東京都委員会職員の方についても言及がございます。あくまでも元学生さんの見解というかたちで紹介しておりますが、貴党として、あるいは言及されている職員の方個人として、看過できない事実誤認や認識違いなどがありましたらご連絡ください。それら内容を併記するなど、対応させていただきます。
また、貴党職員の方については公党の役職者である等の理由から実名表記とさせていただいておりますがこればかりはご本人様のご希望もあると思いますので匿名処理等ご要望ありましたらご連絡いただけますと対応させていただきます。
よろしくお願いいたします。
蒲生

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 インタビュー

*インタビューは2024年4月中旬実施。この時点で公開されていた資料は「手記」のみ

蒲生:公開された手記ですが、あれはご自身が書かれたもので間違いないですか?

X:一言一句、調べたわけではないですが私が見る限り、あれは私が書いたものでも違いありません。

蒲生:執筆されたのはいつですか?

X:あれを執筆したのは2012年1月頃のことだと思います。従って、まだ年度を跨いでおりませんから、2年生の頃ということになります。

蒲生:執筆した動機は何でしょうか?

X:執筆した動機は・・・東大の全学年脱退問題っていうのは実は提起してから確定するまで半年ぐらい時間がかかったんですね。全学連から脱退するということは年に2回しかない自治会の代議員大会で決議をとらなければならないといけないのです。それまでに執行部内で合意形成をする必要があったりして、逆算して半年ぐらいかかると。それに向けて、私はなぜ、東大の教養学部の自治会が全学連を脱退しなければならないのか、そしてそれを通して何を実現するのかということについて、執行部、あるいは他の自治団体の関係者に知らせる必要がありましたので、そのためにいくつかの文章を書いています。そのうちの一つがこの手記ということになります。

蒲生:当時、この手記はどういう方に配布されたんですか?

X:十数年も経って流出するとは思っていなかったのですが・・・当時確かにいろんなところに配ってるんですよ。東大には学生自治会以外にも、いくつかの学生の自治団体がありまして、それらにはすべて配っています。それらは多分目のつくところに今でも保存されてると思うので・・・今回の流出経路はやはり憶測するのやめましょう・・・わからないということにしておきますけれども。あとは東大学内のマスコミというか、同人誌を作っているサークルであるとか、当時、ビラを研究する会というのがありまして、そこにも渡しましたし、興味のある人には皆さんお渡ししています。

蒲生:事前にお話しした感じですと、「資料集」みたいにまとめたという・・・。

X:おっしゃる通りです。まず2012年1月頃に手記をさっき申し上げた対象者に配っています。その後、「脱退資料集」というものを作りまして。これ脱退しないと成立しないものですから脱退後、多分何ヶ月かかけて資料集というのが成立したんですね。その資料集も概ね同じ配布範囲でお配りしています。

蒲生:今回の手記の公表はXさん、ご自身の手で行われたものですか?

X:いいえ、私の手で公表したものではありません。まあ長らく読まれてほしいなとは思っていたんですけれども・・・まあ、なんというか暇もなく・・・私も半ば忘れ去っていたものだったんです。

蒲生:今回、舞台になるのは東京大学の自治会かと思います。「教養学部学生自治会」という形で表記されるものかと思うんですが、これはちょっと東大を知らない方、他大学、あるいは大学に行っていないよという方たちには分かりにくい話で、東大の自治の成り立ちをご説明いただけますか?

X:東京大学は前期課程と後期課程に分かれている、今では珍しい大学になっています。前期課程の1、2年生全員が教養学部に所属します。後期課程の3、4年生で法学部とか理学部とか・・・個別の学部に分かれていくわけですね。教養学部学生自治会というのは、このうち前期課程1、2年生を組織する全員加盟制の学生自治会ということになっています。従いまして東大は1学年3000人ぐらいますので、構成員数は6000人ぐらい。そして東大教養学部学生自治会の構造をお知らせすると、基礎単位となるのがクラスです。東大はクラスの組織がまだ生きていまして、選択した語学によって30人ほどで1つのクラスを形成して、そのクラスによって第二外国語の授業を受けます。そこでクラスのつながりというのができます。東大教養学部学生自治会というのはクラスで選出された2名の自治委員、それから6人に1人の割合で選出される代議員、これらによって間接民主制をとっていたほか、学生自治会の委員長と副委員長(正副委員長)というのは直接選挙で選ばれ、かつ執行部は常任委員から構成されています。常任委員は自治委員の互選で選ばれるものです。「学友会」については、「サークル連合」という立ち位置です。

蒲生:「自治会」と「学友会」は全く別系統の組織体なのですね。

X:そうです。規約の上でも別ですし、財政組織規約すべて別です。部屋も別です。自治会の当時の財政ですが、これは学生から年会費のようなものをいただいて、年2000円、頂いていました。

蒲生:大学による代理徴収だったのですか?

X:事実上そうだと思ってもらって構いません。実際には我々が直接徴収をしておりまして入学手続きの中に、自治会の会費を払うっていうステップを組み込んでもらっていました。大学がある意味、公的に徴収に協力していたという点では代理徴収で間違いないです。

蒲生:学生にとって自治会費を払わないという選択肢あったんですか?

X:ありました。我々は全くお勧めしていませんでしたが。NHKとは違うんですよね、強制力はありませんから。払わないと主張されたら強制力はないので、そのまま通すしかありませんでした。

蒲生:徴収率は高かったですか?

X:もう9割以上は徴収しています。

蒲生:入試の際、日本共産党関係者、民主青年同盟の方と出会われていますよね? 入試の際に宣伝があって勧誘の一環かと思いますが、民青がそのように入試の際に活動できたというのは、大学側に学生サークルとして公認されていたということですか?

X:東大にはサークルを公認するかどうかという論点はないんですね。サークルというのは大学から独立した学生の自主的な組織ということになっておりますので、公認サークルというものは東京大学にはありません。東大のサークルは、大学とは組織的結びつきはないので正門前に机を出してアンケートの勧誘をしたり署名集めをしたりパンフレットをまいたり、そこでだべってたりするっていうのは大学とは関係のない任意の活動ということになります。

蒲生:そうなると、自治会も学友会も大学が全く関係ない組織という理解で良いのですかね?

X:そうですね、ただ、学内に事務所はありますし、大学と交渉窓口になっていますね。あと、東京大学教養学部の便覧ですね、規則集、あれには我々の規約というのは載っていますので、私は「公認された」という言葉は使いたくないですけれども、「学部から認知されている組織」とは言えます。

蒲生:自治会とか学友会は大学の学生部など、担当部署があると?

X:そうですね。あとは学部交渉で学生委員長と毎年交渉しています。

蒲生:学生委員長は教員ですね?

X:はい。

蒲生:法的にと言ったら、それら団体は任意団体という扱いですね?

X:そうですね、法人化はしていません。

蒲生:話を戻して・・・入試前の際、民青がブースを置いていたっていうのは他のサクルと同じ扱いだったと。

X:特に問題になるものではありません。ただし私の記憶ですけれども、入試の時に・・・少なくとも私の入試、2010年の2月に東大駒場キャンパスに行っていた時はキャンパスの前で勧誘している、テーブルまで出して、旗まで立ててやってたサークルは民青だけだったと思います。

蒲生:かなり力を入れていたと・・・。民青は学内に看板などは立てていたんですか?

X:はい。東大では学内サークル、学外サークルというというか、公認・非公認の別はないということなので、ちょっと他大学の方には理解しづらいかもしれないんですけれども、いかなるサークルも東大の中で活動できるんですよ。2024年現在だって明治大学立て看同好会は東大に立て看を立ててますからね。まあ、そういう極端な例はさておいても、民青は当時東大の現役の学生の構成員を有していたので、それを根拠に咎められることなく東大の中で宣伝活動等ができていました。また、東大生の構成員がいるとサークル活動のために放課後に教室借用ができるんです。ですから、教室の借用して催し物をするっていうこともやっていました。

蒲生:ということは日本共産党関係者、民青関係者で非東大生もキャンパスに自由に入り込み、教室やブースにも出入りしていたと・・・?

X:それはもう完全にそうです。民主青年同盟、そして日本共産党・・・民青東大駒場班の活動と他の一般のサークル、政治サークルとの違いは何かというと、「東大駒場班」は常に学外の専従職員の多大なサポートによって成立していたということです。

蒲生:つまり、日本共産党の専従職員が大学内に自由に出入りしているという状況が常態化してたということですか?

X:それは当然です。専従職員が活動を引っ張っていて、学生メンバーはお客さんみたいな雰囲気すらありました。

蒲生:民青メンバーに東大生がいるということで、民青が東大の教室なんかを利用することもあったんですか? 会議や学習会、イベントのために、つまり民青の活動のために東大は教室を貸していたと・・・?

