改革時代の無能な英雄:大学は文科省を盲信し続ける

*以下、「コロナ禍の大学で何が起きたのか」調査レポートシリーズのまとめを書いている中で作成された文章です。まとめレポートに収まらなかったのでこちらに掲載しますが、まとまりに欠けたものになっています。(強調は蒲生)同時にまとめたレポートは以下

文科省、政治家、メディア、そして大学:それぞれの問題(A-n-I/42)

「コロナ・キッズ」と「上野千鶴子的なもの」(A-n-I/43)

1 「文科省のいうことを聞けば死ぬかもしれない」

「コロナ禍の大学で何が起きたのか」調査レポートシリーズにおいて、私は時折、大学批判を展開しましたが、それらは(リベラルメディアである朝日新聞やリベラルな知識人が心の拠り所にしている野党を批判したのと同じように)SNSの大学教員コミュニティであまり評判のいいものではありませんでした。

私たちのレポートのSNS上での拡散具合を見てみても、明らかに大学教員コミュニティは政府批判を好む傾向があり、自分たちが被害者であるかという言明に飢えていることが見えました。また、私のアンケート調査でも大学教員の孤独と焦燥感は明らかなものでした

政府もメディアも政治家も自分たちを信じてくれないという体験は大学教員に決定的なものを与えましたが、この絶望は以前から十分に準備されていたものだと言えるでしょう。

1990年代以降、大学は文科省の方針を守れば成長できるという成功体験に支えられ、改革なるものを断行してきました。「文科省のいうことを聞けば幸せになる」。これが改革に携わるものの共通認識でした。

 しかし、コロナ禍の騒動はそれまでのパラダイムを一変させるものでした。

「文科省のいうことを聞けば未知のウイルスに罹患し、死ぬかもしれない」。この体験は圧倒的なものでした。

しかし、それは大学が何かから覚めるほどのインパクトを持っていなかったと思います。現に大学は文科省の方針の通り理工系の学部とデータサイエンスを教える教員ポストを増やしています。

大学にとって文科省はいくら傷つけられても離れられない、依存的の対象なのです。

2 「改革の歪んだロジック」と「英雄になれるアヘン」

 それはなぜでしょうか。文科省の認可や予算の問題でしょうか。私はそれだけではないと感じます。

そもそも文科省は「改革」を通じて大学及び学校現場にある種のパラダイムを形成してきました。

1990年代以降・・・より厳密には1986年の臨時教育審議会以降、日本の教育・研究は「改革」の美名のもと、中央集権的なものになっていきました。

高校、大学と「改革」と呼べるものに関わってきた私は度々「改革者は決して失敗をしない」という奇妙なパラダイムに遭遇しました。

「改革の失敗は常に内部にいる敵対勢力=抵抗勢力による妨害の結果」であり、「正しい改革は間違いを犯さない」のです。同時にこの失敗は抵抗勢力の粛清の契機であり、むしろ喜ばしい瞬間となります。

この「改革の歪んだロジック」とでも呼べるパラダイムがいつしか、全国の「改革」を掲げる学校、大学に蔓延していきました。この文科省が生み出した「改革の歪んだロジック」はあまりにも悪魔的な魅力に満ちたものでした。

その魅力の根源には「改革の歪んだロジック」が生み出すもう1つの重要な帰結があります。

それは「改革が失敗しないならば、改革者は絶対に無能にならない」というものです。どんなに無能で役立たずな人間でも改革の旗印のもと、英雄を気取るなら、それは「絶対に失敗しない存在」になり得るのです。しかし、それは何の解決にもなりません。単に「無能を無能と言えない」だけであり、無能で役立たずはそこに居座り続けるからです。

こうして「改革の歪んだロジック」において、無能で役立たずは「改革時代の無能な英雄」として跋扈することになるのです。

文科省に従う限りにおいて、どんなに無能で役立たずであっても「英雄」なり得るわけです。それはまさに承認欲求の、あるいは物理的社会的な成功のためのアヘンに他なりません。

このようなアヘンを人々は「文科省のいうことを聞けば死ぬかもしれない」という体験によって忘れ去ることなどできないのです。

3 2つの予言

大学における「改革時代の無能な英雄」たちの短期的なテーマはすでに指摘した通り理工系人材の育成と、特にデータサイエンスの教養教育となるでしょう。

それらは興味深い未来を描き出すことでしょう。

数年後、データサイエンティストとして雇われた人々が自分たちは単なる「エクセルの先生」として扱われていることに気づき、優秀な人から大学を去っていくことになるでしょう。

また、学力の足りない半理系学生が増加する中、増加させる政策をとっているのだからそうなって当然だということを理解できない無能な教員たちが、自分たちのどうしようもない現実を中学校・高校の責任だと声高に喚き始める「数学のできない大学生」、「学力低下」リバイバルブームが起きるでしょう。

 そして、「改革時代の無能な英雄」たちの長期的なテーマは「大学の生き残り」です。文科省はかの英雄たちが活動しやすいように様々な行政レベルでの改革を行なっています。

未知の領域へ:「大学設置基準」と「基幹教員」


「改革時代の無能な英雄」たちは「大学の生き残り」のために必ず「アカデミアの崩壊」を選択するでしょう。

雇用形態の多様化とコストダウンは明らかに大学教員という職業への魅力を減じさせ、優秀な若者がアカデミアに向かうモチベーションを失わせます。そうして残る教員は驚くほどの無能揃いになるでしょうが、彼ら彼女らも「改革の烈士」になれば、一夜にして「英雄」となるのです。

こうして英雄たちが導く「非正規雇用が溢れ、テニュア付き教員がまともに研究できない改革の成功した奇跡の学園」は燦然と輝くのですが、それはまさにハリボテに過ぎないのです。

様々な指標は確実に危機を告げ続けるでしょうが人々はこの不可逆的な崩壊に気づかいでしょう。カタストロフィーはゆっくりと起きていきます。それはまるでシロアリに食われた屋敷が倒壊するように、静かに確実に、そしてあるとき、音を立てて全ての人に自分たちの愚かさを告げて。

公開日:2024年3月30

*上記レポート作成にはChatGPTを利用しました

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