大学教員・研究者のSNS利用、個人的な発信を考える

1 はじめに

 大学教員・研究者がSNS等で不用意な発言をし、ハレーションを起こすという現象が近年、散見されます。

 ここ数年で最も大きな騒動になった大学教員・研究者発のSNSの騒ぎは2021年の人間文化研究機構の国際日本文化研究センターの当時助教である歴史学者呉座勇一氏を中心に展開されたものでしょう。

   呉座氏による非公開アカウント内における文学者で武蔵大学人文学部准教授の北村紗衣氏への誹謗中傷など、それに端を発する呉座氏への大学・メディア関係者による事実上の「排除」の動き、結果として呉座氏の所属機関による契約解除、その後の裁判と復職・・・。背景にはネット上にあったラディカルフェミニズムを含む「フェミニズム」陣営と、それに反発する「アンチフェミニズム」陣営、2つの勢力の対立が考えられます。

 このような既存のSNS上の対立構造の中に(コロナ禍なら「ワクチン」をめぐる対立など)大学教員・研究者が巻き込まれる、あるいはその中心になり、SNS上でハレーションを起こす(いわゆる「炎上」)騒動はここ数年、常態化しているように感じます。

 大学教員のSNSでの発信については法学者の盛永悠太が学問の自由の観点で議論をしていて参考になりますがやや理念的なものに感じます。

 今回はこれとは別の視点で大学教員・研究者のSNS等を利用した「個人的な発信」について、気をつけたいことを私なりに整理し、そのあり方について考えたいと思います。

2 「業務」との兼ね合い

まず、投稿のタイミングについてです。

ほとんどの大学教員・研究者は、雇用契約の面では「平日9-17時」で働くサラリーマンです。裁量労働制で勤務する教員・研究者は研究特化型のものに限定されており条件も厳格です(この点は藤巻和宏氏の解説「『大学教員はみな裁量労働制である』という誤解」が的確です。私は別ルートでこの事実を確認しています)

大半の大学教員・研究者は「勤怠管理のされていないサラリーマン」でしかありません。このことを考えると、大学教員が業務時間内にSNS投稿を行なったなら、その投稿は「業務」である可能性が出てきます。

 その投稿が「教育研究」業務として一般的に認められない内容なら、(一般の勤め人が業務中にSNS投稿をするのと同じように:弁護士宮川舞「『SNS投稿で懲戒処分』になる人がやっている失敗」職務専念義務違反または就業規則違反が指摘される可能性があります。

   本人が業務の一環だと抗弁すると今度はその投稿内容と行為について管理者の判断と責任が問われるでしょう。

 例えば、医療研究者が「反ワクチン」的な投稿を行なっても、それはその人の「教育研究」という業務の一環と理解はできます。一方で「ランチの後のあんみつおいしい!」とか、「学会で発表前に観光してるよ!」とかいう投稿をオンタイムで行うのは明らかに「教育研究」業務の一環とは言えないでしょう。

 ただし、業務時間中にも休憩を取ることが可能ですので、休憩時間中に投稿を行なっていたと抗弁することは可能です。その頻度と量が問題になると考えられます。

3 気をつけないといけない投稿内容

  投稿内容について、気をつけないといけないものがあります。

 大雑把に言ってその投稿が社会的に許容できないものなら、当然ながら非難を受けても仕方ないでしょう。

例えば、差別等の表現や他者を傷つける内容、業務上知りえた秘密を漏洩するもの・・・これらは教員としての適格性への疑義が生じるとともに、職務規定違反や秘密保持義務違反が疑われます。のちに見るように研究倫理上の問題も発生するかもしれません。

例えば、「うちのゼミ生の発表は質が低くて〜」のような授業に関連した内容で教育研究上の価値がないもの、単なる愚痴などであれば問題視される可能性はあるでしょう。

また、「会議でこの人にあった」とか「面会でこの人にあった」とかは相手方に許可をもらっても業務に関する秘密に当たる可能性があります。出席メンバーからある程度、会議の内容が類推できることもありますから、このような発信はクローズドなSNS内でも組織としてあまり好ましいものではありません。

執筆依頼が多い先生がSNSで書きかけの原稿やゲラ刷りの写真を投稿し、新しい出版を「匂わせる」発信をすることがあります。許可なしで行えば出版社にとっては立派な情報漏洩でしょう。

研究倫理上の問題が発生する投稿も考えものです。いわゆる特定不正行為は「捏造」、「改ざん」、「盗用」ですがそれだけに限らないと思われます。例えば、SNSにおいて主張した内容について根拠がないものであるなら、明確に問題でしょう。

4 政治的投稿や論争において

SNS上では度々、政治的投稿や論争が行われますがこれらも注意が必要でしょう。

熊本大学の研究不正問題で示されたように「存在することを知る立場にいながら特定の研究を存在しない」と扱うことは問題視されてきています。SNS上での論争の中で自分に不利な研究、データを自分が知りうる状況であるにもかかわらず「ない」と言ったり、存在しないもののように扱ったりすることは問題になるかもしれません。