X:そうです。活動のために東大の施設を貸していたということですよね。もちろんです。ただし、2024年現在、東大当局は民青に教室を貸さなくなっています。それは政治的に貸してないんじゃなくて、学内メンバーがいなくなっちゃったんじゃないかなと思ってます。

蒲生:民青は学内にブース、つまり、常時利用可能な部屋を持っていたのですか?

X:民青は「学友会」、先ほど申しましたサークルの連合体での代議員の議席を持てないでいました。学内にメンバーのいるサークルにもかかわらずです。学生会館、キャンパスプラザというのが東京大学の駒場キャンパスのサークル・部室棟なんですけれども、その部屋の配分は学友会が所属サークルに対して行っていたので、民青は学友会に加入できてない以上、部室を持てないでいました。しかし、本当のところは民青はダミーサークルを3つ作って、それらが学友会に加盟することによって実は部屋を1個持ってました。「環境研究会 青空の会」、「原理研・革マル派の被害から東大生を守る会」、「平和研究会」です。部屋はキャンパスプラザB109でしたね。

蒲生:この部室に日本共産党の専従職員などが出入りしていたと?

X:駐在はしてないですけれども当然のようにいましたよ。

蒲生:そのブースに行けばその人に確実に会える状態だ?

X:これはですね、違うんですよ。東大の部室とっていうのは鍵は集中管理になっていて学生が管理してるんです。学生自主管理ということで、学生証と引き換えでしか鍵もらえないんですよ。なので学外者は入り浸るのにはあんまり適さない部屋でした。

蒲生:出入りしていた専従職員というのは・・・?

X:田川さんはいなかったですが、岩崎さん、西川さん、平野さんはB109によくいましたよ。

蒲生:彼らは東大生ではないですよね?

X:西川龍平さんはギリギリ2010年、当時東大文学部4年生だったと思います。それ以外は卒業済みですね。西川さんは当時、本郷キャンパスの学生だったので、実際にB109を開けて使っていたのは駒場の民青メンバーだったと思います。ちなみにこの部屋には曰くがあり、まさに民青がダミーサークルを使って確保している部屋だということが学友会にほとんどバレてしまう出来事が2009年にあり、学友会学生理事会に送り込まれていた党員が党派的に頑張って、つまり詭弁を駆使して、部室を何とか守り抜きました。その後しばらくは、ダミーサークルである3団体も、年に1回は独自の活動をするにように配慮されました。つまりそれまでは独自の活動はほとんどしていなかったわけです。ところが、ここまでして守り抜いた部室を、2013年だったか、部室使用権の更新申請書を提出し忘れるという失態により失い、民青は東大学内にサークル部室を持てなくなりました。

インタビューに登場する日本共産党職員(2024年現在)

田川  豊:日本共産党中央委員会准中央委員、党東京都委員会副委員長。手記では「T」表記。2003、2005年総選挙にて東京21区で出馬し落選。

岩崎明日香:日本共産党中央委員会幹部会、書記局局員。手記では「I」表記。

西川 龍平:日本共産党中央委員会中央委員、日本民主青年同盟委員長。手記では「N」表記。

平野 義尚:日本共産党東京都委員会党都委員、調布狛江府中地区委員長、衆議院東京22区国政対策委員長。東京22区立候補予定者。手記では「H」表記。

椎野 大輔日本共産党東京都委員会党・ジェンダー平等委員会(2021年現在)。手記では「S」表記。後ほど登場

蒲生:Xさんは入試から東京の日本共産党の方々と関わるのですが、手記を読む限りかなり組織が込み入っているなと。ここら辺の関係を整理していただきたいなと。

X:まず私が関わっていたのは日本共産党東京都委員会の方々ですね。東京都委員会と日本共産党中央委員会って独立した組織で、それが指揮命令系統の中でヒエラルキー的に圧倒的な差がある状況で位置付けられているのです。東京都委員会が中央委員会から指示を受けている、そういう感じです。私がこの状況で東京都委員会の専従職員の方と深い結びつきがあった理由ですが、東大駒場キャンパスに絞って説明しますね。東大駒場キャンパスでの組織について日本共産党から整理すると・・・まず、東大駒場学生支部があります。そして、そのフロント団体として民主青年同盟東大駒場班があります。この日本共産党東大駒場支部が一種「ラジコン」としてコントロールしている「大衆団体」として東大教養自治会があったということです。

蒲生:日本共産党の組織を考えると、「中央委員会」があって、その下に各都道府県の委員会があり、さらに細かく「地区委員会」、そして、職場や地域、学校での支部があるということになるかと思います。東大はどちらに属してたんですか?

X:いい質問ですね。日本共産党東大駒場学生支部というのは本来であれば目黒地区委員会に所属しているべきなのです。ですが、そこには所属せずに東京都委員会直属だったんですよ。だから、都委員会の専従職員が直接、対応していたのです。

蒲生:他の大学では?

X:当時、東京都内の大学で都委員会直属だったのは東大と中央大学でした。

蒲生:この2つに非常に力を入れてたんですか?

X:そうですね・・・あるいは力を入れられるような学生支部が、もうその2つしかなかったとでも言いましょうか・・・。

蒲生:都委員会直属ということは、地区委員会に所属とかなり違ってたんですか?

X:かなり違うと思います。指導のレベルが段違いです。ここら辺は、かつての名残だと思います。1960年代に共産党が大きな大学において地区委員会レベルの党組織を持っていた、そういう時代の名残かなと。本郷キャンパスにもそれはあって、その本郷の党支部も都委員会直属でした。

蒲生:駒場の党支部の代表ってどなたがされていたのですか?

X:日本共産党の支部長は1年か2年生の学生がやっていました。同学年で支部長がいました。彼も自治会の常任委員でしたが手記には登場してないですね。

蒲生:Xさんは中国籍ですから日本共産党には入党できない。民青では・・・?

X:民青も国籍条項があるので入れません。

蒲生:それなのにXさんを使って日本共産党は自治会を事実上コントロール下に置いていたと。・・・その自治会ですが、全国の大学の自治会が集まって「全学連」という組織になりますよね。手記には「都学連」というのがありますが・・・。

X:「都学連」は全学連の東京都のブランチです、支部ってことですね。全学連の日本共産党側のカウンターパートは中央委員会青年・学生対策委員会ですよ。都学連は党側のカウンターパート、指導を受け持っているのは東京都委員会青年・学生部です。

蒲生:「日本共産党中央委員会」「日本共産党東京都委員会」「全学連」「都学連」・・・Xさんとこれら組織との関わりなのですが・・・。

X:日本共産党のラインでは中央組織、中央委員会とはほぼ接触することはありませんでした。しかし、学生自治会のラインでは中央組織としての全学連と接触することは非常に多かったです。それはなぜかというと、全学連というのは当時すでに大学が8つだか10だかしかなくて、中央組織といっても距離が近かったわけです。

蒲生:東京大学教養学部自治会は全学連中央にメンバーを送っていたのですか?

X:はい、中央執行委員を毎年1人送っていました。2年生の頃は私がやっていました、全学連中央執行委員。全学年中央執行委員の身でありながら、全学連脱退を主張したというわけです。翌年は脱退してしまったので東大自治会から全学連へというのは、私で終わってしまいました。

蒲生:都学連の方にはXさんは関わっていた?

X:記憶が曖昧ですが、おそらくZくんかと思います。彼が都学連の執行委員だったんじゃないかなと思います。

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蒲生:手記を読んでいて非常にプライベートなことになるのですが、どうしてXさんが日本共産党にね、最初から入れ込んでいたのか、不思議なんですよ。手記に書かれていない動機みたいなのがあるのかなと。

X:まずもって私は今も昔も左翼です。従って日本共産党に参加するというのは非常に違和感のない当然のことです。さらに言えば個別的な事情もありました。私は山口県で高校生活を送っていたんですけれども、山口県には日本共産党系の教職組合「全教」の「山口県高教組」の先生方が大いにサポートする形で「山口県高校生交流集会」という高校生の大衆運動が存在していました。私はそれに参加していました。私は高校時代から「高校生運動」というものに参加していて、その時から社会活動家だったわけです。その時にその指導してくれる教員というのは皆さんそうは言いませんけれども日本共産党員であることはもうよく分かっている人たちだったので、その時から私の中で党に対する信頼が高まっていたわけです。この高校生交流集会というのは実は部落解放の問題と関係して西日本で設立された運動だったんです。

蒲生:日本共産党系ですから、解放同盟ではなく、全解連系統の運動ですね。

X:おっしゃる通りです。

蒲生:当然ながら、Xさんとそこに導いた先生がいらっしゃると思うんですが、通われている高校の先生だったんですか?

X:高校に貼られていたチラシを見て自分で飛び込み参加したのです。だから、呼び込んだ先生というのはありません。山口県って妙な県で日本共産党の色がついた高校生交流集会なのに、山口県教育委員会は後援を出していて各高校にも宣伝のチラシが送られて教室に貼られるという状況だったんです。

蒲生:そもそもですが山口県って日本共産党は弱いですよね。

X:山口県というのは不思議な県で保守が強すぎて左翼といえば日本共産党なんですよ。

蒲生:ああ、なるほど。日本共産党しかないという状況ですね。

X:そういう県って他にもいくつかあると思うんですけど、わずかに残された左派リベラルは日本共産党と付き合ってないと生存空間がないという状況でした。

蒲生:Xさんが左翼的になったというのは中国籍であるということと関係があるのではと思われる方もいるかなと感じます。いかがですか?

X:そうですね、その関係っていうのを考える方もいると思うんですが、いわゆる左翼思想っていうのが自分の中で芽生えたっていうのはそれは一体どういう背景があったのかというと、これは中学校の管理教育に大きな原因背景があります。中学校というのが非常に管理教育の強い学校でして、それへの反発から左翼思想に入り込んでいったと言えます。

蒲生:Xさんが中国籍であるからその思想には中国共産党の影響があるんじゃないかという人もいると思うのですが、Xさんのそもそもの思想的背景は保守的な山口県の厳しい教育に対する反発だったということですか?

X:そうです、そうです。私は革命的祖国敗北主義者なので、「中国だから」みたいなのは特にないです。

蒲生:むしろ、「山口だから」だったわけですね。

X:ハハハ、そこいうことですね。中学校というのは管理教育で「ゴミクソ」だったんですけれども、今思い出しても「ゴミクソ」なんですけれども、高校はすごく開放的な教育が行われていました。そしてその背景には面白いことがありまして、山口県は義務教育は組合の組織率が低くて、高校の段階になると日本共産党系の山口高教組の組織率が非常に高いんです。私は高校段階で非常に自由な教育が行われているのは教職員組合、それも日本共産党系の教職員組合がヘゲモニーを握っているからだと理解しました。この点でも日本共産党には非常に強い信頼感がありました。そして日本共産党に強い信頼感を持つに至ったもう一つの理由があって、それは高校生交流集会が部落問題と関係を持っていたということから出発していて、やはりその中で八鹿高校事件などを全解連の側から同和問題を勉強することによって解同って何てひどいんだ、そこで国民統合という正しい筋を貫き通した民主勢力っていうのはなんと正確な路線を持っていることかと考えて行ったわけです。部落問題における日本共産党や民主勢力の鍵括弧付きですけれど今となっては「正しい立場」っていうものへの信頼っていうのがあったのでそれでもって入学前から日本共産党の路線への絶大な信用っていうのがありました。

蒲生:山口の先生方に対する評価はこの全学年脱退の動きの中で変化はあったんですか?

X:当時、言っていたのは当時私がZくんと言っていたのは「日本共産党は日本共産党でも東京都委員会と付き合わなくて済むならどれだけいいか」という話をしていました。

蒲生:山口でのその経験の延長に民青や日本共産党に対する信頼とか心酔があったと。Xさんの中で山口の人々と都委員会の人が最初は同じ信頼に足りうる日本共産党として同じ人だと思っていたと、しかし、実際は違っていたと。そうなったのですか?

X:日本共産党東京都委員会は私の期待を裏切ったわけですよ。今でもそのような気持ちはあります。東京都委員会以外の特に山口県の共産党っていうのは、もうちょっとまともなんじゃないかっていう思いは今でもなくはないですね。

蒲生:しかし、その都委員会として関わっていた人達って今中央にいるわけですね。

X:そうですね、こんなに早く出世するとは思っていなかったんです。岩崎明日香さんは幹部会にまで昇進しましたし、西川龍平さんも中央委員に出世しています。

蒲生:東大に入学され、入党できないながらも日本共産党と深い関わりを持ち始めた。

X:同盟員、党員並みに参加していたということですね。党の支部会議には出ないっていうことだけが我々の線引きでした。

蒲生:手記には「11階」のマンションという話がありましたね。この11階は公式な事務所だったのですか?

X:いいえ、公式な事務所ではありません。日本共産党支部、そして民青の駒場班両方が使っていました。家賃を負担しているのは日本共産党東京党委員会です。鍵はダイヤル式のキーボックスに入れて外にぶら下げていました。ちなみにそのキーボックスの番号は「0902」なんです。意味は「マルクス(09)・レーニン(02)」。民青東大駒場班と日本共産党東大駒場支部の活動っていうのは東京都委員会の多大な財政支援によって成り立っています。なぜならまずそもそも専従職員を2、3人東大に貼り付けられるっていう時点で人件費がかかります。いくら日本共産党が薄給とはいえ、数百万使っている。11階のマンションも家賃10万円ぐらいするでしょうから、年間100万円はしていると。あとはビラ、ビラも日本共産党が印刷して無料でくれるのでビラの印刷代も数十万かかっているとでこれら民青東大駒場班や日本共産党駒場支部は資金持ってませんから、これは全部東京都委員会のファンドです。

蒲生:「11階」も含め、どの方が東大駒場班に貼り付けだったんですか?

X:まず2人が当時貼り付けだったんですよ。椎野大輔さんと平野義尚さんですね。田川豊さんは東京都委員会青年学生部長ですから、さすがに田川部長が東大に張り付くということはないです。

蒲生:椎野さんや平野さんが現場で張り付いていて、それらを管理、マネージメントしていたのが田川さんという感じですね。

X:マネージャーですね、そういうことになります。

蒲生:岩崎さん、西川さんあたりっていうのは・・・西川さんは当時学生で岩崎さんは卒業していますから、当時彼女が民青の都委員会の担当者だったんですか?

X:はい、そうだと思います。

蒲生:では、活動の現場に入ってくることは椎野さん、平野さん、そして、岩崎さんの3人と会うとことが多かったと。

X:岩崎さんは何でかわからないんですけれども、入学後はあんまり会わなくなるんですよね。東大の担当からは外れたんじゃないかなと思いますね。

蒲生:民青でよく顔を合わせたのは・・・?

X:それも椎野さんと平野さんですね。

蒲生:両方担当してたってことですかね?

X:ちょっと今となっては記憶が曖昧ですけれども、もしかしたら椎野さんが党支部を担当して、平野さんが民青の班を担当していたのかもしれないですね。

蒲生:この2人が日本共産党学生党員や民青メンバーを指導する中で学生たちが自治会に関係して行ったということで理解は良いでしょうか?

X:そうです。

蒲生:「11階」を管理してたのは誰ですか?

X:明確な管理者がいたわけではないです。ただ、専従じゃないと部屋の契約や処理ができないですね。

蒲生:「11階」の間取りは?

X: 1DKです。

蒲生:ダイニングキッチンともう1部屋。寝室ですね。

X:そうです。

蒲生:「11階」には学生活動家が出入りしている他には日本共産党の専従職員が出入りしていたわけですよね。

X:はい、そうです。

蒲生:学生さんは当時1、2年生ってことは「未成年」ですか?

X:そうです。

蒲生:女性もいましたか?

X:いました。

蒲生:出入りする時間は例えば何時から何時までみたい制約はされてましたか?

X:ありません。

蒲生:ということは、そこに泊りの学生がいたということもありましたか?

X:具体的にどうだったかは忘れましたが布団は何組かありまして、活動が忙しい時期には泊まりしていたはずです。

蒲生:日本共産党の専従職員もそこで寝泊まりをしている?

X:彼らは帰ることが多かったように思います。主に泊まっていたのは学生活動家だったように記憶しています。

蒲生:深夜に党の職員と学生が2人きりになることもあったのでしょうか?

X:具体的な記憶はないですが当然あったと思います。

蒲生:手記ではXさんと椎野さんお二人で「11階」で深夜に話されてますね。

X:あー、そうですね。

蒲生:例えばそれが女子学生だったこともあったりするんですか? つまり女子学生が深夜帯に出入りして、そこに男性の方がいたみたいな状況もあるんですかね?

X:なかったとは言えないですが・・・当然2人きりであれば私はわからないのでわからないですので。

蒲生:当時の指揮命令系統についてですが、東大の活動の現場には日本共産党東大駒場学生支部の担当者、民青東大駒場班の担当者である日本共産党の専従職員の方2人がいて、その2人を日本共産党東京都委員会の管理部門の田川さんが統括していた。東京都委員会の指導を受けた日本共産党の学生党員や民青の同盟員、あるいはXさんのような事実上の党員や同盟員が自治会活動に参画してたっていう構造で良いですかね?

X:はい、それで間違いないですが自治会に参加する活動家の指揮系統っていうのは完全に党支部が統括しています。

蒲生:民青の動きとは別ですね?