利益相反の問題も(今後の動向に)注意を向けないといけないでしょう。

利益相反とは「外部との経済的な利益関係等によって、公的研究で必要とされる公正かつ適正な判断が損なわれる、又は損なわれるのではないかと第三者から懸念が表明されかねない事態」(日本医師会「日本医師会における公的研究に係る利益相反管理規程 」、p.1)とされますが「経済的な利益関係等」について広く解釈されることもあり、「金銭的、その他の個人的な動機で、専門的な判断や客観性が損なわれたり、中立性を失ったりする状況」(明谷早映子(2017)「東京大学の利益相反マネジメント」、産学連携学13 巻 、p.73、強調蒲生)とされると、例えば、自分が所属するグループ、関係するグループに有利な発信を行うことも広義の利益相反と言えるかもしれません。

 利益相反に関してはそれを行ってはいけないというよりも、適切にマネージメントすることが重要です。例えば、成果報告等の発信時に「開示」が求められます。厚労省の「厚生労働科学研究における利益相反(Conflict of Interest:COI)の管理に関する指針」では、「透明性の確保を基本として、研究成果の論文発表や学会発表時に COI を開示する等、科学的な客観性を保証するように管理を行うべきである」(p3)とされています。

ある政党や団体を推薦したりそれらに有利な世論形成を行う投稿をしたりする場合、自身とそれらの政党や団体の間に利益相反があるかどうか開示を求められるかもしれません。

「運動」との接近は特に政治学や社会学の分野で恒常化されている側面がありますが(これは与党系、野党系関係なく)、そもそも利益相反は理工系で発展してきた概念なので、これら分野で問題視されたり言及されたりすることもあまりないでしょう。

今後の動向次第となりますが、思想信条の自由にも関わることですので利益相反の範囲を大学が独自で拡張するかは疑問です。ただし、管理者が問題ないとしても大学のステイクホルダーである学生や保護者、(さらに大半の大学は税金からの助成を受けていますから)市民が問題視すれば組織としても対応しないといけなくなるでしょう。

 おわりに

 ここまでみてきたように、大学教員・研究者のSNS等を利用した「個人的な発信」については)かなりの注意点、そしてリスクがあります(ここで指摘したものはあくまでも一部でしかないです)

結局なところ、SNSへの投稿については、自らの研究や教育と明瞭にわかる範囲での広報及びその反響に対して必要最低限の返答を行うくらいしか活用方法はありません。これはクローズドなSNSにおいても同じことでしょう。ここにはニュース記事を引用して、二言三言のコメントを書くだけの「コメンテーターごっこ」は入りません

そして、利益相反が関わるような内容については積極的に開示する必要があるでしょう。ただし、その範囲については今後の議論の動向次第です。SNSへの政治的投稿、SNS上での論争には十分な注意が必要であり、十分に気を配らないといけないでしょう。

プライベートな内容の投稿を行いたければ、大学教員・研究者としては別のアカウントを作成し、勤務時間外に社会通念上許容される範囲で行うという方法があるかもしれません。ただし、これも不十分でしょう。どこまで行っても大学教員・研究者としての、つまり公人としての社会的信用=プレミアム(割り増し)が生じ、プライベートな発信であっても上記のようなリスクが追いかけ続けてくるでしょう。

こう考えると、大学教員・研究者がプライベートな発信をすることはどういう形態でもリスキーであり、基本的に避けるべきだとも言えます。

結論はかなり厳格なものに落ち着きますが、突き詰めて考えればあまりにも当たり前のように感じます。私自身、これらが十分にできているかと言えば難しいところがありますので悩ましいところです。

ただし、これまでアカデミアの先人たちが「表現の自由」、「学問の自由」、「大学自治」を盾に、あまりに自由気ままにSNSを利用してきた事実があり、これらに対する揺り戻しとして厳格な規制が行われてもおかしくないとは感じます。

 

ところで、以前、私が差別的な発信であると抗議し、謝罪の意思を示された東北大学副学長の大隈典子氏ですが、2024年3月8日現在、問題の投稿を残した上で謝罪文を削除しています。Twitter上の謝罪投稿は残されているので謝罪した事実は確認できますが、note掲載の謝罪文を削除し、問題の投稿をそのままにする行為はその謝罪が形式的なものであったという証左であり、彼女は先に示した発信を撤回しないと強い意思を持って示したと言えます。

この謝罪は私が彼女への直接的な抗議とともに各種機関への通告を行ったことへのアリバイ的なものだったのはないかと(穿った見方ですが)思ってしまいます。

大隈典子氏はご自身が非を認められた投稿を撤回することはなかったということでしょう。彼女は差別的と取られかねない発信をしながらも東北大学副学長「ダイバーシティ担当」を2024年3月現在、されています。

いわゆるSNSの論争では「口が滑る」ことが生じやすくそれが全く関係ない第三者を傷つけることがあります。謝罪をしてもその後の処理まである意味で「監視」されることになります。すべてが可視化され、世界に発信される、このようにSNSの特徴はその利用を慎重にせざるを得ないものです。このようにSNSでの意見表明と論争は気軽であるがゆえに多くのリスクを生み出します。

各大学ではSNS利用について学生を主に念頭においたガイドラインが作成されていっていますが、そろそろ大学教員・研究者のSNS等での「個人的な発信」についてメリットとデメリットを明確にし、大学教員・研究者向けの適切なガイドラインの確立・共有に向けた議論を始める時期であると思います。

公開日:2024年3月8

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