X:はい。

蒲生:なるほど・・・あの・・・Xさんはね、当時、自治会に党の介入があったと主張されていたかと思うのですが、今お話聞いてて非常にクリアになった部分があって。要するに学生党員を自治会に入れることで自治会のヘゲモニーを握ってたってことですね。

X:そうです。

蒲生:となるとね、「日本共産党系の自治会」って言われてるけども選挙がある以上、常にヘゲモニーを取れるという状況ではないわけですよね?

X:そうですね。日本共産党の専従職員たちは規約の遵守に関しては非常に律儀でしたので全員加盟制の組織である自治会を党のヘゲモニーのもとで維持していくっていうのは並大抵の努力ではなかったと思います。

蒲生:東大教養自治会っていうのは確か全学連に200万ぐらい加盟金を出していましたよね、そこがひっくり返ってしまうと。その200万、300万がなくなるわけですよね。すると日本共産党系の全学連が立ち行かなくなるわけですよね。

X:そうです。

蒲生:すると日本共産党としては確実に東大教養自治会を取っておかないといけない

という状況はあったわけですね。

X:おっしゃる通りです。ご指摘に基づいて推察すると中央委員会マターでもあったはずです。

蒲生:全学連の指導は中央委員会がやっているわけですから。

X:はい。中央委員会も東大教養自治会のヘゲモニーに関しては気にしないわけにはいかなかったでしょうね。

蒲生:Xさんは学内のヘゲモニーを取らないといけないというか、そういうプレッシャーは感じましたか? 党というか、現場レベルで言えば、党の担当者からのプレッシャーですね。

X:それは当然ありましたよ。それは当然ありました。

蒲生:専従職員の仕事としてもうマストだと思うんですね。彼らの指導っていうのはそのヘゲモニーを取ったり維持することに非常に注力をしてたとなると思うんですがそういうものを感じましたか?

X:もちろんです。それはこの手記の中にもあるように、私の一つ前の委員長が無能だったので、そのヘゲモニーが著しく揺らぐという出来事があったんですね。明らかに客観的に見て日本共産党員の委員長よりも非共産党員自治会メンバーの方が優れてるっていう、党にとって非常に困った状況が現れたわけです。その時に党っていうのはもう私ちょっと知らないんですけれども、とにかくゴリッゴリに縛り付けというかアプローチをしてヘゲモニーを維持したわけですね。私はそれこそ直前の委員長に比べて、ずっと優秀な党活動家でしたので遜色はないのですね。

蒲生:Xさんが党員ではないということは日本共産党東京都委員会にとってネックではなかったのですか?

X:これについては少しお話しましょう。私はその当時、田川さん含め担当の党職員の方々からは「一人前の党員」として扱われていたと思っています。そのことについて、私は感謝してるんですよ。やっぱりプロレタリア国際主義からしても、外国人の共産主義者だからといって差別しないっていうのは、党規約には背いているけれども、私はそちらの方が道理のある大義のある立場だと思うんですよ。だからその点で中国国籍である私を一人前の党員扱いした当時の田川さん、椎野さん、平野さん、その他党機関の皆さんには大変感謝をしています、今でも。それは正しかった。しかし、ですね。私がこの東大教養自治会の全学連脱退騒動を起こして、しばらくしてから2012年の後半だったと思いますけれども、党の関係者から伝え聞いたところによると、党側は東大教養自治会全学連脱退問題についてどのような総括をしたか。「規約に基づかずに外国人を入れたからこんなことを引き起こしたんだ」ということで、その責任を田川さんに被せたと聞いていて、これは非常に差別的な総括だし、だいたいこの問題の政治的本質をわきまえずにその差別的な方向に総括をした最悪な総括だったなと私は非常に残念に思ったんです。

蒲生:「一人前の党員」として扱われたのはどういう点を意味しますか?

X:情報を全て貰っていたというそういう点ですね。

蒲生:情報っていうのはそれは党の自分の情報ですよね。

X:そうです、支部会議には出ないとはいえ、党員にしか見せない情報っていうのは全部もらっていましたし、具体的な指揮や命令をいただいていたのです。

蒲生:確か、選挙の応援をされてるかと。

X:一度だけですね。演説会が新宿駅南口であるから、「党員、同盟員の皆さん来てください」と言われ、そしたらその場でマイクを渡され応援演説をした、そんな感じです。

 *当時Xさんは当時、未成年のため選挙運動は法的にできない。ただし、選挙事務所等での労務作業は認められている。(公職選挙法 第百三十七条の二 年齢満十八年未満の者は、選挙運動をすることができない。2 何人も、年齢満十八年未満の者を使用して選挙運動をすることができない。ただし、選挙運動のための労務に使用する場合は、この限りでない)


蒲生:Xさんは日本共産党で・・・例えば赤旗を配ったとか、チラシやビラを撒いたとか、そういうことをしたことはないんですか?

X:あー・・・でもそれは私だけじゃないですよ。日本共産党東大学生支部の学生党員の任務は、そういう「誰でもできる党活動」をやることには置かれていなくて、自治会のヘゲモニーを取るっていう事が至上命題だったので・・・それが任務ですから。

蒲生:民青はまた別なんですね。

X:民青と党は一体なのですが、民青は対外的な顔ですね、イベントとか。あと、民青だけ加盟している人に自治会に参加してもらうことはよくありました。けれども彼ら非党員の同盟員には党の指示っていうのは行き届かないので党の命令通りに動くっていう役割は期待できませんでした。

蒲生:日本共産党の駒場支部っていうのは自治会のヘゲモニーを取ることが目的の組織だったってことでいいんですか?

X:そうです。

蒲生:支部会議にXさんは出ていませんよね?

X:はい。

蒲生:でもそういう会議ではない会議、つまり・・・。

X:学生自治会がテーマの会議には参加していたということですね。

蒲生:つまりXさんの日本共産党での活動っていうのが「学生自治会」だったんです。

X:そうですね。

蒲生:駒場支部の学生党員は党の政治活動・・・赤旗を配ったりビラを撒いたりとかはしないんですね。

X:はい、温存します、「特別」扱いです。

蒲生:何やるかって言ったら「11階」に集まって、「ヘゲモニーを守る」ということことに日夜汗を流していたと。

X:そうです。なぜかというと、日本共産党にとって東京大学ってとても重要な存在なんですね。現在委員長の田村智子さんは早稲田でしたけれども、基本的には今まで党の委員長は必ず東大から出ていたし、今でも幹部の多くは東大であると。だから日本共産党にとって東京大学というのは幹部を養成する学園として極めて重要な位置づけがある。じゃあその東大における幹部養成っていうのは何で行われるかっていうと学生自治会で行われるんですよ。みんな、学生自治会幹部を経験することで大衆運動経験を積んで、そして日本共産党の専従になって出世街道を歩んでいくんです。

蒲生:地域支部とか職場支部とか経験される一般の党員の方からするとすごい異質だと思うんですね。今までの話を総括すると「11階」に学生党員が入り浸って、そこに2人の専従と1人のマネージャーが入って幹部候補を指導する。これには育成の側面があるんだけど、それは何かっていうと自治会のヘゲモニーを維持するための経験でしかなくて、はっきり言って「大衆運動」も一つも何もしてないように思うんですね。

X:ハハハ(笑)

蒲生:そうでしょ?

X:はい。

蒲生:これっていうのは結構重要だと思ってて、この東大自治会を経験して党に就職した人たちは都委員会で働いた後に大体、中央委員会に行くわけでしょ。

X:そうです。

蒲生:ってことは、中央委員会の人たちは大衆運動、本当にビラ配ったり、有権者と対話したり言うんじゃなくて、手記に書かれているような、言うなれば「非常にレベルの低い政治ごっこ」で育っていった人だと。

X:まあある意味陰湿・・・非常に陰湿な陰謀ごっこをやった人がエリートとして君臨するのが日本共産党というわけですね。

蒲生:手記の中で非常に気になったのは田川さんがね、Xさんたち学生メンバーに「大衆で有力な人はいないよね」っていう発言があって。これがよくわからなくて何を言ってるのがさっぱりわからなかったんだけど、要するに日本共産党員以外で自治会幹部になったりトップになれるような人材はいないよねっていう話をしてたわけですか?

X:そうです。

蒲生:それは選挙で言うと対立候補は出ないよねっていうことですよね?

X:いえ・・・自治会の選挙って、その執行部側から出す候補がいて、反執行部側から出す候補がいたりいなかったりするじゃないですか。ここで田川氏が気にしてるのはどちらかというと執行部側から出す、いわゆるまあ、その政権を継続する候補者として適任な人がその他にいないよねっていうことを気にしてます。

蒲生:それはどういう・・・?

X:執行部から次の自治会委員長、副委員長候補出す時って執行部で合意形成するわけですね。「次は誰誰くんが出馬するべきだね」とか。

蒲生:なるほど。

X:その時に非党員で有力な人がいると困るじゃないですか。

蒲生:正副委員長は一般の学生からも出馬できますよね。

X:選挙は出れます。

蒲生:だけどその自治会の幹部というか、執行役員の中からも出せるわけですよね。幹部の中では常任委員の中から出したいよねっていうのがあるって事ですね。

X:そうです、そうです。

蒲生:さらに常任委員の中での派閥争いっていうか・・・二重の問題なわけですよね。「学生全体の中で」っていうのと、「自分たちの中で」っていうことですね。

X:一つ補足しておくと、なんで日本共産党がこんな脆弱な全員加盟制自治会と全学連っていうもののヘゲモニーをずっと取れてきたかっていうと、その背景にはこの日本共産党系あるいは全学連に加盟するような自治会には共通した特徴があってそれはアルバイト代を出さないことです。役員報酬を出さないことです。それによって「献身的な奇特な人」しか、自治会やらない仕組みになってるんですよ。だからヘゲモニーが取れるんです。

蒲生:自治会をやるインセンティブがないから、普通の人はやりたくない。それこそ、別組織の指示のもとで「行け」と言われてミッションとして自治会を行う以外は意味がないと。

X:それに近いですね。

蒲生:でも、選挙で選ばれるのでしょ? そうなると、みんな手が上がらないっていうのが前提ですよね。だから手を挙げればほぼ確実に当選するよ。一方で正副委員長は・・・?

X:正副委員長になりたいなんて人いませんから。もう何年も「対立選挙」なんてなかったんですよ。信任投票なんですよ。

蒲生:つまり、「大衆で有力な人はいないよね」っていうのは、選挙は形だけで自治会の内部で話がまとまりさえすれば、正副委員長人事は決まるってこと?

X:そうです。

蒲生:ちょっと待ってください。それじゃ、日本共産党の党内選挙と同じじゃないですか!

X:言い得てますね。その通りです。

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蒲生:田川さんの自宅に、Xさん、Zさんと一緒に泊まってますよね。何で泊まりがけで行かれたんですか?

X:それは我々が「特別教育」を受けるためですね。

蒲生:手記には「田川史観」なんて言葉もありましたが私が知っている限り、田川さんって別に理論家でも何でもないわけですよね?

X:彼は・・・ただ当時は田川豊さんの権威っていうのはすごいあったんです。今となっては全学年脱退が起きてから、田川さんはどうでもいい人物になっちゃってますけど、当時田川さんってあの若さですでに准中央委員にもなってて、東京都委員会の青年・学生部長って要職ですから、一応党全体見渡しても、やっぱりその青年・学生戦線の有力な理論家という評判ではあったはずです。

蒲生:では、人を惹きつけるカリスマ性のようなものあったんですか?

X:いや・・・あの・・・官僚主義的で学生たちにはプレッシャーでしかありませんでした・・・。

蒲生:Xさん当時、手記を読む限り、彼に心酔してますよね?

X:はい。

蒲生:人として尊敬できる側面はあったんですか?

X:(長考)・・・・一応・・・ギリギリ・・・なんだろう・・・この人にならついていこうと思わせるぐらいのものはありました・・・。

蒲生:具体的に何かエピソードがあるんですか?

X:日本共産党の枠内からは絶対に出ないんですけれども、やっぱそれなりに自分の頭で考えて、党的な意味で説得的なことを言う感じはあったんですよ。「田川史観」なんかそうですけれども・・・。

蒲生:彼は選挙に立候補してますよね、あまり・・・その言い難いですが・・・あまり票を集められず・・・何て言うのか・・・一般的な人から見て、魅力がなかったのかなと思うんですね。今、大人としていろいろと経験されて振り返って田川さんはどういう点で「ギリギリ、この人にならついていこうと思わせるぐらいのもの」があったんですか?

X:今振り返ればないです。・・・思い出しましたよ、当時何で田川さんに魅力を感じたか。情勢分析がうまいと思ってたんですよ。当時田川さんの情勢分析の目は確かだと我々は思い込まされてました。ただ、その情勢分析っていうのはあくまで日本共産党の独特なものというか・・・反共勢力と日本共産党とで世の中ができているっていう、自己完結的なカルト的なあの考え方あるじゃないですか。田川さんはこれだけで膨大に起こっている現実のさまざまな出来事を説明するプロだったんです。それを我々は信じ込まされていたんですよ。すごいな、この情勢分析力すごいなと。

蒲生:彼は「世界は日本共産党か、それ以外か」ってことで何でもかんでも説明するのがうまかったと。

X:そうです、そうです。

蒲生:つまりそれは・・・とても疑問なんです。東大生の知的水準から考えて、そんな妄想じみたことを信じ得るのかという疑問があるんですね。今から考えてそれは一種の洗脳というか・・・陰謀論に毒されていたというか・・・振り返るとなんでだったと思います?

X:いや確かにカルト的ですよ、洗脳ですよ。

蒲生:例えば非常に人間関係が狭くなってたとか、異なる価値観の人と出会えなくなってる状況だとか、朝から晩までずっと日本共産党関連の人たちしか会えない状況だとか、こういう状況だったんですか?

X:確かに活動忙しくなってくると人間関係が党内で限定されるようになるので、それっていうのはありますよ。でも私が思うに、当時、やっぱなんでそうなっちゃってたかっていうと・・・何だろうな・・・東大において左翼的活動をする人たちっていうのは日本共産党しかいないので、もう左翼・左派的な心情を持っていると日本共産党しか見えないっていう世界の狭さがあったと思ってます。逆に言えばですね、今東大駒場って左翼めっちゃ元気なんですよ。ノンセクトの左翼めちゃくちゃ元気なんですよ。一学年に数十人が左翼活動家がいるって言う、もうなんかありえない羨ましすぎる状態になっていて。そうした中で日本共産党って全然、党員とか同盟員、獲得できてないんですよ。つまり左翼同士が自由競争していくと日本共産党っていうのは魅力がなくなって没落していくんです。でも左翼があんまりにも細っていると資金力のある日本共産党だけが輝いて見えるっていう状態が生まれるのだと思ってます。

蒲生:ただごめんなさいね、ちょっとやはり・・・最大の疑問があって、ヘゲモニー争いをしてるので忙しくなるっていうのは全く意味不明でして一体何をしてたんですか?

X:あの・・・会議ですよ、会議。会議でひたすら忙しい。

蒲生:当時、目立って敵対勢力なんていなかったですもんね。

X:ええ、ヘゲモニー争いに忙しいっていうよりは、日常の会議でめっちゃ忙しいんですよ。党員で自治会役員の1週間に参加しなきゃいけない会議、数えるとね、民青の班会議、民青の新歓イベントがあれば、それ。党の支部会議、党の支部委員会議、自治会の常任委員会、都学連の会議、たまに月1で全学年の中央執行委員会・・・。

蒲生:ここに自治会関連の党のミーティングを入るわけですね。

X:会議漬けです。話す内容ほぼ同じ話でメンバー変えて話してるだけですよ。

蒲生:いったいなんでそんなに会議を・・・。

X:日本共産党って会議好きなんですよ。

蒲生:その会議では何か数字が出るんですか?

X:党勢拡大は大きいです。駒場班もしますよ。だから対象者あげてます。

蒲生:この人勧誘しようみたいな。

X:はい。

蒲生:それも一緒やってるんですか?

X:毎週やってます。それに関しては一番いい資料があって。全学年脱退の時に「日本共産党都学連グループ」のグループ会議の資料が流出したんですよ。それが支部会議のレジュメとして、すごく典型的なのです。

蒲生:カンパはあったんですか?

X:我々ほぼなかったですね。我々は全国の党の寄付や党費からなる浄財から多額の支援を受ける支部でした。

蒲生:赤旗は?

X:赤旗はみんな取っていました。

蒲生:党費は?

X:払っていたと思います。ただし学生なので多分かなり安かったと思います。

蒲生:Xさんが2年生の時に新入生歓迎が大成功したと・・・。

X:そうです。1年生も2年生も両方ともに成功してたと思いますね。

蒲生:人員がだいぶ増えたんですよね。Xさんがその中でリーダーになっていって・・・ただ、手記では田川さんが「成績開示の改善を求める署名を提起した」というのですね。田川さんからこれをやれと。

X:そうです。

蒲生:自治会ではなく日本共産党の事前の会議での指示だったと?

X:そうです。

蒲生:これは日本共産党が学生要求運動指揮していた明瞭な証拠になると思うんですが、こういうことは多かったんですか?

X:多かったです、多かったです。日本共産党って本当に上位下達の政党で、実質的なことは必ず上で決まるんですよ。本当にひどいのが急に呼び出されて急に指示されるんですよ、何もかもが。

蒲生:呼び出されるというのはどこにですか?

X:田川さんに呼ばれて、呼ばれる先は「11階」ですね。

蒲生:普段の会議もあって、さらに「11階」に呼ばれると。呼び出すのは椎野さんですか? 田川さんですか?

X:どっちもありますが田川さんが多かったですね。あの人はそれだけ東大の自治会を重視してたんだと思います。

蒲生:田川さん、暇なんですか? 彼もガンガン来てたんですか?

X:それだけ東大の自治会を重視していたというか・・・彼もガンガン来てましたよ。

蒲生:ちょっとよくわからないのですが・・・例えば成績開示の改善を求める署名っていうのは学内の状況を知らないと無理じゃないですか?

X:まあ、それでも提起しちゃうんです。

蒲生:それだと見当違いのことでもやれって言われたり?

X:そうです、そうです。まあでも彼らは彼らなりに学内の研究してるんですよ。だからこれは両方だと思ってて。現場の党員活動家は会議まみれで自分の頭で考える時間がなくなって活動を構想できないで、そこに暇ではないにせよ、時間がある専従がそれなりに学内の事情を研究して、こういう政策、こういう活動すればいいって政策を上から与えてくる、そういう相互関係があったと思いますね。

蒲生:どうして田川さんは学内を研究できたんですか?

X:日本共産党都委員会青年学生部っていうのは「自分たちは東京大学の行く末に責任を持っている」と自負してるんですね。

蒲生:勝手にね。

X:まあ、そうですね・・・彼らは東大のことをめちゃくちゃ研究してます。東大の学生の利益っていう、その努力は本当に認めますよ。

蒲生:それはどこから情報が上がるんですか?

X:我々が情報を上げたりしますね。我々から聞き取り・・・我々は学生自治会のことを党に報告する義務がありますから。

蒲生:会議を通じてですか?

X:そうです、そうです。

蒲生:それは自治会の外に出してはいけない資料も日本共産党側に見せてたんですか?

X:もちろんです

蒲生:それは田川さん達が要求するんですか?

X:そうです。

蒲生:2011年の夏過ぎぐらいですからね、手記を見ると日本共産党側の様子がおかしいんですよね。田川さんの学生たちへの当たりが強いというか、責めるというか。Xさんたちをいじめるみたいな感じになって。

X:そうなんですよ、急にいじめられ始めたんですよ。

蒲生:一体何が・・・?

X:やっぱり不穏な空気を感じてたと思います。特に私よりもZくんに不穏な空気を感じたはずなんですよ。

蒲生:どういうことですか?

X:Zくんは非常に優秀で自分の頭で考える人物なので彼の方が先に「党の立場」を乗り越えて、自分の言葉で自治会論を語り始めたんですよ。それに対して日本共産党というか、田川さんは危機感を強めてZくんを叩こうとしたんだと思って。

蒲生:田川さんっていうのはそもそも学生運動されてた方でしたよね?

X:我々の大先輩ですよ。東大教養自治会委員長もやり、東大学生自治会中央委員会の委員長もやったレジェンドです。

蒲生:「ヘゲモニー争いしてたお兄ちゃん」っていう。

X:まあ、そうです。実績は聞いたことないです。

蒲生:実績はあるんですか?例えば敵対勢力と戦っていたとか。

X:「原理」はいましたよ。「原理」を叩きのめすのに大変でしたし、あとは彼の勲章は東大学生自治会委員長をやってた頃に「風の旅団」というテント劇団が東大にやってきて、その時に人違いというか手違いで警視庁に逮捕されてるのが彼の勲章です。揉み合ったら逮捕されました。

蒲生:日本共産党って逮捕されたことが勲章になるような組織でしたっけ?

X:何だろうな・・・少なくとも東大学生戦線においてはやっぱり、その敵の謀略というか・・・これも日本共産党式の考え方で不利な情勢になればなるほど「相手が日本共産党を恐れているからこんな攻撃をしているんだ。これは我々が正しい証拠なんだ」っていう言い方があるじゃないですか。逮捕されたっていうのはもうその最たるもので、権力が「東大生の田川豊は許せん。こいつは恐ろしいと思ったから逮捕しに来たんだ」ぐらいのノリですね。

蒲生:でも、間違って逮捕されたんですよね。

X:そうです。

蒲生:その話を田川さん自身が語ってたんですか?

X:そうですよ、田川さん「風の旅団」事件を誇りに思ってましたよ。あと椎野さんとかみんな武勇伝で語っていましたから。

蒲生:そんな田川さんでも選挙では票が集まらなかったと。

X:はい・・・所詮、党内でのプレゼンスしかないですからね。

蒲生:東京の日本共産党の方々って、みんなそれを知ってるんですかね?

X:それはわからないです・・・地域支部のおばちゃんとか、地方議員とか知らない気もしますけどね。

蒲生:じゃあ、ものすごく狭い話と。日本共産党の本部のエリートの・・・。

X:そうです。「学生運動上がりのエリート」の中での・・・。

蒲生:エリートって言っても、自治会のヘゲモニーに守ってた人たちでしかないと。

X:おっしゃる通りです。日本共産党系の学生運動って別に打ち壊しとかやってるわけじゃなくて、旧全学連のヘゲモニーを維持するっていう超官僚的な取り組みが内容だったので・・・。

蒲生:つまらなかったでしょうね・・・。

蒲生:デモなんかはしたんですか?

X:全学連主催で学費ゼロを求めるデモには参加したと思いますよ。

蒲生:この当時って、脱原発、反原発で非常にデモが再評価された時期だと思うんですけど、そういう活動には行ってないんですよね?

X:党の指示では行ってないですね。個人的には行きましたけども。

蒲生:自治会として?

X:いいえ。それはもう党辞めてからですね。

蒲生:日本共産党駒場支部とか民青駒場班は結局、政治運動的なことってしてたんですか? 何もしてないように聞こえるんですね。何をしてたんですか?

X:同盟員の獲得ですね。

蒲生:「メンバーの増員はするけど、特に目的を持って行動しない政治団体」っていうのは・・・それは率直に言って非常にばかげたことをしてる集団にしか思えないんですが・・・。

X:自己増殖を目的として動いていました。

蒲生:なんていうか・・・「革命政党」なんですかね・・・?

X:ハハハ(笑)。

蒲生:そんな中でZくんがちゃんと政治活動家として芽生えたわけですね。

X:そうです、活動をちゃんとしようとした。

蒲生:党の方とZさんの意見がぶつかる瞬間みたいなのがあったんですか?

X:それはわからないですね。基本的には彼らぶつかるとかそういうことはなくて、田川さんはパージする・・・とにかく陰謀的なので、周りから切り崩しそうとしていました。Zくんを孤立させようとしていましたね。まずは私をZくんから引き離そうと「この会議」をやったわけです。

蒲生:「この会議」っていうのは9月のやつですね。

X:はい。

蒲生:だけど、ZさんとXさんって田川さんの家に泊まって語り明かしてますよね。すごい親密に。

X:そうです。

蒲生:その時はお酒とかも飲んで。

X:もちろんです。

蒲生:当時未成年ですよね。

X:2人ともそうですね。

蒲生:田川さんが買ってきた酒を飲んだんですよね。

X:そうだと思います。

蒲生:・・・ここまでの話を聞きまして、1ミリも・・・その・・・社会的に意義のある活動をしてないんですけども。登場人物全員。

X:ハハハ(笑)。

蒲生:・・・これはZさんが田川さんからして「自分から離れていってる」って感じたわけですね。

X:そうです。

蒲生:Xさんにとって田川さんの行動ってプレッシャーを与えるというかこともあったわけでしょ。

X:そうです。

蒲生:Xさんは田川さんたちの当たりの強さみたいなのはストレスではあったんですか?

X:ストレスでしたよね。この部分もそうですし、あとはそのいろんな追求をしてくるじゃないですか、「クラス決議」がどれだけ上がったかとか、そういうのとかもうだいぶ辛かったですよ。

蒲生:「クラス決議」・・・要するに、Zさんがこういう方針で行けって言ったのを各クラスが決議したかどうかってこと?

X:そうです。

蒲生:つまり自分の言うことを東大の学生が認めたかどうか・・・その賛同が少ないと怒ってくると・・・。このクラス決議っていうのはクラスごとにどうやって決議を取るんですか?

X:賛成多数で決議を取ります、授業後に。そういう文化があって、もう数十年やられてませんでしたけど。

蒲生:それを田川さんが復活してさせたんですか・・・?

X:はい。田川さんがそのクラス決議を・・・私に対してですよ・・・決議を来週までにいくつか、何十何個出せみたいな指示をして・・・私の電話にかかってきて・・・「まだまだちょっと出てません」と謝って。

蒲生:それは何の決議だったのですか?

X:内容は忘れましたが・・・多分、当時、東大って成績の得点を開示しなかったんですよ。その開示を求める決議。

蒲生:田川氏が署名を提起した内容ですか?

X:そうです・・・あとは学費だと思います。授業料値上げ反対みたいな話じゃないかな。

蒲生:それを学生にやれと・・・どれだけ上がってきたかっていうのをプレッシャーをかけてたんですか。

X:「点検」ですよ、「点検」。これも私の手記の一番最初に書いてるようにとにかく指示した後は「点検」です、電話とか面談で確認があったんです。

蒲生:要するにノルマが達成されたかを見てたってことですか。

X:もちろんです。我々は学生に対してではなくて田川豊さんに対して責任を負ってました。

蒲生:それは一体・・・Xさんって党員じゃないから田川さんの指揮命令系統ではないわけじゃないですか。

X:まあ、党の指揮命令系統ですよ。私は「一人前扱い」だったんですから。

蒲生:つまり・・・そこで上下関係っていうのは成立してたっていう認識があったわけですね。彼の指示は絶対だったと。

X:そうです。

蒲生:その中でそういうプレッシャー、ノルマ達成を求められたりしてXさんはストレスを感じてたわけですね。

X:もちろんです。だって何でも管理してきますから。選挙の票数すら管理してくるんですよ。学生自治会の選挙って信任投票ですから、投票率低くなるじゃないですか。「投票率が低すぎるとその政権基盤が弱くなる」とされてたんですよ、当時、日本共産党の教えでは。選挙管理委員会がクラスに入って投票用紙撒いて、投票用紙書かせて回収するみたいなのを含めて、とにかく票数を積み上げるのが良いってされてたんです。それも全部「点検」されてました。

蒲生:それは学生側が好んでやってたことなんですか? それともそういう関係性が固定されたから、ある種無理強いされてた部分も・・・?

X:それはもう完全に党員としての上下関係ですよね、党員としての指導―非指導関係でやってたっていうことです。

蒲生:それを断れるような雰囲気はなかったんですね。

X:ないです。

蒲生:その上でZさんとの関係を引き裂かれるようないろんな工作もされたわけですね。

X:そうです。

蒲生:それは・・・あの・・・一般社会で言うと「ハラスメント」というのではないかなと感じるんですが・・・。

X:うーん・・・(長考)・・・私にはよくわかりません。

蒲生:それはなぜですか?

X:・・・(長考)・・・ハラスメントに当てはまる要件など、これが客観的に見てハラスハラスメントなのかどうかっていうのを私は判断できないということです。

蒲生:もし会社の上司が同じことをやったらアウトですか?

X:・・・ちょっとそれは判断できないですね。私の人権意識の低さかもしれませんけれども・・・。

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蒲生:忙しさなんですけどね・・・党の活動が単純に忙しかったんですか? 党の指導の下、自治会も行っていたから忙しかったのか?

X:これは明らかに党のもとで自治会活動する、その二重生活が忙しかったですね。

蒲生:それは日常の大学生活を圧迫しましたか?

X:圧迫しましたよ。単位は常にギリギリで駆け抜けるようにして卒業していた人間ですけれども、私、今でも大学1、2年生の頃にもっと勉強しとけばっていう後遺症に苛まれてます。勉強できませんでした。

蒲生:その状況は保護者の方は了解して許可をしてたんですか?

X:私はそもそも大学生活は保護者に対しては責任を負わなくていいと思ってる変な人間ですけれども・・・まああの保護者当然知りませんでしたわね。

蒲生:未成年ですよね?

X:そうですね。

蒲生:一般的に・・・それは当時としても許されるものではないような気がするんですね。

X:まあ・・・私は大学生は大人だと思っているので・・・私の意見としてはいいんじゃないかなと思いますが・・・世の中の判断はわかりません。

蒲生:「大人扱い」してくれたと思いますか?

X:フフフ・・・田川さんは対等な活動家として扱っていなかったでしょうね。

蒲生:党と自治会の連携会議というのをしてますよね。あれは何だったのですか? だって普段からそれやってるじゃないですか?

X:普段は割とアドホックに呼びつけられて指示受けてたんですよ、それが定期化したっていう感じです。

蒲生:それは締め付けを強めるためだったということですか?

X:そうだと思います。

蒲生:党の連絡会には確か田川さん以外も出席されてますよね。えーっと・・・。

X:連絡会では主に田川さんと西川龍平さんです。

蒲生:西川さんはこの時はもうすでに卒業されてますか?

X:そうです。

蒲生:何のために来たんですか?

X:西川龍平さんは・・・私が2年生の時に何やってたのかな・・・東京都委員会青年学生部員で東大担当に新しくなったんじゃないかなと思います。

蒲生:椎野さんが役者不足だったと?

X:確かに椎野さんから西川さんにバトンタッチされていましたが椎野さんに問題があるというよりも、彼が出世して、もっと責任の重い仕事を任されたみたいで世代交代であったと思いますね。

蒲生:この時期にXさんは全学連の委員長やってほしいとか原発運動やってほしいとかいろいろ要求が来ますよね。Xさん自身、ランクが上がったからっていうことでしょうかね?

X:そうですね。

蒲生:しかし、この時モチベーションとして下がってますよね。

X:そうです。

蒲生:きっかけは・・・。

X:きっかけは中央委員会ですよね。あの決定内容に驚き、呆れたと・・・というか何だろうな・・・2年生になってからだいぶもやもやしてたんですよ。

蒲生:そうでしょうね。今までの話聞いてて心が離れない方がおかしいと思うんですよ。

X:自然にやっぱりこんなやり方、間違ってるよなって思ったのが一つと、あとはそれを優れた政治的嗅覚によって言語化してくれたのはZくんのおかげですね。

蒲生:Zくんがまず離反し始めたわけですね。

X:そうです、そうです。離反し始めたのは明らかにZくんが先ですよ。それに触発されて私も離れたんです。

蒲生:それまでの先輩達ってなんで離反しなかったと思いますか?

X:・・・(長考)・・・実はそこに関しては、そういう先輩に対する憤りのようなものがあって。特に私のような経験をした後に日本共産党の影響から離れて政治的な活動をしてる東大教養自治会OBっていうのはいるんですよ。1人は政治学者のX X X X。彼は東大教養自治会委員長やっています。私の全く同じ経験をしているはずです。その次は西川治元自治会委員長・元全学連委員長、今横浜で弁護士をやっている。この2人は明らかに日本共産党のこういうやり方を経験した後、これはこんなのではだめだと思って日本共産党から離れたはずなんですよ。だけれども告発するには至らなかった。この2人は東大教養自治会の全学連脱退に関してもコメントはしていませんから。そこは私非常に憤りがありますね。何知らんぷり決め込んでるんだよと。

蒲生:当事者ですもんね、2人は。

X:アシストしろよ、思うところがあって日本共産党から離れたんじゃないのかよ、と。

 

*西川氏については事実確認できたため、実名で記します。また、XXXX氏についても確認次第、実名表記にします。理由は、両者ともに弁護士、政治学者という公共性の高い職務についており、さらにXXXX氏については国政選挙の候補経験がある点(さらに候補予定である点)、さらにX氏の発言はコメントして欲しかったという彼の思いの吐露であり、両者の名誉を著しく傷つけるものではない点です。問題がある場合、当事者の方よりお申し付けいただければ匿名にさせていただきます。

 

政治学者のXXXX:国政選挙に立候補経験がある。自治会在籍の有無についてX氏が関係先に問い合わせ中。

西川 治:弁護士。神奈川総合法律事務所所属。Webサイトによると、奨学金問題対策全国会議 事務局次長、反貧困ネットワーク神奈川幹事、「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク 世話人、神奈川労働弁護団 事務局長(2023年~)、日本労働弁護団 常任幹事、神奈川県弁護士会 貧困問題対策本部委員。

*西川については「しんぶん赤旗」のアーカイブで全学連委員長就任が報じられている。

蒲生:離れたといえば女性の方ですね、Qさん。彼女が多分、自治会メンバーの中で一番最初に辞めてるみたいで。

X:そうです、そうです。

蒲生:何があったんですか?

X:1つには政治的に日本共産党についていけなくなったんですよ。やっぱりQさんが入ってきた時って、あいにく田川さんがそのめちゃくちゃ自治会のメンバーに対して締め付けを強めた時期だったので。すごい窮屈な雰囲気の時期だったんですよ。それに対して1年生のQさんだけじゃなくて、1年生のみんなついていけなくなっちゃって。

蒲生:田川さんって情勢分析上手い人じゃなかったですか?

X:ハハハ(笑)

蒲生:Qさんが最初に辞めた。みんなからするとびっくりだった?

X:そうだったと思います。

蒲生:Zさんもその後辞めるんですよね

X:事実上辞めてるんです。Zさん、最後まで離党の手続き取らなかったのでうやむやになってます。

蒲生:Qさんの件は大問題になりますよね?

X:内部で大問題になりまして私も締め付けにあって・・・どういうことなんだみたいな。「Qさんが何言ってたか全部教えろ」みたいな。

蒲生:それはどういうことですか? つまり原因はお前たちにあるんだってことですか? それとも他の組織がQさんに何か吹き込んだとか疑っていたと?

X:いや、そういうのはなかったですけど、とにかく党側は戸惑っていて情報収集を慌ててやってたっていう。彼女と同じ代の学生党員はみんな辞めた。だから駒場支部はガタガタになってしまって。

蒲生:支部はこの件で完全に崩壊した?

X:その後も一人二人とかで保っているんです。とにかく私らの東大教養学部自治会脱退の時に駒場支部っていうのは甚大な打撃を受けたんですよ。

蒲生:全学連脱退っていうアイデアは誰が出したんですか?

X:私が出しました。

蒲生:待ってください。ということはZさんだけだったらこんな大きなことにはならなかった可能性ありますよね。

X:いやいや、Zさんと私が共同で全学連、これは脱退するしかないと考えて作戦を練ったんですよ。

蒲生:田川さんがそこまでやらなかったら、こんな破局的結末を迎えなかったのではないか、ということかなと思うのですが?

X:・・・その通りだと思います。

蒲生:端的に言うと田川さんのマネジメントミスなのでは?

X:彼のパワハラが招いた災いだったと言えると思います。だから、日本共産党が反省すべきなのは、やっぱり田川さんが学生を締め付けすぎたことであって間違ってもなんか中国人をプロレタリア国際主義に基づいて招き入れた判断がやっちゃったみたいなことは言わないで欲しかったですね。

蒲生:この集団離党という経緯の中で精神的肉体的に問題が生じた方はいましたか?

X:Qさんは大学のカウンセリングに行きました。

蒲生:大問題ですね。田川さんがとんでもないことをしでかしたと。

X:そうそう。離党理由もとにかく病気になるまで活動させられたからやめるっていう理由だったと記憶してます。

蒲生:ちょっと待ってください。党活動っていうのは別にビラを巻いたり赤旗を配ったり政治活動をするではないですよね。

X:そうです、会議と、「点検」のことです。

蒲生:何の生産性もない集団内で起きた意味不明なハラスメントによって、1人倒れてしまうっていうこと、まず理解ができない状況なんです。

X:本当にそうなんですよね。東大を舞台にして「ちゃちな党活動」して人を潰してるんですよね。

蒲生:Qさんが離れた後、締め付けが緩んだみたいなことはあるんですか?

X:そのまま破局を迎えますね。

蒲生:手記ではXさん、Qさんの騒動の最中、担当の椎野さんにバイトの後で深夜に「11階」に呼び出されますよね。その時彼は本心を話したと。

X:そうです、そのように記憶しています。

蒲生:思うのですが、椎野さん、深夜のバイト先に顔を出して、深夜2時からお話ししましょうって、普通の勤め人としてありえないじゃないですか・・・?

X:常任活動家というのはそういうものですよ。

蒲生:こういう深夜の呼び出しが多かったのですよね?

X:日本共産党は東大自治会のためなら勤務時間なんてガン無視ですよ。

蒲生:それは「学生のため」なんですか? それとも組織存続のためですか?

X:存続のためですね。ヘゲモニー存続のためならいつだって飛んできます、彼らは。真夜中に呼び出された経験は他にもあるんですよ。あと、彼ら朝も早いです。だって朝7時からビラまいてますから。

蒲生:早朝、そして夜中に呼び出される・・・そういうことは普通にあったわけですか?

X:あります、あります。

蒲生:学生ですよね、当時未成年の。保護者の許可なんてないですよね。

X:あるわけがないですよね。

蒲生:保護者からしたら地方から下宿に送った息子や娘が知らない間にわけのわからないおじさん、おばさんに・・・・溜まったものじゃないでしょうね。朝に夜にと呼び出されて政治活動でも全然ないことさせられて消耗されて単位も取れないっていう状況・・・。

X:単位に関して学生は何とか頑張って取っていたように思います。ただし非常に険しい大学生活を送っていたことには間違いありません。単位とかは一応気にしていて、宮本顕治の時代に「学生党支部の活動の改善のために」っていう通達が出てるんですよね。それで勉強もちゃんとやりましょうみたいな方針が出されていてそれ我々読み合わせたことはありますよ。

蒲生:運用として、実態としてちゃんとそれは守られてた感じはありますか

X:まあ非常に微妙でしたけれども・・・我々としては学生党員っていうのは学びと党活動と二本足なんだっていうことはよく言われていましたよ。

蒲生:だけど、もっと学べたのにっていう感情はあるわけですね。

X:もちろんです。

蒲生:日本共産党と関わって日常の大学生活に支障はきたしていたのですか?

X:支障はきたしていましたよ。

蒲生:Qさんの話をされた時、「パワハラ」ってはっきり言われたと思います。改めてお聞きしたいんですが田川さんの関わり方、学生への関わり方は今から考えて、あれはパワハラだと思います?

X:・・・(長考)・・・やはり、わからないです。それはなぜかというと雇用者―被雇用者という関係ではない、上司部下の関係ではない、あくまでも革命組織の革命家同士の関係だったので。一般社会の物差しであるパワーハラスメントであるかどうかという尺度で評価するのが何度言われてもですね、ピンとこないんですよ。

蒲生:パワハラは職場以外に該当しますが、それでも?

X:ピンとこないんですよ。革命家同士の関係としては大間違いだったと思いますけどね。

蒲生:大人が学生に対して接する接し方としてはどうでしょうか?

X:それも私は何とも言いようがないです。私はあくまでなんだろうな・・・一人前の革命家として田川豊さんと相対していたのが思い出されるだけなので、それがそれを一般的な大人と学生の関係なるものに還元して何が見えてくるかっていうのかは分からないです、当事者として。

蒲生:一人前の革命家として扱ってもらえたことに対して恩があるということで、それが却って「ハラスメントだったか」っていうところを非常にぼやかしてしまってる部分があると思うんです。一人前の革命家だと「思わされてただけ」なんじゃないかっていうのが話を聞いてて感じる部分がずっとあって。未成年の学生に一人前の革命家として、それも政治活動をしているわけでもない、学生を一人前の革命家として扱うって冷静に考えるとおかしいと思うんですよ。だけどそういうふうに思わせていたっていう部分はあると思うんですよ。結果的にだからこそ、学生が自己責任だって思うような状況を田川さんたち自身が作ってたんじゃないかな。一種の「グルーミング」として、学生たちを手なずけてたんじゃないかなっていう感じがどうしてもするんです。ここら辺、今から考えてどうですか?

X:いやあ、そのようには・・・人権意識が現代までアップデートされていないだけかもしれないですけれど・・・。

蒲生:思えないのか思いたくないのかどっちですか。

X:思えないですね。私はやっぱりその18歳、19歳の時の学生運動の、「日本共産党的」ではあるものの学生運動の経験は本当に誇りとして思っていて、あれは本当にその日本共産党と学生の利益との板ばさみの中で自分なりには最後、日本共産党と全学連脱退っていう大仕事を成し遂げてよくやったと「でかした!」と誇りに思っていて。

蒲生:その部分抜きにして会議三昧だって日々はどうなるのでしょうか? 大半の人はあの会議漬けで終わるわけでしょ? あれは革命家なのですか?

X:もし仮に全学年脱退っていう事件がなかったとしても、やっぱりその大学1年生の頃の会議とか学習とかを通して、そのいわゆる科学的社会主義の理論っていうのを身につけてそして、だんだんこう発展していくわけじゃないですか。その中でやっぱ振り返って18歳、19歳の時の党生活っていうのはきっとすごい輝くものとして残り続けるんだろうと思いますけどね。

蒲生:輝いていたはずの田川さんは選挙で票を獲得できず、学生たちもまとめきれなかったという意味では革命家としても、組織人としても評価できる点はなかったと私は思ってしまうのですが・・・。

X:そうですね・・・今となってはそうです。

お願い・2021年4月19日に「文部科学省に届いた『苦情・要望』についての調査」のレポートをアップロードして以降、SNS上で私への誹謗中傷を含む投稿が、複数回、複数アカウントによってなされました。・その中から悪質なものに関して、不法行為としての名誉毀損が成立しており私に対して大きな損害が発生していることが考えられましたので刑事・民事の両面から法的措置を取るため、発信者情報開示の仮処分申請を東京地裁に行いました。債権者面接及びTwitter社代理人を交えた双方審尋が行われ、2021年6月9日、仮処分命令が発令いたしました。・これに伴い2021年6月17日、Twitter社より当該アカウントのIPアドレスが開示され、プロバイダへの消去禁止仮処分及び発信者情報開示請求訴訟を提起するため、サイバーアーツ法律事務所 田中一哉弁護士に対して委任契約を結びました。・今後はプロバイダとの間での発信者情報開示訴訟となり、契約者の情報が開示されて以降、刑事告訴及び民事訴訟を準備いたします。
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2024年62日  公開

6月3日 誤字修正

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